2016.06.12 Sunday
今、たぶんわたしを悩ませていることがあればこれだ。
わたしは基本的に、戦前の人間が嫌いだ。
それは、その思想が、心意気が、魂が、日本を殺したのだろ、思えるからだ。
ただ、これは酷である。
なぜならば、一般的な人は社会を動かすだけの主導権を持てる機会さえなく、武力を背景とした経済に従うしかなかったから、なのだ。これを武力を政治力に書き換えて読み進んでみよう。
いま起こっているのはだいたいこういうことで、この政治力と武力を等価として語られているのが今で、根本的に間違っているのは、政治力の因数分解と、武力の因数分解を理解していないことにある。
武力にはほぼ因数分解はない。
軍事力というのは昆虫のような命令系統で、日本にはそんな効率的な革命は起こっていないことは分かり切っているので言うのであるが、命令禁止の原則が守られていない。
対して政治力には、反発することができるのが議会政治だ。
原則的には、票を背景に議席を得た議員にすべて自由行動が許される。
そこには様々な立場の人がいる。
ここをシンプルにしたい。
それぞれの人が自分の思うように、自分の意思を表明するのがいい。
空気なんて読むな。
わたしはだいたい団塊ジュニアの世代である。
団塊世代はどんなに苦労したんだろうと思うのだけれども、反発というか憎しみをぶつけられることが多い。もっとも感じたのは今年の名人戦の羽生vs天彦戦で、わたしは羽生をよく知っているので応援していたのだが、荒い反応が多かった。たぶん特定できない範囲で書けば、羽生落ちろ、みたいな反応だ。
名人戦なんだから、どっちが勝つかの勝負であって、負けろという反応はない。
名人と挑戦者の勝負だから、それは、勝負を見届けようよという雰囲気ではなくて、羽生名人に殺意を抱いていた。これは単純に恐ろしかった。
ある層を迫害してはならない。
正常な公正な勝負の世界で決める世界だ。
それがないのはこわい。
わたしは就職氷河期時代のたぶん一番怖いと言われている世代なので、迫害されるのは分かるけど、復讐しか考えなくなるからね、としか言う以外ない。だいたい氷河期世代が怖がられているのは復讐を考えているからと思われているからだ。
というわけで被害妄想は終わり。
実のところ、新作小説の序文を出そうかなとか、そもそも、だいぶ書いてなかったので、思っていたのだけれども、個人的にはそれを書いていることで、とてもハッピーになってます。もちろん、読んでくださる方もハッピーになる文章を書いていると思いたいw
いま192行書いてます。
(40字詰めです)
まあ、なんかTwitterのつなぎ合わせのようになりましたが、ちょっと長く不存在だったので書きました。実際には書いているのですが、公表できるまでが長いので、ちょくちょく近況報告します。
だいたい黙っているときは、夢中に書いているのです(^_^;
あ、いいです。
もともと分かっていたけれども、楽しいです。
これが作家冥利です。
執筆中で話せない時のやり方として定着するといいなあ、などと思いますw
世代間の紛争どこにいったんだw