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 『ズートピア』を観た


 やってまりました、GWシーズン。
 さすがに各社が大作をぶつけてくる時期だけに、普段は空いている映画館も大賑わいとなっておりました。
 先週末のおそらくぶっちぎりの1位は名探偵コナン、2位がズートピア、3位はクレヨンしんちゃんと、実写って何? という状況だったのですが、今週末からちはやふる‐下の句‐が公開になります。
 実のところ本日はこちらがお目当てだったのですが、まさかの完売(^_^; いちおう3番目のスクリーンでの上映だったのですがキャパが足りなかったのでしょうか。そこで2番目のスクリーンで上映しているズートピアを観てまいりました。
 わたしは上映一時間前にチケットを買ったので分からないのですが、上映後にちらっと見た感じではほぼほぼフルに入っていたような気がします(つまり危なかった)。
 というわけで、ご覧になられる方はご注意ください。

 閑話休題。
 本題に入るのですが、当然のことながらネタバレなしで話さなければなりません。
 しかし、この映画の素晴らしいところは、脚本が神がかっている、ところでして、よくぞまあこんな脚本書けたものだなと感心してしまいつつも、これを一切話さずにこの『ズートピア』の稀有な部分を説明するのは難しいなと考え込んでしまうのです。
 まずは予告編をご覧ください。

 ■『ズートピア』予告編
 https://www.youtube.com/watch?v=XFLtHhqjTuY


 まあ、よくぞまあここまで明かしながらも、肝心な部分はまったく分からないという職人芸なのですが(笑)、まあ、観終わってから見るとわたしとまったく同じ感想になると思います。
 この婦警のウサギと詐欺師のキツネが、コンビを組んで大掛かりな陰謀を暴き出すというのが、この『ズートピア』の根幹なのですが、大枠は警察モノだと思って観るとだいたいあっているかと思います。

 ただ、それでもディズニーというだけあって、ウサギの女の子のジュディが飛び跳ねているのを見ているだけで楽しい、街を駆けまわっているだけで楽しい、犯人と追いかけっこをしているのを見ているだけで楽しい、とその辺りのアクションはさすがです。
 ディズニーらしい魅力的なテーマパークのようなズートピアも必見です。
 こちらをご覧ください。
 これはディズニーの公式『ズートピア』サイトのトップに載っている動画です。
 わたしがはね飛ぶようなジュディと言っている意味が分かると思います。

 ■「ズートピア」ジュディの旅立ち
 https://www.youtube.com/watch?v=V_IkrSTie-Y


 ただ、これはほんとうにはじまりのはじまりで、大取モノや大冒険を経たのちのエンドロールでまたこの日本語版のテーマソングが流れるのですが、その頃にはもう圧倒されてしまってこれがはるかに昔であったかのように感じます。


 また細かいところに伏線が大量に散りばめられてて、脚本が神がかっているとは書きましたが、起こること起こることがすべてが物語につながってくるというか、一つとしてむだなことは起こっていないという密度の濃さは、本当に飽きません。
 そして、二転三転どころか七転八倒するストーリー展開に息をつかせないどころか時間を忘れてしまいます。それでいて無視することができないテーマもはらんでいて、ただただ圧倒されてしまうのです。

 こちらのロングインタビューはおそろしく長いのですが、だいたいわたしよりもうまく語っているかと思います(監督なので当然なのですが)。わたしが『ズートピア』を最終的に見ようと決めていたのは、このインタビューのためでした。

 ■「主人公を含む全てのキャラクターに偏見を抱かせることが、とても重要だった」―映画『ズートピア』:クラーク・スペンサー(プロデューサー)&ジャレド・ブッシュ(脚本/共同監督)ロングインタビュー
 http://top.tsite.jp/entertainment/cinema/i/28566791/index


 というわけで、いちおうネタバレなしで何とかなりましたでしょうか(^_^;
 ぜひぜひ楽しい週末をお過ごしくださいませ。

| 映画評 | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『機動戦士ガンダムUC』を観て

 最近になって、封印していたガンダムUCを全部観た。
 わたしは常日頃からガンダムヲタクあることを公言しているほどのヲタクであり、登場するモビルスーツを見るたびに、ドムトローペンはそういう機動ではなかったような気がするのだが、というようなドン引きされるようなことをぶつぶつ言いながら舐めるように見たと書けば、頭がおかしいと思うしかないようなヲタクであると分かると思う。
 まず、このガンダムUCは面白かった。
 これ以上はないというほどに贅沢に作られたアニメだし、福井さんという優れたストリーテラーを迎えて企画されたガンダムだけある。ここに文句を言うところは無いし、心の底から楽しんだ。
 ただ、気付いたところを書いてもそんなに同じように楽しんだ人の気持ちを害することはない気がするので書いてみたい。

 ■子供のような大人の冨野ガンダムと、大人のような子供の福井ガンダム

 まず気になったのは、ガンダムUCに登場する子供たちが、非常に大人びているということだった。それは善し悪しの問題ではなく、単純に福井さんが大人びていて、冨野御大が子供っぽいということなのだと思うのだけど、やっぱりその違いはあるように感じる。
 たぶんそういうと福井さんは4話を見てくれと言うだろう。
 その主張は正当だし、それでもわたしがいうのはZガンダムをトレースしたような内容になっているということだ。本質的にはこれは侮辱には当たらないと思うのだが福井さんは大人で、冨野御大は子供だ。だから印象論でしかないのだが、子供の部分が出てしまう大人のガンダムUCと、そもそもまるっきり子供のZガンダムの差になっている気がする。
 頑丈な大人の重装備の論理で固められたのがガンダムUCで、もっと戦場を駆ける血袋としてのはかないひとりを書いたのがZガンダムである気がする。
 どっちがいいという問題ではなく、違いがあるということ。
 ガンダムUCが貴族的な血のつながりを描いたのに対して、ガンダムは一切の血統がない根無し草を描いている。これはある意味アンチテーゼだったのかもしれないし、わたしも面白かったと思っているだけに、ここに踏み込んで話すことはしたいとは思わない。
 だけど、ここはほとんど語られていないのではないか。
 ふたつのタイプがあることが分かった。
 ではその双方のメリットとデメリットはなんだろう?
 それがまず言いたいことだ。

 ■ラプラスの箱という謎をベースに引っ張っていくやり方

 これはテクニカルな内容になるのだが、実際の秘密を知ってしまうと7話も持たせるような内容ではなかったと分かる。
 起承転結の理論に従うと、ラプラスの箱の秘密が開示されるのは転に該当し、全体の構成では5話のラストあたりが適当であったろう。つまり7話の冒頭付近まで引っ張ったのは完全な失敗だと、わたしには思われるのだ。
 6話、7話は箱の秘密が開示されてからの盛大な大戦争に使われるべきで、ここでこそその箱に込められた、さまざま思いが交錯する戦場にすべきだった。たぶん福井さんはそれを書くだけの力量がなかったのだろう。わたしも同じような失敗をするので偉そうなことは言えないのだけれども、後半薄っぺらくない? と聞かれて頷くならば、この構成上のミスが原因だ。

 また、オードリー・バーンとバナージ・リンクスの恋愛関係が弱すぎることも指摘できであろう。ここが難しいことも理解できるが、リリィ少尉がここに突っ込めなかったことも物語上は最大の損失だ。バナージとリリィは物語構造的に等しい存在なので、何とかエピソードを滑り込ませて対等まで持ち込むべきだった。
 オードリーがリリィに揺らぐシーンは、絶対に必要だった。
 それはリスクが大きすぎると思ったのかもしれないし、そこまで考えていなかったのかもしれない。物語の可能性というのは、そこを考えて、初めて切磋琢磨されるものだと思う。
 可能性の話しかしない。

 ■物語の所有権、結局自由にできるのは書き始めた人だけ

 あんまり難しい話にしたくはないのだが、自分で物語の企画を考えて、それを実際に書き始めた人は、その物語に全権を持っている。自分が経済的状況の関係ないところで勝手に書き始めるのは、だれにも止められないし、そうしてはじまった物語はほかの誰も続きを書くことはできない。
 だからもし、自分の作品を読むのが好きで、それがどんどん増えていくことに喜びを感じるのであれば、ほとんど内燃機関として自立して、物語を作り続けられる。もちろん健康上の問題だったり、生活上の問題だったりがあって、そんなに簡単にはいかないのだけど。まあまず、好きになるのはいいことだ。
 
 というわけでまとまりはないのだけど、ぼんやりとそんなことを考えていた。
| 映画評 | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ちはやふる −上の句−』を観た。
 四月いっぱい限定の格安チケットにつられて行ってまいりました、ちはやふる。
 この時期の話題作が他にないのです。子供用の映画としては名探偵コナンの新作が今週末公開だった模様で、大変なことになっていたのですが、週間ランキングなどを見ても他はない、と思ってしまうほどです。
 前後編なので2本見ることになるのを嫌っていましたし、原作もアニメも知っているので、だいたいどうなるかわかっているんだよあな、と渋々気味の鑑賞でした。
 ですが・・・、いいんじゃないですかねえ、これはこれで!
 と思わず唸ってしまう映画になっていて、いい意味で裏切られた気分でした。
 観客も空いている映画館の割にはまだまだ入っていて、4月29日に公開の下の句の公開後も上の句を上映し続けるんじゃないだろうかと思えてしまうような人の入りでした。

 ■ちはやふるをこれから見る方に
 
 ・ストーリーは原作通りではない。文字通り原材料であってコピーではない。
 ・原作は競技かるた物語、映画は百人一首競技物語。
 ・あれ? もともと原作の舞台って府中だったけ? →そうでした。
 ・大江さん(かなちゃん)と駒野くん(机くん)が地味にかっこよくなっている。
 ・千早はまんま千早、太一もだいたいあんな感じ、西田くん(肉まんくん)は格好良くなっている。新はほとんど出てこない(下の句から本格稼働)。
 ・この映画の主役は、広瀬すずでもなんでもなくて、音。

 といちおう並べてみましたが、ネタバレしないように書いていきたいと思います。

 ■ストーリーは原作通りでない。

 この点は好みが分かれるところだと思うのですが、原作通りの流れだと思っていると、あれ、こうだったっけ? と思うこと請け合いです。上の句は東京都大会の北央戦がラストとなるのですが、あれ? 原作って最後、須藤と千早の対決じゃなかったっけ? と思い、帰ってアニメの方を見返してしまったほどです(ネット配信系と契約していればどのサービスでもおそらく配信している)。
 ただまあどっちが好きかというのは、分かれる展開なので、これはこれでいい、と思う人は多いのではないでしょうか。

 変更されていると言っても、お、このセリフをここでこうやってアレンジして使うのか、と感心してしまうほどで、おおよそ主要ないいシーンは使っている(アレンジはするんですが)ような気がします。たとえば机くんが予選で試合に出ないシーンが別のところに使われていたりとか(あと机くんと太一の出会いのセリフも別のところで使ってるなぁ)。
 まあけっこう細かく見ていくと、こんな改造してるんだw とけっこうマニアックに楽しめます。これは原作知っている人だけが楽しめる楽しみ方かもしれませんが。

 ■原作は競技かるた物語、映画は百人一首競技物語

 映画は冒頭からちはやふるの歌の紹介から始まり、お金をかけて作ったんだろうなと思う美しい紅葉のCGでぐっと惹かれます。原作はあんまり歌の紹介とか、歌の意味とかを出していなかった気がするのですが、たぶん脚本書いた方が生真面目な方だったんだろうなあと思うのですが(原作が不真面目なわけではない)、映画と歌を絡めて展開していくのです。
 たぶん原作におんぶ抱っこでは嫌だったのだろうなとと思うのですが、とくにちはやふるの歌は主役だけあって、3つの解釈が登場して、あ、その解釈でこう作っていくのか・・・、とびっくりしてしまったほどです。これは原田先生と太一との会話で出てくるので、すぐにこれとわかると思います。
 そのおかげでかなちゃんが原作より美人に見えるといいますか、競技かるた漫画だったのが百人一首に乗っ取られたような気さえしました(笑)。まあ、たぶん実写の和服にはアニメの和服は勝てないのですね、たぶん。

 ■あれ? もともと原作の舞台って府中だったけ? →そうでした。

 わたしはそもそも原作の舞台がどこかなんて考えてもなかったのですが、東京と言ってるから東京だし、23区ではなさそうだし、奥多摩というわけでもない、というわけで多摩なんだろうなとはよく考えてみればそうなのですが、堂々と府中と出てきてびっくりします。
 映画を見ながら、あ、走っている電車、京王線だ、どの駅だろう、などと考えていたのですが、南大沢の方かな、なんて思っていたのです(映像に山がちな地形が出てくるんですね。府中にあんな坂はない。たぶん撮影したのは横浜)。それが、原田先生の白波会が府中白波会になっていて(しかもこれ実在の会)、原田先生が分梅神社(これ分倍河原の地名から作った架空の神社。モデルは大国魂神社だと思われる。次は当て字だったが、梅の字は入っていた気がする)の神主という設定で、もうど直球に府中なわけです。
 ただ、原作を確認したところやはり府中のようで、まあわたしが知らなかったからびっくりしただけだとおもうんですが。

 ■かなちゃんと机くんが地味にかっこよくなっている。


 これは少し書いたのですが、書いてないのは机くんの方ですね。
 机くんは予告編などの映像を見ても分かる通り、これまで若干コミカルだった人物像から、秀才でクールなタイプへと修正がされています。あんまり話してしまうとみる楽しみがなくなるのですが、机くんはけっこううまく物語を盛り上げています。
 原作が中学生の机くん、映画が高校生の机くん、という印象です。

 ■千早はまんま千早、太一もだいたいあんな感じ、
  西田くん(肉まんくん)は格好良くなっている。
  新はほとんど出てこない(下の句から本格稼働)


 たぶん一番驚きだったのが、広瀬すずが演じる千早を見て、うわっ! 千早だ! 本物の千早だ! と思ってしまったところでした。ちはやふるの魅力はヒロインである千早の天然物っぷりを堪能するところにあると思うのですが、ここまでできるんだ、女優って怖い、と思えるほどの千早っぷりでした。
 ただ、映画だからなのでしょうか、独白を使わないという手法に差があって、例えば太一が千早に息をすれば勝てる、と言って音が戻って来たというシーンが原作にはあったと思うのですが(これは別の場面で使われる)、この時に独白を使わないで演技だけでやろうとするんです。アニメと映画の表現はこんなに違うんだなと、びっくりしました。

 太一は若干深くなっているので、より魅力的になっているのですが、考えすぎてしまう太一という感じは残っていて、なにかその考えあぐねるところがもどかしいのが魅力的ではあります。
 おそらくと言っては何なのですが、たぶんこの映画は男性視点のちはやふるなのだろう、ということです。なので重要な男性視点である太一にものすごい情熱が掛けられています。この映画の主役は太一だと言ってもいいほどです。
 かっこいいというよりはまあ男性のもどかしさってこういうものだよね、という感じで、それは女性からどう見えるのか分かりませんが、まあ原作よりは深く書いているかな、という印象です。

 肉まん君は、どっちかというと汚れ仕事(かなり語弊あり)役で、ずけずけと物を言う感じでいい悪役っぷりなんですが、旧ドワンゴ会長の川上量生さんに容貌がそっくりで、たぶんわざわざ探してきたのだろうなあ、と思ってしまいましたが、多食らいのおおらかな性格から、じゃっかんダーティーになっている感触がしました。ただ、そこがちょっとコミカルだったのがブラッシュアップされた感じで、いい感じにわかりきっている歴戦の猛者感が醸し出されていました。

 新は一応出てくるのですが、無理やり出した感があって、ここは本格稼働ではないのだろうなと思います。下の句に期待です。

 ■この映画の主役は、広瀬すずでもなんでもなくて、音

 たぶんアニメをものすごく綿密に、コマ送りぐらいはして研究したんだろうなと思うのですが、札を払う動作をアニメと寸分たがわず映像に乗せてきたという印象がありました。
 そして何より違うのは音。
 さらにもっと違うのは場の空気感です。
 大きなスクリーンと専用の音響設備でなければ味わえない、すごい音。
 試合に入ると、その迫力に圧倒され、呑まれていきます。

 というわけで、公開何週まで人が入るのか分かりませんが、おそらく上の句と下の句を同時上映する映画館も出てくる気がします。このGWに向けて、もし何か面白映画が見たいということでしたら、たぶんまず原作を見て面白いかどうかを判断して、見たいと思ったらチケット代を払う価値があると思います。

 そんな映画でした。
| 映画評 | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『シェフ 三ツ星フードトラックを始めました』を見た。

 まさかこれの評を書くことになるとは思っていなかった。
 あまりにも素晴らしくてどこから話していいのか分からないというのは、正直嘘で、奇跡の起こった夏休み期間というのが、正しいと思う。
 一切の説明をしないことが正しいように思えるので、興奮を抑えて、あまり語らないようにしよう。

 この前に、日本アカデミー賞を取っている海街diaryをみているのだけども、わたしが男性であることのせいか、あんまり引っかかるところがなかったというか、すずがすげーなまるで高校生じゃないかと思ったら、実際に高校生だったことが判明したぐらいしか語ることがなくて、それはわたしの見る目がないだけなのだけど、たぶんこの作品がアメリカンマッチョのお話なのだろうなと思うのです。

 正直、このお話はファンタジーです。
 そのファンタジーぶりが気持ちよくて、それに南部特有の文化をトッピングされると(これは、わたしが大好きな南部音楽のことを言っている)、その豪放な南部の空気もいいなと思えてくるのです。

 もちろんわたしはどちらかというと、シリコンバレーの先進的な風土の方が肌に合う方ですが、そこに南部の風を吹き込まれると、ああ、散る桜だな。この空気はこれはこれでいいと思ってしまう。

 ひたすらに情緒的ですねw ただ、その季節を感じる風は感じた。
 全く説明していないというすさまじい状況なのですが、この風はすごく良かった、なんです。
 ああ、よかったんだよ!
 どう説明していいのか分からないんだよ!
 
| 映画評 | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『マネーショート』を観た!

 みるみるとずっと言って来ていて、なかなか見ることのできなかった『マネーショート』、ようやっと見てくることができましたのでご報告します(^_^;

 本作は2015年アカデミー賞で作品賞を含む5部門ノミネートで脚色賞を獲得した話題作。
 ハリウッド映画では『マネー・ボール』の原作をしたマイケル・ルイスの原作に、『マネー・ボール』でも主演したブラッド・ピットが製作を担当した、作品です。
 わたしはマイケル・ルイスは結構好きだったので、当然に原作を読んではいたのですが、原作は純然たるインタビュー形式のノンフィクションだったので、こんなのが映画になるのだろうかと戦々恐々としておりました。
 ただ予告編を見たとたん、なんだこの面白そうなハリウッド映画は! と夢中になってしまい、賞を獲得した脚色の妙と言うものを思い知らされたのです。お話は、リーマンショックへと続く、米国の住宅ローン市場の崩壊を描いたお話で、内容はマニアックながらも、どうなったかはすでに既知のお話。当然に現実に起こったことを捻じ曲げるわけではありませんので、現実どおりになると言ってもネタバレになるわけではありません。
 珍しいですねぇ(笑)。
 なに語ってもネタバレにならないなんてw

 本作の主役は大まかに言って、3グループに分かれます。
 まず、映画のポスターを見て下さい。4人の男がアウトローとして登場します。
 一人は、ヘビーメタルを愛する若きファンドマネージャー、マイケル・バーリ。かれが一番最初にサブプライムローンが崩壊しそうだと言うことに気づきます。
 二人目は、癇癪もちで暴言ばかり吐いているマーク・バウム。彼はたしかJPモルガンのファンドの遊撃部隊みたいな人で、その遊撃チームを率いています。彼らは、マイケル・バーリのサイオンキャピタル(ヘッジファンド)への電話の間違い電話から、サブプライムローンの危うさに気づきます。このチームが一番チームらしいチームです。
 三人目は、ドイツ銀行のジャレッド・ベネット。彼はマーク・バウムとぐるになって、この大崩壊に付け入るスキームを作ります。つまり2人目のマーク・バウムと3人目のジャレッド・ベネットは同じグループです。
 四人目は、すでに引退した伝説のトレーダー、ベン・リカード(ブラッド・ピッド)です。かれはガレージバンドのようだと評されるジェイミーとチャーリーと言う若い知り合いの投資家に助けを求められ、仕方なく手を貸します。

 ざっと述べてきましたが、つまり3つのグループとは、
 ・マイケル・バーリ(サイオンキャピタル)
 ・マーク・バウム&ジャレッド・ベネット(JPモルガン別働隊)
 ・ベン・リカード&ジェイミー&チャーリー(顧問つきガレージバンド)
 と整理することができます。
 この3つのグループがめまぐるしく動いていくため、非常に複雑で、追っていくの結構大変なのですが、それでも分かりにくいはずの金融商品の話は分かりやすい比喩で面白おかしく解説してあって、みんな破天荒なので、楽しく見ることができます。わたしは、ガレージバンドちっくなジェイミー&チャーリーが楽しかったですかねえ(笑)。たぶんそこに感情移入にしてみると、案外楽しめるかと思います。


 ■実際のところはどうなったのか? 現実の顛末は?

 わたしは実はけっこう早い頃から、このサブプライム問題が爆発することを理解していました。実際この作品を見て、え、こんな頃まで分かってなかったの? とびっくりしたぐらいです。物理学の世界では慣性の法則と言うものがありますが、その現場にいると日常はつねに続いているものだと言う認識に捕らわれるため、どうしてもそれを疑うことが遅れるのです。
 日本では、一部のWeb界隈で、アメリカのモノラインと呼ばれる金融保証会社の中堅が事実上破綻したときに(ACAキャピタルのこと)、これをすごい剣幕で大変なことが起こると言っていた方がいて、その話を読み解きながら状況を見ていくと、これは資本主義が終わるぐらいの規模になると、分かったのです。その方が言っていたのは、CDOがいかにめちゃくちゃであるかと言うことで、もちろんこれは作中にも語られています。しかし、当時のウォールストリートはこの重大さに気づいていなかった。
 日本ではモノライン大手が崩壊するのではないか、と言う話だったのですが(確かこれは政府の助けが入って何とか助かったはず)、外野の人間は大変なことになると認識していたのです。
 作中では、ベア・スターンズ(銀行)の株価が急落するところから危機になっていくのですが、わたしの認識では、ベア・スターンズなんて最後っ屁の最後だろ、と言う認識だったのです。結局ベア・スターンズはJPモルガンに1株2ドルで救済的吸収合併されて、助かるのですが、その後、もう救いようのなくなったリーマン・ブラザーズが破綻します。


 ■本作を包むくらい空気

 本作は謳われているような大逆転劇ではありません。
 勝者なき崩壊であり、マイケル・バーリ、マーク・バウム、ベン・リカードともに暗い結末を迎えます。それは当たり前ですが、世界の崩壊にかけて勝ったからであり、そんなものは喜べるものではないからです。
 さいごにマイケル・バーリが数字を書いて物憂げにオフィスを去るところが印象的です。
 憂鬱になるような圧勝、そんなものがあるのだな、と思ってしまいました。

 さて最後は暗い話になってしまいましたが、あえてカタストロフィーを作らないようにしている構成には好感が持てます。何が面白かったの? と言われれば、今でもまだ一人ひとりの存在感がどうやっても消えないぐらいに、残っているとしかいえません。
 いや、面白かった。
| 映画評 | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『花とアリス殺人事件』を見た。


 えーと、唐突なのですが、これはジブリつながりです。
 ジブリ汗まみれという東京FMの放映中に、この作品の紹介がされていて、わたしはポッドキャストで聞いているのですが、だいたい面白そうだというか、わたしは岩井監督作品はスワロウテイルで見ているので、だいたいどんなものかはわかっていたのですね。
 ただ、「花とアリス」観ておらず、それで、いろいろと不安感はあったのですが、結論から言うと面白かったです。

 この作品はまずアリスという人物を細かく描くことから始まります。
 いい加減で、脚が早く、それでいいて鷹揚な懐の深い14才です。それが殺人事件に巻き込まれて(ネタバレはしない主義です)、隣家のひきこもりである花と接点を持って行きます。
 所々に中学生だなあという描写があって、そこには好感が持てます。
 幾つかの契機がありながら、ひきこもりだったはずの花がアリスに引きずられ始めるところが、やっぱりこの作品の一番ぐっとくるところで、それをさらっとながしているので、多分ほとんどの人はわからないんですよね。
 あんたなにやってんのと罵りながら、引き釣り出されている花を見ていると、アリスのあのいい加減さが救いになっていくのです。

 というわけで、短いのですが、これぐらいの短さで投じていくのがいいかなと思います。あんまり構えてしまうと、瞬発的に書けないんですよね。

 すごく大切なシーンがたくさんある映画です。
 多分一番挙げられるのが、終電後の過ごし方ですが、わたしは名前さえない老人との過ごし方のほうが、ぐっときたかなあ・・・。
| 映画評 | 01:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
『バケモノの子』を観た!

 えーっと、ようやっと見てきました! バケモノの子。
 感想を率直に言えば、監督の細田さんは毎回過度に上がっていくハードルをよく飛んで行くよなぁ、というもので、『サマーウォーズ』よりも面白かったし、『おおかみこどもの雨と雪』よりも断然面白く、細田さんの作品が好きな人であれば、何の心配もなく大船に乗った気持ちで楽しめる作品だなあと思いました。

 ただこの作品はネタバレなしでその面白さを書くのが難しく、とりあえず公式がオープンにしているところまでを材料にして話してみようかなどと思っています。
 と言うわけで引用するのですが、一語一句変えていないのですが、一点だけ、加えている部分があります。それは2つ目の空行の直後、
「ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年・蓮は強さを求め、」
 の下りです。ここ、もともとは、
「ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年は強さを求め、」
 なんです。
 なので、もし勝手に修正するなと思うのでしたら、頭の中で少年の名前を省いてみて読んでいただけると助かります。ここはどっちもどっちなのですが、加えた版がないと公式以外存在していないことになるので、いちおうおせっかいにも付け加えておきました。
 では引用します。


 この世界には、人間の世界とは別に、
 もう1つの世界たぶんがある。バケモノの世界だ。

 人間界「渋谷」とバケモノ界「渋天街(じゅうてんがい)」。交わるはずのない2つの世界に生きる、
 ひとりぼっちの少年とひとりぼっちのバケモノ。

 ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年・蓮は強さを求め、
 バケモノの世界へ行くことを決意した。
 少年は熊徹の弟子となり、九太という新しい名前を授けられる。
 当初はことあるごとに、ぶつかり合う2人だったが、
 奇妙な共同生活と修行の日々を重ねることで互いに成長し、
 いつしか、まるで本当の親子のような絆が芽生え始める。

 少年が逞しい青年となったある日。
 偶然にも、「渋天街」から「渋谷」へと戻った九太は、
 高校生の少女・楓と出会う。
 新しい世界や価値観を教えてくれる楓との出会いによって、
 九太は自身が本当に生きるべき世界を模索し始めるのだった。
 そんな時、人間とバケモノの2つの世界を巻き込んだ大事件が勃発する。
 みんなを救うために、自分にできることは何なのか?
 熊徹と九太、そして楓。それぞれに決断のときが訪れる――


 以上です。
 えーと(笑)、実際にご覧になった方は、こんなこと書いてあったのかと頭を抱えると思うんですね(^_^; そして話しにくいw

 まず当たり障りのないところから言いますと、このお話の少年は、人間界では蓮であり、バケモノ界では九太なんです。でもオリジナルのストーリー紹介では、蓮という名前が一言も出てこない。楓から勉強を教えてもらう時の呼び名は蓮くんですし(蓮は9歳の時からバケモノ界に居続けるので、小学校以降の勉強をしていないのです)、オリジナルの紹介文のままだと、蓮は人間界でも九太と呼ばれていることになってしまう。
 ただ、まあ、九太で統一したほうがごちゃごちゃしなくて分かりやすいというのも分かるのですね。

 またこのお話が格段に面白くなってくるのは、「渋谷」に戻って楓と出会ってからだったように思います。「渋谷」に戻ってきたときの恐怖感は、何とも言い難いものがありましたし、このお話が何を書こうとしているのかが正体を現し始めるのが、この辺りからだからです。
 その後はノンストップのジェットコースターに乗っているようで、これまで積み上げてきた伏線が次々と解き放たれて行き、ああ、わたしが好きなのはあのシーンですね。
 楓にお守りをもらうシーン。
 そして、最後の決戦で楓が叫ぶシーン。

 まあ、あんまり話してしまうとネタバレになってしまうので、やめるのですが、ああ、これはこういう意味だったのか、と次々と分かっていくのです。
 そしてエンドロールが流れ始めたときに、はじめて、第二の空行から、第三の空行までの間の出来事が、ああ、あれが楽しかったんだ、あれが一番大切な時間だったんだと、やっとわかってきて、胸に残るんです。

 というわけで、細田監督の作品が好きな方であれば、ああ、いつも通りの細田作品だと安心して観れる面白い作品だと思います。ぜひぜひご覧になってくださいね!
| 映画評 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見た!

 えっと、うるさいぐらいにみたいみたいと叫び続けてきたこの映画、ついに見てきました!
 そんなこと全然知らなかったのですが、この映画3時間5分もあるんですね(^_^;
 それでありながら、台湾で台湾映画史上空前の大ヒットという偉業をたたき出し、どうどうの日本凱旋と合いまったのですが、さすがに台湾ナンバーワンヒットは日本では売りにならなかったか。
 3時間越えという扱いにくい映画だけあってか上映館も少なく、しかも上映していても一日に一上映ぽっきりという映画館も少なくないというどうやっても苦戦を強いられる状況になりました。
 それでもわたしが行った映画館は、席が八割ぐらい埋まっていてびびってしまったのですが(わたしは普段お客の入らない映画館に行きすぎw)、エンドロールが流れて、明かりがついて客席を振り返った時に、わあ、こんなに入ってたんだとびっくりしてしまいました。
(わたしはメガネをかける前からの癖で、スクリーンに一番近い席に座り(目が悪いので)、映画が終わった後に劇場を振り返って、観客の反応チェックをするのを習慣にしているのである)

 この映画を一言でいえば、

「愛すべき野球バカたちが、ぐんぐんと愛しくなっていく、野球バカ映画」

 でしょうか。もう、かわいくてかわいくて仕方ないと、わたしの年齢になればそういう愛情を注いでしまうのは許されると思うのですが、もう愛すべき野球バカたちにきゅんきゅんと悩殺されていく映画、といえばわかりやすいでしょうか。
 もうね、かわいくてかわいくて仕方ないのです(^_^;
 こういう言い方が許されるのであれば、なんてラブリーでキュートな高校野球映画だろうと、あたまがくらくらになりました。

 ああ、なんか走りすぎですね(^_^;
 もうちょっと落ち着くことにして、この映画をもう少し冷静に見ていくことにしましょう。そうですね、まずは公式ページなどはどうでしょう。

 ■映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』公式サイト
 http://kano1931.com/intro.html


 この女の子は、なんで出て来たのか不明といいますか、いちおう自転車をこいでいる男の子が嘉義農林高校の絶対的なエースの呉くんなので、一応主人公の主人公の想い人ということなのでしょうが、映画の中でも、???という扱いになっており、なんでこの人だす必要があったんだろうなどと考えてしまうのですが、このシーンが一番台湾の自由な気風を表している名シーンだとは思います。
 というか、このシーンのためだけにいたのだろうか???
 これは、予告編でもネタバレしているので書いてしまっても問題はないともうのですが、この女の子は物語中にお見合い結婚をしてしまい、物語の終わりの方でその結婚相手の子供を出産をしたりするのです。それ書く必要があったのか? というか、ああ、そうか史実なのかなあと思うしかありません。
 ちなみに、この呉くん役をやっている俳優は、台湾球界を背負う逸材とされている人らしく(つまり著名選手なのである。現在は大学生)、このKANOに出演して野球に対する情熱を再確認したとか語っていたような。

 たぶん日本統治時代の台湾は、日本の高度成長期のような発展の時代だったらしく、だから何だと日本人が言うことはできないのですが、自由な心地よい風が吹き抜ける感じがとても素晴らしい。
 それでもこの映画は1931年のお話であり、劇中では1944年の戦争の色が濃くなってくる時代もカットバックのように入ってくるのですが、兵隊に向かう野球バカたちを見ながら、なんてもったいないことをするんだ! 戦争で死ぬのは老人だけでいい! 若者を殺すな! 戦争を始めた奴から死んで行け!
 と思ってしまうのです。
 わたしは最近、無免許運転の高校生たちが事故って死んだというニュースを聞くだけで、ああ、もったいない、きみたちは死んでいい人たちではない、と思うようになったというか、変な方向に涙もろくなってしまっているのですが、なんか変な話だ(^_^;


 ■台湾の印象、ハイテク国だとしか思っていなかったのだが・・・。

 わたしは自分でパソコンを自作するパソコンオタクなだけあって、台湾というと世界中のマザーボードの9割を生産しているパソコン国家という印象しかないのだが、この前見た『天空からの招待状』やこの『KANO』を見て、農業をとても大切にする国なんだなあと思った。
 嘉農は、嘉義農林高校という正式名称で、これは農業高校である。
 お話の中で大きな実をつけるパパイヤの逸話があったりして、しかも呉くんがこれを真に受けて大きな実をつけるパパイヤの話知っているか、などと語りかけるところなどは、もうきゅんきゅんくるw 悶絶ポイントなのであるが、またこのお話の中で、嘉義の地域に壮大な灌漑用水路が作られるお話があったりして、ああ、これ日本の貢献なのか、などとぽかんと思ってしまうのであるが、水が来るぞとお祭りの様に騒いでいる姿をみていると、ああ、いいなあ、ほんとに台湾の黄金時代なのだなあと、思ってしまう。
 こんな時代が日本にもあったはずなのだけれども、なんだろうねえ、あんな馬鹿な戦争をしてしまったから、自ら暗黒時代にしてしまった。本当にもったいない。なんで謳歌すべき平和を捨ててしまったのだろう。
 そんな羨望のまなざしを向けられる映画が、このKANOなのだ。

 この映画の魅力はどうもわたしの筆力では語りつくせそうにない。
 何時間でも、何十時間でもわたしは語れそうだし、あまりのキュートさにくらくらするシーンは無数にあった。たぶん、わたしの文章を読んで、こんなんじゃねえよ! もっと悶絶するところは大量にあったぞw と言いたい声が聞こえてくるようだ。
 だから、一人でも多くの人がこの映画を見て、自分だけのKANOを発見する機会を得てほしいものである。

 最後に、この映画は史実なので、歴史を読めば結果が分かる。
 嘉農は台湾代表として甲子園大会に進み、準優勝した。準優勝ということは決勝で負けたのだ。これも予告編に出ているのでネタバレにならないと思うのだが、絶対的エースである呉くんが怪我をするのである。
 そして最終回。
 これは予告編に出ていないで語らないでおこう。
 このラストシーンを見るだけでも、この映画を見る価値はある。
 もちろん、愛すべき野球バカたちの、悶絶するようなきゅんきゅんするキュートでラブリーな高校野球がここにはある。
 わたしはくらくらになったw
 
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 『マダム・ローリーと魔法のスパイス』をみた!

 本映画は上映館の数が少なく、わたしはターミナル駅のマイナー系映画を主にやっている映画館で見たほどで、おそらくほとんど話題になっていないと思います。
 公開二週目にして、200席ほどのスクリーンが半分ぐらい埋まる入り方。
 もう誰も注目していない映画と言ってよいでしょう。
 ですが、こうしてご紹介するのは、めちゃくちゃ面白かったから!!
 大学病院の待合室で流れていたテレビの予告編を見て、たちどころにくらくらとしてしまった作品です。支払いを待つロビーでお年寄りに交じって、王様のブランチ(だったと思う・・・)で流れた予告編にぽかんと棒立ちになってしまったのです。

 というわけで、まずは予告編から見てみましょう。
 本映画はディズニー配給で、制作はドリームワークス。
 ドリームワークス作品なので、スティーブン・スピルバーグのクレジットが当たり前のように入るのですが(ドリームワークスはスピルバーグが設立者の一人に名を連ねる会社)、映画を観終わっての感想は、これ、絶対スピルバーグががんがんに口出してるよね、と言う事でした。
 わたしの口上はこの辺にして、予告編をご覧ください。



 たぶんにディズニーマジックが入っているのと(笑)、スピルバーグ流の編集マジックが炸裂している予告編ですが、いかがだったでしょうか?
 この映画、だいたいこの予告編は嘘はついておらず、だいたいこの通りの映画で、王道ディズニー展開、そして食い物は大得意のスピルバーグの演出があちこちにちりばめられ、予告編で面白いかもと期待を抱いたのであれば、それは間違えなく裏切りません。ほんと、このままです。

 ただ、この作品が難しいのは原作小説のタイトルにあります。
 この映画のタイトル『マダム・マロリーと魔法のスパイス』には、たぶんにディズニー味付けが入っており、原作小説のタイトルは違うのです。
 『THE HUNDRED-FOOT JOURNEY』
 これが原作のタイトルです。
 わたしは英語はからきしダメなのですが(^_^; 訳すると『100フィートの旅』、でしょうか。いちおう作中でもこの言葉が出てきて、道を隔てて100フィート先の向こうに行くの?(ここは聞き取れたw) というセリフがあって、そこで30メートルと訳されていたので、ほぼ間違いないでしょう。
(ちなみに30メートルは、道の幅ではなく、ドアtoドアの距離だと思われる)

 このお話は、フランス料理の名店であるマダム・ローリーのお店と、向かいに引っ越してきたインド料理屋が衝突するお話で、予告編でも描かれていますが、インド料理屋側のコック、ハッサンが、マダム・ローリーのお店に修行に出て、その天才的な料理の才能を開花させるというお話なのです。
 その文化圏のまったく違う、フレンチとインド料理の境界線を越える旅を、『100フィートの旅』と現しているのが、この原作のタイトルです。

 このお話でまず打たれるのは、ハッサンの料理に対する情熱です。
 まあ、たぶんに恋心も加算されているのですが(笑)、フレンチの極意を知りたいと願う料理人の、料理に対する情熱が美しいのです。そして、その情熱をマダム・ローリーがしっかりと受け止め、この才能を世に送り出さないともったいない、とハッサンを一流の料理人にしていくのです。
 その後、ハッサンは「もはや逃げることはできない」立場になるのですが、これは世界中がハッサンを手に入れようとするだろうという話なのですが、この辺はネタバレになるので、控えておきましょうか(^_^;

 たぶん、ここまでの話で語っている内容は映画の2/3ぐらいです。
 もちろん、そこからの大逆転もあります。
 とくに、ハッサンがひょんなことから、インドの家庭料理をスタッフに食べさせてもらったときにいたく感動するシーンなどは心に沁みますし、大成功したハッサンはあまり幸せそうじゃないのです。

 もちろんいろいろな疑問点も多々あります。
 とくに一番大きいのは、物語上非常に重要なモチーフになっている、ウニの料理のシーンが後半ではあまりにもおざなりになっていることです。
 たぶん原作では非常に濃密に書かれていて、映画ではスピルバーグお得意の編集で、ばっさばっさと切ってしまったのではと思うのです。この辺は映画編集の功罪ですが、素のままでも2時間超のながいながい映画なので、大河ドラマならばともかく、ここまで丁寧に拾えなかった、というのはあるのかなあと思ってしまいました。
 というかラストへの導線は、サップダケ(茸です)でごまかしたよね(笑)、と無理やり感が否めませんでした。
 これは脚本にスピルバーグもクレジットされているので、スピルバーグの罪です。

 さて、悪口ばかり書くと気分が悪いので(^_^; すかっと気持ちいい部分を書きましょう。

 この映画が娯楽映画として楽しいのは、フレンチの店とインド料理屋の激しい戦いです。
 映画を見ながら、おいおいそれはやりすぎだろ(笑)と爆笑したくなるシーンはとてもたくさんありましたし、インド陣営があまりにも無邪気なのですね(笑)。
 予告編にも店の開店の時に、インド陣営の子供がイルミネーションに無邪気に拍手するシーンがあると思うのですが、かわいいなあと言うか、それじゃあすまないと思うんだけどなあと苦笑してしまうのです。
 また、あー、ネタバレが厳しいですが、あるシーンでマダム・ローリーがぽろっと、この壁は積み増したときに、市の管轄にあることを確認しているので知っているんです、とこぼすところに苦笑を禁じえませんでした。
 つまり、マダム・ローリーは向かいのお店の昔の所有者と対立していた時に、向かいの店が見えないように壁を積み増しているのですねw それはいいのかw とおかしくて笑ってしまうのですが、わたしが気付かなかった笑いのポイントもたくさんあったようです。
 と言うのは、どこのシーンだったかは忘れたのですが、すぐ後ろの席のお客さんが、爆笑したのです。わたしは、あれ、これって何がおかしいのだろうと、思ったのですが、笑いのポイントは個々人たくさんあります。
 そういう意味で、わたしが分からない部分も含めて、たぶんこの映画はとてもおかしい映画です。ただ、この映画が描ているのは、もっと深い『THE HUNDRED-FOOT JOURNEY』なのです。

 この面白おかしくて、とにかくお腹が減ることだけは間違いない映画を、ぜひぜひそのソースまで舐めつくしてくれることを、祈ります(なんで、わたしが祈るんだw)。


 PS.

 ちなみに、わたしはこの映画を見終わったのち、すぐに味噌ラーメンを食いに行きましたw 味噌ラーメンかよ!!!!



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 『思い出のマーニー』を観た!

 わたしが観たのは、地元のお気に入りの映画館で、これはこれまでなんども登場しているので説明は省略するが、立地が悪くお客さんの入りが少ないシネコンである。
 毎回行くたびにつぶれるんじゃないかと心配になるのだが、決して映画館としてのサービスや施設が悪いのではなく、単純に立地と名称が問題なのである。以前紹介したショッピングモール、ダイヤモンドシティー・ミューと同じ理由で、これにダイヤモンドシティー武蔵村山と名前をつけているようなシネマコンプレックスである。わたしはこれに対して、ダイヤモンドシティー横田とつければよかったのにと書いた。
 武蔵村山ってどこ?
 というような名称がついてしまっているのである。
 それでも、一応最寄り駅の名称がついているので、まあ仕方ないか思うのであるが、この問題を解消するには、最寄り駅の名称を変更してもらう以外に手がない。
 なので、それはどうしようもないよねえ、と思いつつも、わたしはとても交通の便がいいにもかかわらず、愛着を持って利用している「穴場の映画館」なのである。とにかくつぶれないでくれと、心配ばかりしながら(笑)。
 そんな、無敵の「絶対座れる最高のサービスの映画館」での鑑賞なので、観客の入りは20%も席が埋まっていればいいほう。これはまったく参考にならない映画館なので、その点だけは考慮してほしい。

 閑話休題。

 『思い出のマーニー』は、たぶんうまく評を書けた人がないのでは、と思ってしまう映画である。それは、映画の内容が難しいからではなく、この映画がながいながい時間をかけて消化していくべき映画であるからだ。
 おそらく、今わたしが書く評よりも、20年後に思い起こして書く評のほうが優れているだろうと、確信を持っていえる作品だ。
 一生残るであろう、ひと夏の思い出を描いたのが、ひと夏のファンタジーを丁寧に描いたのが、この『思い出のマーニー』である。それは年をとって、その夏を思い出したときに、はじめてそのきらめきが、忘れがたい思い出としてなんどもなんどもリフレインしてくるのがこの映画なのである。
 この映画を観ることができた、中学生の少年少女は幸せである。
 一生、そのマーニーとの思い出とともに生きることができるのであるから。
 この物語は、そうやって消化していくべき作品であって、今を生きているわたしや、たくさんのこの映画を観たひとたちの20年後の評が読みたい、そう思ってしまう映画であるのだ。すくなくともわたしは20年後のじぶんの評が読みたくて仕方ない。

 野暮なことを書きたくないと思いつつ、どうしても触れてしまうのは、マーニーの最後の秘密である。
 ここに至るのはおそろしいぐらい丁寧で、正直言うとマーニーの初登場で、わたしにはその秘密がわかった(あれ、初登場のときあれは出てたよな、と思いつつ)。丁寧に、丁寧に描かれている物事を拾っていくと、その温かい全貌が見えてくる。
 もちろん、この映画では丁寧にそこまでやわらかく迫っていくのであるが、あ、ここでわかったんだ、と思っていただければ、この作品がどこまでも丁寧に描いているかがわかると思う。野暮になりそうで怖い。話を変えよう。

 ヒロインである杏奈は小児喘息をわずらわっている。
 わたしも小児喘息をわずらわっていた時期があり、その描き方には衝撃を受けた。はじめての発作(?)が起こったとき、あ、こいつ喘息だ、と気づいたほどである。具体的なシーンで言えば、序盤の児童公園でスケッチをしている杏奈が先生にスケッチを見せようとして、突然に咳き込むシーンだ。
 こんなに丁寧に小児喘息を描いた映画は観たことがない。
 たぶん、これが喘息の症状であると気づいた人はほとんどないであろうと思う。あれぐらい、喘息持ちは繊細だ。もちろん、今のわたしは完治しているし、21世紀の現在では医学的な治療法が確立している。
 なので、喘息持ちの子が田舎に療養することで完治したという誤解を生みかねない構成は非常に抵抗があるのであるが、喘息は医学的に完治する方法が確立されている。わたしもそれで治ったのであるし、あの苦しみから多くの人が解放されてほしいと思う。
 わたしは、こんなことを書くのはなんだが、両親に「お前は立場が悪くなると、喘息の発作が起こるからずるい」といわれたことがある。それはなにも責め立てられるべきことではないし、正直な感想であったと、今では思う。
 喘息は、非常に難しいことに、ストレスと関係がある。
 杏奈が、喘息から解放されたのは、医学的な治療法を受けていないのであるとすれば、じぶんが継子であるという、じぶんが世界から隔絶された人間であるというストレスから開放されたからだ。 
 空気がよかったからではない。
 その点はわかってほしい。
 現代医学は、この難しいアレルギー性の喘息を克服している。
 具体的には、乾燥ステロイドの予防薬の常用である。
 この先の説明は、医者に任せよう。わたしよりも具体的に知っているはずだと思うからだ。喘息は、現代医学を信じさえすれば、余計なことをしなくても治るのである。
 すくなくとも、田舎での療養は必要ない。

 話が大幅にずれたのはわたしのせいなのかともいつつ(笑)、この話を日本を舞台にしたのは、非常に優れた判断だったと思う。たぶん、原作ではここがおそろしく苦しかったのだろうと思う。わたしは原作を読んでいないのであるが、マーニーの最後の秘密がわかりやすくなるには、これしか手がなかったのだ。
 手に取るように、原作の苦しさがわかる。
 なので、この作品は『思い出のマーニー』の完全版である。
 それぐらいよくできている。
 それだけで、賞賛してよい。
 もちろん、おそろしいぐらい丁寧に描かれたシーンは、一生ものである。
 でも、わたしは今のあなたの言葉を聴きたくないのだ。
 20年後に、聴かせてほしい。
 わたしは、20年後のわたしの言葉が読みたい。

 こんなものでは足りないと思って、書き足す。
 果たしてマーニーはなぜ現れたのだろう。
 これはたぶん書いている本人もわかっていないと思うし、それは簡単に説明できる。
 望んだから、現れたのである。
 無粋なことは書きたくないし、どんだけ説明する言葉がみっともない言葉になるだろうと思うし、これを読む杏奈に伝えたい言葉ではない。それぐらい繊細に描かれていると、思ってほしいのだ。
 このひと夏の奇跡を、ただ純粋に味わってほしい。
 もうそれでいいじゃないか。
 これをぶち壊す、無粋な人が多すぎな気がして、わたしは残念だ。

 わたしはこれがいい。
 これでいいじゃないか。

 20年後のあなたの感想を待ってる。




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