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『三顧の礼』(3/4?)


 つづきです。


■『三顧の礼』(1/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196002


■『三顧の礼』(2/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196003




 ■3.孔明を訪う(一顧目)

 前節が悲惨な状況になっているのを尻目に、全開ぎみでくるのがこの「孔明を訪う(一顧目)」。
 ちょっと情報量が多すぎてパンクしているんじゃないか疑惑はあるのですが、交通整理が忙しすぎてギクシャクしている印象を受けます。
 まずこの節は司馬徽(水鏡先生)が新野を訪れて玄徳と話すのですが、ここがまず情報過多・・・。なので一切のニュアンスをバッサリ切って羅列しますが、たぶん原文を読むとこれしか要約しよう無いよね、と思うと思うのですが、読み直すとひどいでですね。
 ・徐庶の老母は死ぬ。
 ・紹介は孔明にとって迷惑。
 ・道友としても彼がサロンから抜けるのはさびしい。
 ▼玄徳の質問ターン
 ・なぜ襄陽のサロンは発展したのか? → 魏呉蜀の境界だから
 ・孔明の素質はどれぐらいか? → 太公望クラス
 このあたり、別文献を当たって調べてみると散々に複雑な情報が出てくるのですが(特に襄陽サロンの成立過程とかは、まあ分厚い学術論文集クラスの量はあるよね、と言うレベル)、それを書き始めるとまったく収拾がつかなくなるので、ざっくりと無視します(自分で調べてね)。

 玄徳は期待を抱いて孔明を尋ねようと出かける。
 孔明の住居として聞いていたのは、「襄陽の西へ20里、隆中という一村落」ということだけで、その村落へ歩いていくのですが、付近まで行くと百姓の男女が不思議な歌(どう評したらいいのだろうか、世の中を外から見ているような歌? ちくま文庫版の三国志演義に対訳付きで載っている)を謡っている。だれの謡かと聞くと孔明だという。
 玄徳は農夫に孔明の住む臥龍の岡の場所を聞き、そこへ向かうが、その臥龍の岡の周辺は農夫に至るまで変わっていると感じる。
 臥龍の岡の柴門までやってくるとひとりの童子と猿が遊んでいる(これは演義がそうなっている)。
 童子に聞くと、先生は今朝でかけた、どこに行ったかは知らない、帰りは三、五日、あるいは十数日後かもしれないと言われる。
 玄徳はせっかく孔明の住居までやってきて名残惜しくたたずんでいるが、その美しい周囲の風景にもうしろ髪を引かれながら、岡の道を降りていく。

 その帰り道、玄徳は一人の若者(孔明の遊び友達なので、同年代ぐらい? と推定している)に出会う。
 玄徳は孔明かと勘違いするが(以後、孔明の友人で名士ばかり出てくるので、何度も同じ間違いを繰り返す)、崔州平であって孔明の友人だと告げる(これは2/4で挙げた崔)。
 崔は目の前にいるのが玄徳だと知って驚き、どんな用があってきたのかと聞く。玄徳が、
「国を治め民を安んずる道を問わんがため」
 と答えると、崔は大いに笑って、
「あなたは治乱の道理を知らないとみえる」
 とよく読んでみると耳を疑うような失礼な受けごたえをする。崔は曰く、
「世界は流転している。人の一生からすれば20年の乱は長いが、悠久の歴史からみればほんの一瞬。些細なことでしかないのです」
 玄徳は反論するが、
「──万生万殺──一殺多生──いずれも天理の常であり、平凡事だ」
(ものすごくざっくりと解釈を書くと、宇宙が生まれてから数え切れないほどの生命が死んだけれど、それって当たり前でしょ? という感じだろうか)
 と答える。
 これがどれほど非常識な答えであることはわかると思う。完全に劉備と向かい合おうとしていない。

 玄徳はそれを始終つつしんで聞いていて、一応崔を新野の幕僚として誘う。崔は自分は山野の一儒生、世上に名利を求める気はない、と言って断る。
 崔がさると、関羽が玄徳に、何であんなやつの話を聞いた? と問うので、
「彼らの言うことは彼らの中の真理であって、万民俗衆の真理ではない。彼らのような隠士高士は一握りしかおらず、そこでしかつうじない少数の真理だ」
 玄徳は関羽に対し、
「孔明に自分が求めてやまないものは、世を救い万民の苦悩に通じることばだ、その声だ、その真理だ」
 そして、数日後に始まる二顧目に続くのですが、いやー、濃いwww ここに詰め込みすぎなんですよねえ(ため息)。
 まだまだあと2節続きます。

 ■雪千丈(二顧目)

 隆中にやってくると真っ白になっていた。途方もない寒さだが、やがて村内に入る。
 ここで歌が聞こえてくるのだが、演義ではどのような演出になっているのか確認しないと、説明し難いのだが、歌の内容として玄徳の姿を描いた歌になっている。
(ちなみに演義ではなんの演出もなくぶっきらぼうに抜き身の包丁をぼんぼんぼんと並べるような、無骨な内容になっている)
 その歌を、玄徳はどこから、だれが歌っているのかと気になる。
 吉川英治の演出に翻弄されるというか巧み過ぎて、演義ってほんとに二顧目で吹雪だったのかと、もうそこからかよというぐらい、原典読まないとどうしようもないですね・・・。
(原典も雪の場面です。ただ吉川英治のつなぎ方がめちゃくちゃ上手いんですね)
 えっと、簡単に言うと、
「玄徳の寒村の窮民を想う信念」 → 
「どこかから聞こえてくる、<それ>をうたう歌」 →
「どこから聞こえてくるのだろう、周囲は吹雪でみえない」 →
「吹雪の中に暖かな居酒屋を見つけた。そこで玄徳はぼうぜんと聴き続ける」
 と言う流れなのですが、居酒屋に入ると2人の酔っ払いが「玄徳を肴に」(玄徳からそう見える)囃し立てているようにみえる。
 この二人は襄陽サロンの名士、石広元と孟公威で、見た目は親子ほどの年齢差がある(なんでここで飲んでたのかは不明)。
 玄徳は司馬徽(水鏡先生)に名前は聞いているし友人だというので、一緒に孔明の住居を尋ねようじゃないですかと誘うが、玄徳が孔明を尋ねる理由として、「乱世の現状を治め、済民の道を問わんため」と言っているので、あわてて、
 いやいや、われらは山林に高臥し、懶惰に隠者だから、治国安民の経策などには関われないし、その資格もない、孔明にお尋ねするのがよいでしょうと辞退する。
 玄徳は、おそらく崔州平で慣れたので、あっさりとあきらめ、臥龍の岡へと向かう。

 孔明の家にたどり着くといつもの童子が、なんだか書堂にいるようだと告げる。
 書斎にゆくと炉に寄りかかっている若者がみえる。
 独り言のように詩吟していて、古典の詩歌のようで孔明を歌っているように聞こえる(あくまで(以下略))。玄徳はしばらくしずかにそれを聞いていたが、やがて聞こえなくなる。
 みると若者は、炉に寄りかかったまま膝を抱いて眠っていて、邪心のない赤子にみえた。
 玄徳が声をかけると、若者は目を覚まして、あわてて身をただし、
「将軍は劉皇叔(劉備の尊称)でしょう。きょうもまた、私の兄を訪ねて下すったのですか」
 ときく。劉備はまたも勘違いであわてるのだが、その若者が孔明の弟の諸葛均であることを知る。均はいつもいつもすいませんと謝るが、またどこへ行ったか、いつ帰るか分からないと告げられる。
 均は茶でもてなすが、玄徳は雑談にかこつけて、孔明は兵書を読んでいるかとか、兵馬の修練はしているかとか、門人はいるかなどと、よく考えてみるとかなり失礼な事を聞いている。均は、如才なくさらっとながすが、この辺は玄徳が焦れている様子を書いているのだと思う(かなりひどく、やり過ぎ感はあるけど)。
 玄徳は帰り際に均へ向かって、置き手紙をしたいから紙筆を貸してくれと言う。
 書いている内容は、自分の簡単な自己紹介と、現在の状況を嘆く訴え、(ここで玄徳はしばし考える)
 「私は心から国家を救い民衆を救済したいと願っておりますが、天下を治め整える方策が欠けております。先生には慈愛と忠義の心をもって、太公望のような大いなる才能を発揮し、張良のような大いなる戦略を展開されたなら、天下の幸いであり、国家の幸いであります」(ちくま文庫、井波律子氏の訳をそのまま引用したもの)
 手紙を均に托し、帰ろうとすると童子が、
「老先生! 老先生!」
 と騒ぐ。
 現れた老翁は、梁父の詩を吟じ(終始この調子です(^_^; 書き下した漢詩をベタ貼りされる気分が・・・)、玄徳はいくら何でも年齢的には無理だろと思いつつも、しれっと孔明かと聞く。この辺は孔明が、梁父の詩を好んで読むからで、劉備が知っていたかは知れないのだけど、梁父の詩を読めば、それは孔明というぐらいの、ちょっと演出過剰なドラマの作り方はあるかもしれないけど、一種のネタとして成立しているのは、なんでなんだろうか。
 その老先生は岳父(しゅうと)の黄承彦で、黄は孔明に会うのを諦めて、娘に会いにいく。
 玄徳たちも帰路につくと、行きに立ち寄った居酒屋にはさすがに石広元と孟公威はもうおらず、他の客たちが集まって、孔明が不美人を嫁にしたことを笑い囃し立てている。
 黄承彦(襄陽サロンの常連)をして、不美人ではあるが、才は君に配するに堪えたり、といって孔明の嫁にしたがったほどですから、まあ、相当な自慢の娘なのでしょうねえ。

 長い(笑)! もう抗議文でも送ってやりたいぐらい長いのですが(笑)、もうなんというか、うまいなあと思うところが多すぎて困ります。ただ、まあわたしがどこがよく思ったなんてことは大したことではないので、ざっくりと省略します。

 ■立春大吉(三顧目)

 三顧目はキンドルの位置NOのリストをみていると結構短くみえるのですが、これ罠ですから(笑)。この手法って昔からあったのだろうかと思いながら説明するのですが、実はこの節、
「孔明先生、どうか胸を開いて、本心を語ってくれ!!!」
 ババーン(効果音)

 次巻 赤壁の巻

 と、ここで展開的にぶっちぎってしまうんですね(^_^;
 赤壁の戦いは言うまでもなく三国志最大の一大決戦であり、諸葛孔明の天下三分の計をぶちかましてから始まりますので、次の巻の次の節である「出廬」の123も足して、この節は247としなければならず、あれ、気づかぬうちにこの節が一番長いことに・・・、となるのです。
 まあ冗談のような構成になっているのですが、この話はこの辺にしましょう。

 節の表題は立春とされているので中華圏の旧正月明けと考えるのがよいでしょうか。
 新暦と旧暦はしばしば問題になるのですが、本文中に、
「春は浅く、残んの雪に、まだ風は冷たかったが、清朗の空の下、道は快くはかどった」
 という記載があるので、これに当てはまるぐらいの季節だったとしてしまいましょう。

 玄徳と関羽と張飛は、玄徳が三顧目にいこう、と言い出すともめる。
 関羽などは「孔明はいたずらに虚名を売り、実は内容のない似非学徒に違いない」などといいはじめるが、玄徳は「春秋は読んでいるだろう? 斉の景公は、東郭の野人に会うため、5度も尋ねているではないか」と答える。
 このあたりでエスカレートする気配を感じ取った関羽は、「あなたの姿は、ちょうど太公望のところへ通った文王のようです」と呆れるが、張飛は口ははさんで、「たった一人の農夫に対して、三顧の礼を尽くすなど、愚の至り。孔明を連れてくるには麻縄が一本あれば足りる」
 玄徳は(おそらく司馬徽に孔明は太公望クラスだと言われたのを思い出して)かなり気持ちが大きくなって周の文王が太公望を尋ねたときの故事をとうとうと語る。この辺はかなり酔っている感はある。

 臥龍の岡について柴門より聞くと、奥から均が駆けてきて、門を開く。
(均は出生も死没も不詳なのですが、吉川英治三国志では少年(せいぜい中学生ぐらい)として書かれるんですよね。作中で思春期の孔明と戦火の中から脱出したとの記述があるので、せいぜいそのころ小学生とすると、この三顧の礼のとき孔明は27才なので、やっぱり大学生ぐらいじゃないと計算が合わないんだよなあ・・・、などと悶々と考えてしまいます)
 均によれば兄は在宅だという。
 柴門を入って、園を少しすすむと、また、かたわらに風雅な内門が見える。
 その内からいつもの童子が顔をだす。
 童子によると孔明は在宅で、草堂で昼寝をしているという。玄徳は呼びにいかずにそのままにしておいてくれといい、ひとりで静かに早春の光なごやかな草堂の周りへ入っていく。ふと堂上をみると几席(一畳ほど広さの低い椅子。画像検索してね。三国志演義は単に寝床になっている)のうえにのびのびと身体を横たえている一人がいる。
 玄徳はこの人こそ孔明であろうと、階下に立ち、孔明が目覚めるのを待っていた。
 それを覗いた張飛は激怒するが、関羽が必死に抑え込む。
 このあたりの孔明の描写はほんとうにうつくしい。昼のやわらかい光が見えるような、午後のゆるやかな時間が描かれる。せっかくなので、起きるシーンは省略するので、自分で読んでみてください。

 孔明はめざめて童子を呼び、だれかきたのかときくと、童子は劉皇叔がもう久しく待っていると告げる。
「なんで早く告げなかったか」
 孔明は後堂へ入って、さっと身を整え、挨拶をし終えたところに、童子が茶を持ってくる。
「旧冬、雪の日に、お遺しあったご書簡を見て、恐縮しました。──そして将軍が民を憂い国を思う情の切なるものは、充分に拝見できましたが、如何せん、私はまだ若年、しかも非才、ご期待にこたえる力がないことを、ただただ遺憾に思うばかりです」
 玄徳はその口ぶりの清々しさに気づいた。
「いやいや、司馬徽や徐庶のことばに誤りがありましょうか。先生、玄徳のためにお教えを示してくください」
「司馬徽や徐庶は世の高士ですが、自分はまったくありのままの、一農夫でありません。将軍は玉を捨てて石を採るようなお間違いをなされている」
「玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、若年におわしながら山林に隠操をお求めになるなどとは──失礼ながら、忠孝の道に背きましょう」
「それは、どういうわけですか」

 だいぶはしょっていますが、べた引用に近いのでこの辺で止めておきます。
 この後、玄徳の一大説得があり、
「孔明先生、どうか胸を開いて、本心を語ってくれ!!!」
 ババーン(効果音)
 となるのですが、とりあえず節ごとのざっとしたあらすじはこの辺でよいでしょうか。
 前に少し書いてますが、ここで貫かれる、孔明の思い・玄徳の思いの部分が便宜上、ざっくりと省略されており最後にとっておいてあるのです。
 ながかった・・・(笑)。
 次回、その話をしましょう。

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