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 「去年を待ちながら」 シリーズ(?) ディックを考える
 分館であることをいいことに適当に書き散らしている本ブログであるが、グーグル先生がなぜか、このブログをシステム開発系とお認識されているようで、非常に悔しいので、ハードカバーSFが当ブログのスポンサーになってくれるよう、書評を突っ込んでいこうと思う。


 ■マニア層と一般層で全く認識が違うディック

 フィリップ・k・ディックといえば、おそらく現段階で最も本が売れるSF作家であると思うのだが、マニアと一般人では全く頭に描いているディック像が違う。

 ディックが有名になったのはその作品が映画化されてからであり、それまでは全く売れず、生活に苦しんでいたようである。
 映画化されたのは次の作品。
 ・アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(ブレードランナー)
 ・追憶売ります(トータルリコール)
 ・マイノリティーリポート(マイノリティーリポート)
 といった感じ。
 ディックマニアからしてみれば、重要な作品がぜんぜん出てないじゃないか、という話になるのだが、本質的にディックの傑作作品は映画化しにくいのではと思える節がある。

 一般に認識される代表作は次のような作品になると思う。
 1.アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
 2.高い城の男
 3.パーマー・エルドリッチと三つの聖痕
 4.流れよわが涙、と警官は言った
 5.暗闇のスキャナー

 1.と5.は映画化されているのだが、中位は非常に映画化が難しそうである。
 しかしと、ディックマニアは思う。
 ディックの傑作は、この辺じゃないんだよね、と。
 どっちかというと、ここに並んでいるのは分かりやすい作品であるのだ。


 ■マニア層は別にオタッキーな話をしたいわけではない

 一般の人とディックマニアが、ディックの作品を語ると、必ずといってよいほど、その見識が全く違ってしまう。
 これはとても不思議なようであるが、この原因を探ると次のようになる。

 ・ディックマニアになるまでの典型的な流れ

 1.映画を見て、超代表作を読み始める。
 2.超代表作を読み終わって、代表作を読み始める。
 3.この辺りで、映画を見直してみて、あらあら、わかってないんじゃないの? と思う。
 4.代表作を読み終え、この辺りから短編もあさり始める。
 5.短編と平行して、市販されている本を読み始める。
 6.この辺りで代表作を見直してみて、あらあら、わかってないんじゃないの? と思う。
 7.市販本を読み終え、今度は絶版本に手を出し始める。
 8.古書店に行き、一冊5000円とか暴利な値段がついているのをなんのためらいもなく買い始める。
 9.この辺りで市販本を見直してみて、あらあら、わかってないんじゃないの? と思う。
 10.ついに邦訳本を全部読みきり、仕方ないので、もう一回代表作を読み始める。
 11.読みきったオタッキーな知識で読み始めると、全く違う本のように感じてくる。
 12.そのさらに磨きがかかった知識で読み始めると、全部の本が全く違うように思えてくる。
 13.そして、さらに・・・以下略

 わたしはガンダムオタクであるが、別にわたしは、ガンキャノン量産型のジェネレータ出力のおかしさについてしたいと思うことはない。ギラドーガの系譜的な話は非常に楽しい話なのだが、各年代ごとのスラスターの出力向上曲線をグラフ化して、そのおかしさについて語りたいと思ったことは一度もない。

 しかし、ギラドーガの話をしてしまうと、どうしても、
「スラスターの形状から見ると、おそらくこの系譜は・・・」
 などと、一般人にどん引きされてしまうようなマニアックな部分に話が及んでしまう。これは単純に知識が枝葉まで及んでしまっているため自然に出てきてしまうことであり、別に、全モビルスーツのスラスター形状ぐらい分かっているよね? といいたいわけではない。
 第一、ガンダムのモビルスーツのデザインをしている人々が、全モビルスーツのスラスター形状を熟知の上で、デザインをしているわけではないことぐらい、分かっている。
 別に重箱の隅をつつきたいのではなく、そうやって理解しているため、一般的な話をしようとすると、自然に出てきてしまうのである。

 ディックの話もこれに類似するのだが、SFはモビルスーツとは違い、知れば知るほど見える世界が変わってくるから、厄介である。


 ■一般人とマニアの間に摩擦が起こるわけ

 こういう構造の中、一般人が高い城の男を語り始めてしまうと、マニアは苦々しく眉をひそめるしかない。マニアにしてみれば、高い城の男は非常に分かりやすい話ではあるのだけど、ディック度が薄く、よりディック度の高い作品を読んだ後に読み直すと、全く違う作品に読めるからである。
 そこで、マニアな人々は、つい、うっかりと、なぜそれが薄いのかを説明せずに、どう考えても一般人には濃すぎる本を渡してしまう。
 もしくは、もっと無思慮に、「去年を待ちながら」を読んでから、高い城の男は語ったほうがいいよなどと、どう考えても一般人いじめとしか思えない言葉を吐いてしまう。
 よく考えてほしい。
 目の前にνガンダムを語る初心者がいる。
 フィンファンネルについて、語るにはビグザムから話さなければならないのは明らかであり、エルメスから、キュベレイ、クインマンサにいたる系譜を話した後、αアジールに至り、ようやっと、ギュネイとのあの対決シーンを語れるようになるのだ。
 ましてや、ガンダム、Zガンダム、ZZ、Sと進んできた(いやー、凄いですね、さっぱり分からないだろうなあ。Sはスペリオールガンダムですね)ガンダムの系譜読み解き、その進化の構造を理解したうえでなければ、νガンダムに冠せられた、歴代ガンダムの最大公約数的ガンダムという言葉の理解は出来ないだろう。
「だから、νガンダム好きなんだよねぇ〜。」
 と、この言葉が出てくるまでの、膨大な情報があるのだ。
 なので、一般人に、
「フィンファンネルって、なんであんなに大きいんですか?」
 といわれると、ぐわー、と頭をかきむしり、とりあえずこれから見ろと、初代ガンダムのDVDボックスを渡してしまうのである。
 この典型的マニアが言いたいのは、ビグザムとエルメスを見てからだな、といいたいのである。

 この辺の話は、本家でちょっとだけ書いた。
 ■ 短編集と、オリジナルテープと、ソーシャルネット
 

 なんか凄い話が長くなってきた・・・。


 ■「去年を待ちながら」は本人的にも傑作

 ディックは、実は自分で自作の評をしているので、これが非常に参考になる。
 たとえば、酷評しているDr.FUTURITYの評はこんな感じだ。
 
 こいつはただのクズだ。金をかせぐためだけの小説だ。このころのSFなんて、みんなそういうものだったんだ。読者はごく限られていて、アイデアは使い古されたもの、技術は皆無。ほんとうにすぐれた作家は、こんなジャンルにはやってこなかった。新しい血はなかった。過去の偉大な作家たちは、死ぬか、でなければ過去の作品の再生産に堕していた。

 非常に耳が痛い。

 去年を待ちながらはディック自身も絶賛している。
 
 わたしはある意味で、ムッソリーニを尊敬している。この本に出てくるジーノ・モリナーリは、ムッソリーニがモデルになっているんだ。ムッソリーニはとても立派な男だと思う。彼の悲劇はヒットラーに影響されてしまったことだ。しかし、そういう人間はたくさんいるじゃないか。ムッソリーニだけを責めるわけにはいかない。『去年を待ちながら』はじつによく書けた小説だと思う。ほんとうに気に入っている作品だ。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』もそうだがね。


 ここまでこの文章を読んできた方は、おそらく気付くはずだ。
 電気羊は有名で読みやすいけど、去年は無名で読みにくくない?
 ちがうちがう!
 電気羊は読みやすく書かれているけれど、本当に書きたいところはすごい深いところにあるんだよ!
 代表作から無名作に移り、また代表作を読むと、全く違って見える理由はここにある。
 ディックは徐々にその濃さを増していきながら、濃すぎると、分かりやすくしたりと、行ったり帰ったりをしているのである。
 書いているテーマは、大枠ではほとんど変わらない。
 ただ、それがどんどん深化していくのである。
 しかし、読み手がいるので、表面上は難しくしないだけなのである。


 ■ディックの言葉にやられる理由

 ディックは映画がヒットするまで、貧乏で生活にも苦労していたようである。
 出版社に安く買い叩かれたりと、とにかく悲惨なのだが、その苦労の中で、人生をどこかであきらめ、そしてあきらめきれず、最後の最後は自業自得で身体を壊して死んでしまうのだが、その中で拾ってきた見識というのは、正直びびるところがある。

 たとえばわたしはローマ史が非常に好きなのだが、その中でもスベトニウスが大好きである。しかし、塩野七生にいわせれば、それよりも高尚なブルタークでさえ、迷信に振り回されると酷評し、スベトニウスなどはゴシップ作家でもあるかのように見ている節がある。
 そりゃ、現在の視点で見れば、スベトニウスのゴシップ大好きぶりは、全く無節操に思えてくるが、わたしはそこに描かれた、醜いこともある権力者の姿が、胸に迫るように思える。

 同じような理由で、わたしは毛沢東の私生活も好きなのだが、その清濁に飲み込まれた強欲な権力者が、度重なる危機に陥りながらも、ひらめきの輝きを見せ、克服していく姿を見ると、わたしは決して近寄りたくはないのだけど(巻き込まれて不幸になるので)、こういうものかと人間を見るようになる。

 翻って、ディックの去年を待ちながらには、同じような人間臭のする、権力者が登場する。モリナーリであるのだが、わたしはこの愛すべき人物が、ディックの妄想ではなく、ムッソリーニをモデルにしていることを知り、驚愕するのだ。
 ディックは、そういう人間はたくさんいるじゃないか、とさらりと言う。
 わたしがこれまで読んできた、人間観を、透かして見られているようで、少し背筋が冷えるのだ。
 ディックの作品に登場するヒーローは醜いこともある人間として登場する。
 その清濁に飲み込まれた一人の人間として、言葉をわたしに投げるので、わたしはそれに参ってしまうのだ。

 去年を待ちながらのタイトルになったセリフを引用しよう。
 
「自分のちっぽけな人生が、横やうしろではなく、前にあるんだということを忘れてしまっているのじゃないか? 去年が戻ってくるのでも待っているのかね?」
「おっしゃるとおりです。ずっと去年が戻ってくるのを待っていました。でも、どうやら戻ってはこないようです」


 ディックという人間はこの一言を言いたいがために、壮大な設定と大掛かりなアイデアを持ち出し、物語を作って見せるのである。


 追記:

 本エントリーは2007年2月付近に、勃発した、新参SF者と古参SF者のディックをめぐってのやり取りに触発されて書いたものです。

 この追記を書いている2008年7月においても同様のやりとりが発生しました。これはどうも構造的に、ディックの作品において発生しやすい問題のようです。ちなみに、1995年当時のniftyのSFフォーラム、FSFにても同様の騒ぎが起こったのを思い出しながら、これは書かれたものです。

 該当ページより、トラックバックをいただいたようなのですが、たぶんこのJUGEMの仕様上の問題で正常に受け取れていないようです。ですので、こちらにリンクをはっておきます。

 ■SFなめられますた - みねちんにっき
 http://d.hatena.ne.jp/minechi_n/20080703/1215100021


 ご紹介、ありがとう。

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