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 自動車恐怖症
 高校生の頃、交通事故に遭った。自転車で田舎道を走っている最中、資材置き場のある十字路の、影から走ってきたセダンにはねられた。
 子供らしい空想にドラゴンボールのようにとっさの機転でそれを察知し、軽業のようにそのボンネットに手をつき、かろやかに着地するなんかよくあるのだが、それがまったくの空想であることを思い知るには、時速40キロで走る車重1トンの鉄の塊との衝突があるだけでいい。
 あっと思うまもなくぼくはアスファルトに叩き付けられた。
 ぼんやりとする意識の中で立ち上がり、周囲の人が集まってくるのを眺める。サイレンがして、あーあ、大げさになっちゃったよ、まったくもう、と思ったのが最後の記憶で、次に気付いたのは、背中じゅうに刺さったガラスを抜く手術室だった。当然ながら全裸にされており、それが恥ずかしかったのを覚えている。

 その日はどうやって眠ったのか記憶があいまいで、たくさんの夢を見たような気がする。
 目ざめて、その夢たちがはたして現実なのか夢なのか思い出せず、どれが事実なのかまったく分からない。診察室で医者と話し、医者の質問にぼんやりとして答える。
「たしか、買い物の帰り道で」
(え? ほんとうに買い物なんかしたのか?)
 それが分からなくなる。
 たとえていうなら、ぼくの頭の中にあるすべてのイメージにつけられていた「夢」「現実」「空想」のタグが全部とれてしまって、どれがどれなのかまったく判別がつかないような感覚。それを正直に話すと、医者はことなげに言う。
「ショック性の記憶喪失です。よくあることですよ」
 なおも思い出そうとするぼくと、医者はああよかった安心といった風情で話し、ぼくは思い出せないというふしぎと首を傾げながら格闘していた。
 いま思うと、その医者の頭にはそれよりも恐ろしい事態が想定されていて、その心配がなくなって、頭をアスファルトに叩き付けたにしてはたいした症状しか出ていないことに安堵したのだろうと思う。
 ぼくは、診察室のカレンダーを見てぼんやりという。
「あれ、いまもしかして8月ですか? もしかして8月23日ですか?」
「ええ、まあ」
 医者はそれで異常なしの判をおそらく押した。
「もういいですよ。むち打ちしてますから、なにか残るかも知れません。首のコルセットを痛くなくても、しばらくしていてください」
 記憶のタグはすぐに整理され、ほんとうは怖いはずのむち打ちもなんの後遺症も残らずに一ヶ月ほどで完治した。

 ほどなく警察に呼ばれて、事故の状況を説明される。
 何枚かの現場検証の写真を示されて、セダンの運転者との話し合いがセットされる。だいたいの状況は分かっていたので、運転者に故意や過失がないことは明らかで、特に運転者を責める気にもならなかったし、たしかにもう少し同情的な態度を取って欲しいとは思ったのではあるが、逆にふしぎな体験が出来たな、ぐらいの心持ちでいた。
 治療費と自転車の弁償できれいさっぱりの終わり。
 車会社に勤めているので、事故として処理しないで欲しい、というわけで示談成立。
 判子を押して、早々に運転者は退散する。
 ぼくは警察に残り、どのような状況だったのかを説明される。
 どうもぼくは、自転車の横からぶつけられ、そのままフロントガラスに衝突、それがクッションになって、セダンの上を転がり、そのまま後ろに落ちたらしい。
「運がよかったんですよ」
「はい?」
 警察官がフロントガラスの写真を見せる。
「ほら、衝突したところが人型になっています。分かりますか? ここが頭です」
 判別しにくい写真を見せられる。
「はあ」
「もしこの頭が、鉄の支柱に当たってたら、死んでいたかも知れません。柔らかいフロントガラスに当たったから助かったのです」
 なるほどと頷く。
「5センチでした」

 それからというもの、自動車というのは時速40キロで走る車重1トンの鉄の塊のようにしか見えなくなり、なにかの間違いがあれば、死に至ることもあるのだ、ということが身体に染みついた。
 それは一種の幻想を剥ぎ落とされたようなもので、歩道を歩いていても、車道を走る車に怯えるようになった。
 車自体を憎むわけでも、嫌うわけでもない。
 ただ単に、どんなにかわいらしいデザインをしていても、それが時速40キロで走る車重1トンの鉄の塊だということが現実として感じられ、それがなにかの間違いがあれば人の生命を奪うのだということを肌身で感じてしまうようになった、ということにすぎない。
 それは車に限らす、ホームに入ってくる電車でも同じで、事故に遭ってからは、よくまあ、あんなにも高速で走る鉄の塊の側に立っていられるものだと、内心思ってしまうのである。
 ぼくだけが、その自動車というものの一種の暴力性に気付き、他の人はそれに気付かない。もちろん、ぼくは自動車が問題だと言っているのではないし、なにか改善をして欲しいと言っている訳でもない。車社会が悪だとも思わない。
 もしなにか改善が提案できるとすれば、たとえばブレーキとアクセルを踏み間違えて人が圧死するというような事故をニュースで見て、急アクセルを踏むという状況はほとんど想定できないのだから、急にアクセルが踏み込まれたときは、それは異常行動として検知し、クラッチが外れるようにするとか、車側の安全機構に対する注文ぐらいだ。
 ただ単に、怖いだけなのだ。

 事故に遭ってから数年は、一種の生理的反応として恐怖を感じていたが、今となっては事実として怖いというぐらいでしかない。
 当時は、RV車のことをロードバイオレンス車だと揶揄ってみたり、危ない運転をする車に激怒をしたり、交差点を怖がったりしたものだが、いまではたまに親の運転がすこし荒くなったときにぞっとするぐらいで、これといって支障を感じることはない。
 高校の先生は、車を運転する側は鉄の鎧を着て歩行者に接しているんだから、すべての安全責任は運転する側にある、と言ってくれたし、ぼくが車に対するアレルギーに近い反応をしても、おかしがる友人はまったく皆無だった。それはおそらく高校には自動車を日常的に運転する人がなかったせいだろうとは思うのだが、やはりぼくの恐怖症に対して、全員が味方であったと言うことは大きかった気がする。
 そうやってだんだんに緩和していくにはきっかけがあって、それはホンダの工場に見学に行ったときの事だった。
 技術者に質問をしてくださいと言うことだったので、ぼくは質問をした。
 ぼくは、自動車にはねられたことがある。それ以来自動車が怖い。ホンダさんは、歩行者がはねられたときの対策をなにかしているのか。
 いま考えてみれば、かなり被害妄想な質問だったと思う。
 ホンダの技術者は、かなり困った様子で、
「自動車というのは人をはねることを想定して作られていない」
 と答えたが、別の技術者が、
「ああ、でもフロントガラスを割れやすくしたりというのはそういった対策だと聞きます」
 とフォローする。
 そう、ぼくはそれに救われた。
 その後、ホンダはぼくの言葉がきっかけだったかは分からないのだが、歩行者障害軽減ボディといって、ボディ前部を壊れやすい構造にして、それを安全性能として売り出しはじめた。
 それでだいぶ救われたのは、想像しやすいと思う。

 何々恐怖症という言葉を聞くと、ぼくはとっさにこの自動車恐怖症のことを思い出す。
 これはほんとうに生理的な反応で、事故に遭った人にしか分からない怯えに近いものだ。
 ぼくは生死に関わるとはいえ、たったの1回事故に遭っただけで、これだけ長いことそれを引きづり続けた。
 それがたとえば戦場で毎日のように人が死ぬ環境であったなら?
 なんどもなんども暴力を受け続けるような環境だったら?
 その傷は深いよな、普通。
 そう思ってしまうのだ。
| 文章力修行中 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事









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