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『あらしにあこがれて』8



 数日経つとだいぶ馴染んで、だいたい工房がどう動いているのかが分かってくる。
 それでも大人しくしていると、さすがに気にし始める。
「お嬢ちゃんたちは、シルバさんの工房の方なのでしたよね?」
 そろそろ、帰りの便も近いし、本題に入ろうかと思っていた矢先だった。
 ルナはゆったりと考える。
「ええ、まあ、小さな工房ですが」
 老人たちはお互いに目配せをし、一人がゆっくりと口を開く。
「シドの方ではずいぶん名の通った工房だと聞いていますよ。あれから他の工房などにあたってみたのです、シルバさんの工房を知らないか、と。そうしたらずいぶん稼いでいる工房というではないですか、それでピンときたのです。何か相談があってきたのではないか、と」
 なるほどシャビの工房ネットワークというのは情報通らしい。
 それはそうだ、なんたって全世界の浮遊船が中継地とする一大ジャンクションなのだ、この都市は。ルナはおそるおそる聞く。
「ダマスカス、鋼を探しているのです。ふと耳に挟んだものですから、このシャビの古名がダマスカスなのだと、それで着の身着のままで浮遊船団に飛び乗ってやってきたというわけです。ダマスカス鋼というのは・・・」
「ああ、うちで打ってるのがダマスカス鋼だね」
 やっぱりと思うのは軽薄だけれども、気持ちが急くのを止められなかった。
「お嬢ちゃん、その話は昼にしませんか? まだ仕事が残ってるし、もうすぐ昼だ。わしらと一緒に食べないかね? たいしたものはないけれど」
「はい!」

 昼になると老人たちは疲れたというように背を伸ばし、立ち上がって、工房の中央に集まってくる。数人が何処かへと向かい、残りは中央に車座になった。そこに薄く伸ばした円形のパンが運ばれ、それに続いて野菜の籠、ベーコンなどの肉魚類、そして香辛料、お茶が運ばれてくる。
「質素なものですが、好きに食べてください」
 お茶が注がれ、座った先に敷かれた布の上にカップが置かれた。
 老人たちはめいめいにパンに手を伸ばし、そこに禍々しいほどに真っ赤な香辛料のペーストを塗りつけ、ベーコンを乗せ、玉ねぎとレタスを乗せる。
「あー、そのチリソースはたぶんお嬢ちゃんたちには辛いはずだよ。だからそっちの黄色いの、そっちはそんなに辛くないから好きなように食べてください。それと今日はリーズデルからのニシンの酢漬けが入ったんだ。瓶にあるからそっちも試してくださいな」
 黄色いのはたぶんマスタードだ。見慣れた香辛料にセレンは早速手を伸ばし、パンに塗ったくって、ベーコンを乗せ、レタスを乗せる。それを半円に包んで満足気に食べる。
「おなかすいてたんです」
 はきはきというのに、老人たちの頬が緩む。
 ルナはさすがに礼儀としてチリソースに行くべきかと悩んだが、老人たちが汗をたらたら流しているのに勇気が出ず、マスタードと思わしきものを塗って、それにニシンを乗せ、みじん切りにした玉ねぎを乗せた。口に運ぶと、黄色いソースが思いのほか辛くて、多分からめに調合されたマスタードなんだろうなと思いつつ、それでもニシンと玉ねぎとの相性が抜群で、貪るように食べて茶を飲んだ。
「おいしい!」
 もはや茶なのかパンなのか分からないのだが、普段食べる外国人向けにマイルドになっていたシャビの料理よりもずっと美味しく感じた。それですぐさま次のパンに手が伸びる。
「あ、すみません、わたしったら・・・」
「いいんですよ、いくらでもお食べください、そんなに高いものではありませんから」
 許しが出て、すぐさま次のパンをどうするかを考える。チリソースに行くべきか、いやそれは冒険すぎる。でも同じものばかりというのつまらない、たいへん悩ましい。

 しばらく食べていると、満足してきて、老人たちもゆったりと茶を飲み和やかになってくる。すると、工房長と思わしき老人がおもむろに口を開いた。
「ダマスカス鋼を探しに来たと、さきほど聞きました。ですがそうおっしゃる方にはいつも同じように言っているのですが、ダマスカス鋼はシャビで産出される鉄鉱石からではないと作れないのです。これはわしたちにも理由がわからない。試したことがあるのです、何度も。もしお教えした方法で作れなかったら問題になりますから」
「なるほど」
 ルナは多分特殊な成分がシャビ産の鉄鉱石には含有されているのだろうなと思うのだが、それをいちいち解明するのは面倒くさそうに思えた。
「それで、こうお勧めするのです、鋼板はわしらで作りますからそれを買いませんか? と。いかがですか?」
「価格次第、ですかね?」
 老人はゆっくりと頷く。
「では、いくらまでだったら出せますか?」
 ルナはどぎまぎする。
(なんだこの人、手練じゃない!)
 そりゃそうだ、シャビのタルボットギルドが紹介する工房だぞ! 手練でないはずがないじゃないか! あ、でも、紹介し続けているということは、顧客から文句が来ない工房なんだ。あー、なるほどぉ。
「で、では、言い値で買います」
「ルナさま!」
 セレンがたしなめるのを無言で抑えて、繰り返す。
「言い値で買います」
「ほう」
 ルナはすこし落ち着いて、理路整然と話し出す。
「わたしたちは数日この工房を見学させていただきました。その中でわかったのは、この工房は非常に信用ができる工房だということでした。正直に言いますと、もう末永くお付き合いさせていただきたい。長く関係が続くためにはお互いに無理のない価格で合意するのが望ましいと思うのです。わたしたちは最終製品の価格で、いくらでも利益の幅を決めることができます。ですので、まずはあなた様方が無理のない価格をお決めください」
 しばらく老人たちは黙っていた。
 もちろんルナは、言い値で取引できるのであれば、この工房は何か緊急の事態があった時にわたしたちの工房の注文を優先してくれるであろう、という腹はあった。それに価格が割に合わなければ発注量を減らせばいいだけなのだ。
「わかりました。そうですね、この価格でどうでしょうか」
 メモに書いた数字を老人たちは回し、全員が頷いたのを確認して工房長から渡される。
 それは思っていたよりも遥かに安い価格だった。
「えーと、鋼板の在庫はありますでしょうか。この価格で買います、サンプルとして持って帰りますので。セレン、幾ら持ってきたの? どれだけ買える?」
 メモを渡すと、セレンは慌てて計算し始める。
「あ、半分は残しておいてね。輸送運賃がかかるから。海路で帰るわけには行かないでしょ? あのこすっからいトランの船団も流石に荷を見たらふっかけてくるから」
 考えてみればシドでは伝説の鋼板であるダマスカス鋼も、シャビでは一般に普及している普通の鉄なのだ。誰も注目していないだけで、ここではそこいらに満ち溢れている。これは一山当てたかもしれない。
「あの、それで鋼板の厚みはどれほどのものをお望みですか? 在庫には限りがありますので」
「あ、えーと10ミリと5ミリで、在庫あります?」
 一般的にどこでも使われている厚みを言ったつもり。銃に使うのは10ミリなのだけれど、5ミリを試してもいい。もし、5ミリが使えなくても、他の用途で使えればいい。たとえば蒸気機関とか、ポンプとか、モーターとか。
 老人は悩んだ。
「あー、うーん、10ミリは少ないんですよねぇ、厚すぎてあんまり用途がないので。ですが5ミリならばいくらでもあります」
 え? 一山どころじゃなかった?! 5ミリで強度充分なの?!
 5ミリというのは、鉄材の世界では異常すぎて、少なくとも筒内で爆発させることが日常な銃の世界ではあり得なかった。もちろん、5ミリで済むならば、それに越したことはない。銃が軽くなるし、使う鉄が減るので安くなる。
 もし使えるのであればダマスカス鋼は、利益の源泉になる。
 常識的に考えれば、ただの鉄の値段のものが、ただの鉄ではなくなる。
 これを捉えているのは、シルバ工房だけだ。
 ルナには莫大な利益しか見えず、それはもちろん分配されるべきお金であって、配下で冴えない工房が輝き出すのが見えてきそうになった。


 ダマスカス鋼は実はわたしのネタ元にしている書籍では、すでに解明し尽くされた技術と記載されていたりします。まあ簡単に言えば、ちょっと古い本なのですね。最新の情報では、どうも未知な分子構造が発見されたとかで、まだ解明されていないステイタスになっているのが現在のダマスカス鋼です。
 ダマスカス鋼は、ウーツ鋼という特殊なインドの鋼(はがね)がダマスカスに運ばれて最終加工されてダマスカス鋼になります。なので特殊なのはウーツ鋼の方なのです。なので今回ダマスカス鋼として説明されているのはウーツ鋼の話です。
 わたしが律儀にダマスカス鋼を追っているのは、その参考にしている書籍に、トルコ製の銃にはダマスカス鋼が使われていたと書かれているからで、そのへんはルナがダマスカス鋼を追っている理由と代わりありません。

 食べ物ネタは、トルコのケバブをイメージしていたりします。円形のパンというのはピタのことです。もしくはタコス。本当はダマスカスのあるシリア料理で書きたかったのですが、トルコとシリアってだいぶ近いし、実際にシリア料理(正確に突き止められたのはレバノン料理ですが)にもピタに似た円形のクレープ地のようなパンが美味しそうだなあとか、それしか考えていないんですね。

 いま、次どうするつもりだったけと思いながら、草稿を読みながら、ひでーなーw と思っていたりしますw だいたい土日月で次の週の草稿ができるのですが、頭痛いなあとほんとにそういう感じです・・・。


| 自作小説 | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『あらしにあこがれて』7


 シャビの港は慣れているのだけれども、タルボット同伴ははじめてなので、いろいろと戸惑う。タルボットは浮遊船から大量の荷をおろして、それを勢い良く市へと運んでいく。
 シドで仕入れたのだからたぶん香辛料だろう。
 たとえば、ジャングルでは恐ろしいほどの安値で買われるキノコ。これが都市に運ばれると恐ろしいほどの高値で売られる。なんでも薬効があるらしい。それでトランの浮遊船団は儲ける。
 シドの船団が劣るのは、船足が遅いということになる。
 同じ船でも海水の抵抗と、空気の抵抗では天地の差がある。
 これが同じ風を受けながらシドの船足が遅い理由で、しかも上空のほうが海面よりも強い風が吹いているのだ。
 それでもシドと帝国との航路が維持されているのは、トランが5ギルドある船団同士で争い合っているからだ。トランの敵はトラン。しかしシドには敵がない。唯一あるのはシスティアという味方の海洋国家だけで、システィア人の傭兵はトランと戦っても恐ろしく強い。システィア流の剣術は超文明の技術に頼っているトランに対して強く、簡単に制圧をする。
 もちろんそこにキュディスが入ってくるとよくわからないのだけれども。

 トランはよくわからない国だ。
 荷では競合しているのだけども、トランの浮遊船団が恐ろしく暴利で、シド経由の海路のほうが安いことになっている。トランがシドの航路を潰そうと思えばできるのだけれども、空路の覇権争いをしているのでその資金のために利を稼がなければならず、あきれるほど海路が安くなる。
 彼らは荷の行き来のほとんどが、荷の積み下ろしと、荷の積み込みに左右され、たどり着くのにかかった時間に左右されないことを理解していない。
 みすみす見逃してもらっているのは、ありがたくはあるのだけど。
 多分トランの失敗は、利益を上げるためにえげつなくなりすぎる点で、乗車中のお茶が5グロアとかありえないことを言う部分にある。シドの帆船では無料だし、トイレにいくたびに高額の賃料を払うこともない。まるで自分たちが特権階級であるかのように思っていて、恐ろしい暴利がまかり通る。
 タルボットはひどいにしても、ヒンギス、ブルークスタ、ライカルのギルドもひどい。
 ヒューメリックが唯一残っているまともなギルドなのだが、このギルドは単独航行を許しているので、ギルドとしてのまとまりはない。
 トランのめちゃくちゃな覇権争いの漁夫の利を得ているのが、通商国家シドなのだ。
 だから、従順にバカをさせておくのが得だ。

 シャビに近づくと、荷降ろしの奴隷たちが叩き起こされる。
 それは船中を叩き起こすような騒音で、ハンモックで本を読んでいるのも、暴利な茶を飲んでいるのもばかばかしくなる。
「なんなんですかこれ?」
「あー、荷降ろしって分かる? シャビについてからが戦場なの。数千箱の荷を降ろして、また数千箱の荷を積む。もちろんわたしたちはお暇するわよ、お客だし。ダマスカス鋼を探しに来たんだから」
 セレンはしばらく考えて、遠慮気味に言う。
「ルナさまは、いいひとですね」
「なにそれ?」
 意味がわからずに聞く。セレンは慌てて言う。
「あの、いえ、とてもわかり易かったので・・・、でもわたしを侮辱しなかった・・・」
 ルナは考え込んでしまうが、セレンが無学だというコンプレックスを強く持っていることにまで思いが及ばない。
「なに言ってんのよ! タルボットが暴利だと言ったのはあなたでしょ? わたしもそう思うし、トランは恐ろしく暴利よ! 茶に5グロアっておかしいと言ったのあんたでしょ!」
 セレンは言葉を謹んだ。

                   ※

 上空から見ていたシャビは、密集する街区の中にちらほらとひらけた広場やら寺やらが散在していて、行き交う人々の活気が聞こえてきそうな気さえする。
 降り立った広場はトランの船団の船着き場になっているためか人はまばらで、縱圓梁臘未蠅鯒舛と商売の呼び声が聞こえてくる。シャビは石造りの密集した街区と、賑やかなバザールと、荘厳で静かな寺院と、活気ある職人街の都市だ。バザールも職人街も通りごとにその役割が分かれていて、北の市と南の市という大雑把にしか分けてないペネスとは違って、宝飾品の通り、革製品の通りとそれぞれがまとまって商いをしている。
 街区はおおよそ住宅街で、それが四方の関と人がすれ違うのもやっとな細い路地とで塊になった地区を形成している。その中には大邸宅もあるが、殆どが庶民の家だ。中庭づくりの家々はそこに噴水と緑をたたえ、どのように水を引いているのかは謎なのだが、清潔な水が流れている。もちろんルナは街区には入ったことはないし、用があるのは街路沿いにあるバザールと職人街なのだ。
「この辺なのよねえ」
 ルナはタルボットギルドで買った(貰えないのだ)地図を片手に、街路を歩く。
 タルボットギルドの話では、どうも鉄を鍛えている工房で、ダマスカス鋼のヒントが得られそうなのだ。シャビはだいたい暑い。それは炉の数のせいではと思ってしまうほどなのだけど、詳しい人に聞くと、このシャビという巨大な島を通っている海流のせいらしい。それで雨が多いし、バラが育つ理由になるらしい。
「バラってさ、甘いじゃない」
 セレンはうんざりした様子で、はい、まあ、そうですね、と答える。
「それなら、ここでじゃがいもを育てたら甘くなるのかな?」
「試してみますか?」
「じゃあ、やってみようよ! じゃがいもが甘くなるかもしれない!」
 もちろん、めちゃくちゃな提案なのだが、突拍子のないむちゃくちゃさは本人が自覚していないルナの武器なのだ。
「じゃあ、じゃがいもを植える農地をご用意頂けるんですね?」
「あ、そっかー。そんなのないなー。いまどんぐらい資金に余裕がある?」
 セレンは律儀に考えた。
「50グロアぐらいですかね、もちろんダマスカス鋼の交渉用は別に考えていますが」

 紹介された工房にたどり着くと、見慣れた光景が広がっていた。
 結局工房は、ペネスでもシャビでも変わらない。
(浸炭法だ、どこでも同じなんだなぁ、これは)
「タルボットギルドの紹介できました。わたしはシルバ工房の会計を担当しておりまして、」
 じろりと見られるのを、はははと照れ笑いで返す。
 老舗だと聞いてきただけに、初老からいつ亡くなるかわからないお爺さんまで、熟練の職人ばかりが無心に鉄を叩き続けている。その姿は尊いようにさえ見え、昼過ぎから深夜まで無言で見ていた。
 工房の音はシンプルだ。
 一定のリズムに従ってカチンカチンと叩く。
 そして炎の音。
 ごうごうと鳴る炎の音を聞いていると、安らぎさえ感じる。
 セレンはいらいらとしていたけれども、小声でよく見ておきなさい、という。
 たぶん若いと、その人たちがなにをしているのかを、ひたすらに肌で感じることに価値を感じられないのだ。わたしは身体を溶かして、その工房の空気に染めていくのがたぶん好きなのだ。それで信用できるかどうかが分かる。
 深夜になると、老人たちは片付けを始め、思い出したようにわたしたちを見る。
「あしたは、7時から始まります。また来ますか?」
 笑うと、おかしなお嬢さんだと笑われる。

「ルナさま、全然なにもしてないじゃないですか!」
 セレンがぷりぷりとして吐き出すのを、先に荷を預けた宿泊先に街路を歩きながら、そう言えば夕食食べてないね、という。忘れていたのだ。
「忘れていました」
「じゃあ、なに食べたい? もうだいぶ遅いし、屋台ですます?」
「あ、いえ」
 セレンには珍しく抵抗する。
「じゃあ、海鮮の串焼きにでもする? シャビの食べ物はだいたい辛いけど」
「辛くないほうが・・・」
 ルナはうーんと考え、
「じゃあ、野菜出汁の海鮮麺かなぁ・・・。いい店知ってるよ! 屋台だけど・・・」
「・・・じゃあ、それで・・・」


 えーと、今回からシャビ編となります。
 シャビの街の描写は結構簡素ですが、以前資料を集めていただけあってだいたい正確です。街区が描かれていないので説明が入ってないのですが、イスラム都市はイスラム法学で綿密にどう作らなければいけないかが決められていたりします。
 たとえば通り抜けができる公道は、幅が3.5メートル以上、高さ3.5メートル以上、これは大人のフタコブラクダに騎乗し荷物を満載してすれ違えるサイズなのだとか。こう言った規則が事細かに法律になっているのだそうです。
 もっと細かい規則も写真も図面も満載の資料を見ているのですが、さっきちらっと見たら、はい? という言いたくなるような定価が書いてあって、なんでこんなん買ったんだ、と唖然としました・・・。
 また文中に噴水とありますが、これは現代人の感覚からすると五メートルぐらい水が吹き上がるようなものを想像してしまいがちですが、この資料に中庭の噴水として紹介されているのは公園によくある水飲み場のようなものです。おそらくいつでも喉を潤す事ができ、小鳥がやってきてそれを飲むようなものだと思われます。写真を見ている印象では、中庭というのは私的な公園なのだなあと、そんなふうに見えます。
 というわけで今回が1番シャビの街中が描写される回ですので、そのあたりに触れてみました。
 

| 自作小説 | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『あらしにあこがれて』6


 わたしの工房なんてあったんだと思い出すのは、そこに来るのが半年ぶりだからで、ラスペの下町の断絶した貴族の元館にある。この周囲にしてはめずらしい電力線を引いていない屋敷で、工房が息を吹き返すと蒸気機関がものすごい黒煙を吐いて、発電を始める。
「ルナさま! お久しぶりです!」
 顔を見せると、各工房に援軍として送っていた従事が帰ってくる。
「特急で蒸気機関を作るわよ。わたしは数日しかいれられないから、そこは徹夜だと思ってちょうだい。日がないの。シャビに飛ばなければならないの。図面書くから、シャビに行っている間に仕上げて。テストと最終調整は顔出すから」
 部品数にして数百の蒸気機関を数日間で作るなど気が狂っている。
「とりあえず、基本となる部品から作って、ネジとか歯車とか。めったなことでは変わらない部品から。難しい所はおって設計するから。あと材料は最高級のものを使って。とにかく故障しないことが大前提なの。これはモーターとポンプの工房にも言っておいて。この装置は鉱山用のものだから壊れたら、直しに駆けつけなければならなくなる。鉱山は山奥にあるの。ちょっとしたリード線の破断ぐらいで、山道を数日登りたい?」
 ルナは方針を出すと、机に向かって、サウス語の写本を片っ端から漁る。
 蒸気機関のトレンドは理解している。シリンダーを増やす方向なのは分かるのだが、それを無駄なく連動させる方法がわからない。しばらく考えて、シルバに助けを求めたくさえなった。
「考えてくる」
 ルナはそう言って、館外に出る。
(あ、そう言えば、蟹伯爵、めんどいなあ)

 ラスペ一流の料理人の料理は前菜から刺激的で、パトロンになって欲しい面倒な貴族は上機嫌だった。ワインが注がれると、すこし酔ってセクハラまがいのことを言い、それぐらいは気にしないけれども、世間話をして、だいたい利益の源泉になりそうな事物たちの話をする。
 それは、工房の現状であったり、だいたい儲からなそうなとこを紹介するのだが、飽き飽きしてくると、本筋に入る。
「実は、お金になりそうなところがありまして、出資をお勧めするのですが」
 表情が少しだけ微動する。
「シルバくんは関わっているのですか?」
「はい、本家本元です。これをいい出したのはシルバです。だから、」
 自信がある。ルナは鮭のムニエルをナイフで切って、口どもる。
「バカバカしい話に聞こえるかもしれませんが、彼は鉱山の出水で奴隷が死ぬのが我慢ならないのです」
 表情が動く。
「奴隷は安くないですからね」
「それで、機械で代わりができるのであれば、安くなるのではないかと。機械は文句を言いません。病気もしません、あ、いえ、故障すれば修理するものが駆けつけます、暇ですし。それよりもうちの工房の物は壊れません」
 その貴族はしばらく考え、いくらですか? と聞く。
 だいぶ盛った価格を言うと、しばらく考える。
「うちで試してもいいでしょう。ただ、噂は広めますからただでお願いできますか?」
 こすっからい。
「本来10万グロアのところを、長い付き合いの機微でただならどうでしょう?」
 これができるのはシルバがキャッシュを稼いでいるからだ。
「本来10万グロア」を差し込むために、この交渉はある。たぶんこの浅はかな商人は、自分は10万グロアを浮かせたと喧伝するはずだ。そうすると正価が10万グロアになる。
 感謝してよねと誰もにいいたくなったけど、誰もこんなことは聞いてくれない。
「これは商売上手なお嬢さんだ。あなたの美貌に乾杯して、了解することにしましょう。今夜は長いと思っていいのですか?」
「今夜は忙しいので。蒸気機関を任されました。最高のものを仕上げなければ」
 なぜだかわからないうちに、商談はだいたい成功し、うんざりする面倒、酒に付き合うという面倒だけが残った。まあ酒は強いけど、それは自慢にはならない。だいたい酔い潰すのがミッションになる。
 出て来る料理に話の花を咲かせながら、とにかくお酌をする。
 恐ろしくつまらない仕事だよねえ。

 シャビに向かう船には常にバラの花束がある。
 それはシャビが、自国の名産を常に来港者贈っているからであって、シャビ行きが華やかな理由になっている。その香りを嗅いでいると、シャビに探していた楽園がある気にさえなってしまう。
 シャビに向かう船団は定期便で、ラスぺとシャビの間を往復している。2つのジャンクションをつなぎ、荷をおろして、荷を積み込み、また帰ってくる。
 シャビにダマスカス鋼があるかどうかは、まったくわからない。
 それでもぜんぜんお金にならないなあと考えると、だいぶ正気に返る。
 そもそも銃の銃身にダマスカス鋼が使われることを、だれも求めていないのだ。
 書面に書いてあるから、ダマスカス鋼を探しているだけなのだ。
 こすからいタルボットはだいぶ慣れていて、茶も出さない。
 有料なのだ。
 それでしばらく歩いて、有料の茶をもらう。セレンは首をかしげる。
「料賃は払っているんですが・・・」
「タルボット舐めないで。飛べるだけラッキーでしょ? 彼らは商売人なの。お金稼ぎが商売なの。飛べたらいいじゃない。お金が重要なの?」
 セレンは諦めて、ため息をついた。
「でも、茶が5グロアっておかしくないですか」
 それは正しい。たしかに暴利である。ラスペであれば無料で飲めるかもしれない。ただ、この価格は、それがトランの浮遊船乗りであっても共通だ。わたしたちが特別に暴利を貪られているわけではない。トランの合理性は学ぶところが多くて、ため息をつく。どれほどわたしたちシドのほうが不合理なのか、と。
「変えてしまう? 不条理を全部取っ払う?」
 やけくそ気味に言うと、セレンは誰がやるんですかと聞く。
「セレン」
 冗談は言わないでくださいと叫び、わたしにはたったひとりしか頭に浮かばなかった。
「野ばらのあの人はどうかな・・・。わたしは全否定したけど」
「て、テロリストでじゃないですか」
 うん、否定しない。
 彼女はいつもめちゃくちゃすぎて過激で、主流に落ち着くとは思えない。ただ、シルバが、あのなんにもないやつが、落ち着かせたらどうだろう。わたしにするように、その激高する情熱を落ち着かせたらどうなるんだろう。
「あの人は大量の借金があって、交渉しやすいわ」
「ルナさまは、お金の話ばかりですね」
 うん、そう。
「でもどうかな、もし出資してもらえれば、いくらでもお金にしてみせると言えば」
 セレンはしばらく考えて、ヒステリーを起こす。
「わけがわかりません! お金がないんですよね! なんでお金が出てくるんでるんですか!」
 ルナは魔法の言葉を言った。
「信用があればいくらでもお金は出て来るの。絶対に返ってくると思われていると、借金は借金じゃない、わかる? わたしが借りたら、絶対に返ってくるの。これが信用。お金を借りられる秘密は全部これ。彼女には恐ろしく大きな信用の塊がバックに付いているの。だから変えられる可能性があるとすれば彼女だと思う。誰だか分かる?」
 さあ、とセレンは首を傾げるのを見て、おもむろに言った。
「大公よ。彼女は大公の古い盟友の姪なの、ただ一人の生き残りなの」

 死神リニーが歴史の表舞台に現れ始めるのは、シドの絶対的な権力者である大公が、前線指揮官に命じていたからで、特異なシルバを長とする組織になるまで、だいぶ長い変遷をたどる。
 城郭都市サイルを中心にする最前線の経緯が、一体誰が何だったのかを、説明するのも困難になる。サイルがどこだったのかさえわからない状態で、本来サイルと名付けれた太守を置く都市のことだったのか、離宮とも言うべき旧都の要塞のことなのか、それとも、これを包含したすべてが大サイルだったのか。それがわからない。
 戦いは同時多発的に起こり、何がサイルを守ったのかわからない。
 たぶん、ロットの整えた守りがサイルなのだろう。
 そうなると狭義のサイルになる。
 そもそもサイルを守るのは、ザブンテ軍の残党が主力という異常な私兵集団であって、それにシド蛮族の首竜の傭兵と、何故か絡んできた正規軍の3すくみで運営されていた奇妙な軍だ。
 リニーが優れていたのは、その3すくみを完全に統御していたことで、彼女の軍師としての評価が確立されたのはだいたいこの時期だ。国境線でのファーストコンタクトは、ボルニア側は軍神の降臨とはならなかった。これが、初戦をなんとかしのげた唯一の理由だと言う人もいるけど、それでも負った傷は大きい。
 シルバの砲兵兵団が、世界を変えはするのだろうけれども、それがボルニアの鉄鎖騎竜兵団と同等かと言われると、鉄鎖のほうが勝っている。それに鉄鎖の次王が組み合わされたら。あの超人的な機動戦をされたら、崩壊は明らかだ。
 籠城しかなくなる。


 シドの通貨単位であるグロアは、何度か言ってますが、だいたいドルです。
 ドル円のレートはだいたい80円から120円のレンジで取引されていますので、1グロア100円と考えると大体あってます。ですので、10万グロアなどと言っているのは1000万円です。また、5グロアのお茶は500円です。
 うは、暴利だ(笑)。
 この世界観の世界では工作機械(つまり機械を作るための機械)がほとんど普及しておらず、電力などの産業インフラも全世帯には普及していないので、機械はとても高いのです。例えて言うと、現在から50年前に1兆円をつぎ込んでスーパーコンピューターを作ったとしても、現在の1万円で買えるスマートフォンよりも性能が低いものしか作れないのに似ています。
 たとえばプレイステーション2(PS2)は6ギガフロップス、チェスのチャンピオンを破ったディープブルーは11ギガフロップス、PS4は1.84テラフロップス、地球シミュレータは35.86テラフロップス、京は10000テラフロップスです。PS2は2000年発売、PS4は2013年発売です。たった13年の間に性能が約300倍強になっている。たぶん次のPS5は地球シミュレータの性能を超えるでしょう。26年後にはプレイステーションは京の9倍以上になる計算になります。4万円程度で買えるゲーム機がです。
 こういう技術の進歩をなんとか盛り込める物語にならないかなあ、などと思いながら書いております(^_^;
 

| 自作小説 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『あらしにあこがれて』5


 ルナは結局来た道を戻り、ラスペへ向かう。
 内海を通る航路はシドの首都経由だし、シャビはラスペの東方の東岸諸国のさらに向こう、大きな島国に全世界へのジャンクションがある。トランの浮遊船団が中継地点にしている商都だし、ラスペからの航路もある。
 そうなると、ぐちゃぐちゃと雨季が過ぎたばかりの泥の中を歩き、山塊を超えて、湿度の高い山道を歩くしかない。騎乗用の竜ぐらい用意すればよかったのだけれども、ルナは工房中のコストを管理している都合上、贅沢はできないのである。
「ニホには告白しなさいよ」
「またそれですか。興味ないんです」
 セレンは冷たい。
 正直ここまで言われると、どうしたらくっつけられるかしか興味がなくなる。
「ニホが言ってたわよ、セレンっていい名前だって」
「からかっているんですか!」
 うん。それしか興味がない。
「だって、ニホが言ってたよ? セレンの声が好きだって。コロコロと高いセレンの声が聞こえると、居ても立ってもいられないって。あなた普通に言えば、ニホに溺愛されるの。わかる? そういう意味?」
 シルバとのことを思うと、複雑すぎるのだけれども、いったいシルバはどう思っているのだろうと考えるのは、わたしには難しすぎた。
「お、お金がほしいんですか?」
「ど、どうしてそうなるの!」
「だって、ルナさまの仕事はそれじゃないですか!」
 たしかにわたしは、シルバからお金を絞ることを仕事にしている。それが唯一の使命で辛いことは否定しない。でも、わたしはシルバのお金がほしいわけではない。いや、欲しいというよりは全部強奪している。実行犯はわたしだ。
「たしかにさ、全部認めるけど、シルバに使う分は残そうと思っている。あいつから全部取ろうとは思わないよ、だって理不尽じゃない。だからダマスカス鋼の正体が知れるならばどこにでも飛ぶ。しょうがないでしょ? サウスの文献に書いてあるんだから、ダマスカス鋼って。一切の助けさえせずに、むざむざ金を生む鶏を殺すの?」
 セレンは考える。
「わたしにはわかりません。ルナさまは、高級すぎるのです。だってシルバさまを助けてばかりで、迫らないじゃないですか! 全部握っているのに、脅さないなんておかしいです! 好きなんですよね!? そんなにお綺麗なのに!」
 いろいろ図星を言われて、本音が出た。
「シルバは外見には興味ないの! それがいいの! わたししか見てないの!」
 わたしは自分を戦友としてみてくれるシルバがたまらなく好きだった。
 一緒に戦えている自分が幸せだった。
 セレンはしばらく立ち止まり、トボトボと歩を進めるルナを見た。
「あ、あの、ごめんなさい・・・」
「謝らないで。いつものことだから。こんなので心が折れてたら仕事にはならない、ラスペについてからが地獄だから、覚悟してよね。外観でしか評価されない世界は地獄だから。わたしは慣れてるけど」

 ラスペについてまず確認したのはトランの浮遊船団のスケジュールで、どうも数日後に大船団がやってくることが分かる。しかし、その船団はタルボットギルドで、トランの5大ギルドの中で1番こすっからいギルドとして知られている。
 もちろん重要な中継地であるシャビには寄港する。
 ラスペのタルボットギルド支部に、顔を出す。
「ああ、ルナさんじゃないですか! なにかお仕事ですか?」
「こんちわ! 久しぶり! 急用があってね、シャビに行きたいの。もう少ししたら、船団が来るんでしょ? 乗賃は弾むから、なんとか押し込んでもらえないかしら? 2人」
 トランのギルドの案内人はだいたいへらへらしている。
 精鋭は商売をしていて、ここにいるのは下っ端だからだ。
「50グロアでどうでしょう、二人分の乗賃ですよ? すいませんね、暴利でしょう? ギルドの規定の乗賃なんです」
 しめたと思って、突っかかる。規定料金を出してくることはじめから読めていた。
「あなた達はわたしたち以外の荷物を運んで儲けるんでしょう? たった、えーと、セレン、体重いくつ? ああ、たかだか100キロ未満が増えて、経費が増えるの? そもそもトランの技術は、わたしたちが再現するからいつまでも天下があると思わないでね? この際恩を売っておきなさい」
 これが有効なのは、わたしがお得意様だからだ。
 それで乗賃は12グロアになる。
 まだ高いけれど、シルバ様々である。いくらでもこれから稼ぐと有望視されると、交渉は有利になる。
 脚は確保しても、面倒は大量にある。
 兄の屋敷に帰ると、ばあやに取り憑かれる。
「ルナさま! 面会の依頼が殺到していまして!」
 手紙を受け取るとうんざりとした。だいたい想像つく面倒ばかりで、中でも一番面倒そうだったのはわたしに惚れている貴族で、だいぶ金があるので無下にはできない。
「会いますけど・・・」
「お嬢様、ご自分をご大切に」
 んなこと、わかってるよ。
「会うと言ったんです。そこで何をするかはわたしの仕事でしょう? どうなるかはわたしが決めます。それで不満?」
「いえ」
「じゃあ、黙ってて」
 ルナはその貴族との会食を設定して、とりあえず評判のいい料理人を当てる。
 シドに景色のいい名店はないけれども、だいたい格が高い料理人は決まっている。それに景色のいいロケーションを組み合わせる。あとはだいたい料理人がなんとかしてくれる。
 そこはオートマチックだ。
 たとえば蟹が好きだとわかれば、蟹だという。
 この客はよく知っているので、蟹で決まる。
 ただ、面倒な客で、新鮮な蟹しか好きでないのだ。
「新鮮な蟹蒸しでね、1時間以内の蒸しは禁止」
 なんで、こんなことをしているのだろうとはいつも思う。
「ルナさま!」
 さまと言うな! ばっちい仕事の棟梁みたいじゃないか。
「柑橘も添えたらどうでしょうか? お屋敷の料理人が長く考えていた提案なのです」
「それは、なにを言っているの?」
 ばあやはしばらく迷って、蟹肉に絞るのだという。
 しばらく考えて味を想像すると、だいぶ合っていた。
「じゃあ、柚子で。魚醤に合わせて。あとは料理人に任せるから」
 ああ、こんな仕事してしまっている。
 わたしはシルバのために、資金が必要だ。
 こんなに露骨な、資金集めを絶対にしたくない。

 金を配っている工房を訪れると、だいたい恐れられる。
「ルナさんじゃないですか! どうしたんですが?! なにかうちの工房に不足がありましたか?」
 不足はいくらでも語りたかったが、少しでも貢献できる目がある限りは無碍にはできない。わたしはその恐ろしく赤字を垂れ流れしている工房に用があった。
「電動モーターの発注をしたいの。とりあえず、試作用に2つ。発電用と動力用。モーターは作れるわよね? 大口の話になりそうなの」
 その工房主はいたく感動したようで、言葉を失う。
「利益はあなた達で研究資金に使っていいわ。全部あなた達のものよ。ただ初号機の性能で採用されるかどうかは決まる。うまく行けば数が出るから。最高のモーターを作ってちょうだい。繰り返すけど、これで研究資金を稼いで」
 ルナが巡っている稼げない工房にも、そこそこイケている工房はある。その失敗も含めて数百なので、だいたい良さそうな所はルナには見当がつくのである。
「十日後には仕上げてね! 忙しいの! ボーナス払うから! シャビに飛ばないとならないの。帰ってきた時に仕上がっているのが望ましいの。分かる?」
 その工房主はだいぶ覚悟を決めて、無言で頷く。
 こういうやつが信頼できるのだ。それから、ポンプ屋に立ち寄って、蒸気機関のポンプが失敗した話をする。
「あれは、駄目だったでしょ? 坑道で石炭をたくと坑道の酸素がなくなる。そうすると坑内の奴隷が死ぬ。だけど新しいポンプを考えたの。蒸気機関は坑外に置くの。それを発電機にして、坑内のポンプを動かす」
 ポンプの研究者はだいぶ考えたが、
「モーターはどうするんですかい?」
「さっき、バーナードに発注してきた。蒸気機関はわたしが作る」
 ポンプ屋は訝しげに聞く。
「それで利益は出るんですかい?」
 たぶんモーターが高い事を言っているのだ。
「それはわたしの仕事ね。高く売ってくればいいんでしょ? あなたたちが損するような取引はしない、だから安心して。それで得た利益をは全部研究資金にしていいわよ。こっちに上納する必要はない」
 これできっちりと金銭が合う。
 シルバに4割取られるのは厳しいが、蒸気機関を暴利で売って、それで賄えばいい。
 となると、蒸気機関はフルスペックの最上級を出さないとなあ。
 なんかいいネタあったっけ?


 えーと、事前の予定では、ほぼ全てがペネスでの事件になる予定だったのです。
 だけれども、予定されていたペネスでの竜狩りの様子を書くよりも、ルナとシルバがどんなふうに事業を進めているのかを書いたほうが楽しいな、となってしまったわけで、ラスペ編、シャビ編を書きたくなったのです。
 これは総集編の解説で書きますが、この中編はシルバを書くためにあったのです。
 それがあまりにもルナが格好良すぎて、プロデューサーとしてのルナに焦点が当たる形になりました。物語は生き物なので、企画どおりに進まないのは仕方ないと逃げたくなるのですが、ルナが予想以上に格好良かった、という言葉になります。
 ルナの生命力が意図していなかったのだけれども、あまりにも格好良かった。
 これだけのキラキラを見てしまうと、そこにカメラを向けるしかなくなる。
 小説家の多くが、小説は自由にならないと言うのは、たぶんこれなのです。

 ラスペに戻って、ペースが変わるのですが、たぶんここはマニアックすぎて分かりにくいのですが、生活のリズムが変わるんです。それを書いていて、あ、こんなに変わるんだと思いました。それが生き方のチェンジ・オブ・ペースになるんです。これはたぶん直感する人は少ない気がするので、書いておきます。


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『あらしにあこがれて』4



 わたしが初めてシルバにあったのは、薄暗い小雨の日だった。
 シルバは孤児院から引き取られてきた子供で、兄はシルバに炉を担当させるつもりだったよう。幼いわたしに知る由もないが、高齢の炉の主が徒弟を欲しがったのだろう。
 それで遠巻きに見ていたのだが、いつもあちこちにやけどの跡があったのを覚えている。かちん、かちんと鉄を鍛えるのは重労働だし、ひょろっとした子がいつまでもつのかと心配したのだが、おそろしい粘り強さがあって、結局は今に至る。
「あんた、いつまで続けるの? こんなの奴隷じゃない。文句ぐらい言わないの?」
 わたしがみかねてそう言ってしまったのは、世界をよく分かってなかったからで、シルバはしばらくわたしを見た後に、躊躇していった。
「ぼくは運がいいんだ。流行病にもかからなかったし、親方はぼくを実の息子だと思ってくれた。だからここが家だし、ぼくの家族はここなんだよ。炉の前なんだ」
 事実、この親方はシルバを実の息子のように自分の知るすべてことを仕込んだ。
 今になって思えば、シルバがひとり立ちできるだけのものをすべて植え付けようとしていたのだろう。ただそれは幼いわたしには虐待のように見えて、どうしても自分がどれだけ恵まれているかを考えさえせずに、ひどいことだと思っていた。
「あなた、ちゃんと給金もらってるの?」
「ないけどさ、住むところも食事もあるからさ、必要なことは全部もらえるんだ」
 シルバが卑屈に見えるのは、わたしが特権階級にいたからだと今は分かるのだが、それは少し大人になってから。いまになってはいかに間違えていたが分かるし、シルバはシルバなので、その作ってしまった関係を恥ずかしく思う。
 自分を消し去ってしまいたくなるほど。
 ただシルバは優しくて、どんなにへんてこりんなことを言っても、だいたい普通に受け止めてくれる。それがわたしを大胆にした。
 わたしが書いた、一通の文章で何もかもが始まった。(23)

 「クリフォードへの取材依頼」という名称で当の本人のクリフォードが語ることになるわたしの手紙は、ひかえめに言ってシドを変えてしまうほどのインパクトがあった。わたしはパルの実妹で、もうちょっと自分の影響力の大きさを考えたほうが良かったかもしれない。
 兄の高弟の、竜狩り用の銃を作る工房に見学に来ませんか?
 ルナとしては、どこに出しても問題のない工房であるし、もしかしたら幅広い週報発行者たちの人脈の中に資金の出し手はいないだろうか、と思ったのだ。
 あの脳天気な者たちがどうもこれは取材すべきだと嗅ぎ分けて、即座に記者がやってきた。出会うと素朴な印刷業者で、あの人たちはよくげらげらと笑った。食いつきが良かったのは工房の奇っ怪な機械で、これで鋼鉄の直管を作るのだと説明すると、同伴の銅版画家が素早く姿を記録していった。
 ドライゼ銃にはまったく触れていないのが片手落ちだったけれども、それは不幸中の幸いだ。このときにドライゼ銃を世の中に周知すべきではなかったし、爆発的にシド中に広まる恐れのある週報には載らなかった。
「わたしが担当になりました! 社主は別の取材に忙しいのです! ご勘弁ください!」
 それは元気だけはいい小柄な女の子で、はきはきとした笑顔が印象的だった。これがあのシド全土に支持されている週報の記者かとは思ったが、どうも野ばらのベストセラーを書いているのはこの子ではないっぽい。肩透かしだったし、本物に会いたくなった。このときはその社主が来るまでもないと判断されたようなのだ。
 仕方ないから塩レモンの特別に冷やしたものを出し、たぶん好きそうだとわたしが勝手に思って、はちみつをお好みで入れてくださいと添える。その蜂蜜が大好評で、何杯入れたかわからないくらい注がれて、恐ろしいほどの甘さになっているであろうと思われるカップの中身を想像して恐怖した、喉にはいいかもしれないけど。
 それでもこの蜂蜜ガールはまったく怯むことはなく、
「リラです。まず聞きたいのですが、この技術はシドをどう変えるのでしょう? 兵器の革新ですよね? となるとボルニアとの衝突をもう予定しているのでしょうか?」
「ま、まって……、なんで、ボルニアと戦うことになっているの? この工房の目的は、騎竜兵を増やしたい貴族たちの、竜を用意することなの。なんでこの技術を使ってボルニアと戦わなければならないの? 銃は人を殺すためにあるものではないの」
 リラはきょとんとする。
「だって竜を無力化できるんですよね? ボルニアを無力化できるんではないですか?」
 この言葉はたしかに本質をついていたが、飛躍しすぎている。
 そんなかんたんな話じゃないと言うことはできるかもだけども、この子はあさましいぐらいには積極的で、なんでも聞いてやろうと瞳をらんらんと輝かせていたのを見て、この子がなぜ銅版画家同伴で派遣されたのか分かった気がした。
 たぶんこの常人ばなれした、思考の飛躍がこの子の最大の武器なのだ。
 それで不意を打たれて、ついつい彼女ペースで取材が進む。
「ルナさんは、この工房の監督をしているんですよね? じゃあ、何がほしいのか教えてください。やっぱりお金ですか? それは理解できるのですが」
 それが以外はないだろうとは言わない。ルナには無数の研究資金で苦痛を味わっている開発者の姿が浮かんで、なんと言えばいいか考える。
「わたしは、わたしは配りたいの。どの研究も結果が出ないと切り捨てられるべきではないの。どれも大切だし、たったの3年で切られるべきものなんてたったの一つもない。それを守るためなら、稼ぎ頭を犠牲にする。一生償えないひどいことをしても」
 リラはまたきょとんとした。
「パルさんの工房には期待されている方がいるんですよ、だからちょっと見てきてもらえないかって。異例なんですよぉ、こんなこと」
 ルナにはだいたいのからくりが分かってきた。
(面倒な筋に目をつけられてるなあ・・・)
 資金の流れを見ていればだいたいそれがどこなのかの見当がついた。
「ルナ! あれ、お客さん? どうしたの? 出資者? あのさ、蒸気機関をルナに任せたいんだけど、やってくれるかな?」
 申し出は願いどおりだけれどもタイミングが最悪だった。
 遠ざけていたのに、面倒くさいのがやってくる。
「し、シルバさんですよね! クリフォード社のリラです! お会いしたかったんです!」
「は、はあ。」
 食いつく速度は猛禽のよう。
「る、ルナ? どなた?」
「週報の発行者・・・」
「ああ、すみません! 来てるなんて知らなくて!」
「いえ、構いません! 本来は社主が来るべきだったんです! それで話が見えないのですが、蒸気機関をルナさんに任せるとはどういうことでしょう?」
 シルバは、ようやく困難な状況だと察して、しどろもどろで説明をしようとする。
「あ、あの、ルナがシド随一の完全蒸気機関の研究者だとはご存知ですよね?」
 リラは戸惑う。
「そ、そこまでは」
「蒸気機関の研究でルナを知らない人はいません。今は研究に没頭できない状況なのですが、サウスの技術を見つけてくることの関しては天才です。ぼくもその恩恵に預かってますし、サウス語をネイティブに読めるのです」
 きわめて正確に表現されると、わたしはつまらない。
「だから、その専門家に発注するのがおかしいことですか?」
 リラはためらってから、白旗を上げた。
「どうも、役不足だったようで」
 愛想笑いを浮かべる。
 シルバはしばらく考えていたが、ルナの方を向き、
「香草茶を作れるかな? あれはとても美味しい」
 ルナが入れ始めると、シルバは改まった。
「ルナのほうが研究者として優れています。ぼくは本当につまらない方で、えーと、リラさんでしたよね? ルナの作るものを見て欲しいな。飛ぶようで、どう表現していいかわからないよ。神がかっているんだ」
 正直どう反応していいのかわからなかった。
 お茶っ葉を蒸しながら、香りを部屋に満たしていく。
 完全蒸気機関に関しては、たしかに自信がある。
 ただ、これは果汁酒じゃない。誰もを酔わせるだけの実力がない。
 お茶として注ぐと、椀が温まった。
 リラはそれを飲み、異国のお茶ですねと、満足そうに言う。
「おいしい・・・。こんなにおいしいなんて、ルナさんよりもすごい人は出てこないのですね」
「はい・・・」
 シルバはそういった。ルナは思いついて聞く。
「あの、リラさんは、もしかしたら知りませんか? 北方大陸を駆け回っていることですし、古いダマスカスって、現在の地名ではどこですか?」
 リラは不意をつかれて、うんうんと考え始め、しばらく考え込む。
「あー、いや、聞いたことはあります・・・、でもどこかは、うーん・・・、クリフォードさまなら即答すると思うのですが、えーと・・・」
 苦しそうに唸る。
 それから頭をかきむしって、やけくそ気味に言う。
「シャビです! たしか、シャビ史を読んだことがあったような・・・」
 自信なさげに言う。
 ルナは立ち上がり、シルバの肩を叩き、じゃあ、言ってくるから、と捨て台詞を投げる。シルバが唖然としているのをよそ目に、セレンに行くわよと声をかける。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 これはリラだ。
「間違ってたらどうするんですか!」
 ルナは気にもせずに、
「5%もあってたら幸運のうち。あなたはこの世の中が100%あっているとでも、思っているの? 幸運の神様は飛びつかないと逃してしまうのよ?!」
 セレンは律儀にも旅装を整え始め、案外この娘とは相性が良いのかもとさえ思えてくる。
「ラスペですか?」
「まずはね。そこからシャビへ!」


 ダマスカスは実はパオペラ(ゲームブック)の面々が飛ぶ先として用意してあったので、実はけっこうリサーチがされていたりします。ダマスカス鋼に関しては次回に譲りますが、シャビを舞台とした短編ゲームブックシリーズが4本用意されていたのです。
 まさかそこが生きるとは思いません出した。
 オスマントルコはイニチェリという鉄砲兵を親衛隊にしているぐらいの鉄砲国(わたしが参考にしている本では火薬帝国)なのですが、その版図にダマスカスがあって、必然的にダマスカス鋼が使われているのです。ダマスカス鋼の経緯は複雑なので、次回に譲ります。
 現状のダマスカスの破壊は悲しみを感じますが、日本という国にいると所詮部外者なのが、苦しいというか無力感は感じます。そこはダマスカスだぞ、価値が分かっているのか! と叫びたくなります。  資料で知っているだけのわたしは無力です。


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 『あらしにあこがれて』3


 こんなだったシルバを一言でいうと、お金がないという言葉になる。
 わたしがほとんどのお金の流れを握っていたし、とにかく理不尽なほどに兄の工房にお金を吸い上げられていたことは事実だ。それをやっていたのはわたしであり、理不尽なことをしていたのがわたしだったので、いつ工房の人間に、シルバはしないとしても、だれかに殺されるかもしれないと思っていた。どんなに恐ろしいことをしていたのかさえ、わたしには見当さえつかない。
 それでもシルバは寛容で、わたしが常に工房にいることを許してくれる。
 わたしはその工房にいて、サウスの書物が形になっていくのを見ながらゆるやかな昼を過ごすのが好きだった。そこには都会の喧騒はなく、ありがちな書類仕事もなく、真剣な、しかしのどかな手作業しかなかった。
 シルバは板状の鉄を曲がるまで高温にしてらせん状に巻いて筒にする。
 かちんかちんと叩きはするけど、お互いのやり取りはささやき声のようで、ごうごうという炉の音にかき消されそうになる。
 この製法が稀有であって、板状の鉄を直線的に芯棒に単純に包み込むようにして作る筒とは圧倒的な差があった。強度が違うのである。シルバの筒は暴発しない。それがブランド価値になり、多くの貴族から発注が殺到していた。農耕地の害竜を追っ払うのに使うのだという。畑を荒らす竜に発砲して痛みを覚えさせると、銃声に怯えるのだという。
 シルバは奇怪な装置を作って、砲になる直管を造り始めていた。旋盤に似ていながら、あちこちの温度管理が容易にできる。微妙な温度変化を駆使して、筒の芯棒である鉄と管の温度差を変えていく。叩くと溶けて筒になる。それを叩いて、火入れをすると鋼鉄になる。
 シルバの未知の鉄という宿題は、まだ念頭にあった。
 純鉄を叩くことで炭素を浸炭させることで、硬くなることはよく知られていた。
 しかし、ダマスカス鋼と表記される鉄のことがまったくわからない。これの製造方法がわからないのだ。というかダマスカスってどこにあったの?
 鋼鉄の筒の作り方はほぼ確立されていて、繊細な銃にしていく作業が最難関だったが、シルバは5秒もかからずに適切に火薬が発火する場所を飴のように切り取っていき、弾を込める可動式の覆いがスムーズに動くように僅かな誤差を小さなハンマーで調整していく。
 ドライゼ銃の名称が、シルバ銃とならなかったことの方がふしぎなほどで、実質的にシルバはドライゼさんの銃を乗っ取った。シルバの工房でしかこれは作れないし、その利点がわかっても真似できる工房はなかった。
 シルバのドライゼ銃だとあちこちで呼称された。正直面倒なので、以後はシルバの銃と呼称することにする。
 シルバの銃はだいたい面倒くさい銃で、そのめんどくささのおかげで暴発がほとんどない安全な銃になっている。そのためにおそろしいほど強度確保のために叩くし、叩くたびにずれる正円の砲を、常に微調整する。
 そんな誤差も許さないのかと思うのが日常で、わたしにはどこに狂いがあるのか分からない世界で調整していく。おそろしく精密な銃が生れていく工房を眺めるのはのんびりとしたものなのだが、シルバが試し撃ちをすると、必ず欠陥が見つかる。
「5センチずれているかな。微妙だけどね。これだとうまく行かない時もあるよ」
 50メートル先から撃って5センチである。
 変態的な射撃の名手がこのシルバの銃の精度を決めていた。神がかっている射撃の名手があってないと言えば、誰も言い訳ができなくなる。シルバはそもそも射撃の腕があって、そこから自分で作る銃の信頼を獲得していった。
「この銃は正確ではない」
 これに抵抗できる人はいない。
 目の前にいるのが射撃の神だからだ。
 それで、正確だとお墨付きをもらった銃を固定して、機械的に射撃精度のテストはできる。同じ条件で固定した正確な銃と、テストする銃で比べれば結果は明らからかだからだ。

                   ※

 姉貴風を吹かせていると言われるのは好きではない。
 そもそもわたしはシルバより1年年長なだけだし、正直に言ってわたしは雑用係の脇役だ。シルバがいなければ兄の工房は存続できず、彼が主役であることは明らか。
 だけど、この時はさすがに言った。
 振り返えるとあからさまな姉貴風だったし、これが重要だとは分かっていなかった。
「あんた、まだこんな本読んでるの?!」
 野ばらの装丁をされたベストセラーを手に取り、シルバに突き付けた。シルバはしどろもどろになって、ぶつぶつと呟く。
「みんな読んでるよ……」
「荒唐無稽な本じゃない! だいたいこれ、主人公がアドレルを救ったことになってるけれど、アドレルは週報でもみんな知ってる通り壊滅したし、」
「うん」
「それにこの主人公の死神は男性ということになっているけれども、実際に裁きを受けて死神の二つ名を受けたのは女性だったし、」
「たったひとりの女性がキュディスに放り込まれて、しかもアドレルを救っただなんておかしいでしょ! おとぎ話じゃない!」
 シルバはしばらく考えた。
「でもさ、共感するんだ。シドはおかしいよ。奴隷を売買するべきではないし、キュディスの怒りを買うようなものだよ。この人はつねにキュディス人を奴隷にしないように頑張っている。ぼくはこの人の助けがしたいな。役に立つかどうかは分からないけれども」
「ばっかじゃないの! あんたなんて戦場にぶち込まれて、死んでしまえばいいんだ!」
 シルバは戸惑って、わたしの手首をおそるおそる握って、ため息を付いて言う。
「そんなの、夢のまた夢だよ。ぼくの仕事は最前線に赴く貴族たちの竜を用意することだけ。そんなことはルナだってわかってるだろ? 卑しい仕事だよ」
 いら立ちが芽生えるのは、こいつがおそろしく謙虚だからだ。
 わたしたちは、その苦悩する天才にたかっているだけだと、気付くからだ。
「メイファは知ってるだろ?」
 知るも知らないも、シルバの工房の統括をしている女の子だ。それを取り出すのはずるいと思うのだが、言いたいことはわかった。
「ぼくは話してわかったんだ。この子は、本来頭がいいんだって。それが特別な事情で発揮できていないと。信じられるかい? 彼女は奴隷として売られていたんだ。遠い東の国の出身だし、言葉もわからない。それでも、ぼくと話せた、言葉は通じないのに」
「でも、買ったんでしょ?」
 これはいじわる。
「それ以外方法がなかったんだよ。仲間として迎える方法が買うしかなかった」
 ルナにとっては、メイファがシルバに特別な感情を抱いているのは明白だ、と考えるのが面倒くさかったのだが、明らかにこれがいなくなると、シルバの工房は立ち行かなくなることはわかっていた。
「決して奴隷じゃないよ。仲間なんだ」
 何かわたしの古傷をえぐるようであるが、罪を犯したのはわたしだ。贖罪のために死にたくなり、辛いとしか言えなくなる。わたしがシルバを奴隷だと思っていたことは事実であるし、否定するすべがない。それを責めることをしないのは彼の計り知れない寛容さであるし、そこで生かされているのを感じはする。
 かれは得体が知れないほど広大だった。
「でもさ、こんなに面白い人たちが集まってボルニアに抵抗すれば、なんかできる気がしないかい?」
 楽観主義とは言わない。
 シルバの思考は未来に対して太陽のように明るいが、現実主義者である。それは死神リニーという現実主義者の権化のような天才軍師を得て、開花していく。
 シルバはたしかにあらしにあこがれていた。
 自分の力がどこまでか知りたがっていた。
「奴隷制が未だにはびこっているのは、機械が発達していないからだよ。ルナもわかってるだろ? 鉱山で出水したときそれを組み上げるポンプがあれば、人はいらない。人が死ぬかもしれない危険な作業だ。石炭の蒸気機関があれば、こんなの問題にならない」
 シルバの視線は強くて、言葉に困る。
「そうだけど、まだ石炭の内燃機関の排気問題が解決してないの。構内で燃やすと、酸素がなくなるし、煙がひどいわ。炭鉱中に毒ガスを撒くようなものなの」
「うん、そうだね」
 しばらくシルバは考える。
「こうしたらどうだろう? 蒸気機関は坑道の外に置く。そして坑内にはモーターを置く。そして蒸気機関には発電機を繋いで、その電力を構内のポンプに送る」
 ルナはしばらくなるほどと考えたが、あることに気づいて眉をしかめた。
「それってさあ、発電機のモーターとポンプのモーターの2つが必要ってことでしょ? どんだけお金がかかると思ってるの? モーターは高いのよ?」
「奴隷を買うより安いんじゃないかな?」
 冷静に検討してみると、ほぼトントンだった。
「まあ・・・」
「だったら人が死なないほうがいいよ。ほら、こっちの方がいいじゃないか」
 この熱意がうっかり惚れ込んでしまう理由なのだ。
「だったらさあ、あんた、それやったらいいじゃない?」
「え?」
 わたしは椅子の背に持たれ、背伸びをして天井を見上げた。
「お金必要なんでしょ? そんなのわたしが調達するから、あんたは好きにしたら?」
「ど、どういう、いみ?」
 反った背を戻して、思わずにやにやして、シルバを見てしまう。
「その心意気を買ったって言ってるの、鉱山につてぐらいあるんでしょ? やりなよ」
 まあはっきりいうとこいつが本気になったときには、だいたい回収できることは長い付き合いでわかっているし、まったく回収の見込みが立たない研究者たちに罵倒されるのは、もう慣れっこになっているし、その蒸気機関をわたしがやってもいい、とさえ思っていた。最近触れるのはお金の書類ばかりで飽き飽きしてはいるのだ。
「だけどさぁ、利益の8割は渡してよね、利益よ? 売上じゃないから、安心して。周辺を黙らせるにはそれぐらい必要なの」
「暴利だよなあ……」
「あなたに渡るお金は文句ばかりの研究者からぶんどってくることで生まれるの。その口うるさい連中を黙らせるには、お金が必要なの。汚い仕事だなんてことはわかってる」
「あ、あの、隊長! この女に譲歩する必要はありません! すべての利益を稼いでいるのはうちなんですから!」
 シルバは突然割り込んだ異国のうつくしい工房長を見て、困ったように眉をしかめる。
「メイファ、お金の話はルナに任せているんだよ。必要なときにお金が来なくなったら困るだろう? メイファは硝石を買うお金がなくなったときにそれを用意できるのかい?」
 たぶんこの子は、わたしをライバルと思っていて、自分のほうが魅力的だと思っている。わたしは正直、自分の研究成果の方に興味があって、自分の外観にはまったく興味が無いのだけれども、張り合う気は一切ないと言っても分かってもらえない。
 容赦なく分かりやすい方法で決着をつける。
「50万グロアはかき集める。だいたい出資してくれるつてはあるからさ」
「たすかるよ。面倒ばかりでごめんな」
「ちゃんと稼いでよ? 出資者が大儲けできないともう次はないのよ?」
 結局、わたしの取り分は6対4になる。
 数字にしてみると2倍のお金がシルバに流れたことになる。結果的にシルバの事業には大量の金が流れ、世界初の砲兵兵団を整備する資金になる。
 そしてそれがシドを守った。まさかこんな思いつきで決まった事業が当たるなんて。


 えーと、技術的な解説は終了時にまとめてお送りしたいのですが、いちおうそれなりの技術史の本に出典があります。シルバの製銃方法はトルコのもので、芯棒を包むようにして筒を作るのは欧州や日本の製銃方法です。
 ドライゼ銃というのは実在の銃でプロイセンで開発されたものです。
 風の谷のナウシカのナウシカが持っている銃に機構が似ています。
 たぶんあの銃もドライゼ銃をモデルにしているのでしょう。

 もともと蒸気機関は、鉱山で出水があったときの汲み出し用として発達したのですが、高出力な電動モーターの発達がだいぶあとなので、その頃はひどい状態で使っていたようです。このお話ではサウスの書物が発見されると、技術発達の順序関係なく発展してしまう事になっているので、当時は何故か高出力電動モーターがあった、ということにして進んでいます。

 シルバのライフル銃の腕ですが、ライフル射撃に50メートル先の的を撃つ競技があり、この最高点10点の円が直径5センチです。そこから5センチごとに9点、8点、7点となりますので、5センチずれるというのは、半径ですので9点と8点のちょうど境界線に当たるぐらいを意味します。
 しかもこれ、反動のある火薬銃ですからね(^_^;
 神域に達している精度で、まあオリンピックでも無敵だろうなあというレベルですw


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 『あらしにあこがれて』2


「じゃあ、読み上げるから、ちゃんと写筆してよね!」
 シルバはその横暴に耐えるが、すぐに速記ができる者を呼び、ため息をついた。

 この目の前にいるひょろひょろは天才だ。
 銃器に限った場合ではあるが、才能があることは否定しない。
 神から授かった才能の持ち主をあげろと言われれば、まずこいつを、不愉快ながらも挙げる。まず、射撃の腕前が神がかっているし、銃器を創ることもできる。無駄に自分を誇るところもないし、サウスの技術に素直に感心し、簡単だというように模倣する。
 たった数分で、難題の答えを見つけ出すし、そのために猛勉強をすることもしない。
 わたしとまったく正反対の天敵。
 おそらくというのも変な話なのだが、彼がサウスの工房にいたとしも一流の開発者と最新技術について話し合うことができただろうという確信はあるし、ときおり彼が虚空を見上げてぶつぶつと話しているの見て、ああ、サウス人と会話しているのだな、と思うときさえある。
 彼がサウス語を学ぶことを必要としないのは、ちょっと聞くだけでそれがどういう技術的思想で実装されているかを理解するからで、虚空に向かって口走った言葉の中にはその書物にさえ書いてないことだって混じっていて、はっとする。
 その不愉快さが開発者としての嫉妬であるとは分かっているし、わたしが猛勉強してようやく理解したことを、彼は夜の散歩でもしてきたようにいつの間にか通り過ぎている。
 しかし彼は”銃の”天才であり、シドという国での居場所はぺネスにしかない。
 彼は自分が、禁忌に属する分野の天才であることを理解しており、本人は一切喜んでいない。彼には強要をしたくないが、それでは兄の弟子たちの資金繰りを維持できそうになく、しかたなくわたしが嫌な金銭面の役をする。
「この銃は後詰め式で、機構もそんなに難しくないでしょ? 工房じゃあ直管も作れるし、この後詰部分の機構も難しくないと思うのだけど」
 そうやってひっぱたいてやらないとやる気にならないのだ。
「ルナは、ほんと分かっていて助かるな。これは確かに簡単で、今すぐにでも作れるよ。このドライゼ銃は革命だね。こんな簡単だったなんて。よく見つけてきてくれたね」
 銀頭は関心を持ち、側に控えていた者に気づいた点を語り始める。鉄の温度はこの通りではだめだ、そんな温度はここの窯ではでない。低温で叩いて鍛えるしかないね。
 熱心なシルバ信者である、工房長のメイファは頷いて、その言葉を記録していく。
 シルバが買ってきた解放奴隷で、元は東方の貴族の娘だと聞く。いや違う、奴隷を買って、市民権を与えたのだ。解放奴隷を買ったのではなく、奴隷を買って、なんの条件もなく市民権を与えて、奴隷の身分から解放したのだ。
 それが恐ろしく有能なことは否定しない。
 ルナはさすがに、現場までは口を出さないのであるが、その真剣な表情を見ていると、ああ、銀頭だなと思ってしまう。10年前に戻りたいとは思わないけれども、孤児と名家の偉そうな跡取り娘という、恥ずかしい出会いをしたあの頃に戻れたらと思ってしまう。
 わたしは存在を消し去ってしまいたいぐらい尊大だった。
 彼を奴隷だと思っていた。
 恥ずかしいにもほどがあるし、あの時間をやり直したいとも思う。
 今のシルバを見ていると、人として何をすべきなのかの、手本を見せられているようで怖い。
 シルバは研ぎ澄ましたうつくしい銃のようだ。
 射手に文句さえ言わずに、ただ言われたとおりに発砲する。
 ルナが神童と目されていた兄の懐刀と思われていた時代は、まだよかったのだけど、兄のメッキがはがれていく過程で、ルナはつらい思いしかしなかった。脱落していく膨大な弟子たちの世話をしながらも、また駄目だったとため息をつく。そんな中で遠慮なくおまえは本物だと思えたのは、この腐れ縁だけで、たぶん本人には自覚がない。
「あー、面倒くさいやつね! これがほんとに役に立つといえるの?」
 銀頭はしばらく考えて、
「うん、まあ、そんなに悪くないと思うけど」
 これがいらつくのだ。
 さっき褒めていただろ。
 サウスの最新技術だぞ。これを見つけるのにどんだけかかったと思ってる?
「ただ、ちょっと難しいんだ。これが書かれた時よりも、今の鉄は固くない。銑鉄はもろくて鍛鉄は固いことはルナも知ってるだろ? でもこの文章を聞く限り、ぼくらが鍛える鍛鉄よりも固い鉄を想定して書いている。未知の鉄だよ、何か知らないかい?」
 この幼馴染がむかつくのは、おそろしく正確な所だ。
 油断していると気づかないのだが、「書を聞く」というのは、サウスの流儀だ。サウス人は書を残さなかった。現在伝えられているのは、それを周辺民族が速記したもので、サウスでは歌と称される。歌の速記本として残っているのがサウスの技術書なのである。
 こいつはいつもサウス人のつもりでいる。
「あんたはサウスの音を聞いたことがあるの?」
 これはいじわる。
「ないなあ、読んでくれないのかい?」
「教えてあげるから、自分で勉強しなさい。つきっきりで何か月でも付き合うけど」
「ルナはぼくが面倒くさいから、いくらでも付き合ってくれるのかい?」
 思わず反論する。
「めんどくさいはやめなさい」
 嘘を言う。わたしはどんなにめんどくさくても、銀頭のきれいな言葉を聞いていたかった。こいつのことばは実現には難しいことを言うけれども、かみ砕くとだいたい正確なのだ。その正確さを聞いているのは、きれいな音楽を聞いているよう。それは神官の宣託を聞くように心地よいものだった。
 のちの技術法制の話につながるのだが、リニーが巻き起こした激論は、最前線の自由都市を難攻不落の最前線に変えた。一時はシド中の発明家の半分がこの都市にいたというし、莫大なシドの富が防衛を理由にこの都市につぎ込まれ、ラスぺ、ぺネスに続く、第三の自由都市サイルがこのボルニア戦線の最前線に築かれた。
 広大でありながら難攻不落の都市は、きちがいたちがたむろする最前線になり、最高の楽園だったが、それは次の話だ。サイルの話は複雑なのである。たった一人によって解決するまで、恐ろしいほどの変遷をたどる。奇跡の都市は恐ろしいほどの変遷をたどるのである。サイルの話はとても面白いので次にしよう。
 このときの銀頭はだいたい銃の機構にしか興味がなくて、目の前に提示された技術書に夢中だった。ドライゼ銃と書かれた技術書に夢中で、それがどう使われたかには興味がなく、その機構のすごさに打ちのめされていた。
 わたしにはどこがよいのかわからない。
「こんな合理的な銃があったなんて。ライフル溝を設けてしまうと、竜を殺してしまう。だから滑空砲のままの方がいいんだけど、そこが問題じゃない。これは何度も撃てる銃だよ」
 何を言っているのか分からない。シルバは熱っぽく語る。
「先込め式ってわかるだろ? 今の銃が、だいたい3分ぐらいの充填時間が必要だったのに対して、この元込め式は30秒ぐらいじゃないかな。単純に6倍。相手が1発撃つ間に6発撃てればそれは無敵だよ!」
 うん、なんだかよく分からない。それでも唯一の相棒のように話してくれるのが嬉しくて、なにしてるんだろと思うのさえ忘れてしまう。
 ただ、シルバは殺すために撃つ銃を造っているわけではないから、ぺネスでの仕事においてどれだけ有効かも、よく分からない。だいたい竜は発砲しないし。
 そもそもあんたは一発百中の奇人じゃないか。
 短時間で何発も撃てることを必要としていないのだから、この興奮のしようはよく分からなかった。ただ、のちになってわかってきたのは、こいつは竜を無力化する竜狩り部隊をボルニア戦で投入してほしい気だったらしい。つまり百発百中でない砲兵部隊が欲しかったのだ。
 そうすると射手はへたくそだ。
 だから、5発失敗しても1発当たればいいという状況を喜んだようなのだ。
「こんなの意味ないでしょ! あんたがおかしいの! 竜を失神させることができるのはあなただけなの! 馬鹿なの?! 騎手を殺した方がいい!」
 シルバはしばらく考えて、おもむろに言った。
「ルナ、やめてよ。ぼくはだれも殺したくないんだ。それに騎手を殺すのは無理だ。正しくないよ。騎手は殺すべきではない。騎手を殺したらその家族には恨む権利が生じる。シドは恨まれる国になるんだよ。それよりも竜を無力化したほうがいい。攻めるのが難しいと理解させればいい。追っ払えれば充分なんだ」
 ぼそぼそという声に惹かれたというよりは、言っていることの大きさが瞬間に理解できなかった。そもそもこの時期にこいつが天才的な領主であることを、分かっていない方がおかしいという方がおかしい。
 シルバはこの時は単なる鉄砲屋なのだ。
 のちにシドを率いるのは、死神リニーでありその主君は便宜上シルバになる。
 リニーはシルバの権限を最大限に生かし、何もかもをするのだが、シルバはすべてを許す。シルバの陣営にはおそろしく有能な野ばらの諸侯が集まり、それに対してOKとNGを言うのがシルバの仕事だった。
 兵器を、竜を追っ払うためだけに使うと言ったのはほとんど唯一の自己主張だ。
 これでボルニアに勝てるのかとはふと頭にはよぎったのだが、この方針が叙事詩にうたわれる野ばらの諸侯を支えたのである。殺さないと宣言することは、たしかにシドの立場を守っていた。自分たちは侵略されているだけだと。そうするとどちらが暴虐か合戦となる。シド・ボルニアの一大大戦がそれほどの損害もなく済んだのは、兵を殺したら負けの戦いに持ち込めたからだというのが大きい。
 こんなバカなことをシルバが言っていたのは、ボルニアの史上最強の騎竜兵団が侵略してくることがほとんど確実だった時。きれいごとというのは容易いが、大量殺戮を競い合う大戦になっていたらどれほど恐ろしい歴史になったかと考えると怖気が走る。シルバがいなかったらと思うと怖い。



 ちょっと前回とのつながりがわかりにくかったので、前回の最後2行を便宜的につけています。
 このぶちっと切るやり方は、リズミが取りやすいので使ってしまうのですが、こうやって分割されてしまうと、分かりにくいですね(^_^;


  
| 自作小説 | 22:09 | comments(2) | trackbacks(0) |
 『あらしにあこがれて』1


 山道の空が開けると、河が見えた。
 と、いっても、密林の大地を削る、激流のような大河だ。
 わたしはその崖下の眺めに一息をつき、やがて南の大河クローナに合流する支流の流れの見事さに息をのむ。
 強行軍だったから息も荒いし、汗もひどい。
「ずいぶんな、さ、流れじゃない?」
「雨季が終わったばかりですから、流れが速いんです」
 セレンはそつなく答え、ぬかるみの残る谷沿いの泥道を、ぐちゃぐちゃと歩いていく。
 底なしの体力というよりは、わたしがこもりすぎなのだ。
 おいていかれるような気さえして怖くなるのだが、この子は従事の仕事を果たすことに一生懸命なのだし、やっと追いついて聞く。息が荒い。
「きみはさあ、彼氏はできたの? ニホとはいい感じだったじゃない」
「興味ありません!」
 にやけてつつくと疲労困憊ながらも、だいたい元気が出る。
 軽薄なことは分かっている。それでも、聞かずにはいられない。
 シドの首都ラスぺから辺境のぺネスまで向かわなければならなくなったのは偶然の気まぐれで、そのときたまたま空いていたのが不愛想なセレンしかいなかっただけ。
 しかしこんなにも理不尽な旅程になるとは想像なんてできず、こんなになるんだったら軽はずみに行くことにしなければよかったと、ルナは後悔し続けることになる。
 ラスぺの兄の工房は大所帯で、国の大層なところから大量の資金を支援されている。
 ルナは妹としてやんごとなき立場にあることになっている。それでもやっていることは雑用で、研究らしい事に時間を使わせてもらったことはないし、実権なき重職ほど面倒くさいものはない。予算がないと言って誰もに不満をぶつけられるし、頭を下げてお金をかき集めてきても、誰もが見てみぬふりをする。
 実妹で、なおかつ高名ということになっている研究者なのだから、わたしに任せておけばだいたいうまく行くと思われている。それは一切の助けがないという意味だし、実際に手助けする者は、いない。
 正直わたしは疎まれている。研究資金が足りないのはお前のせいだと。
 だから人に使役されることには心底腹が立つ。
 だいたいこんな辺境くんだりまでわたしを必要とするなんて、なにさまのつもりだ。
 竜狩り都市で名高いぺネスは、ラスぺから数日の行程で、こんなジャングルのど真ん中に都市があること自体が間違っている。
「あー、もう、面倒なのよ! ぺネスになにがあるっていうの? あいつが稼いでいるっていう以外に用はないじゃない! あのめんどくさいやつが!」
「それは重要だと、ルナさまが……、」
「口答えするな! 面倒な仕事しか思い浮かばなくて不愉快!」
 ルナは立場上、多額の研究資金を貴族たちより託され、それを分配する重要な立場にある。
 ルナにしてみれば、研究資金は重要。
 そもそも兄であるパルがもっともらしい成果をあげられないのが問題で、その報告書に載るのはいつも辺境の天才。だから、わざわざこいつのために足を運んでる。
「なんで、あんなに情けないやつのために、来なきゃいけないのよ!」
 セレンは黙っている。
 数百人はいたはずの兄貴の愛弟子の中で、唯一食い扶持を稼げているのが、この憎たらしい幼なじみであることは否定しない。それでも、あまりにも野蛮すぎる場所じゃないか、ここは! ジャングルのど真ん中じゃないか!
 兄貴と銀頭が親しく話しているのはいらいらするんだけど、あの馬鹿はわたしなんかには興味がないんだ。

 ゆりかご都市と呼ばれるぺネスは、深い谷間に築かれた橋上にある。
 サウスの遺構の上に建っているというのだが、サウスが建造した、いまだにどうやって創ったのかよく分かっていない橋の上に、太守を置くほどの重要な都市がある。簡単に言えば、失われたこの大地から立ち去った超文明の遺構の上にペネスはある。シド全土で起こっているルネサンスは、その超文明を取り戻す運動であり、最強の文明国の地位を取り戻すことを標榜する運動なのだ。そのための金は惜しまない。
 サウスの巨大な遺構の上にあるセントラルを擁すラスペが首都であり、辺境のペネスが副都とみなされているのはそういう理由だし、それがルナには理解はできるけど、納得は行かないのだ。
 橋というのは両端があって、真ん中があるので、両端を強固な城塞にしてしまえば難攻不落の城塞都市になる。肉食獣脚竜だらけなジャングルにあってのほほんとしているのはそんな理由で、単なる大きいだけの橋上都市にも関わらず、周辺ジャングルの重要な物産の集積地になっている。唯一の安全な都市なのだ。
 入り口の城塞の幅は数百メートル。中央付近まで行くと幅1キロ近くになる、全長数キロの橋上都市がぺネスだ。
 城門を抜けると長い下り坂で、つり橋なのだから真ん中が低くて、なぜだかひろい。そのあたりは中心部というか山の手で、高い両端の方から見えるとその全貌が容易にわかる。
 まるで盆地を見下ろしているよう。
 数層の高層建築が建ってはいるが、さすがにラスぺの街並みと比べるべくもない。
 幌をかけた竜車が頻繁にすれ違うが、積んでいるのは高価な香辛料の類。岩塩、ターメリック、サフラン、ナツメグ、シナモン、胡椒。数え切れないほどのジャングルの産出物が集まるのが、ぺネスなのである。
「まだだいぶ約束の時間には早いのですけど?」
 セレンの言葉にムッとする。
 急がせたのはお前だろとは言わないが、約束より前につくことは悪いことではない。
「市へ行こうか。ちょっとおいしいものを探そう」
 東西に伸びるぺネスには北と南に市がある。南は特権階級の街で、庶民であるルナが向かうのは北の市だ。
 ルナにとって、ぺネスは慣れ親しんだ都市で、手を握ると心が急いた。
 それはシルバがいるということもあるのだが、ラスぺにはない食材の豊富さは目移りがする。まず第一に河口地帯にあるラスぺと、上流にあるぺネスでは川魚の肥え方が違う。激流を登ってくる川魚はだいたいが美味で、ラスぺでふらふらとしている魚とは違う。
 そしてさらに言うべきは、この魚を前提とした料理である。
 引き締まった川魚には、岩塩が合う。
 脂っぽい料理はいろいろと誤魔化しが効かせやすくて、香辛料をまぶすと何を食べているのかさえ分からなくなる。魚が食している苔の味までするのがぺネスの魚だ。
「お姉さん、活きのいいコウナゴがあがってるよ、どうかい? 美人さんだからおまけしとくよ?」
 いつもの売り文句だ。
「この辺で採れるの?」
「ああ、上のサンザ湖が豊漁でね、今が売り時なんだよ、溢れてるんだ」
 みると、菜種油で揚げているコウナゴで、岩塩をかけると確かにおいしそうだった。
「安くしとくよ」
「じゃあ、10尾」
「まいど」
 驚くほど安い値段でコウナゴを買って、こんなに食べられないからとセレンに分ける。
「熱いですね」
「揚げたてだから」
 二人でほくほくと食べると心が落ち着く。
 卵がおいしい。
 そんなことは考えていなかったのだが、市で売ってもらったのはメスばっかりだったみたいで、そのおいしさのほとんどが卵だったのではと思ってしまう。

 シルバの工房は、平屋のせまっ苦しい建物で、貧しい工房にしか見えない。
 これがシド随一の知恵者である兄の一派の研究資金のほとんどをたたき出している工房で、その実情をルナは知りすぎるほど知りすぎている。
 数人の弟子たちがふいごを踏み、あまりの暑さに汗をだらだらに流しながら、レモン水を飲んでいた。思わず鼻白む。その器を取って、飲む。それから言う。
「これ、塩入ってないじゃない! 味で誤魔化さないで! あんたたち死ぬわよ!」
 シルバは、わたしを見て開口一番に言った。
「ルナ、なに? なんできたの?」
「あんたのためでしょ! あんたの仕事は何? このぺネスで研究資金を稼ぐこと! あんたが望んだんでしょう! あんたは馬鹿なんだから、最新のサウスの書物が見つかったの。それを届けに来たわけ。あと塩。工房は炎で暑いんだから、汗で失った分の塩は取らないと駄目。この前、危なかった子がいたでしょ!」
 この幼馴染は自分の興味があること以外はほとんど興味がない。
 彼はおそらく我がないし、執着するものがほとんどない。
 だからその後の激動にも冷静沈着な振る舞いができていたのだろうし、名君と呼べる冷静沈着さもそこから生まれていたのだろう。でも我がない彼は、ほんとうに人なの? 彼には欲望がない。
 彼の寛容さを航海した人たちは、存分に自由を満喫したのだし、わたしでさえもありえないぐらいに許された。どうやってバランスを取っているのかさえ分からない、とりつくところのないふわふわしたクラゲが、シドをうまくまとめていたのだ。
 それがおもいのほか心地よくて、つい、つつきたくなる。
「そうだね。塩レモンにしよう。えっと、きみはなんというの? 初めてだよね?」
「セレンです」
 シルバは頭を撫でて、塩レモンの作り方を教えてやってくれ、と簡単に言う。セレンはわたしを見たのち、しぶしぶ頷くのを見て、工房の男の子たちに、号令をかけていく。
「いい子だね。きみが仕込んだのかい?」
「ルナでしょ?」
 シルバはしばらく考えた。
「ルナ、久しぶりすぎて照れるんだ」
「先月も来た! サウスの書物が見つかったの。あなたサウス語読めるの?」
「いやあ……、でもそれってさあ、翻訳して送ってもらえればいいんじゃない?」
「そしたら、わたしがここに来る口実がなくなるでしょ?」
 もごもごと言いながら、シルバは不承不承ながら納得する。
「じゃあ、読み上げるから、ちゃんと写筆してよね!」
 シルバはその横暴に耐えるが、すぐに速記ができる者を呼び、ため息をついた。



 えーと、いい加減に出さないとまずいなあと思っていたところで、とにかく強制的に出すことにした。この辺は固まっていたし、修正点があんまり見つからないところなので、単純に出してしまったわけです。ルナはけっこういろいろある子なので、どうしてこうなったと言われると、あー、ネタバレ絡むよね、となるのですが、無邪気な子なので、とりあえずいい子だなあと・・・。  たぶんこのシリーズ最強の苦労人ですw
| 自作小説 | 06:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
 『鉄鎖の次王の恋』を通読できる環境を作りました!

 えーと、かなりいまさら感があるのですが(^_^; 『鉄鎖の次王の恋』を通読できるように電子書籍サイトに登録いたしました。一番冒頭で書いていたパブーというサイトなのですが、こちらの連載機能が改悪されてしまい、あまりにも使いにくかったので、こちらのブログで連載していたという経緯があります。
 ただ読みきりとして使うにはあまり問題がありませんので、こちらをご利用いただけたらと思います。

 ■鉄鎖の次王の恋 - hikali | ブクログのパブー
 http://p.booklog.jp/book/105980


 ただ、ファイルのダウンロード機能はあまりお勧めしません。
 といいますのは、こちらのサイトのビジネスモデルのひとつが、有料のプロ版というものがありまして、この有料版でないとPDF等のファイルをアップロードできず、サイトに付随の変換機能で作成したPDFファイルは本当に最低限のものしか用意されていないからです。

 もしダウンロードしてお読みになりたいと思われる方は、素のテキストファイルをダウンロードできるようにしましたので、こちらをご利用ください。わたしのほうでPDFファイルを作成しておいておくというのも考えたのですが、ウィルスを仕込むことのできるファイル形式をダウンロードしていただくというのは、わたしはそんなことはしませんが、昔ネットを仕事にしていた身としては、生理的に受け付けないのです(^_^;
 これは後に言及するワードファイルにしても同様です。
 ですので、どのようにでも加工可能な素のテキストファイルをダウンロードいただき、どのように加工すれば読みやすくなるのかをお知らせするのが最適かと思うのです。
 しかし、これだけさまざまなファイル形式が生まれながら最善がいまだにテキストファイルというのも皮肉なものですね(笑)。

 ■『鉄鎖の次王の恋』のテキストファイル
 http://story-fact.com/tessa160420.txt



 ■テキストファイルを読みやすくする方法、わたしの場合

 わたしは実際の原稿を校正するときには、kindleとワードファイルを使用しています。kindleがワードファイルを読むことができ、またワードファイルはほとんど無料で作ることができるからです。
 使うソフトウェアは無料で配布されているオープンオフィスのWriterのみです。



 これがオープンオフィスのWriter。



 書式→ページから、「用紙サイズをA5に」「余白を上下左右1cm」にします。



 おもむろに、テキストをコピー&ペースト



 こんな感じで流し込まれます。



 デフォルトだと文字サイズが大きすぎるので、好みによりますが、わたしはMS P明朝の10に。



 続いて、全体を選択して(Ctrl+A)太字にします(これはkindle上での可読性のため)。



 ファイル名を適当に入力して、まずはデフォルトのファイル形式で保存。



 続いて、ワードファイルの.doc形式で保存します。
 あとはSend to Kindleなどのソフトウェアでkindleへ送ります。
 たぶんやってみると、あ、こんなに簡単なのかと思われるかと思います。

 ■おまけの感想


 しかし、ほんとい暗い話になったなあと、読み返してみて思います。
 わたしの場合、たいてい原案を考えていた時の状態がそのまま反映される、というのが通常です。わたしが書く話が暗いときがあるのは、たいてい暗かった学生時代に考えたものがベースになっていることが多いからです。その後回復するのは、PBMのマスターをやり始めたころからで、その後また暗くなるのは、デザインの仕事をしていてうつになっていた時ですね・・・。
 まあ、暗くなったり明るくなったりをかなり激しい波で繰り返しているので、どこで考えたのかによって波が出てしまうのです。その時に何を見ていたか、がだいたいそのまま出てくるもので、たぶん想像しがたいかもしれませんが、わたしはそれを再現しているだけで、なんというんでしょうか、役を真剣に演じている役者なのです。
 なのでわたしはその構想を考えていた時の状況をけっこう忠実に再現しているということが多かったりします。

 しかし最後の文章からここまでだいぶ時間が空いてしまいました。
 小説は歌ではありません。
 書き終えてから、ちょっと空白感にやられているといいますか、もちろん読み返せば少しは当時の空気が帰ってくるのかもしれませんが、書いているときの没頭感に比べるとさすがに抜け殻のように感じます。

 ぜひぜひお楽しみいただければ幸いです。



| 自作小説 | 22:55 | comments(4) | trackbacks(0) |
 『鉄鎖の次王の恋』45.のリリースにあてて
 こんばんわ! hikaliです。『鉄鎖の次王の恋』45.をお届けしましたがいかがだったでしょうか。

 今回が最終回ということで、これでほぼ2年に渡ったこのながいながい物語が終わったことになります。振り返ってみると原稿用紙換算で950枚近くと、わたしが書いた小説としては最長編になりました。ゲームブックとしては『ミリーの天気予報』が1600枚近い文章量を誇るものがあるのですが、これは半年で書けたという事実を照らしても、多くのコピー&ペーストを含んでいて、純粋な物語としての規模ではありません。
 これに次ぐ長編が『死神の帰還』の300枚程度ですから、その3倍の規模だったということが分かります。
 2年というのは、平均寿命である80歳ぐらいで死ぬとしても、あと20本ぐらいしかかけないことになります。
 それぐらいわたしの中ではプレゼンスの大きかった物語であること確かです。

 今現在の正直な感想を言えば、やっと終わった、ということと、次はどうするかなあ、ということだったりします。ぽんぽんとすぐ動かせる企画が出てくるわけではありませんし、遊んでばかりいるわけにもいきませんので、息抜きもかねてしばらくのんびりとしていようかなあと思っています。

 ふとさっき気付いてびっくりしてしまったのですが、おそらくこの物語はわたしが初めて戦場を描いたお話になるのですね。てっきり「死神の帰還」の方も戦闘シーンを書いていたような気になっていたのですが、これはプレストーリーとして書いていたゲームブック(未完)が、アドレルをめぐるキュディスの内乱を描いていたからで、本編の方では書いてないんですね(^_^;
 わたしは戦闘シーンなんてなくてもいいじゃんと思ってしまうタイプといいますか、おそらく小説という媒体ではあんまり戦闘シーンって見栄えが良くならないんです。漫画や映画、大河ドラマになればお金をかけて面白くできますが、まあ想像していただくと分かりやすいと思うのですが、シェイクスピア劇でうまく戦争シーンを描いている作品は皆無です。
 あ、そうか、これ見せるの初めてなのか、というのがちょっと驚いたところです。
(ちなみに件のプレストーリーのゲームブックでは、ゲームブックで戦場を表現しようとしていたんです(笑)。いまになってみると頭がおかしいと爆笑してしまうのですがw できると思っていたんですねw)

 全般的な物語の感想については、自作の評価は自分でするものではありませんし、今は思いっきり強がって、ここがダメだった、ここがうまく行かなかったと思う時期なのかなあと思っています。
 正直、まだ完結してから数日も経っていませんので、無理やりにでも整理がつく状況にないのですね。ラストスパートしている最中はなんでこんなに苦しいのだろうと思い続けていて、終わってみると、あ、解放されちゃったんだと、逆に寂しくなるのです(マゾいw)。

 まあいくつか見るべきところはあって、それでいて長編として完成しているとはいいがたい。たぶん長い時間をかけて、ほかの長編を参考にしながら、ああ、ここができてなかったのか、こうする手もあったのか、という長いながい反省会をしていかないといったい何だったのかはわからないのだと思います。

 反省会モードはやめて、もうちょっと明るい、個別的な話をしましょう。
 正直に言うと、登場人物の設定はここまでうまく行くとは思いませんでした。
 いつも言っていることですが読み手と違って書き手は、完成する前のひどい状態というものを覚えていたりします。次王はまああれはいいとして、リュディアの次王やレトの次王があれほどまでにしっくりとくる両腕になるとは思いませんでした。兄貴の頼りになる兄貴っぷりも、レトの次王の歪んだ優男ぶりもなかなかで、悪ガキ3人組とまでは言いませんが、なかなかのコンビになったなと思います。
 また主演女優賞のイオはまあいいとして、その周りを固めるエマやリオン、セスクとけっこう癖のあるやつらばっかり集まったなあ(笑)、と楽しくなってしまいました。わたしは単純に悪ガキ書いているのが楽しくて仕方ないたちなのですね(^_^;
 セスクがイオに「今日は泣かないんだね」といじられたのちに、「イオはへたくそだからそうやって逃げるんだろ」と挑発するところとか、あまりにもおかしくてにやにやしながら書いていました(笑)。
 また、アテナイスはけっこう難しかったんですよね。控えめでありながら誰もを魅了する魅力を持っていないといけない。これが難しくてなかなか突っ込んだこと書けなかったなあとと思いました。ただふしぎなものなのですが、所作なのですね、わたしが注意していたのは。小説における所作というのはけっこうずるいんです(笑)。
 例えば、初面会の時ですが、

 ゆっくりと立ち上がって数歩歩いて次王の側に立ち、そのすそに触れられるようにと、装飾のほとんどないワンピース姿で、上品にすそを少しだけ上げた。イオはその気品あふれる立ち振る舞いにくらくらと、打ちのめされそうになるが、次王は気にした様子もない。


 これって気品あふれるとか、上品にとか言ってるんですが、どう上品なのかは説明していないのです(笑)。でも、こう書いてしまうとどうもアテナイスは気品あふれる人のようだと思うしかなくなるんですよね(^_^;
 まあこの辺は小説のずるさというか、漫画や映画ではこうはいかないんです。
 例えば歌舞伎役者などは一生をかけて所作を磨いていくものですし、落語家にしても同様です。最近は漫画の「ちはやふる」が流行ったおかげで競技かるた(つまり百人一首)の大会がネット動画で中継されるようになりました。「ちはやふる」の中で主人公チームの全員が和服で試合を行うのでそれに倣って和装でやるようになったのかな、と勘違いしてしまっていたのですが、その競技かるたの日本最高峰の大会はむかしから和服の着用が義務付けられていたみたいなのです。
 で参加している人がみなきれいなのです。
 まあ、最近はみんな、きれいにみせるのは趣味じゃない、と突っ張らない限りだいたいきれいなものなので、まあさいきんの人はみんなきれいだよ、とコメントで話していたのですが(最近はどの動画サイトもリアルタイムのコメント機能をつけている。TV中継などの場合はTwitterで疑似的にコメント共有していたりする。日本代表戦になるとわたしがTwitterで話していたりするのはそのせい)、いやちがうよ、やっぱり所作がきれいなんだよ、なんてことを言われて、ああそうなのか、と思ってしまいました。
 まあ、アテナイスはそれぐらいにして、あとはリクトルですかねえ。
 リクトルはけっこう好きなんです(笑)。
 明らかな身内として書けるのは、リクトルだけなので。

 リクトルはしばらく黙って、ため息をついた。
「兄者はいつも唐突なんだ。いつのまにぼくが第2軍の副王になってしまったんだ?」
「文句はイオに言え。出陣の準備はできているな。出陣と同時にキュディスが蜂起する」


 このやりとりとかめちゃくちゃ好きです(笑)。この微妙にやる気が抜けている感じが好きだったりしますw まあリクトルはおそらく助演男優賞なのでしょうが、この役っていい役だよなあ〜って思ってしまいます。
 この微妙に抜けた人物を好きになってしまうのがわたしの癖かもしれません。
 エマなんかも同じような理由で、紙風船とかけっこうひどいことを言ってますが(笑)、親愛をこめて、こいつ軽いなあw と。書いてるとホッとするんですね。わたしがエマを見ている視点はだいたいイオが見ている視点に重なります。なにかしばらく出てないと無償に会いたくなるんですね。
 閑話休題。


 ■この物語の原型

 この物語には2つの原型があります。
 それは分かりやすく説明すると、「アテナイス・アプローチ」の物語構造と「イオ・アプローチ」の物語構造の2つです。

 「アテナイス・アプローチ」はもともとこの企画の原案を考えていた時に参考にしていた「ニーベルンゲンの歌」をベースにしたお話の原型です。実は以前はこれを「王女グルドーンの物語」だといっていたのですが、これはどうもわたしの勘違いだったようで、「ニーベルンゲンの歌」が正確な原作です。
 わたしが、これを原作にした、というと、はい? と言われるのがいつものことなのですが、まあ、原型をとどめておりません(笑)。もともとクリムヒルトに当たるのをアテナイスとして想定していたのですね。「ニーベルンゲンの歌」では、夫であるジークフリートを殺されたクリムヒルトが、フン族に嫁いで凄惨な復讐劇をするというお話なのです。わたしはこれをいろいろすっ飛ばして、鉄鎖の次王VSアテナイスにして、アイギスで惨劇が起こるという形を考えていたのです(もうすでに原作と全然違うのですがw)。
 これを考えていたのがたぶん10年近く前です。

 「イオ・アプローチ」は実際に書くぞとなったときに考え始めたもので、そのときの思考を正確にプロットすると、
 1.このシリーズは主人公の独白形式なのだが、次王の独白にするといろいろ問題がある。
 2.主人公を考え始める。常に側にいて、竜の背にへばりついている連絡役。
 3.女の子にしよう(なぜかは考えていない)。
 4.あれ? これってスミレじゃね? ああ、スミレ形式を使えばいいのか。
 5.頭はいいけれども、いろいろ勘違いしている問題児にしよう(スミレがそうなので)。ちなみにスミレは20代の頃のわたしのコピー。
 6.だいたい人格ができる。名前はイオにしよう(ヘロドトスにいきなり出てくる)。
 7.あれ? そう言えば「アテナイス・アプローチ」案でもそんな子いなかった?
 8.やった! できたじゃん!
 できてねえだろ馬鹿w といろいろおかしいのですが、初めて「イオの物語」の文字が出てくるのは2014年5月10日なんですね。ただ、2014年は入院中で2013年の記録は12月終わり、2014年の記録は4月始まりで、その間の記録がない。ただ、そのあたりにアテナイスの資料を読んでいるということから推測すると、だいたいの構想はこの時からできていたと思われるのです。
 ここで劇的に、アテナイスvs次王から、アテナイスvsイオに変換されているのですが、なぜそう思ったのかはまったく分かりません。たぶんアテナイス像が明確に決まった時に、次王にあてるよりもイオにあてる方が面白くなると思ったからなんでしょう。
 わたしはスミレを通してイオに親近感を抱いていますので、自虐的な意地悪でアテナイスにぶつけたのかもしれません。正直どうしてこうなったのかはわたしもよく分からないのです。


 ■爛熟期のローマvs興隆期のローマ+滅亡期のローマ

 これも大きな大枠のアイデアとしてあります。
 以前書きましたが、このお話はそもそもゲルマン大移動を物語にしたいと思ったのがきっかけです。その時は、このゲルマン大移動が、最強の文明国vs最強の蛮族国の戦いだと思い込んでいたのです。
 しかし資料を読めば読むほど、これは戦いですらなく、文字通りゲルマン民族が大移動をしたというだけだと分かり始めたのです。当時の西ローマはずたぼろになっていて、ゲルマン大移動の主役たるゴート族は、フン族にぼこぼこに負けた敗残者です。原作としている「ニーベルンゲンの歌」でもローマのロの字も出てきません。凄惨なフン族との争いなのです。
 いまだにゴート族が強かったと勘違いしている人はいて、闇は深いのですが、あのゲルマン大移動は雑魚が、より雑魚の領地に移動したというだけの話なのです。
 それに気付いたとしても、最強の文明国vs最強の蛮族国の戦いのコンセプトは捨てがたく、シドを生み出し、ボルニアを生み出し、エストを生み出し、それをぶつけてみたくなったのです。

 ・爛熟期のローマとはいつか。

 これは複数人で考え始めるときりがなさそうなテーマです。わたしは誰もが納得できるだろうと思える時代として、ユスティアヌス1世とテオドラの時代を挙げます。これはプロコピウスが「秘史」でさんざんに書いているので、いくらでもネタがあります。この「秘史」自体に信憑性が薄い部分もあると、日本語訳をしている早稲田大の研究グループは言っているのですが(わたしはその論文を勝手に読みやすくして読んでいる)、東ローマの西暦500年代の話です。西ローマ滅亡後です。
 この時代がひどいのは、公然と公権力(つまり皇帝)によって有力者の財産が没収されていたことです。その後ニカの乱が起こり、コンスタンチノープルの半分近くが破壊されたといわれています(ただしこれを書いたのはおそらくプロコピウス)。
 シドはここまでひどくないのですが、なんとなくここをあてたい気持ちは分かるのではないでしょうか。

 ・興隆期のローマとはいつか

 これは個別具体的に、マルクス・フリウス・カルミスの時代です。
 ケルト人によるローマ占領から立ち上がる時期のローマです。紀元前390年付近だといえばだいぶ時間が離れていることが分かります。ブルタークに書かれているカルミスの姿は鉄鎖の次王の姿そのものです。カルミスはローマの再建を、次王は血塗られた内輪争いで劣等国に沈むボルニアを何とか再起しようと決意を胸にします。
 たぶん驚くと思うのですが、この時代のローマの偉人たちのことばには高潔さと、公平であろうとする心があります。わたしがこのシリーズを通して書こうと思っていたことは、わたしがプルタークから得た衝撃そのものでした。なぜ時代を経ることによって、ローマはその高潔な魂を失ってしまったのだろう。
 最強の文明国よりも、最強の蛮族国の方が秩序があるし、共感できる。
 そのパラドクスというか、ひねくれてしまった歴史というものを書きたかったというのが本音のところなのです。

 ・滅亡期のローマとはいつか

 これはいろいろ難しい問題がありまして(^_^; じつはアテナイスのモデルとなっている、アテナイス=エウドキアは爛熟期のテオドラの前の時代の皇妃なんですね・・・。いちおう時代的にモデルにしているのは(はいはい、モデルね、はいはいわかりました)、オスマントルコに滅ぼされた時代のローマです。
 まあいちおう形的には、ボルニアに制圧されているので史実通りなのですが、『鉄鎖の次王の恋』なので、共同国家になってしまったというのが、この物語です。
 まあなので、そのお姫さま役には東ローマが滅びたころのお姫さまでは物足りないということで、もっと前の(1000年近く前の)お姫さまが選ばれているのです。

 わたしは一応ローマ帝国がなぜ滅びたのかは書いているのですが、これは端的に言うと、制度と運用の問題です。まあそれは書き始めると長くなるので、該当エントリーを参考にしてください。

 ■ローマが滅びた理由 〜ローマ人の物語を通読して
 http://blog.story-fact.com/?eid=1195716



 ■古城はどこにあるのか

 最後はどうでもいいネタで終わりましょう。
 たぶん、現在のストックホルムの地図を見ている人は、いったいこの都市のどこに高台があるのかと思うと思います。
 実際にストックホルムの現在の地図を見るとまったく高台がありません。わたしはストックホルム史を綿密に調べたわけではないのですので、いいかげんなのですが、これを見てみましょう。



 これは、たぶんこのブログで出すのは初めてなのですが、『鉄鎖の次王の恋』の表紙です。この画像はホーヘンベルグという15世紀ぐらいの画家の絵で、この人はヨーロッパじゅうの都市の姿を絵図にしたことで有名です。
 これを見ると、旧市街地と思われる図があって、その手前に丘陵があります。ここは現在の地図に照らし合わせると、島(?)であったと思われるのです。つまり当時はここには防衛に適した山があったんですね。ここに古城を立ててもおかしいということにはならない。



 ホーヘンベルグの絵には高い丘がある。



 この聖堂のモデルとなっているのはリッダーホルム教会で、ここにある。



 これは旧市街なので、こう見ている。
 ここは現在では鉄道の車両基地になっているのですが、過去に丘があったことはたぶん確かなこと。

 もちろんアイギスは架空世界の話ですから、いちいちモデルであるストックホルムと一致している必要はないんです。ただ、気持ち悪いんですね(^_^; これはわたしの性癖だと思っていただければ正確だと思います。
 いやなんです。
 アイギスはストックホルムで実証されていないと気持ち悪いんです。



 ただまあ実際のストックホルムを見てみると、その湖はあまりにも広大で、これを3000騎程度の兵で包囲するとかありえないのですが(^_^;

 というわけでいろいろ書いたのですが、正直に言えば、本人もよく分からないのです。
 わたしは一応20年選手ですので、その中で得た、手ごたえみたいなものはあります。その中でもやっぱりわからないものは分からない。それは、やっぱり言葉をいただいたときに、そうだったのかと思うところではあるのです。

 まあ、長い間よくお付き合いいただいて本当にありがとうございました。
 次で一番近いのは、パオペラの面々によるゲームブック『骸骨谷』ですかねえ。
 このシナリオはそんなに出来は良くなくて、リオネとパオペラの面々の出会いという以外には見るところは無いんですが、ここまで暗い話を書いてしまうと、明るい話も書きたくなるんですね(^_^; しかし、こんな暗い話を2年もよく書いたなw

 以上たいへんに長くなりましたが、最後までお読みいただいてありがとうございました。
 また次をご期待くださいませ。
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