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 コスティキャンのゲーム論を読んでみる → あれ、あんまり問題ないかな?
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 TRPGにはどうしてもこの「コスティキャンのゲーム論」が出てくる(ググッてね)。
 久々に読んでみたのだけど、あまり問題がない内容で、肩透かしを食らった気持ちになる。
 というか、論点を提供しているだけで、主張は少ないし、逃げ道も用意している。


 ■ストーリーとゲーム

 たとえば、ストーリー。
 ゲームはストーリーではないと書いている。これを逆手に取って、ストーリー重視派を攻撃する材料によく使われるのだが、よくよく考えてみると、これはまったく次元が違うことを話している。
 これはたぶんストーリーというものの概念を取り違えている、ことが原因。

 これはわたしが本家で書いた。
 ■物語の新しい定義をひろった
 
 これはグーグル論をやっている際に、わたしがこの分野の最も優れた識者と思っているジョン・バッテルの著書『ザ・サーチ』のなかで出てきた文章に、感銘を受けて書いたものである。
 バッテルは書く。

 P375
 「物語とは、旅をして(ページからページへの旅をして)、その旅を持ち運べるものにする方法である。これによってわたしたちは、旅をほかの人と共有できるのである」


 わたしには、なぜバッテルがこの見識にたどり着けたが分からない。
 そうなんだよね、古典を沢山読んでいると、この言葉がぐらぐらと心を揺さぶる。
 つまり物語とは、オデッセイヤであると。

 とても簡単に噛み砕いて言うと、物語とは、
 「○○はこうだった」
 と事後的に語るものであるということ。
 バッテルは簡単にその経過を「旅」と記載している。
 原文に当たってないのでアレなんだけど、Storyというといかにもメイクするものに感じるけど、物語は事後的に振り返ってどうだったという語感に感じられる。
 つまり
 旅の内容を誰もが共有できるようにまとめたもの → 物語
 というわけだ。

 でコスティキャンに戻ると、ストーリーは事前に決められたものというニュアンスで描かれている。一般にストーリー重視派と弾劾される人々は、事前に決められたストーリーに従いたいわけではない(当たり前だ)。
 のちのちの語り草になる旅をしたいだけなのだ。
 アメリカ旅行するのに、効率的なコースを追求するのはあんまりどうかの旅だと感じるだろう。途中で、テキサスに寄り道したくなるだろうし、別にニューヨークは見なくてもよいかも知れない。
 それよりも大切なのは、どれだけ旅が豊かであったか、であろう。
 これはプレイヤーがそれを望むなら、それを提供するのがマスターの仕事であると、わたしは考える(わたしのいうマスターは職業人としてのマスターが存在するならばという仮定で抱えている<あ、一応プロだったので。これはゲームクリエイタもプロなので、共通する部分であるかも)。
 どう、多数のプレイヤーを統治していくかの問題であって、ストーリーを押し付けるものではない。要は、よい経営者であるためには、どうあるべきなのか、みたいな話で、参加する旅人たちの満足度を最大化するにはどうすればいいか、という話なのだと思うのだけど、どうだろう?
 (念のために言っておくと、わたしはアメリカが大好きだ)

 で、コキャスティンが大きく誤解していることがあって、それは最も美しいストーリーは計算されつくしたもの以外にありえないと考えていること。
 バッテルに戻ろう。
 わたしは逆に思う。
 そもそも、計算されつくされた「フィクションでない」ストーリーなどあるのだろうか? プレイする以上、そこに自由さが保障されているのであれば(そこがアメリカであるなら)、物語が事後的に生ずるものであれば(プレイするなら当然事後的に発生するのだけど)、それは旅人の心の中に個々に体験として残るものであろうと思うのだ。

 たぶんこれは、絶対的価値と相対的価値の軸でまったくずれているのだと思う。
 わたしが重視するのは相対的な価値の方で、価値判断はプレイした人の体験がどうであったかで判断すべきということ。
 なので、わたしのゲームの定義は、
「判断を楽しむために作られたもの」
 であって、判断を楽しめたか楽しめなかったかで、ゲームであったかなかったかを定義する。なので、ある作品が、Aさんにとってはすばらしいゲームであって、Bさんにとってはまったくもってゲームでない、という状態が存在することを当たり前と考える。
 これは非常に便利であらゆる現象がこれで説明できるので、使っているのだけど。

 ちなみに、コスティキャンは、ゲームブックについても語っている。

 ともあれ、もしハイパーテキスト小説が文学的な高みに達したら(もっとも私が読んだ限りでは、そういうレベルの作品は全く無かったけど)、それは新しい物語叙述手法、もはや「ストーリー」と呼ぶことは出来ない何か別のものを生み出すに違いない。


 これはもうちょっとしたら実現しちゃうので、待ってて頂戴。
 たぶん、コスティキャンの想定していたものとはまったく違うものになりますよ。
 グラフ構造を持った自律発展する物語叙述方法になるのか?
 うーん、物語叙述ではないんだなぁ。
 わたしが持っているシナリオという概念が、かなり、上位にあるメタな概念なのだろう。この概念は、ソードワールドからずっとある概念なのだけど。ここがエポックメイキングだったんですね・・・。ソードワールドは、その革命的な概念を次々と導入していることをあまりにも評価されなさ過ぎる気がする。

 シナリオとは何かと言われて、コスティキャンに一番分かりやすく伝わる言葉はこれだと思う。
 つまり、ディプロマシの初期配置ですよ。
 マキャベリで言うところのシナリオですよ。
 ただし、プレイ開始後に開示される情報もかなりあるので、シド・マイヤー謹製のレールロード・タイクーンのいうところのシナリオですよ。
 たぶん、これが一番分かりやすいと思う。
 で、このプレイ後に開示される情報が初期配置よりウェイトをおかれているという感じ。もちろん、このシナリオは計算されつくして作られているけど、プレイヤーの意思決定は束縛しない。大恋愛の最中に二次大戦が始まるなんて、設計の場合は、ある程度束縛しているような気がしないでもないけど、どうなんだろう。

 うーん、何の話がしたかったんだけ?
 あー、資源管理だ。


 ■資源管理? うーん・・・。

 コスティキャンの主張は、資源管理こそが複雑な意思決定を保障する、ということ。
 これは、ちょっと首をひねらなければならない。
 資源管理が何を意味するのかが、自明ではない。
 (法学では、定義する際に、自明性が要求されるのです)

 たとえば、わたしがあんまりよろしくないと感じているのがヒットポイント。
 以前も書いたとおり、ヒットポイントを導入してしまうと、物語叙述に甚大な被害をもたらす。ヒットポイントが7減ったという言葉は、その後、それをどう物語叙述に反映していいのか、分からないのだ。
 ルーンクエストでは、部位別にHPを設定しているが、これは戦闘用のルールだ。
 もちろんTRPGは戦闘を楽しむためのものと考えるのならいいのだけど、たとえばブルタークを読めば自明なとおり、そもそも英雄伝に部位別のダメージなど記載していない。つまり、ブルターク英雄伝においては、ヒットポイントは意味をなさないのだ。

 たとえば、キケロの人生をプレイすることはとてもドラマチックで、すばらしくゲーム的な経験だと思うけど、それを実現しようとすると、たぶん、現行のTRPGにはそれは出来ないと思う。
(注:ここでキケロを取り上げているのは、ローマ帝国が共和制から帝政移る激動の時代に、もっとも波乱に満ちた人生を戦闘無しで経験している人物だから。そして、わたしが一番大好きな人物だから(笑)<人間的な弱さを、明らかにする人がとても好きなんです)

 TRPGは、わたしは、戦闘用のマシンと化しているように見える。
 どうも、ドラマを旅する体系ではない。
 キケロにおける資源管理とはなんだろう?
 わたしは資源管理などせず、グラフ構造の陳述で済ませた方がよい気がする。
 それを自律的に発展させればよい。
 十分に興奮に満ちたドラマを旅することが出来るし、単純だし、わかりやすい。

 コスティキャンの主張にしたがって、キケロをプレイするゲームを作ったら、とてつもなく退屈なゲームになると思うのだがどうだろう?

 つまり、世界史上最もゲーム的で劇的で、英雄に満ち、激しい時代を、再現できないのである。
 ゲームブックはできる。
 単純なグラフ構造を持ったハイパーテキストなんだけど。

 あ、そうか、反論はこれで足りた。
 ディプロマシーに資源管理はない。
 一撃だったか。
 将棋にも、チェスにもない。


 ■その他

 あとのところはあんまり問題ないかなあ・・・。
 「情報」のところは、確かにそのとおり。
 「相互支援と交渉」のところは、CGMの時代を織り込んでいない(当たり前)。
 「感情移入」のところは、なんとコメントしたらいいのだろう。マーケ屋は一番簡単に利用できるのでほいほい利用する。ソニーブランドに対する感情移入みたいな。感情移入は使うもの。
 「ロールプレイ」も同様。利用対象。
 「劇的な盛り上がり」はゲームバランスの話をしている。

 以上。


 ■まとめ、というか書いて分かったこと

 ゲームトークンの初期配置+事後的に開示される情報+事後に登場するゲームトークン
 =シナリオ

 シナリオをプレイした結果生まれるもの = 物語


 ということを、これまで誰もわからなかったということなんだろうか・・・。
 ちょっと悲しくなる。


 追記:

 こんな馬鹿なことも分からなかった、論者は死ね。
 老害だ。
 わたしは容赦がない。<それが特徴だ。
 てめえらは自律的な発展が出来ない、単なる、害悪だったんです。
 それを明らかにしました。
 これに時間がかかったことに、非常に強い悲しみを覚える。


 追記2:

 ちょっと言い方が、厳しすぎた・・・。
 こっちの言葉の方が、たぶん適切だ。
 頭が悪すぎる。
 害悪を撒き散らしている、頭の悪さだ。
 この話は、たぶん、返す刀で、経済学に対して、本質的に主張しなければならない話だろうけど。

 ゲーム理論は、ナッシュがあまりにも非協調の世界で天才的すぎる才能を発揮したおかげで、協調ゲームに対して、まったく議論が進んでいない。
 そのおかげで世界の論調がおかしな方向に行っている。
 アメリカの論客は、片っ端からハックされて頭が悪い状況に陥っている。
 これはナッシュの功罪なんだろうか?

 わたしはナッシュを読む人間の頭の悪さのような気がする。
 非協調ゲームがあるなら、なんで、協調ゲームの体系があるはずだと思わないのだろう? 紙に非協調ゲームと書けば、協調ゲームがあることは明らかだ。人類というのは、こんななチンパンジー並みな知性もないのだろうか?
 ハイエク周りは、サルの集団なので、一発で論破できそう。
 この人たちは自分を恥ずかしいと感じる羞恥心がないのだろうかと考えてしまう。

 わたしが、お勧めするのは、人類は頭が悪すぎる、と決め付けて、改良に勤しむこと。
 疑いを持って、すべてに臨むこと。
 世の中は、頭の悪さに満ちていて、ずっと改良を待っている。
 自分の信じた道は、成果が出るまで突き進むこと。
 きっと、とわたしは思うのだ。
 きっと、誰かが言ってくれる。
 「こいつのやってたことは、頭が悪すぎる」
 そういうことを言ってくれる、頭のよい人間が現れることを、わたしはずっとずっと待っているのだ。そういってくれる人が現れてはじめて、わたしは成仏できるのだし、世の中が健全に自律的な発展をすると信じて、この世を去れる。

 この辺は、特許の精神か。
 特許はあまりにも語られていなすぎるかな・・・。
 中国は、高校生に、産業界の発展の歴史を教えるらしいけど。
 その辺の知性的な部分を再編したら、とんでもないことが起こりそうなことは、間違いえないかもと思いつつ。
 どのように発展していくかの話なのです。
 特許は、世界でもっとも強固な、発展を保障する制度だと思ってしまう。
 社会主義よりも、資本主義よりも、強固な最強の思想が、たぶん特許だと思う。
 そのうち、オープンソースと大戦争が始まるのは間違いなさそうだけど、どうなるんだろう、今後500年ぐらい。
 わたしは旧体制側の人間なので、頭が悪すぎるといわれないように、気をつけよう。
 
 ゲームはさりげなく世の中に影響を与えたりするので、注意が必要だったり。
 コキャスティンなんて、世の中的にはだれも知らないはずなのに、さりげなく、発展を阻害する害悪になっていたりするんですね・・・。
 と、書きながら、地道に世界を掃除。

 あ、そうか。
 わたしは、こういいたいのだろう。
 ゲームに取り組んでいる人々は、次の世界を作る思想を担っていることを認識して欲しい。そのために勉強を沢山してほしい。たとえば、法学ぐらい究めて欲しい。勉強しなければならない分野は、物凄い沢山あって、それをしない限り、別分野の勉強をしている人間に、赤子の手をひねるように、のっとられる。

 とても沢山の知性が入り混じっているのが、ゲームの世界なんですよ!

 追記3:

 わたしの言っていたことにちょっと語弊が合った。
 協調ゲームとわたしが言っているのは、制度的に全員に同意がある場合を言っているのだったりする。つまり裏切り行為をとった場合、制度的な制裁がある場合のことを言っている。
 これは言うまでもなく、法学的な視点。
 法的には、制度的に裏切り行為は「出来ない」んですよね(笑)<できないのか、できなんだあ・・・。
 契約を破れば、契約不履行で有罪、損賠賠償請求ですから・・・。
 裏切ると、法の制裁が降りかかってくる。
 というか大きな契約不履行一個の時点で、社会復帰は難しいでしょう。

(念のため経済的失敗と契約不履行はまったく別概念。破産は契約不履行ではない。ん? 破産は契約不履行でないのか? えーと、おお、わたし破産法読めるなあ(笑)うーん、破産法は債務者を救済する法律ですね。「この法律は、支払不能又は債務超過にある債務者の財産等の清算に関する手続を定めること等により、債権者その他の利害関係人の利害及び債務者と債権者との間の権利関係を適切に調整し、もって債務者の財産等の適正かつ公平な清算を図るとともに、債務者について経済生活の再生の機会の確保を図ることを目的とする。」なので、破産手続きをすれば、破産法で守られるのか。<勉強中(笑)。損害賠償請求はなし。なんで破産法の勉強してるんだろう(笑))

(ん? 契約不履行になったら、どう流れるんだ(笑)うーん、民法へいっちゃうなあ・・・。民法は不動産取引が多い。特許法の場合は、債務不履行で損害賠償請求か・・・(二重譲渡を想定中)。共有にかかる場合の冒認出願はどうなるっけ? えーとストレートに38条で、無効ですか? んー、最判例があるなあ・・・。うーん、持分の移転登録になっている。念のため、判決文を探そう・・・。あー、これはやったなあ。あれか。結局真の権利者の保護を優先したんだけど、冒認者に制裁はなしか。あー、ない場合もあるのか)

 まあ簡単に言うと、契約不履行に陥ると(つまり法的に裏切ると)、結局損害賠償請求で、結局その損害を賠償しなければならないんですね。つまり裏切っても、法が正常に執行されていればどんなにがんばっても得にならない。
 つまりゲーム理論の前提が崩れてしまうのか。
 というわけで、ゲーム理論では、現在の世界を描けないわけか・・・。
 法があり、契約があれば、その時点でゲーム理論の段階ではなくなる。
 経済社会は契約が前提で動くので、ゲーム理論で描けるのは契約に至るまでなのですね、というか契約に至るまでも、結局法をベースにして、動くのだけど・・・。
 ゲーム理論の協調ゲームは、契約を結ぶまではえっちらおっちら行くのだけど、契約後の各者の動きは考慮していないのかな? というか契約がないと経済活動がほとんど出来ないに等しい(たとえば雇用契約<ここで労働法が出てくる)ので、やっぱ、ゲーム理論はほとんど意味がないという気がしていた。

 ここがおかしくなっている原因か・・・。
 それに、新自由主義と法がぶつかっている理由も分かってきた・・・。
 こういう簡単なことも誰も書いてくれないのか・・・。
 この観点に立つと、だいぶ理解できるはず。
 新自由主義は裏切りにたいして、法的制裁は与えないべき、なのか?
 というか、法を考慮しているとは思えないし・・・。
 そしてもちろん、誰でも裏切り上等な話なのか。
 もちろんわたしは法の側の人なので、違法→法的制裁が当たり前なのですが。

 そのうち、この辺はちゃんと論理的に、完膚なきまでに叩きのめし、ゲーム理論を部分的に無効化するエントリーを書いておこう・・・。

 というか、誰か書けよ(笑)。
 給料もらってる誰でもいいからさぁ・・・。
 わたしは物語がやりたいんだよ・・・。
| 物語研究 | 15:36 | comments(0) | trackbacks(0) |









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