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 『おもひでぽろぽろ』を観た。
 数多くの偶然が重なって、これまでジブリ主要作品の中で、唯一観ていなかった作品を観た。そして多分これがわたしには重要なのだが、これがマイベストジブリである気がする。
 物語の骨子はこうだ。
 都会の大手会社の職を持つヒロイン、タエ子は田舎にあこがれていて、10日間という長期休暇を取って、山形の山村で田舎に会いに行く。そのさなかに小学五年生当時だった幼い思い出がどうしても湧き上がってきてしまい、10才の自分と一緒に旅に出る。
 幻想的というよりは、リアリティーがありすぎて困ってしまったぐらいで、わたしもだいたいは何かをするときは、めんどくさいなあと思いながらも、幼い時の自分がいちいちうるさく口を出すのだ。

 この作品はだいたい40才近くなると、急激に心にしみるようになる作品のように感じる。なので、このヒロインのタエ子が27才だと知ったときは、いやー、27でここまでいけないでしょ・・・、と思ったのは確かだ。
 だけれどもそんな些細なことはおいておいて、特筆すべきなのは、これが初めて、そしてこれ以降もない、大人向けのジブリ作品、まあ風立ちぬはどうなのとかは話せそうだけど、それ以外は一切、大人も楽しめる子供向けの作品なのだ。
 そんな、大人に向き合った作品に目を向けてみよう。

 この『おもひでぽろぽろ』に向き合ったのは、ある作品の影響がある。
 それは小説で、いま2周目を読んでいる最中なので何とも言えないのであるが、たぶんその作品を説明するときにそれは『おもひでぽろぽろ』のようだといい、『おもひでぽろぽろ』を説明する時も、その作品のようだというと思う。
 自分は実は豊穣だったのだと、思い起こさせるというか、とても大切に過去を扱っている人々の物語なのだ。これは2周目が終わってから書く。
 『おもひでぽろぽろ』の稀有な部分を書こう。

 この映画は絶対にストーリーではない。
 些細とさえ思えてしまうような繊細さであって、小説で言うところのディテイルの描写だといえる。例えば序盤30分で繰り広げられる小学生時代のエピソードの数々、ただパイナップルを食べるというだけなのに、その空間に引き込まれてしまう。例えば、広田くんとのエピソード中で語られるクラス対抗試合の顛末、おもひで自体はかわいらしい話なのだが、気付くと広田くんが、なぜタエ子に惹かれてしまったのかが分かるような気がしてしまう。
 それほど目立つわけではなく、控えめで、自己主張も少ない。それでも家に帰ると、思いのほか自由で(つまり内弁慶なのだ)、ふわふわと穢れなく漂っている。そんな様子を今井美樹さんの弾むような静かな声で語られると、その人を構成している大切な過去なのだなと思えてくるのだ。
 この作品はそんな思い出と一緒に旅にでる27才の女性の物語だ。

 少し外れて、思い出話をさせてもらえれば、わたしは「田舎のある」の人間である。
 それはタエ子がこだわっていたことだし、とても重要な地点ではあるとは思う。
 わたしは、父方の故郷が伊豆の修善寺にあり、母方は三河地方にあったがその後群馬に移住した。わたしにとっての故郷は伊豆であり、狩野川流域がわたしの故郷だった。
 メダカも、フナも、当時の用水路にはいたし、子供のわたしが手網ですくって、水槽で飼うことは普通のことだった。父はたぶんそのフナをわたしとの思い出だと思っていたはずで、フナの寿命が来るまで、水槽を玄関に置き続けた。
 わたしはそのおじいちゃんの家に行く日がとても好きだった。
 東大和市という今ではだいぶ印象の違う北多摩の端っこに住んでいたのだが、拝島まで出れば国道16号という首都圏屈指の幹線道路が通っている。そこからひたすらに南下し、どういう経路なのかはわからないのだが、小田原厚木道路を通って、箱根まで行っていた。
 箱根まで出れば、伊豆までは箱根ターンパイクを超えればわずかなのだ。
 この厚木‐小田原間をどう移動したかが問題になる。

 どうでもいい話をすると、東大和市は埼玉県の所沢市と隣接する東京の端っこで、所沢は埼玉西武ライオンズの本拠地があるので、だいたいライオンズのお膝元である。西武の黄金時代が重なったこともあり、わたしは生粋の西武ファンだ。
 東大和市から西武ライオンズ球場までは、狭山丘陵という難所を超えなければならない。
 たぶん、猛者なら自転車で1時間もあれば通える距離なのだが、だいたいはその丘陵の登り口である八幡坂で挫折する。この名称は八幡神社のすぐそばを通るからと思われるのだが、幼いわたしには30度ぐらいの傾斜に見えた。
 現在では、スキーでだいたいの傾斜感覚は分かっているので、30度とかありえないだろうとは思うのだが、長く傾斜のきつい坂だったことは覚えている。
 だから、西武球場まで自転車で行くことはありえない。
 八幡坂の後も、狭山丘陵のアップダウンを超えなければならないからだ。
 幼いわたしは西武ライオンズ友の会に入っていたので、そこにたどり着けば無料で球場に入れた。郭、渡辺、工藤、清原、秋山、石毛、田辺、伊藤、もうどこまで名前を並べたらいいのかわからない黄金時代の西武である。わたしが生粋の西武ファンだということは分かると思うのだが、お膝元の東大和市から西武球場に通うのは大変だった。
 それは狭山丘陵を自転車で超えるのは困難だったからだ。
 ただ、両親に連れられて車で、年3、4回はあの沸き立つ西武球場に行った。
 ビールは苦くて飲めなかったが(そもそも違法だ)、ファンクラブの特典として配られるフルカラーの選手のインタビュー満載の会誌は、どんだけ読んだかわからない。今になってみれば、わたしはきっちりと西武ファンにされたのだなと思うのだが、10才程度の少年が球団キャップを無料でもらって、ありえないぐらい豪華に作られた球団誌を渡されたらどうなるかは、理解しやすいと思う。。
 そしてそれは黄金期だったのだ。

 なんか話が違う。
 『おもひでぽろぽろ』の話だった。

 正直なことを言うと、わたしはこの映画をDVDで初見して評を書こうと思ったのだが、たぶんこの原稿が投稿されるのは初見から2週間後ぐらいであると思う。
 1週間で見るはずだったレンタルビデオをもう一度借りることになった。
 というのは、この作品には良質な解説本が出ていて、『文春ジブリ文庫 ジブリの教科書6 おもいひでぽろぽろ』というのがそれで、これを確認するまでは安易に書けないなあと思っていたのだ。そしてそんなときに限って、本の到着が遅れる。水曜日に注文したはずが到着したのが月曜日。
 そしていま急いでそれを確認して、結局重要なのは高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサ、宮崎駿制作プロデューサの発言だけだと確認した。
 他が意味がないというわけではない。
 この『おもひでぽろぽろ』はそれぞれに独自の感慨を抱かせる類の、なんといえばいいのだろうか触媒に近い作品なので、どう化学反応したのかは本人が持っているものによって当然に違うので、他人の意見は相対的なものになる、というだけなのだ。
 もし感想が常に同じになる作品があったとしたらば、それはジャンクフードなのだ。
 出会う人で会う人がみんな違う感想を言う作品があれば、それは奥深い作品なんだと思う。まずそこがわたしが『おもひでぽろぽろ』をマイベストジブリと断言する一番の理由だ。

 この作品のわたしにとっての魅力は、主人公であるタエ子の幼いころは可愛いのだけれども、小学生のタエ子単独では存在し得ないところにある。わたしは抵抗するのだけれども、27才のタエ子とリンクしているところが、この物語の骨子だ。
 この27才が肌感覚的に理解できないのはおいておいて、わたしは40近い年齢の物語として観たし、やはり大人にお勧めしたい映画だ。
 というのは大人のタエ子が、達観しているからだ。
 さすがに40近くまで生きると、良心の呵責に耐えられなくなるようなこともいくつも経験する。大袈裟なことではなくて、大失敗もあるし、些細な点でうまくできなかったと思うこともある。それをいちいち思い起こしていたときにやってきた『おもひでぽろぽろ』は、清涼感のある、そんなに悪いことばかりじゃなかったでしょ? と言ってくれる映画だった。
(たぶん作った側はそう意図はしてない)

 山形に着いて、トシオさんが出てくると突然物語が変わる。
 小学生編は終わって、27才編が始まる。
 この人は声優が柳葉敏郎さんなので(気付きにくいけど)、非常に重要な人だと振り返るとわかる。
 しかし、このふたりの空気感は絶妙。
 百姓の音楽、好きなんです、おれ百姓だから。かっこいい。の下りとかすごい。
 この付近の光景とか、徐々に夜が明けていくのが分かってほんとにディテイルがすごい。
 いちいち脚本のすごさが光る。

 たぶん理解できないかもしれないけど、雨の音だったりする。
 雨の営みが、山形の農村を包み込むような、空気感が素晴らしいのである。これは音であって、経緯ではない。
 こんなことに気付けたのは、前述の小説を読んだおかげだ。
 雨の音がいい。
 わたしが音と錯覚しているのは、映像での雨の表現を音だと思っているのもあると思う。
 世界が生きていると感じるのは、実際の現実でもなかなか難しい。

 タエ子が分数の割り算で悩んだというくだりは、わたしはたぶん記憶にないので、タエ子の言う通りすんなり行っちゃった人なのだろう。本質を考えると確かに厄介なのだが、これは数式が分かっていないからで、2/3÷1/4は、(2÷3)÷(1÷4)で、0、66666…÷0.25になり、結局8/3になる。ここは熟考すればもう少しわかりやすい説明の仕方がある気がしないでもないのだが、面倒なので逆さにひっくり返せ、で終わるのでいろいろ問題になる。
 これは面倒だから説明していないところなのだ。
 こういう、ところは世の中にはたくさんある。
 それを知りたいと思うことは、世の中の秘密に対する好奇心みたいなもので、そういうどうなるのかを見てみたいと強く思う人は、たいてい面倒で厄介な人として周辺とぶつかることになる。
 わたしはそういう人なので、同じような人には同情的だ。
 だけれどもそうしてしまった自分の失敗を、やっぱり失敗だったと思うことが多い。
 失敗するチャンスを奪うなと言われたこともある。
 だけれども、それはつらいぞ、いいのか、とどうしても反論したくなる。

 しかし『おもひでぽろぽろ』ののどかな空気はそんなことも忘れさせてくれる。
 わたしは女性ではないので、そもそもトシオさんがありえないぐらいの理想形の婿だろうということはまったく分からない(ただし、前出の参考書では監督本人がそういうことを言っている)。
 あー、めんどくさいなあと思うのは、この原稿のメモに、

 「1:21:00がつながらない。ここ重要」

 と書いてあることだ。なんだ、覚えてないぞ。
 たぶんカラスのシーンなんだが(それぐらい繰り返し見ている)、なんだべなあと思う。
 いちおう見直してみたのだが、なんなのかが全く分からない。
 わたしの感覚が正しければ、ここはこの『おもひでぽろぽろ』の転なのだ。それがきわめて不自然な形で、強引にねじ込まれている。ここは脚本が厳しくて、甘くなりすぎたというのであれば理解できるのだが、ちょっとジブリ品質ではないだろと思える強引さではある。

 これ以外は、特に語るところは無くて、今井美樹と柳葉敏郎すごいよね、で終わる。
 さりげなく言っているセリフですごいのは、もう五年生のわたしなんて連れてこないから、という部分だったりする。
 たぶんこのセリフは拡大解釈する余地はある。
 だけれども、最大限の拡大解釈をしてラストシーンに向かおう。

 わたしのマイベストジブリです。

| 映画評 | 03:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ちはやふる −下の句−』を観た


 公開初日はまさかの完売御礼で(めったに完売しない映画館なのです(^_^; )お預けを叩きつけられた『ちはやふる −下の句−』ですが、ようやっと見てまいりました。
 いやー、どうすんだろう、とハラハラしていたのですが(その理由は後述します)、オリジナル部分がふんだんに盛り込まれて、なにかいい青春映画になっておりました『ちはやふる −下の句−』。
 観客の入りはさすがに第二週というだけあって完売とはいきませんでしたが、それでも入る映画館ならば完売ぐらいしてるのではないかと思われる入りでした。わたしのお気に入りの映画館がとにかく観客が入らないことに関しては定評のある映画館なのです。

 さて本作ですが、上の句が東京都大会の北央戦がクライマックスになりましたから、下の句は全国大会ということになります。たぶん原作をご存知の方ならばわかると思うのですが、全国大会ってアニメ版だとたった2話しかないんです。
 これをどうやって映画にするんだろうとハラハラしていました。

 わたしはとんちんかんに勘違いしていたのですが、そういえば全国大会の前にかるた会大会に出てなかったっけ? もしかして、そこもごりごりやるの? などとよからぬ想像をしていました。それってずっと試合なんじゃね? と。
(実際にはかるた会の大会は、全国大会後でこれはわたしの勘違いです)

 予告編で原作のかなり序盤の方に出てくる新との福井でのシーンが出てきていたので、それが入ってくることは分かっていても、あとは何で埋めるのだろうと。上の句を見ていて、ああ、この監督は原作におんぶ抱っこはいやで、原作を文字通り原作として物語の材料に使い、それを巧みに組み合わせてくる、ということは分かっていたのですが、あそこまで巧みに組み替えてくるとは想像だにしませんでした。

 このようにいうと原作が本当に好きな方は、勝手に変えるなと思うかもしれません。
 しかし、巨額の資金をかけて映画として作っている以上、少なくとも原作者に脚本をわたして最終OKをもらうぐらいのことはしていると思うのですね。下の句の舞台あいさつで続編がサプライズで決まって、涙するというシーンがあったのですが、これたぶん、脚本のOKが出た、ということだと思うのです。

 著作権法上においては著作者は神に近い存在ですので、NOといえば全てが止まります。
 どんな契約をしていても、著作者としてNOという権利はあり、もうすでに50億円ぐらい使っちゃったんだけど、それを止められるの? と言われても、払えば問題がなくなります。それは役者の思いとかあんまり関係ないのです。なので原作者はOKしているのです。

 役者が大変だなと思うのは、現在のGW映画を見てわかる通り、邦画の実写の大作というのは数少ないのです。しかも主演の広瀬すずが高校生らしい年齢でいられるのは、当然大人の魅力的な女性になってしまいますから、もう数年しかないのです。原作のちはやふるは現在も連載中で、現在高校三年生を描いています。
 どこまでやるかはわからないのですが、クイーン戦までは行ってほしいですよねえ。
 ネタバレはしないのですが、原作にない部分で、あー、これは来年も見るぞ、と思う分の良さはありました。
 閑話休題。

 えーと、まずはどこから始めたらいいのでしょうか。
 と、迷ってしまうのですが、ネタバレにならないところから言いますと、あー、上手いなあと思ったのはクイーンである若宮詩暢が実は新の祖父と親しい関係にあった「ことになっている」ことですかねえ(笑)。
 これで新と詩暢が「そうではないのに」いかにも幼馴染見えるというか、千早みたいな新参者がなんだという二人だけの世界観が作られているのがすごいと思いました。

 もう一つはこれは若干ネタバレ気味なのですが、肉まん君と太一がA級になっていることでしょうか。これが原作と一番違うんですね。なんでかを言ってしまうとこれこそ完全なネタバレなので控えるのですが、まあ、映画館でご確認ください。
 しかしこの監督はほんとにまじめですね(笑)。
 正直この監督が、原作を改作する映画が次にあったら(たぶん当分ちはやふるだと思うのですが)、見たいなあと思うぐらいの力量はありました。

 続くのは、空白の1時間ぐらいでしょうか、を何で埋めたのか、という話ですが、ちはやふるにこんなまだ見えてない魅力があったのか、と思うような内容であったことは保証します。
 上の句が楽しめたならば、下の句も同じように楽しめます。
 青春映画だなあと、試合の連続なんじゃないかと危惧したのが恥ずかしいぐらい、よくできた青春映画になっていて、迷走していく千早と、ああ、ネタバレになると書けないのですが、かるた部がまた一つになっていく過程を描いていて秀逸です。
 原作にないシーンも結構さまになっていて、雨のシーンの太一は、あれは男前なのだろうかと、わたしは男性なので分からないのですが、ただただ須藤からもらったことになっている極秘資料がずぶ濡れなんじゃないかと、気が気ではありませんでした。

 あとどうでもいいことを言うと、近江神宮で詩暢と千早がすれ違うシーンで、瑞沢のメンバーは右側を歩いて千早だけが左側を歩く(映画版)のですが、瑞沢のメンバーはあんまり気にせず歩いて、千早だけ左側を歩いている(アニメ版)が気になりました。
 千早だけ左を歩く(映画版)のが変だなと思ったのです。
 あれはアニメ版に合わせているのですね。

 なんかマニアックな話になってしまいましたが(^_^; 原作が秀逸であり、アレンジが秀逸であるということを書いて、ぜひぜひ見るべき映画だよ! と言いたいと思います。
 広瀬すずってこんなにいい役者だったのだなと、ただただ、千早だ! 千早がいる! と思った方は同感だと思います。
 それにプラスαが乗っかっているのが『ちはやふる −下の句−』です。
 ぜひぜひご覧くださいませ!










| 映画評 | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『ズートピア』を観た


 やってまりました、GWシーズン。
 さすがに各社が大作をぶつけてくる時期だけに、普段は空いている映画館も大賑わいとなっておりました。
 先週末のおそらくぶっちぎりの1位は名探偵コナン、2位がズートピア、3位はクレヨンしんちゃんと、実写って何? という状況だったのですが、今週末からちはやふる‐下の句‐が公開になります。
 実のところ本日はこちらがお目当てだったのですが、まさかの完売(^_^; いちおう3番目のスクリーンでの上映だったのですがキャパが足りなかったのでしょうか。そこで2番目のスクリーンで上映しているズートピアを観てまいりました。
 わたしは上映一時間前にチケットを買ったので分からないのですが、上映後にちらっと見た感じではほぼほぼフルに入っていたような気がします(つまり危なかった)。
 というわけで、ご覧になられる方はご注意ください。

 閑話休題。
 本題に入るのですが、当然のことながらネタバレなしで話さなければなりません。
 しかし、この映画の素晴らしいところは、脚本が神がかっている、ところでして、よくぞまあこんな脚本書けたものだなと感心してしまいつつも、これを一切話さずにこの『ズートピア』の稀有な部分を説明するのは難しいなと考え込んでしまうのです。
 まずは予告編をご覧ください。

 ■『ズートピア』予告編
 https://www.youtube.com/watch?v=XFLtHhqjTuY


 まあ、よくぞまあここまで明かしながらも、肝心な部分はまったく分からないという職人芸なのですが(笑)、まあ、観終わってから見るとわたしとまったく同じ感想になると思います。
 この婦警のウサギと詐欺師のキツネが、コンビを組んで大掛かりな陰謀を暴き出すというのが、この『ズートピア』の根幹なのですが、大枠は警察モノだと思って観るとだいたいあっているかと思います。

 ただ、それでもディズニーというだけあって、ウサギの女の子のジュディが飛び跳ねているのを見ているだけで楽しい、街を駆けまわっているだけで楽しい、犯人と追いかけっこをしているのを見ているだけで楽しい、とその辺りのアクションはさすがです。
 ディズニーらしい魅力的なテーマパークのようなズートピアも必見です。
 こちらをご覧ください。
 これはディズニーの公式『ズートピア』サイトのトップに載っている動画です。
 わたしがはね飛ぶようなジュディと言っている意味が分かると思います。

 ■「ズートピア」ジュディの旅立ち
 https://www.youtube.com/watch?v=V_IkrSTie-Y


 ただ、これはほんとうにはじまりのはじまりで、大取モノや大冒険を経たのちのエンドロールでまたこの日本語版のテーマソングが流れるのですが、その頃にはもう圧倒されてしまってこれがはるかに昔であったかのように感じます。


 また細かいところに伏線が大量に散りばめられてて、脚本が神がかっているとは書きましたが、起こること起こることがすべてが物語につながってくるというか、一つとしてむだなことは起こっていないという密度の濃さは、本当に飽きません。
 そして、二転三転どころか七転八倒するストーリー展開に息をつかせないどころか時間を忘れてしまいます。それでいて無視することができないテーマもはらんでいて、ただただ圧倒されてしまうのです。

 こちらのロングインタビューはおそろしく長いのですが、だいたいわたしよりもうまく語っているかと思います(監督なので当然なのですが)。わたしが『ズートピア』を最終的に見ようと決めていたのは、このインタビューのためでした。

 ■「主人公を含む全てのキャラクターに偏見を抱かせることが、とても重要だった」―映画『ズートピア』:クラーク・スペンサー(プロデューサー)&ジャレド・ブッシュ(脚本/共同監督)ロングインタビュー
 http://top.tsite.jp/entertainment/cinema/i/28566791/index


 というわけで、いちおうネタバレなしで何とかなりましたでしょうか(^_^;
 ぜひぜひ楽しい週末をお過ごしくださいませ。

| 映画評 | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『機動戦士ガンダムUC』を観て

 最近になって、封印していたガンダムUCを全部観た。
 わたしは常日頃からガンダムヲタクあることを公言しているほどのヲタクであり、登場するモビルスーツを見るたびに、ドムトローペンはそういう機動ではなかったような気がするのだが、というようなドン引きされるようなことをぶつぶつ言いながら舐めるように見たと書けば、頭がおかしいと思うしかないようなヲタクであると分かると思う。
 まず、このガンダムUCは面白かった。
 これ以上はないというほどに贅沢に作られたアニメだし、福井さんという優れたストリーテラーを迎えて企画されたガンダムだけある。ここに文句を言うところは無いし、心の底から楽しんだ。
 ただ、気付いたところを書いてもそんなに同じように楽しんだ人の気持ちを害することはない気がするので書いてみたい。

 ■子供のような大人の冨野ガンダムと、大人のような子供の福井ガンダム

 まず気になったのは、ガンダムUCに登場する子供たちが、非常に大人びているということだった。それは善し悪しの問題ではなく、単純に福井さんが大人びていて、冨野御大が子供っぽいということなのだと思うのだけど、やっぱりその違いはあるように感じる。
 たぶんそういうと福井さんは4話を見てくれと言うだろう。
 その主張は正当だし、それでもわたしがいうのはZガンダムをトレースしたような内容になっているということだ。本質的にはこれは侮辱には当たらないと思うのだが福井さんは大人で、冨野御大は子供だ。だから印象論でしかないのだが、子供の部分が出てしまう大人のガンダムUCと、そもそもまるっきり子供のZガンダムの差になっている気がする。
 頑丈な大人の重装備の論理で固められたのがガンダムUCで、もっと戦場を駆ける血袋としてのはかないひとりを書いたのがZガンダムである気がする。
 どっちがいいという問題ではなく、違いがあるということ。
 ガンダムUCが貴族的な血のつながりを描いたのに対して、ガンダムは一切の血統がない根無し草を描いている。これはある意味アンチテーゼだったのかもしれないし、わたしも面白かったと思っているだけに、ここに踏み込んで話すことはしたいとは思わない。
 だけど、ここはほとんど語られていないのではないか。
 ふたつのタイプがあることが分かった。
 ではその双方のメリットとデメリットはなんだろう?
 それがまず言いたいことだ。

 ■ラプラスの箱という謎をベースに引っ張っていくやり方

 これはテクニカルな内容になるのだが、実際の秘密を知ってしまうと7話も持たせるような内容ではなかったと分かる。
 起承転結の理論に従うと、ラプラスの箱の秘密が開示されるのは転に該当し、全体の構成では5話のラストあたりが適当であったろう。つまり7話の冒頭付近まで引っ張ったのは完全な失敗だと、わたしには思われるのだ。
 6話、7話は箱の秘密が開示されてからの盛大な大戦争に使われるべきで、ここでこそその箱に込められた、さまざま思いが交錯する戦場にすべきだった。たぶん福井さんはそれを書くだけの力量がなかったのだろう。わたしも同じような失敗をするので偉そうなことは言えないのだけれども、後半薄っぺらくない? と聞かれて頷くならば、この構成上のミスが原因だ。

 また、オードリー・バーンとバナージ・リンクスの恋愛関係が弱すぎることも指摘できであろう。ここが難しいことも理解できるが、リリィ少尉がここに突っ込めなかったことも物語上は最大の損失だ。バナージとリリィは物語構造的に等しい存在なので、何とかエピソードを滑り込ませて対等まで持ち込むべきだった。
 オードリーがリリィに揺らぐシーンは、絶対に必要だった。
 それはリスクが大きすぎると思ったのかもしれないし、そこまで考えていなかったのかもしれない。物語の可能性というのは、そこを考えて、初めて切磋琢磨されるものだと思う。
 可能性の話しかしない。

 ■物語の所有権、結局自由にできるのは書き始めた人だけ

 あんまり難しい話にしたくはないのだが、自分で物語の企画を考えて、それを実際に書き始めた人は、その物語に全権を持っている。自分が経済的状況の関係ないところで勝手に書き始めるのは、だれにも止められないし、そうしてはじまった物語はほかの誰も続きを書くことはできない。
 だからもし、自分の作品を読むのが好きで、それがどんどん増えていくことに喜びを感じるのであれば、ほとんど内燃機関として自立して、物語を作り続けられる。もちろん健康上の問題だったり、生活上の問題だったりがあって、そんなに簡単にはいかないのだけど。まあまず、好きになるのはいいことだ。
 
 というわけでまとまりはないのだけど、ぼんやりとそんなことを考えていた。
| 映画評 | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ちはやふる −上の句−』を観た。
 四月いっぱい限定の格安チケットにつられて行ってまいりました、ちはやふる。
 この時期の話題作が他にないのです。子供用の映画としては名探偵コナンの新作が今週末公開だった模様で、大変なことになっていたのですが、週間ランキングなどを見ても他はない、と思ってしまうほどです。
 前後編なので2本見ることになるのを嫌っていましたし、原作もアニメも知っているので、だいたいどうなるかわかっているんだよあな、と渋々気味の鑑賞でした。
 ですが・・・、いいんじゃないですかねえ、これはこれで!
 と思わず唸ってしまう映画になっていて、いい意味で裏切られた気分でした。
 観客も空いている映画館の割にはまだまだ入っていて、4月29日に公開の下の句の公開後も上の句を上映し続けるんじゃないだろうかと思えてしまうような人の入りでした。

 ■ちはやふるをこれから見る方に
 
 ・ストーリーは原作通りではない。文字通り原材料であってコピーではない。
 ・原作は競技かるた物語、映画は百人一首競技物語。
 ・あれ? もともと原作の舞台って府中だったけ? →そうでした。
 ・大江さん(かなちゃん)と駒野くん(机くん)が地味にかっこよくなっている。
 ・千早はまんま千早、太一もだいたいあんな感じ、西田くん(肉まんくん)は格好良くなっている。新はほとんど出てこない(下の句から本格稼働)。
 ・この映画の主役は、広瀬すずでもなんでもなくて、音。

 といちおう並べてみましたが、ネタバレしないように書いていきたいと思います。

 ■ストーリーは原作通りでない。

 この点は好みが分かれるところだと思うのですが、原作通りの流れだと思っていると、あれ、こうだったっけ? と思うこと請け合いです。上の句は東京都大会の北央戦がラストとなるのですが、あれ? 原作って最後、須藤と千早の対決じゃなかったっけ? と思い、帰ってアニメの方を見返してしまったほどです(ネット配信系と契約していればどのサービスでもおそらく配信している)。
 ただまあどっちが好きかというのは、分かれる展開なので、これはこれでいい、と思う人は多いのではないでしょうか。

 変更されていると言っても、お、このセリフをここでこうやってアレンジして使うのか、と感心してしまうほどで、おおよそ主要ないいシーンは使っている(アレンジはするんですが)ような気がします。たとえば机くんが予選で試合に出ないシーンが別のところに使われていたりとか(あと机くんと太一の出会いのセリフも別のところで使ってるなぁ)。
 まあけっこう細かく見ていくと、こんな改造してるんだw とけっこうマニアックに楽しめます。これは原作知っている人だけが楽しめる楽しみ方かもしれませんが。

 ■原作は競技かるた物語、映画は百人一首競技物語

 映画は冒頭からちはやふるの歌の紹介から始まり、お金をかけて作ったんだろうなと思う美しい紅葉のCGでぐっと惹かれます。原作はあんまり歌の紹介とか、歌の意味とかを出していなかった気がするのですが、たぶん脚本書いた方が生真面目な方だったんだろうなあと思うのですが(原作が不真面目なわけではない)、映画と歌を絡めて展開していくのです。
 たぶん原作におんぶ抱っこでは嫌だったのだろうなとと思うのですが、とくにちはやふるの歌は主役だけあって、3つの解釈が登場して、あ、その解釈でこう作っていくのか・・・、とびっくりしてしまったほどです。これは原田先生と太一との会話で出てくるので、すぐにこれとわかると思います。
 そのおかげでかなちゃんが原作より美人に見えるといいますか、競技かるた漫画だったのが百人一首に乗っ取られたような気さえしました(笑)。まあ、たぶん実写の和服にはアニメの和服は勝てないのですね、たぶん。

 ■あれ? もともと原作の舞台って府中だったけ? →そうでした。

 わたしはそもそも原作の舞台がどこかなんて考えてもなかったのですが、東京と言ってるから東京だし、23区ではなさそうだし、奥多摩というわけでもない、というわけで多摩なんだろうなとはよく考えてみればそうなのですが、堂々と府中と出てきてびっくりします。
 映画を見ながら、あ、走っている電車、京王線だ、どの駅だろう、などと考えていたのですが、南大沢の方かな、なんて思っていたのです(映像に山がちな地形が出てくるんですね。府中にあんな坂はない。たぶん撮影したのは横浜)。それが、原田先生の白波会が府中白波会になっていて(しかもこれ実在の会)、原田先生が分梅神社(これ分倍河原の地名から作った架空の神社。モデルは大国魂神社だと思われる。次は当て字だったが、梅の字は入っていた気がする)の神主という設定で、もうど直球に府中なわけです。
 ただ、原作を確認したところやはり府中のようで、まあわたしが知らなかったからびっくりしただけだとおもうんですが。

 ■かなちゃんと机くんが地味にかっこよくなっている。


 これは少し書いたのですが、書いてないのは机くんの方ですね。
 机くんは予告編などの映像を見ても分かる通り、これまで若干コミカルだった人物像から、秀才でクールなタイプへと修正がされています。あんまり話してしまうとみる楽しみがなくなるのですが、机くんはけっこううまく物語を盛り上げています。
 原作が中学生の机くん、映画が高校生の机くん、という印象です。

 ■千早はまんま千早、太一もだいたいあんな感じ、
  西田くん(肉まんくん)は格好良くなっている。
  新はほとんど出てこない(下の句から本格稼働)


 たぶん一番驚きだったのが、広瀬すずが演じる千早を見て、うわっ! 千早だ! 本物の千早だ! と思ってしまったところでした。ちはやふるの魅力はヒロインである千早の天然物っぷりを堪能するところにあると思うのですが、ここまでできるんだ、女優って怖い、と思えるほどの千早っぷりでした。
 ただ、映画だからなのでしょうか、独白を使わないという手法に差があって、例えば太一が千早に息をすれば勝てる、と言って音が戻って来たというシーンが原作にはあったと思うのですが(これは別の場面で使われる)、この時に独白を使わないで演技だけでやろうとするんです。アニメと映画の表現はこんなに違うんだなと、びっくりしました。

 太一は若干深くなっているので、より魅力的になっているのですが、考えすぎてしまう太一という感じは残っていて、なにかその考えあぐねるところがもどかしいのが魅力的ではあります。
 おそらくと言っては何なのですが、たぶんこの映画は男性視点のちはやふるなのだろう、ということです。なので重要な男性視点である太一にものすごい情熱が掛けられています。この映画の主役は太一だと言ってもいいほどです。
 かっこいいというよりはまあ男性のもどかしさってこういうものだよね、という感じで、それは女性からどう見えるのか分かりませんが、まあ原作よりは深く書いているかな、という印象です。

 肉まん君は、どっちかというと汚れ仕事(かなり語弊あり)役で、ずけずけと物を言う感じでいい悪役っぷりなんですが、旧ドワンゴ会長の川上量生さんに容貌がそっくりで、たぶんわざわざ探してきたのだろうなあ、と思ってしまいましたが、多食らいのおおらかな性格から、じゃっかんダーティーになっている感触がしました。ただ、そこがちょっとコミカルだったのがブラッシュアップされた感じで、いい感じにわかりきっている歴戦の猛者感が醸し出されていました。

 新は一応出てくるのですが、無理やり出した感があって、ここは本格稼働ではないのだろうなと思います。下の句に期待です。

 ■この映画の主役は、広瀬すずでもなんでもなくて、音

 たぶんアニメをものすごく綿密に、コマ送りぐらいはして研究したんだろうなと思うのですが、札を払う動作をアニメと寸分たがわず映像に乗せてきたという印象がありました。
 そして何より違うのは音。
 さらにもっと違うのは場の空気感です。
 大きなスクリーンと専用の音響設備でなければ味わえない、すごい音。
 試合に入ると、その迫力に圧倒され、呑まれていきます。

 というわけで、公開何週まで人が入るのか分かりませんが、おそらく上の句と下の句を同時上映する映画館も出てくる気がします。このGWに向けて、もし何か面白映画が見たいということでしたら、たぶんまず原作を見て面白いかどうかを判断して、見たいと思ったらチケット代を払う価値があると思います。

 そんな映画でした。
| 映画評 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『シェフ 三ツ星フードトラックを始めました』を見た。

 まさかこれの評を書くことになるとは思っていなかった。
 あまりにも素晴らしくてどこから話していいのか分からないというのは、正直嘘で、奇跡の起こった夏休み期間というのが、正しいと思う。
 一切の説明をしないことが正しいように思えるので、興奮を抑えて、あまり語らないようにしよう。

 この前に、日本アカデミー賞を取っている海街diaryをみているのだけども、わたしが男性であることのせいか、あんまり引っかかるところがなかったというか、すずがすげーなまるで高校生じゃないかと思ったら、実際に高校生だったことが判明したぐらいしか語ることがなくて、それはわたしの見る目がないだけなのだけど、たぶんこの作品がアメリカンマッチョのお話なのだろうなと思うのです。

 正直、このお話はファンタジーです。
 そのファンタジーぶりが気持ちよくて、それに南部特有の文化をトッピングされると(これは、わたしが大好きな南部音楽のことを言っている)、その豪放な南部の空気もいいなと思えてくるのです。

 もちろんわたしはどちらかというと、シリコンバレーの先進的な風土の方が肌に合う方ですが、そこに南部の風を吹き込まれると、ああ、散る桜だな。この空気はこれはこれでいいと思ってしまう。

 ひたすらに情緒的ですねw ただ、その季節を感じる風は感じた。
 全く説明していないというすさまじい状況なのですが、この風はすごく良かった、なんです。
 ああ、よかったんだよ!
 どう説明していいのか分からないんだよ!
 
| 映画評 | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『マネーショート』を観た!

 みるみるとずっと言って来ていて、なかなか見ることのできなかった『マネーショート』、ようやっと見てくることができましたのでご報告します(^_^;

 本作は2015年アカデミー賞で作品賞を含む5部門ノミネートで脚色賞を獲得した話題作。
 ハリウッド映画では『マネー・ボール』の原作をしたマイケル・ルイスの原作に、『マネー・ボール』でも主演したブラッド・ピットが製作を担当した、作品です。
 わたしはマイケル・ルイスは結構好きだったので、当然に原作を読んではいたのですが、原作は純然たるインタビュー形式のノンフィクションだったので、こんなのが映画になるのだろうかと戦々恐々としておりました。
 ただ予告編を見たとたん、なんだこの面白そうなハリウッド映画は! と夢中になってしまい、賞を獲得した脚色の妙と言うものを思い知らされたのです。お話は、リーマンショックへと続く、米国の住宅ローン市場の崩壊を描いたお話で、内容はマニアックながらも、どうなったかはすでに既知のお話。当然に現実に起こったことを捻じ曲げるわけではありませんので、現実どおりになると言ってもネタバレになるわけではありません。
 珍しいですねぇ(笑)。
 なに語ってもネタバレにならないなんてw

 本作の主役は大まかに言って、3グループに分かれます。
 まず、映画のポスターを見て下さい。4人の男がアウトローとして登場します。
 一人は、ヘビーメタルを愛する若きファンドマネージャー、マイケル・バーリ。かれが一番最初にサブプライムローンが崩壊しそうだと言うことに気づきます。
 二人目は、癇癪もちで暴言ばかり吐いているマーク・バウム。彼はたしかJPモルガンのファンドの遊撃部隊みたいな人で、その遊撃チームを率いています。彼らは、マイケル・バーリのサイオンキャピタル(ヘッジファンド)への電話の間違い電話から、サブプライムローンの危うさに気づきます。このチームが一番チームらしいチームです。
 三人目は、ドイツ銀行のジャレッド・ベネット。彼はマーク・バウムとぐるになって、この大崩壊に付け入るスキームを作ります。つまり2人目のマーク・バウムと3人目のジャレッド・ベネットは同じグループです。
 四人目は、すでに引退した伝説のトレーダー、ベン・リカード(ブラッド・ピッド)です。かれはガレージバンドのようだと評されるジェイミーとチャーリーと言う若い知り合いの投資家に助けを求められ、仕方なく手を貸します。

 ざっと述べてきましたが、つまり3つのグループとは、
 ・マイケル・バーリ(サイオンキャピタル)
 ・マーク・バウム&ジャレッド・ベネット(JPモルガン別働隊)
 ・ベン・リカード&ジェイミー&チャーリー(顧問つきガレージバンド)
 と整理することができます。
 この3つのグループがめまぐるしく動いていくため、非常に複雑で、追っていくの結構大変なのですが、それでも分かりにくいはずの金融商品の話は分かりやすい比喩で面白おかしく解説してあって、みんな破天荒なので、楽しく見ることができます。わたしは、ガレージバンドちっくなジェイミー&チャーリーが楽しかったですかねえ(笑)。たぶんそこに感情移入にしてみると、案外楽しめるかと思います。


 ■実際のところはどうなったのか? 現実の顛末は?

 わたしは実はけっこう早い頃から、このサブプライム問題が爆発することを理解していました。実際この作品を見て、え、こんな頃まで分かってなかったの? とびっくりしたぐらいです。物理学の世界では慣性の法則と言うものがありますが、その現場にいると日常はつねに続いているものだと言う認識に捕らわれるため、どうしてもそれを疑うことが遅れるのです。
 日本では、一部のWeb界隈で、アメリカのモノラインと呼ばれる金融保証会社の中堅が事実上破綻したときに(ACAキャピタルのこと)、これをすごい剣幕で大変なことが起こると言っていた方がいて、その話を読み解きながら状況を見ていくと、これは資本主義が終わるぐらいの規模になると、分かったのです。その方が言っていたのは、CDOがいかにめちゃくちゃであるかと言うことで、もちろんこれは作中にも語られています。しかし、当時のウォールストリートはこの重大さに気づいていなかった。
 日本ではモノライン大手が崩壊するのではないか、と言う話だったのですが(確かこれは政府の助けが入って何とか助かったはず)、外野の人間は大変なことになると認識していたのです。
 作中では、ベア・スターンズ(銀行)の株価が急落するところから危機になっていくのですが、わたしの認識では、ベア・スターンズなんて最後っ屁の最後だろ、と言う認識だったのです。結局ベア・スターンズはJPモルガンに1株2ドルで救済的吸収合併されて、助かるのですが、その後、もう救いようのなくなったリーマン・ブラザーズが破綻します。


 ■本作を包むくらい空気

 本作は謳われているような大逆転劇ではありません。
 勝者なき崩壊であり、マイケル・バーリ、マーク・バウム、ベン・リカードともに暗い結末を迎えます。それは当たり前ですが、世界の崩壊にかけて勝ったからであり、そんなものは喜べるものではないからです。
 さいごにマイケル・バーリが数字を書いて物憂げにオフィスを去るところが印象的です。
 憂鬱になるような圧勝、そんなものがあるのだな、と思ってしまいました。

 さて最後は暗い話になってしまいましたが、あえてカタストロフィーを作らないようにしている構成には好感が持てます。何が面白かったの? と言われれば、今でもまだ一人ひとりの存在感がどうやっても消えないぐらいに、残っているとしかいえません。
 いや、面白かった。
| 映画評 | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『花とアリス殺人事件』を見た。


 えーと、唐突なのですが、これはジブリつながりです。
 ジブリ汗まみれという東京FMの放映中に、この作品の紹介がされていて、わたしはポッドキャストで聞いているのですが、だいたい面白そうだというか、わたしは岩井監督作品はスワロウテイルで見ているので、だいたいどんなものかはわかっていたのですね。
 ただ、「花とアリス」観ておらず、それで、いろいろと不安感はあったのですが、結論から言うと面白かったです。

 この作品はまずアリスという人物を細かく描くことから始まります。
 いい加減で、脚が早く、それでいいて鷹揚な懐の深い14才です。それが殺人事件に巻き込まれて(ネタバレはしない主義です)、隣家のひきこもりである花と接点を持って行きます。
 所々に中学生だなあという描写があって、そこには好感が持てます。
 幾つかの契機がありながら、ひきこもりだったはずの花がアリスに引きずられ始めるところが、やっぱりこの作品の一番ぐっとくるところで、それをさらっとながしているので、多分ほとんどの人はわからないんですよね。
 あんたなにやってんのと罵りながら、引き釣り出されている花を見ていると、アリスのあのいい加減さが救いになっていくのです。

 というわけで、短いのですが、これぐらいの短さで投じていくのがいいかなと思います。あんまり構えてしまうと、瞬発的に書けないんですよね。

 すごく大切なシーンがたくさんある映画です。
 多分一番挙げられるのが、終電後の過ごし方ですが、わたしは名前さえない老人との過ごし方のほうが、ぐっときたかなあ・・・。
| 映画評 | 01:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
『バケモノの子』を観た!

 えーっと、ようやっと見てきました! バケモノの子。
 感想を率直に言えば、監督の細田さんは毎回過度に上がっていくハードルをよく飛んで行くよなぁ、というもので、『サマーウォーズ』よりも面白かったし、『おおかみこどもの雨と雪』よりも断然面白く、細田さんの作品が好きな人であれば、何の心配もなく大船に乗った気持ちで楽しめる作品だなあと思いました。

 ただこの作品はネタバレなしでその面白さを書くのが難しく、とりあえず公式がオープンにしているところまでを材料にして話してみようかなどと思っています。
 と言うわけで引用するのですが、一語一句変えていないのですが、一点だけ、加えている部分があります。それは2つ目の空行の直後、
「ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年・蓮は強さを求め、」
 の下りです。ここ、もともとは、
「ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年は強さを求め、」
 なんです。
 なので、もし勝手に修正するなと思うのでしたら、頭の中で少年の名前を省いてみて読んでいただけると助かります。ここはどっちもどっちなのですが、加えた版がないと公式以外存在していないことになるので、いちおうおせっかいにも付け加えておきました。
 では引用します。


 この世界には、人間の世界とは別に、
 もう1つの世界たぶんがある。バケモノの世界だ。

 人間界「渋谷」とバケモノ界「渋天街(じゅうてんがい)」。交わるはずのない2つの世界に生きる、
 ひとりぼっちの少年とひとりぼっちのバケモノ。

 ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年・蓮は強さを求め、
 バケモノの世界へ行くことを決意した。
 少年は熊徹の弟子となり、九太という新しい名前を授けられる。
 当初はことあるごとに、ぶつかり合う2人だったが、
 奇妙な共同生活と修行の日々を重ねることで互いに成長し、
 いつしか、まるで本当の親子のような絆が芽生え始める。

 少年が逞しい青年となったある日。
 偶然にも、「渋天街」から「渋谷」へと戻った九太は、
 高校生の少女・楓と出会う。
 新しい世界や価値観を教えてくれる楓との出会いによって、
 九太は自身が本当に生きるべき世界を模索し始めるのだった。
 そんな時、人間とバケモノの2つの世界を巻き込んだ大事件が勃発する。
 みんなを救うために、自分にできることは何なのか?
 熊徹と九太、そして楓。それぞれに決断のときが訪れる――


 以上です。
 えーと(笑)、実際にご覧になった方は、こんなこと書いてあったのかと頭を抱えると思うんですね(^_^; そして話しにくいw

 まず当たり障りのないところから言いますと、このお話の少年は、人間界では蓮であり、バケモノ界では九太なんです。でもオリジナルのストーリー紹介では、蓮という名前が一言も出てこない。楓から勉強を教えてもらう時の呼び名は蓮くんですし(蓮は9歳の時からバケモノ界に居続けるので、小学校以降の勉強をしていないのです)、オリジナルの紹介文のままだと、蓮は人間界でも九太と呼ばれていることになってしまう。
 ただ、まあ、九太で統一したほうがごちゃごちゃしなくて分かりやすいというのも分かるのですね。

 またこのお話が格段に面白くなってくるのは、「渋谷」に戻って楓と出会ってからだったように思います。「渋谷」に戻ってきたときの恐怖感は、何とも言い難いものがありましたし、このお話が何を書こうとしているのかが正体を現し始めるのが、この辺りからだからです。
 その後はノンストップのジェットコースターに乗っているようで、これまで積み上げてきた伏線が次々と解き放たれて行き、ああ、わたしが好きなのはあのシーンですね。
 楓にお守りをもらうシーン。
 そして、最後の決戦で楓が叫ぶシーン。

 まあ、あんまり話してしまうとネタバレになってしまうので、やめるのですが、ああ、これはこういう意味だったのか、と次々と分かっていくのです。
 そしてエンドロールが流れ始めたときに、はじめて、第二の空行から、第三の空行までの間の出来事が、ああ、あれが楽しかったんだ、あれが一番大切な時間だったんだと、やっとわかってきて、胸に残るんです。

 というわけで、細田監督の作品が好きな方であれば、ああ、いつも通りの細田作品だと安心して観れる面白い作品だと思います。ぜひぜひご覧になってくださいね!
| 映画評 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見た!

 えっと、うるさいぐらいにみたいみたいと叫び続けてきたこの映画、ついに見てきました!
 そんなこと全然知らなかったのですが、この映画3時間5分もあるんですね(^_^;
 それでありながら、台湾で台湾映画史上空前の大ヒットという偉業をたたき出し、どうどうの日本凱旋と合いまったのですが、さすがに台湾ナンバーワンヒットは日本では売りにならなかったか。
 3時間越えという扱いにくい映画だけあってか上映館も少なく、しかも上映していても一日に一上映ぽっきりという映画館も少なくないというどうやっても苦戦を強いられる状況になりました。
 それでもわたしが行った映画館は、席が八割ぐらい埋まっていてびびってしまったのですが(わたしは普段お客の入らない映画館に行きすぎw)、エンドロールが流れて、明かりがついて客席を振り返った時に、わあ、こんなに入ってたんだとびっくりしてしまいました。
(わたしはメガネをかける前からの癖で、スクリーンに一番近い席に座り(目が悪いので)、映画が終わった後に劇場を振り返って、観客の反応チェックをするのを習慣にしているのである)

 この映画を一言でいえば、

「愛すべき野球バカたちが、ぐんぐんと愛しくなっていく、野球バカ映画」

 でしょうか。もう、かわいくてかわいくて仕方ないと、わたしの年齢になればそういう愛情を注いでしまうのは許されると思うのですが、もう愛すべき野球バカたちにきゅんきゅんと悩殺されていく映画、といえばわかりやすいでしょうか。
 もうね、かわいくてかわいくて仕方ないのです(^_^;
 こういう言い方が許されるのであれば、なんてラブリーでキュートな高校野球映画だろうと、あたまがくらくらになりました。

 ああ、なんか走りすぎですね(^_^;
 もうちょっと落ち着くことにして、この映画をもう少し冷静に見ていくことにしましょう。そうですね、まずは公式ページなどはどうでしょう。

 ■映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』公式サイト
 http://kano1931.com/intro.html


 この女の子は、なんで出て来たのか不明といいますか、いちおう自転車をこいでいる男の子が嘉義農林高校の絶対的なエースの呉くんなので、一応主人公の主人公の想い人ということなのでしょうが、映画の中でも、???という扱いになっており、なんでこの人だす必要があったんだろうなどと考えてしまうのですが、このシーンが一番台湾の自由な気風を表している名シーンだとは思います。
 というか、このシーンのためだけにいたのだろうか???
 これは、予告編でもネタバレしているので書いてしまっても問題はないともうのですが、この女の子は物語中にお見合い結婚をしてしまい、物語の終わりの方でその結婚相手の子供を出産をしたりするのです。それ書く必要があったのか? というか、ああ、そうか史実なのかなあと思うしかありません。
 ちなみに、この呉くん役をやっている俳優は、台湾球界を背負う逸材とされている人らしく(つまり著名選手なのである。現在は大学生)、このKANOに出演して野球に対する情熱を再確認したとか語っていたような。

 たぶん日本統治時代の台湾は、日本の高度成長期のような発展の時代だったらしく、だから何だと日本人が言うことはできないのですが、自由な心地よい風が吹き抜ける感じがとても素晴らしい。
 それでもこの映画は1931年のお話であり、劇中では1944年の戦争の色が濃くなってくる時代もカットバックのように入ってくるのですが、兵隊に向かう野球バカたちを見ながら、なんてもったいないことをするんだ! 戦争で死ぬのは老人だけでいい! 若者を殺すな! 戦争を始めた奴から死んで行け!
 と思ってしまうのです。
 わたしは最近、無免許運転の高校生たちが事故って死んだというニュースを聞くだけで、ああ、もったいない、きみたちは死んでいい人たちではない、と思うようになったというか、変な方向に涙もろくなってしまっているのですが、なんか変な話だ(^_^;


 ■台湾の印象、ハイテク国だとしか思っていなかったのだが・・・。

 わたしは自分でパソコンを自作するパソコンオタクなだけあって、台湾というと世界中のマザーボードの9割を生産しているパソコン国家という印象しかないのだが、この前見た『天空からの招待状』やこの『KANO』を見て、農業をとても大切にする国なんだなあと思った。
 嘉農は、嘉義農林高校という正式名称で、これは農業高校である。
 お話の中で大きな実をつけるパパイヤの逸話があったりして、しかも呉くんがこれを真に受けて大きな実をつけるパパイヤの話知っているか、などと語りかけるところなどは、もうきゅんきゅんくるw 悶絶ポイントなのであるが、またこのお話の中で、嘉義の地域に壮大な灌漑用水路が作られるお話があったりして、ああ、これ日本の貢献なのか、などとぽかんと思ってしまうのであるが、水が来るぞとお祭りの様に騒いでいる姿をみていると、ああ、いいなあ、ほんとに台湾の黄金時代なのだなあと、思ってしまう。
 こんな時代が日本にもあったはずなのだけれども、なんだろうねえ、あんな馬鹿な戦争をしてしまったから、自ら暗黒時代にしてしまった。本当にもったいない。なんで謳歌すべき平和を捨ててしまったのだろう。
 そんな羨望のまなざしを向けられる映画が、このKANOなのだ。

 この映画の魅力はどうもわたしの筆力では語りつくせそうにない。
 何時間でも、何十時間でもわたしは語れそうだし、あまりのキュートさにくらくらするシーンは無数にあった。たぶん、わたしの文章を読んで、こんなんじゃねえよ! もっと悶絶するところは大量にあったぞw と言いたい声が聞こえてくるようだ。
 だから、一人でも多くの人がこの映画を見て、自分だけのKANOを発見する機会を得てほしいものである。

 最後に、この映画は史実なので、歴史を読めば結果が分かる。
 嘉農は台湾代表として甲子園大会に進み、準優勝した。準優勝ということは決勝で負けたのだ。これも予告編に出ているのでネタバレにならないと思うのだが、絶対的エースである呉くんが怪我をするのである。
 そして最終回。
 これは予告編に出ていないで語らないでおこう。
 このラストシーンを見るだけでも、この映画を見る価値はある。
 もちろん、愛すべき野球バカたちの、悶絶するようなきゅんきゅんするキュートでラブリーな高校野球がここにはある。
 わたしはくらくらになったw
 
| 映画評 | 00:11 | comments(8) | trackbacks(0) |