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 主観的客観性、あるいはきわめて主観的なのに、客観的だと錯覚してしまう物事

 不親切な文章だなと思いつつ、入院中、そして退院して外来で通うようになって、思うようになって、主観と客観とその間にある錯覚について思ったことを。


 おおきな病院に長らく入院した。
 多くの人が関わり、重要な決定が次々と下される場に長い間にわたって身を置いた。
 そのシステム化された大きな組織のメカニズムを観察していて、その医療というものが、科学的で合理的なもので動いていくものであること理解した。

 その中で一番に面白い思ったのは、きわめて主観的な主張であるのに、そう主張する本人は客観的だと錯覚してしまうことが多々あるということだ。それが病院の合理性を照らして読み解いてみると、手に取るようにわかって、面白い。

 簡単に言うと、これはエアコン設定温度に関する、男性と女性の宗教論争のことだ。
 冷えやすい女性は寒いといい、脂肪の服を着ている男性は暑いという。
 とても乱暴に結論を言えば、寒い女性は服を着ればいいし、暑い男性は脂肪の服を脱げばいい。原因は、いまの設定温度が寒いか暑いかではなく、ありていに乱暴に言えば、暑いと感じる太めの男性は、暑いのは、エアコンのせいではなく、おまえが太りすぎなんだ、ということなのである。
 きわめて主観的で自分勝手であるのに、なぜか客観的な主張で正当で公正なことだと思い込んでしまう。

 いまは深いところに踏み込んでないので、単純化されたあまり問題のない範囲にある。
 ただ、これが世代間格差、収入の格差問題などに範囲を広げると、恐ろしく複雑な社会問題を取り扱う話題になる。
 もし特別に優遇を望み、エアコンの温度を下げ、太ってない人に我慢をしてもらいたいと思うのであれば、喫煙者がたばこ税を取られるように、肥満税を払うことで、その社会的コストを負担するべきである。冷え性の女性が買わなければならないカーディガン代は、やはり、エアコンの設定温度を下げよと言ったものが支払うべきである。
 きわめて合理的で、シンプルだ。
 しかし、問題はそんなに簡単には片付かない。

 実際の、病棟内の設定温度は、25度付近であったと思われる。
 わたしはそれを寒いと感じ、病衣は薄いものであり、その下は下着しか着ていないから、寒さを逃れるには、布団をかぶっているしかない。しかし、夜になって目が覚めてみると、病衣がぐっしょりと寝汗に濡れていることに気付く。
 実際のところは、暑すぎず、寒すぎない温度なのである。
 つまりその設定温度は、病室で横になっている患者を基準に設定されていたのである。
 しかし、看護士さんの話を聞くと、暑いという。
 わたしはそれを聞いて、患者は看護士さんと違って働いてないから、そんなに暑くない、などとお気楽に言ってしまっていたのだが、ああ、これで暑いのであれば看護士さんはたいへんだなあと、思ったのである。
 患者を考えれば下げるわけにはいかないのだろうが、病院というシステムを動かしているのは看護士さんなので、なんとかならないものかとも思ってしまうのである。

 こうやって、考えてきてみると、あんがい病院の温度設定はそれなりの根拠のある温度に設定されていることに気付く。
 しかし、ここに外部人間が入ってくると、とたんに複雑になっていく。
 大きな大学病院は入院患者や救急の患者ばかりを扱っているわけないので、外来で訪れる患者がいるし、しかも入院患者の親族が見舞いに来る。
 外来の患者は病棟までやっては来ないが、見舞客は団体旅行のツアー客のように遠足気分で、静かに療養している患者からしてみると、迷惑極まりない存在でしかない。これが主観的客観性を振りまいて、あれこれと騒々しくしていくのである。
 たとえば、見舞客が暑いと言っても、わたしなどはお前のことなんか知るか、と乱暴に思ってしまう。
 それよりも、病室で通話するな、ロビーで携帯をいじるなと、最低限のマナーを守れないことに愕然とする。重病患者がいる、心臓外科の病棟である。手術を終えたばかりの患者が点滴を打っているところである。そんなところで、まるでそこが自宅であるかのようにふるまうのである。

 いかに、主観によって客観が狂うか、というのがわかるのではないだろうか。
 わたしは、病院でのマナーを守れと言いたいのではない。
 これほどまでに主観によって客観が捻じ曲がることを指摘したいのである。
 それを病院側の常識に照らしてみると、愕然としてくるのである。

 ある猛暑の日、わたしは退院後の外来で数々の検査をし、広い廊下で待つ。
 わたしは心臓を切開したので、胸骨をおさえるバンドで胸を締め付けていて、しかもジャケットを羽織っていたりするので、一般の人よりは厚着をしている状態だった。
 そんな中で、ふたりのおばあさんが、病院の廊下が暑いと話していた。
 わたしは肌感覚的に、その室温が病室のそれと変わらず、これは病衣のままでは、とても寒いのだとわかっていた。
 それに、わたしは少しも暑いとは感じなかった。
 ふいにひとりがいう。
「きっと、熱中症にならない温度にしてあるんだよ」
 わたしは、ぎょっとしてそのおばあさんを振り返る。
 今いるところは大病院である。
 もし熱中症のおそれがあると心配するのであれば、血液検査をして、脱水症状に陥っていないかどうかを検査するはずなのである。そのための設備も人員もそろっているし、看護士さんは親切で優秀だし、医者がその程度のことも気付かないとは思えなかった。
 そもそも、その会話を聞いたのは中央採血室の真ん前で、熱中症が心配ならば、検査してもらえばいいだけなのである。

 わたしは、入院中に心臓への負担を避けるために、飲水量制限を受けており、それは何とか守ろうとしたのだが、血液検査の結果、若干脱水気味という判定が出て、生理食塩水の点滴中にも関わらず、飲水量制限を解除して、それよりも腎臓の負担を減らそうという措置を取られたりした(造影剤という検査用の薬剤が、腎臓に負担をかけていたそうなのである)。

 つまり、そういうことなのだ。
 病院は客観的に患者の状態を検査する方法をたくさん持っている。
 なので、何かのおそれがあれば、まず検査をするはずなのである。
 なぜなら、それが一番客観的なので。
 だから、わたしに対して飲水量制限を課すのは間違いだと判断したわけだし、そういう意味ではわたしはわたしを診たお医者さんを信頼している。
 
| 雑感 | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) |









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