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 吉本隆明『物語の現象論』を読んで

 こんばんわ、hikaliです。
 前回まで長々と続けてきた、吉本隆明『物語の現象論』の解読ですが、今回はその感想回となります。
 と、言っても何か確固とした予定があったわけではなく、いま真っ黒のテキストエディターを眺めながら、どうすんべ、と考えている最中だったります。
(わたしは、MS-DOS時代の慣れから、黒いバックに白い文字という環境で書いていたりします。やってみるとわかると思いますが、文字が暗闇に鮮明に浮かび上がり、文字だけに集中できるのです。これが白いバックだとどうしても周囲にカラフルな色彩を塗りたくなってしまう(笑))
 それでぼんやりと考えたのは、わたしの意訳を読み返しながら、そのときに何を考えていたかを思い出しながらサマリーを作っていく、というのはどうだろう、ということでした。

 ■わたしの4回の連載はこちら


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 3/4?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196008


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 4/4
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196009


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html




 わたしは正直、自分がどう考えていたかなんかはまったく興味が無いのですが、たぶんお読みいただいた方とわたしの間の考え方の差異が、吉本隆明の原文が持っている豊かさを際立たせると思うのです。
 わたしの意訳は、どうしてもわたしはこう読んだ、という独善的な見解になりがちです。そこには対話がないので、取り付く島がまったくなく、一方的にどうしてもなります。まあ何か御託を並べても説得力がないので、やってみましょう。
 どうなるんだろ(笑)。


 1.「語り手」はどこに位置しているのか

 この辺は、混沌とした文章に、うわーと頭をかきむしりながらざくざくザクザクと文章を削りまくっていた印象しかありません(^_^;
 ただ、削りきった文章を、最後まで読んだ知識で読み直してみると、出だしとして言わなければいけないことは全部書かれていて、あれ? 吉本隆明ってすごいな、と思う論旨の一貫性があります。
 繰り返しになりますが、これをわたしが削りまくって書いていたときは全体像なんてまったく見えていなかったのです。なので吉本隆明の原文にそれが内包されていて無駄なく書かれていたことになります。
(それを的確に要約する能力はどうもわたしにはあったようだ、ということにはなりますが)

 ここで語られる「語り手」でわたしが想起していたのは「イーリアス」でした。
 わたしは一度、「イーリアス」というのは、ご先祖様が戦ったトロイア戦争を逐一書き記したもので、それを聞いていた聴衆は、あ、自分のご先祖様が活躍してる、と心ときめかせるものだったはずだ、書いています。なので、最古の傑作叙事詩の聖書のように扱われると、
「あー、いや、そこにきみのご先祖様出てないでしょ!」
 と、なんか変だな、そういう書物じゃないんだが、という気にはなるのです。
 これと対比できるのは、小泉八雲の「耳なし芳一」です。
 この怪談は盲目の琵琶法師である芳一が歌っていた相手は、壇ノ浦で死んだ平家の怨霊だった、という話になるのですが、芳一は琵琶法師ですから、歌っていたのは、平家物語になるのです。
 つまり、ホメロスがギリシャ人たちに「イーリアス」を歌っていたのとまったく同じ構図。芳一は、自分にひどいことをすることになる、平家の怨霊たちに、その末路語っていたのです。芳一がひどい目にあったには、そのひどい物語を語ったからではなく、寺の住職に言われて、弾き語りをしに行くのをやめたからです。
 平家の怨霊たちは、どんなに残酷な結果になる物語であっても、それを聞きたかったのです。
 なんかこういう話をしだすとキリがないですね(笑)。


 2. 『源氏物語』における「語り手」

 このパートは書くことがないかなあ・・・。
 現在の散文の技法は、シーンを切るときにいちいちその理由を言わないんですよね・・・。吉本隆明も後半の方で言ってますが、スイッチを切るようにブチブチと切ってしまうんですよね。これは映画の影響だと思われます。
 実際の映画はもっととんでもないことなっていて、大ヒットした「君の名は。」などは、制作資料を読んでいると、映画に0.01秒単位の絵コンテを描いていて(たぶん言っている意味が不明だと思いますが)、楽曲提供者に0.01秒単位で曲を作ってくれと言っているという意味不明の世界になります。
 これはマッドビデオという世界の手法で、多分一番著名なのは、エヴァンゲリオンというアニメの、オープニング主題歌アニメが、だいたいあれがマッドビデオ、というと分かる人にはわかります。
 もっと知りたいというのであれば、参考資料を示しますので気軽に言ってください。たぶん見ないとわからないです。
 閑話休題。
 さっさと次に行きましょう。


 3. 『源氏物語』が提起したこと−「語り手」・作者・登場人物の分離

 ああ、ここで、作者がどういう意図で書いたか、と読者がどう読んだかの隔絶が生まれる話が出てくるのですね。
 吉本隆明はその隔絶が大きければ大きいほど豊かな物語だ、とたぶん言っています。
 こういうところは素直に尊敬します。
 とても人間が大きい。
 どうしても書いた側は、こういうつもりだったと言いたくなるんです。
 これはあまり良いことではありません。
(よくないなあ・・・、と反省中・・・)

 過去に読者としての発言で、わたしにひどい発言がありました。
 ある作品を読んで(ゲームだったのですが)、これは本物の○○ではない、と当時のサークル仲間(ゲーム研究会でした)に言ったことがあったのです。こんなものは納得出来ないと。
 吉本隆明の時代にはなかったことで、たかだか40年ぐらい経った現在の日本は、創作者大国になった感があります。19世紀のパリも同じような状況だったのではと思うのですが、当時日曜画家として専業ではない画家が後に大変評価されたりしていました(たとえばルソー)。
 現在の日本は百種類近い漫画雑誌(週刊・月刊)が存在し、一誌ごとに十人以上の専業漫画家を抱えています。これに関係するアシスタントなどの漫画家の卵まで考えるとこの数倍になります。
 ここまでが準プロまでのレベル。
 しかし、日本のほとんどの創作者は同人レベルで、2016年のコミケットマートの参加サークル数で約3万5千。これにさらに落選組を数えると、5万サークルはおそらく下らないはずで、サークルはひとりでやっているわけではないので、さらに数倍から数十倍。とても荒いフェルミ推定ですが、日本にはおおよそ数十万人規模の同人創作者がいるという計算になります。
 この人達が作品を見るとどうなるか。
 少し線が荒れるだけで作画崩壊だ、と騒ぎ出し、原作のある映画を見るたびに、「こんなのは○○じゃない!」と怒り出すのです。これは一言で言うと、
「おまえ失格だ、こんなもんでいいと思ってるのか、おれに替われ!」
 と言い出している光景に他なりません。
 これが現在の日本。
 つまり恐ろしく創作者の裾野が広くて、どの段階もレベルが高いのです。
 こんなことを言うのは変なのですが、わたしが19世紀のパリに生きてみたかったと思うのと同じように、もしかしたら20世紀末から21世紀初頭の日本に生まれたかった、という人が、200年後ぐらいには生まれるかもしれません。
 源氏の時代と違うのは、貴族のような特権階級でなくても、100円のノートに漫画は描けるし、テキストエディターがあれば、いや携帯電話でも、物語なんていくらでも書けるのです。
 そのときにわたしが言ったのは、「こんなのは本物の○○じゃない!」ということでした。製作者の分解能は、さすがに万能ではないので、かならずムラがあります。吉本隆明が想定していなかったのは、書き手より読み手のほうが、物語上の登場人物を遥かによく理解しているということです。それはちゃんと書かれていますが、それが読み手と書き手が逆転する状況まで想定していなかった。
 つまり、読み手のほうが書き手より精度が一時的に高くなって、これは間違っているという読み手のほうが正しい状況は、ありえなかった、という意味です。


 4. 文学の本質から見た私小説−島村利正『佃島薄暮』

 えっと、これでもざくざく削っているつもりなんですが、恐ろしい文章量になりつつありますね・・・(^_^; たぶん、吉本隆明の講演自体がわたしにとってジャストフィットの話題だったためと思われますが、こういう刺激的な内容を探してみたいですし、書いてみたいとも思います。
 ここから講演は、現代の小説を例に挙げての内容になっていきます。
 まず私小説から入って、私小説の頂点にある構造、そして底辺と頂点の中間にある構造という話になります。

 どこで差し込もうかと思っていたのですが、たぶんここしかないだろうなあと思いながら差し込みますと、今日(2018年正月)NHKの番組で「絵葉書にない尾瀬」というドキュメンタリを見ました。ひとことでいうとナショナル・ジオグラフィックが得意としている写真家に密着した映像番組で、3年に渡って密着取材したドキュメンタリでした。
 3年を30分で放映するということに無理があります。
 また、この映像にはナレーションが入ります。
「あ、ツキノワグマだぁ」
 当たり前なのですが、そのナレーションの方はそこにいて驚いているのではなくて、映像を見て驚いているんです。その映像を撮っているのは精鋭取材班で、まずうら若い女性アナウンサーとは別のベクトルのプロフェッショナル。
 吉本隆明は私小説の定義の一例として、「作者」と「語り手」と「登場人物」がイコールであると、虚構としてそう見せようとしているのが私小説の特徴、と言っています。先程の番組の例で言えば、「作者」が「取材班」、「語り手」が「ナレーター」、「登場人物」が「取材先の写真家」となるのでしょうか。
 このドキュメンタリの例で面白いのは、製作者の主観は誰なのかが存在していない点にあります。「取材班」はカメラを回しているだけ、「ナレーター」はおそらく尾瀬にも行ったことがない、そして1番主観に近いのは「取材先の写真家」になるのですが、彼は番組の全体像に影響を与えようがない。
 「ディレクター」の主観になるの? と言われると、そこまで権限ないだろ、と感じます。いったい、そのドキュメンタリを主体的に作っているのは誰なのか。いや、主観はないよね、という結論になるのが面白いところです。
 このように分けてみると分かりやすいのですが、小説における「作者」と「語り手」と「登場人物」はけっこう明白に分かれます。この辺はこの講演でも吉本隆明が言うように、小説を書く人たちが他の領域の創作物の影響を受けているからかもしれません。例えば映画だったり、例えばドキュメンタリだったり。そうすると作り方が根本的に変わります。
 たとえばわたしにとって、リアリティーのある人物描写というのは、質量感を感じられる人を書けたかになります。わたしがよく自分で書いた文章を読んで、ああ、これは書けているから、いろいろ問題はあるけどもいいや、と言っていたりするのの正体はこれです。セレンやルナがここにいるからいいや。彼女たちは切実な今を生きてるじゃないかと。
 この話をすると長いので、リクエストされない限りしないですが、「作者」の立場としては、「登場人物」が勝手に動くのを見ているのは、至福です。

 えーと、なんか、吉本隆明を無視していて心苦しいのですが(^_^; 40年時代が過ぎ去ったときに、そもそもその論評が成立しない時代になってしまったと言うのはあります。
 吉本隆明は、登場人物たちが勝手に動くとは言いません。
 これは端的に、書いたことがないからです。
 しかし、書く人の醍醐味はこれであって、わたしなどは、物語に詰まったときに、その登場人物たちが何を言うかに耳を澄ますということが頻繁にあります。ディスカウントストアへ歩く道すがら、突然にリニーの声が聞こえたときがありました。最大の影響を与えたのは、たぶんウタリでしょう。単なる翼竜少年と思っていたのですが、その彼が言った言葉で、セントラル大開拓時代が始まるとか、ありえないでしょう。
 やつは言ったんです。
「つくりたい」
 と。
 そんなことを言われたら、無視できますか。

 ここで切ります。


 5. 民話と私小説の違い

 えーと、続きで書くと、このセクションはナンセンスだよね、となるんですが(^_^; 別に意図していたわけではなく、続いて書いてみたら、意味なくね? となった次第です。たかだか40年違うだけで大幅に違うのに、1500年。そこに違いがないというのは、何らかの補強がなければ無理があります。
 最大限、吉本隆明をえこひいきをすれば、彼が予見していた通りに彼の次の世代で大断絶が起こる環境が整ったのです。それはなにかといえば、映像という主観が絡む要素がない物語の描き方が、この世の中の中心になったことです。
 ぜんぶ客観が当たり前、の世界になったのがたぶん映像の世紀です。
 この観点から、吉本隆明の視点に立って考えを巡らせるのは、たぶんとてつもなく有益なことですし、映像作家は恐ろしいほどの示唆を得られるでしょう。わたしは映像作家ではないので、素人がうるさいよと言われてしまいそうなのですが(笑)、こんなことをねちゃねちゃと考えていたのは、わたしごときがいうのはおこがましいのですが、文章書きだけなんです。
 吉本隆明によれば、なんか1500年のノウハウがあるみたいですし、わたしはつまらない人ですが、彼に付き合ってくださいませ。


 6. 東峰夫『天の大学』の高度な物語構造

 7. 山川健一『さよならの挨拶を』における陰影

 ここはパスします。
 感想はあるんですが、一般の人が読んでも意味がない文体論争になるからです。
 わたしの文体がどういう系統にあるとか知りたいですか?
 わたしは、わたしの文章には興味がありません。
 それはなんの意識もしないでも、書けるからです。
 そう、そう思います。


 8.イメージの価値の深化と表現形式の変化

 はい、やっと話せるセクションがやってきました。
 ここの文章は、ほんとに意味不明に回りくどいですね。まあ、わたしが一切ショートカットせずに意訳したからというのもあるのですが、商品の価値とかさ、実際の物質がどうこうとかじゃなくて、マーケティングで決まってねえ? これが直球ストレートの意訳です。
 このときでてくるのは、わたしは死ぬほど大嫌いなのですが、村上春樹です。
 文章はだいたいうまいのですが、書いている内容に死臭しか感じない。
 これは完全に好みですが、生命力がない。
 わたしが尊敬する名だたる、絶望的ホラー作家には命の輝きがあったぞ。
 高橋克彦、小松左京、ラブクラフト、大原まり子、ここに夢野久作を並べようとして迷ったけど、たぶん同類だよな。
 死体が書いてる文章はわかる。


 9. 田中康夫『なんとなく、クリスタル』−イメージだけの生活概念

 えーと、いちおうわたしはデザイナーとして、何年だろう? あ、別に今からでも復帰できるので、年数には意味は無いんですが、6年? 兼任が多かったので、専業は4年というのがいいのだろうか、それぐらいデザインをやってました。
 その観点で考えると、デザインはイメージの世界ではありません。
 デザインで仕事をもらえるかどうかは、クライアントのFIXを取れるかどうかです。
 クライアントと交渉して、仮原稿送ったぜ、あ、まずかったか、指摘点は全部直したけどそれださくね? 原稿送る、あ、怒った、この色だめ? この前そんなこと言ってなかったじゃん、めんどいからちょっといじって送ろう、あ、通った・・・。
 だいたいこういうことだできるかどうか。
 見ているところとかは、デザインが標準レベルよりも高いかどうかだけなので、そこをパスをしているのに、ねちねち言われるのは、交渉の過程で相手をカチンとさせてしまったからです。まあわたしは、相手を怒らせるのの名人芸でもあるのか、たいてい勝負すると怒られます。
 攻めすぎ? と言うよりは、こっちのほうがよくね? と言い過ぎるんです。
 思い出すと背筋が冷えるのですが、3日かかって色調補正した原画のデジタル化を蹴られたこともありましたし(これは、色がわたしの色になりすぎていて、拒絶反応されたというわけですが)、原画のトリミング(PhotoShopで言うところの切り抜き)をするな、トリミングをすると最後の1ピクセルは絶対に濁る、と言われたこともあります。その当時は売上を上げることにしか興味がなくて、当時の自分のデザインを見ると精度が高すぎて、キチガイのようmなドンピシャの色味に、ノイローゼで鬱病だった当時に戻るようで怖いです。
 イメージの世界のクリエイターにも当たり前ですが、人生があるのです。
 その観点から見ると、下手くそだな、と思う文学世界もあります。
 だから、ここで乖離したなと。
 あんまり言いませんが、世代が分離した地点はここだなあと。


 10 イメージの世界を枠組みにするエンターテイメント作品

 もちろん吉本隆明もそれはとても賢明に理解しています。
 ここで、古典からの流れを理解しつつ、それはどういうものなのかを説明しようとしています。
 たぶん、と、自分のことを言うのは嫌なのですが、わたしが介入して、これってこう思うと言うことで、だいぶ吉本隆明の言ったことの意味が正確に理解できるようになっているのでは、と思うのです。吉本隆明を毀損するつもりは一切ないですし、わたしはいちいちツッコミがうるさい学生です。
 わたしはいちいち自分の理解のために意訳をした人ですし、まず理解したいと手間を掛けた人です。
 その観点から言うと、わたしは資生堂とかカネボウがどう考えているかなんて考えたことはありません。デザインとしてやってきた、それはたとえば花王のあるブランドのマーケティングというよりは販促サイトで(これは本当に末端の仕事が流れてきただけです)、その色調の研究とかはしました。それはこの些末なページであっても、クライアントのブランドイメージを壊してはいけないからです。新しいページを作っているので、デッドコピーというのはありえないんですが、そのトップデザイナーがデザインしたらどういうページを作るだろうかというのを、再現するのです。
 アンドロイドのようだ、と侮蔑の言葉を投げられたこともあります。
 そんなものを自分の文章に活かしたことがありますか? と言われれば、それは侮辱です。わたしは誰かの文体を2、3時間写経すれば、それを再現できる変態的な能力を持っていますが、それは大道芸人です。もちろん、それを侮蔑するわけではありませんが、そんなことをやりたいわけではない。
 なんだかわからないけれど、あなたの文章はすてきだね。
 うまく説明できないけど、すてきだ。
 絵であればいくらでもあるんです。
 たとえば今日(1月8日、これ書いている本日は1月9日ですが)見てきた、カミーユ・マルタンの画集の表紙とか。ひょうたんの蔦と印刷機の絵なのですが、色がポップで、わたしが大好きなアールヌーボで、レイアウトが絶妙すぎて、静かな秋の音がする。それでいて印刷機の金属音がする。激混みの美術館で、たぶん誰も見てなかったんですが、まあ、これだけのために図録買うから、さすがに行くかと思うまで見てました。たぶん職業としてデザインやっていた人は、なんだこれは、すごすぎだろと思う絵なのです。
 そういう文章を書きたい。
 それが別に葛飾北斎の猿真似でもいいじゃないですか。
 正直に言うと、吉田博や、川瀬巴水の新浮世絵を見ると、吹っ飛んでしまうような翻訳です。逆に考えるとわたしが書いているのは、稚拙なんだろうなと、あたりまえですが思います。
 誰が尊敬する先人と同等以上のものが書けると思っているんでしょうか。

 このセクションで吉本隆明が言っているのは、わたしがとてもたくさん考えてきた、パターンとか構造を、この新しい世代の人達は生み出し続けていて、それに純文学の世界は勝てないだろうと言うことです。
 これは端的に19世紀のパリで起こった一つの大きな転換です。
 パリのアートは、わたしが見た展覧会の言葉を使えば、「エリートから大衆へ」そのクライアントを変えたのです。まあ、川瀬巴水や吉田博と比べてしまうと、Jリーガーと小学生を比べているような罪悪感を感じてしまうのですが。


 11.文学の本質的な衝動

 ここから先は、わたしの感想は不要でしょう。
 なぜかといえば、この先で賛同するところがないからです。
 もちろんこれはどう思うの? と聞かれるのは歓迎ですが、ちょっと自分とは全く違う基盤を守るために書かれている感じがするので、あー、それ無関係みたいです、となってしまうのです。
 まあ、吉本隆明がいう文学に興味が無いんですね。
 わたしはハヤカワの翻訳文学に染まっている人なので、シェイクスピア・ギリシャ・ローマ史・聖書以外意味なくね? と思ってしまう素地の人なのです。


 12.経済学的な方法から得られる世界像

 わたしは経済学は理解していますが、そこにはたぶん生活世界はありません。
 マーケットリサーチ・マーケティングの観点から考えると(わたしは、そのそこそこ著名な企業に在籍したことがあり、かなり根っこからその会社の思想に染まったのですが)、マーケティングデータには、定性データと定量データがあり、前者は情景を浮かび上がらせる情景の文章で、後者アンケート結果です。
 この定性データというのがとにかく難しい。
 わたしはその会社の創業者が書いた定性データの教えを読みましたが、ひたすら禅問答を読んでいるようで難しい。蛇の気持ちをわかるためには、蛇と同じように、寝袋で真冬の公園に寝転がってみないとわからないとか、言っていることは分かるのですが、行動と言葉が常軌を逸している(そして実際にしてたらしい)。
 対比として自分の知っていることを書いているのですが、その変態社長と、吉本隆明のどちらを信じますか?
 なので、ここで切ります。


 13.拡大する管理装置をどう考えるか

 ここはまとめなので省略。


 以上


 一応まとめをしようとして、これを書いているのですが、うん、そっけない(笑)。
 わたしが書くのを避けた所は、書こうとすると300行(原稿用紙30枚ぐらい)は書けそうなところです。現在すでに350行ぐらい書いていますし、たぶん5箇所ぐらいありましたから、合計で190枚ぐらい行くとかありえないだろという判斷で、ばっさりと省略しています。
 べつに話したくないわけではないので、吉本隆明の講演ぐらいの長さ(2時間ぐらい)が我慢できるのであれば話すので、あー、わたしは酔うと(飲み会のときの長時間会話のデータしかないのです・・・)、おそろしく話が横道にそれて話が長くなるらしいので(酔っている最中なので伝聞情報です)、これ意味ねえなと言う話に耐性がないと厳しそうですが、まあそんな奇特な耐性がありましたら、いつでも聞いてください(おそろしく敷居が高いwww)。

 さて、次は物語解析「世界観」の続きですか! <こうやって書くしかないように追い込むw 構想と原稿の第一回分はできてるんだよねえ・・・。
 「のび太の魔界大冒険」が主役です。もし読んだことがなければ読みましょう。ドラえもん大長編、初期8作は必読作品です。シェイクスピアより重要と思うほどです。ベニスを知らない罪よりも、「のび太の魔界大冒険」を知らない罪のほうが果てしなく重い。
 なんかすごい変な導入ですが、お楽しみにいただけたら幸いですw

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