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『僕だけがいない街』を見た/読んだ(ネタバレなのは、アニメが原作の何巻までを描いているかだけ)

 正直、映画評カテゴリーに混ぜるのはどうかとは思った。
 これはアニメ版に対する評であって、ややこしいことにこの原作は映画化もされている。わたしはこの原作が2時間の映画に収まるとは到底思えないし、正直1クールで終わったアニメ版でさえ話数が足りていたとは、到底思えなかった。
 アニメ版では原作を省略しすぎていて、意味がわからなくなっている。
 その話をしようと思って、これを書いている。
 正直ミステリー物の作品ということで、wikipediaがネタバレの編集合戦になっていたりなど、非常に正確な(そしてまったくネタバレしてない)情報にたどり着くのは、この作品に限っては恐ろしいほどに困難だ。それでいて、ネタバレとはまったく関係のない部分にこの作品のキラ星の

ても不幸だ。
 そこで、たった一つだけネタバレをする、ということにして、書いてみたいと思うのだ。
 この『僕だけがいない街』は一体何なのか、ということを。

 冒頭から、アニメ版が原作の何巻までを描いているのかに触れるのは、これがとても重要だから、だったりする。
 わたしはアニメ版から入って、いろいろと腑に落ちなくて、原作を読んだ人だ。
 腑に落ちなかったのは、なぜこの犯人はこんなことをしたのだろう、ということだった。これは原作を読んで腑に落ちたし、アニメ版がそれをカットした理由も痛いほどわかった。
 アニメ版は原作の6巻か7巻の冒頭までしか描いていない。
 原作は全8巻なので、ほぼ丸々2巻が抜けていることになる。
 コミックスのアニメ化の場合、だいたい5巻から6巻で1クールとなる(経験則上)。
 8巻となると2クールに足りないし、おそらく2クールもやる資金がなかったのだろう。
 あとは原作を読んでくれというのが、製作委員会に入っている出版社的にも都合が良いだろうし、アニメ製作会社も余計なリスクを背負いたくない。ならば、微妙に中途半端だけれども、ここまでにしましょうというはとても分かる。
 だが、これで残念ながら抜け落ちてしまったのは、わたしが疑問に思った、なぜこの人はこんなことをしたのだろう、ということだった。

 この『僕だけがいない街』は、小学生の連続誘拐殺人事件が起こり、28才の悟(主人公)が過去の惨劇を防ぐために小学生としてリバイバル(この作品の専門用語、タイムスリップだと思うと分かりやすい)して、過去に起こってしまった惨劇を回避する物語だ。
 犯人として主人公と親しかったユウキさんが有罪になるのだが、当然に真犯人がいる。
 とてもスリリングな本格サスペンスなんだけれども、ただひとつ腑に落ちないのは、これまでも書いたとおり、動機は? というところだったりする(アニメ版の印象をベースに話している)。
 原作では執拗なほどにその動機を書き連ねており、原作をご存じの方には信じられないかもしれないが、アニメ版にはハムスターとカンダタのエピソードぐらいしか動機らしい動機が出てこない。犯人の家族関係も出てこないし、犯人が結局30人以上殺しているエピソードも出てこない。
 たぶんと予測で書くのであるが、これはここに踏み込むと、7巻・8巻の内容を描くしかなくなるからじゃないだろうか。
 そうなると2クールだ。
 無理だ。うん、それは痛いほど分かる。
(映画がどうしたかは知らない。まあ無理だろうなとしか)

 一方で、アニメ版はこの『僕だけがいない街』の光の部分に、たぶんにスポットライトを当てている。このアニメ版を企画した人は、原作のショッキングな事件の全容に心酔したのではなく、その過酷さの中に散りばめられる、宝石のような輝きたちを愛おしいと思ったのではないか、と思ってしまうほどだ。
 一番好きなのは、ケンヤ(主人公の盟友になる弁護士の息子)が、悟と雛月を守ろうということで協力し、ああ、決定的なセリフを言ってしまうとネタバレすぎて、いやそれダメだろになるんですが、結構友情が感動的で、虐待を受けてきた雛月(ヒロイン)が普通の女の子として家庭に迎え入れられて泣くシーンとか、これも象徴的なシーンがあって、それから、どんどんと仲間が集ってアジトで雛月を匿うシーンとか、妖怪めと悟に思われるお母さんの頼もしさだったり、「したっけ!」(なんだっけ、じゃあね、だったっけ?)という方言の暖かさだったり、ああ、書き忘れていたけど、この『僕だけがいない街』は現代編が千葉、過去編が北海道(わたしは旭川あたりだと思ったのだけど、いろいろ矛盾があるなあとか思っている最中)で、しかし2月の北海道で氷点下ではないとはどうかとか思ったり(これは重要なシーンではっきりと気温が示されるので、それに対する疑問)。
 まあ、言及しようと思えばどこまでも言及できる物語です。
 正直、原作を繰る手が止まりませんでした。
 犯人はこんなことを考えていたのかと、本当に理解できるのは7巻・8巻です。

 うん、まあ、入り口はどこからでも良いですので、ぜひぜひ騙されたと思って触れてみてください。おそらく、損した、という気にはならないですよ!

| 映画評 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『メアリと魔女の花』を見た


 アニメってここまで動かしていいものなのだな・・・、観終わって場内の様子は「腰が抜けた」といったようすで、細かく見れば粗はありそうだけど(粗がなくなってしまったら、そこがそのクリエイターの成長の限界)、ラピュタ+千と千尋と言った感じの冒険活劇(ラピュタ)であり成長物語(千と千尋)といった映画に見えた。

 圧巻は冒頭からいきなり始まるアクションシーンから(このシーンの意味は最後の方でわかる)、まるでレールのないジェットコースターのように荒くれ回る精緻に組まれたストーリーの出来だ。
 もちろんそこは原作モノなので原作者の力量なのだろうが、そこに洪水のように溢れんばかりの、ハレーションを起こしそうなほどの膨大なイメージが流れ込んでくる。
 そしてそれが動く、動く。
 成熟した宮駿には到達できなそうなほど暴力的な(内容が暴力的なのではない)イメージの洪水、荒々しくもあり、若々しくもあり、成熟していないからこそ出てくる勢いのようなもの、それがこの映画にはある。

 まずヒロインのメアリがいい。
 なにをやっても危なっかしく、なにもうまくできない序盤の様子はなんでここまで描くんだ? とは思ってしまうのだが、ストーリーが荒れ狂い始めると途端に、ああ、これぐらいの子じゃないとこの冒険活劇のヒロインは務まらないのだ、と分かってくる。
 観ていて危なっかしいのだが、それでも進むのを決してやめない。
 その無謀さと、深慮のなさがなければ、こんなストーリーになったりするはずがない。それでいてメアリには芯の通った義理堅さがある。ネタバレは良くないのでぼかして書くが、ある事件からメアリはピーター(パズーだと思うと良い)を巻き込んでしまったことを悔いて、そこからひたすらに義理堅くピーターを助けようとする。
 男の子と女の子というと愛だの恋だのと穿った見方をするのが大人であるが、第二次性徴を迎えるまでは男女差というのはあんまりないと考えるのが普通だと思う(メアリは小学生高学年ぐらいだと思う。とくにピーターが赤毛のメアリを「赤猿」とよんで囃すのはどう見ても小学生だ)。つまり思春期前なのだから、愛だの恋だのをお話の前提にするのはおかしい。なので個人的な恋愛感情ではなく、巻き込んでしまったことに対する申し訳ないという感情からメアリはピーターを助けようとする。
 また、メアリは自分に関わるものたちに童話チックな愛情を注ぐ。
 メアリを導くことになる黒猫(これも後に理由がわかる)、偶然見つけた魔女の箒、そしてネタバレスレスレになるので難しいがラスト付近にやってくる者達。
 とくに箒に対して「箒くん」と言い続けるのは、愛馬を気遣う騎手に似ている。
 メアリを中心として愛情で繋がった者たちが、一緒になってメアリとピーターを助けていく。それを見ていてふしぎと温かい気持ちになる、ふしぎな愛情に包まれた映画になっていると思う。
 義理堅さと愛情。
 この2つがこの映画の芯となって、メアリの中に貫かれている。
 なんて美しいストーリーなんだろう(原作者を褒めてる)。
 たぶんこの原作がこれまで映画化できなかったのは、荒れ狂うストーリーを膨大なイメージのあらしで御さなければならないことが明白だったからだと思う。
 そしてそれは若くなければできない。

 宮駿信者はこういう。
 それは宮駿から盗んできたものだ、と。
 わたしはこういう。
 宮駿が宮駿に学んでいたら多分こういうものを初期に作るだろうと。
 宮駿に学んできた世代が出てきたのだ。
 わたしは昔、なぜ日本にはスタジオジブリ並みの成功した創作スタジオが10もないんだろう、と思ったことがある。それは今になって分かる。偉大な師匠が、もう10年もしたら死ぬかもしれない年令になるまで、次世代というのは生まれてこないのだと。
 それは天才が君臨してしまう呪縛だ。
 天才たちがもう口出しできなくなる予定が立つまでは、天才の影響下にある状況は続くのだ。米林監督(あえてマロと言わない)が、動きまくる最強のアニメーターとして登場してきたのを、次世代の誕生を祝福したい。
 正直腰が抜けた。
 劇場で、セカイノオワリの歌が流れる中で、退出する通路へ動く人はいなかった。
 わたしはトイレの心配で(心臓手術を何度も受け、人工心臓弁が入っているせいで利尿剤を処方されているから)、とにかく退出が容易な席を取る、つまり出口近くに座る。
 一番先にわたしが席を立ったほどで、それで見回してみても、感想がない、唖然としている、だった。

 まずこの作品は、アニメーションによる暴力だ。
 それは、これを見ろと言う迫力しかなくて、たぶんとてもロックだ。
 ステージになってギターを掻き鳴らすロックスターがそこにいるようで、アニメーションはここまでやっていいのだ、という次の金字塔のように見えた。
 宮駿にはこれができない。
 ここまで勢いだけで演奏する年齢ではないからだ。
 もし、宮駿が若かりし頃に宮駿にいちから鍛えられていれば、これをやるだろう。
 その地位にいたのは、米林さんだった。

 宮駿の育てた世代が出て来んだよ!
 ウィスキーを飲んで、乾杯しよう!
 これは宮駿を毀損する話ではなく、次世代をちゃんと育てていたじゃないか! おまえはどんだけ素晴らしいんだ! という話なのだと思う。

 一体次はなにをやるのだろうと、1ファンとして楽しみに思ってしまう。
 まだ、この天才師匠の弟子のキャリアは始まったばかりなのだ、嬉しいことに。

| 映画評 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ラ・ラ・ランド』を観た!


 のっけからネタバレをしてしまうと、この映画にはストーリーがない。
 おそらく意図的にストーリーが廃されているのであって、すべてはこの映画のラスト10分のための布石なのだ。ロサンゼルスというかハリウッドの中で、売れない女優と売れないジャズピアニストが恋をして、ささいなことで衝突し、ささいなことで泣き、ささいなことで悩み、ささいなことで苦しむ、そんな映画。
 おそらく等身大の姿を描いた作品なのだが、残念なことにわたしは米国人ではない。
 作中にプリウスが出てくるので(ヒロインが乗っている)現代なのだが、たぶんロサンゼルスの古めかしい地区を舞台にしているのか、あれ? これって70年代ぐらいを再現した映画なの? と思ってしまうぐらい日本人にはピンとこないところもある。
 それでもラスト10分は、ああ、これがやりたかったんだね、と思うシーンがやってきて、さまざまな思いが去来する映画なのだけれども、わたしがどう思ったかはネタバレになるので、ぜひ映画館で体験してほしい。

 さて、おそらくこの映画を観た方は、わたしがミュージカル部分に触れていないことを疑問に思っているはずだ。
 実のところわたしはこの映画の前に公開された、ロック・オブ・エイジズ(2012)の大ファンでミュージカル映画はだいぶ慣れてしまっているのだ。こっちはぜんぜん売れてない(2012の興収で94位)からだれも知らないかもしれないけど、ここで一通りミュージカル映画の洗礼を受けてしまっているのだ。
 たとえば、冒頭の大渋滞のシーンとか、ああ、これってこうなるんだよなあ、などと思いながら観ているとその通りで、渋滞でやるなんて面白いなあとは思ったのだけど、ロック・オブ・エイジズでは田舎からやってきたヒロインが乗り合わせたグレイハウンドバス(長距離バス)の車内で同じことがやられる。
 なので、はいはい、これぞ、ザ・ミュージカル、とあそこで頭をぶん殴られなかったのだ。それ以外の部分も同様で、たぶん共通に参照にしている名作があって似るんだと思うのだが、ああ、やっぱりそう来たかと手の内が全部バレてしまっているのである。
 なので、わたしのように擦れた人間でなければ純粋に楽しめるはずである。
 わたしがいちばん好きだったのは、ジャズについて熱く語るジャズピアニスト(セブ)。熱いジャズ愛がすごくて、もう側で何十時間でもその語りを聞いていたい気分になりましたし(たぶんそういう意図がある)、セブの店に入り浸りになるんだろうなぁ、と思うぐらい素敵なジャズが聴けました。
 わたしはジャズは疎いのですが、カンザス・シティ(映画)を恵比寿のガーデンシネマまで観に行ったぐらいには好きです。

 アカデミー賞は残念な結果になってしまったけれど、おそらくあまりにも等身大にこだわるあまりに、ロサンゼルスローカルな映画と思われてしまったのではないか、と思います。そこがいいところなんだけどねえ(笑)。
 ラストシーンを思い浮かべると、わたしもそうだったなあと、深い感慨にひたれるはずだと太鼓判を押して、いい映画ですよ、なのでオススメです、で終わる。

 いやー、去年の日本の映画がすごすぎるんですね(^_^;
 宮駿も細田守もいなかったのに、衝撃的すぎて。
 ああ、聲の形もう一回観に行こうかな、なんて思ってしまいます(まだやってるみたい)。もうわたしは植野さんが好きすぎて。
 豊作年ってすごいですよね。


| 映画評 | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『君の名は。英語歌詞バージョン』を観た!(全開ネタバレあり)



 観てまいりました! 英語歌詞バージョン! 通常バージョンと合わせてこれで二回目ということになります。ですので、みなさん、すでに一回目は観ているものと思い、一回目のときは書けなかった、全力ネタバレバージョンの感想を行きたいと思います。
 えーと、わたしは携帯電話のキャリア替えのついでに行ったので、そちらもちょろっとは書くのですが(ちなみにY!mobile → Freetelです)、そちらは本題ではありませんので、ご了解ください。

 英語歌詞バージョンは期間限定、上映館も絞った形での上映になったのですが、首都圏ではもはや埼玉県の植民地と化した池袋シネマ・ロサでの鑑賞でした。
 観たかったのに見れなかった、という方でも、おそらくプレスにはあまりお金がかかりませんので、DVD二枚組になるか、1000円ぐらい上乗せの同梱バージョンが発売されることを期待して、お楽しみいただければ幸いです。


 ■1回目のときは全体像がよく見えていなかった

 なんで「君の名は。」はヒットしたのか。
 世間一般で様々な論考がされていますが、たぶんあんまり語られてはいない部分がわたしにはとても重要な要素だと思うのです。それは何かというと、

 変態的な編集能力

 です。実はこれには証言があります。
 その証言の元はNHKのSONGSという番組で、主題歌を歌うRADWIMPSの野田洋次郎さんの証言です。
 この番組は録画してあったので、さっきから字幕見ながら書いています。
 こんな証言をしているのです。

 何秒でカットアウトで、何秒で瀧(主人公)がしゃべるから、
 「その後、何十何秒でこうしてください」とかって、
 すごくプロダクトとして精密に作っていたので、
 それはそれで楽しかったんですけど、
 逆にみんなで、ただかき鳴らしたいとか、
 スタジオに入ってワーッてやりたいみたいな欲望が、結構、強まっていって、


 つまり曲に秒単位の要求を出しているのですよね(^_^;
 この変態性が分かるでしょうか。
 たぶんこの野田さんが言っているのは、物語の30分ぐらいのところで流れる「前前前世」のところのことを言っていると思うのですが、あそこに至る畳み掛けのすごさはおそらく計算づくで作られたものなのですよね(明らかにそう証言している)。
 たぶん、あそこに向けて前半部分の構成を作っている。
 あの映画的快感は、何度でも味わいたくなります。
 これってそういう方面が分かる人からすると、あー、こいつMADビデオの手法で一本映画作っちゃったんだ・・・、となるんですが、それがいかに変態的で、超絶技巧であるかというのは、なかなか説明が難しいです。
 と言うか主題歌が映画のど真ん中でしか流れないって、過去に例があった?
 となるのですが、
 もう少し分かりやすい言い方で説明すると、計算しつくされて作られる90秒程度の予告編の作り方で、前半30分ぐらいまで作ってしまっている、30分は1800秒ですから、それがいかに尋常ではない作り方なのか、ということになります。
 これは予告編を見てから、前半30分を見ると、如実にわかります。
 MADビデオの手法なのです(マッドムービーとも言う)。

 ■MADムービー - Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/MAD%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

 MADムービー(マッドムービー)とは、既存の音声・ゲーム・画像・動画・アニメーションなどを個人が編集・合成し、再構成したもの。単に「MAD」と呼ばれることも多く、ネットコミュニティにおいてはもっぱらこの呼称が主流となっている。ただしパソコンやCGソフトが普及した21世紀初頭には「手書き(描き)MAD」(後述)という用語が出現するなど意味の拡散がみられる。主にファン活動の一環として行われる。「MAD」とは「狂っている、ばかげている」の意。


 わたしの言葉を信じてもらうならば、新海誠監督は日本のアンダーグラウンドで脈々と好事家たちだけに楽しまれてきたオタッキーなものを全開にして、オタク王に俺はなる! とやり切ったはずが、興収歴代2位になってしまいました、という顛末なのです。
 いやー、わからんもんですねえw
 まあ、ああいうのはゴロゴロあるんです・・・、アンダーグラウンドに。


 ■物語の主役はやはり彗星だ

 えーと、ネタバレ全開モードと警告はしていたのですが大丈夫でしょうか(^_^;
 これは一回目を観ている前提でないと言えないですよねぇ。
 この映画の主なアイデアを、シューメーカー・レヴィ彗星を見て思いついたのだとすればすごいとしか言えないのです。ただ、1200年前に糸守に落ちた彗星の破片が、また1200年後に同じ場所に落ちるか? とツッコミどころは満載なのですが、宮水神社の本尊があった場所も同じようにクレーターですから、あそこにも落ちたのですよね? まあ1200年前に2発落ちたと考えるのが妥当な気がしますが、まあとにかくこの話の重要な舞台は全部隕石が作っているのです。
 とにかく2回目は、はらはらしながら彗星に目が行きました。
 あれ? 1回目はこんなに彗星見てたっけ? と思えるほど。
 シューメーカー・レヴィ彗星映画だとはいいませんが、その災厄を逃れる物語なのだなあと書けば、この映画のゴジラが何なのかはわかると思います。また悲劇を回避できない世界線では、賑わっていた神社の屋台間近に、彗星が直撃するシーンがこんなに迫力があるとは忘れていました。
 蒸発するじゃんこれ! 即死とかいうレベルではなく、蒸発。
 あの恐ろしさはすさまじかった。
 しかし、それを無邪気に美しいと、瀧も三葉も言っているのが、恐ろしい。
「わたしあの時死んだんだ」
 という三葉の言葉も怖いし、お互いがどんどん忘れていくのも怖い。
 離れ離れになる怖さを書いていたから、たぶんヒットしたのだと思う。
 瀧の、
「おまえ、出会う前に会いに来てもわからないだろ!」
 という言葉がとても暖かくて、いちばん好きだったりします。


 ■英語歌詞バージョンどうだったの?

 さて、だいぶ長く書いているので、ちょっと気分を変えて、こっちも話さないとまずいかなと思っていたり(^_^;
 この英語歌詞バージョンは、歌詞は英語で、英語字幕が出ています。つまり、英語圏で流れるものをそのまま使っているのだと。
 まず、わたしは失礼ながらRADWINPSの曲の日本語をあまり聞いてなかったんだなと、まず思いました。
 なので、えっとー、何の違和感もないんですけど・・・、という状況でした・・・。
 大変失礼に当たるのは分かるんですが、洋楽としていいじゃんとしか思わなかった。聞いていてそんなにネイティブと遜色なかったし(わたしは英語全然だめだけど、英語圏の人が歌ってると言われたらたぶん信じる)、むしろ日本語版と発音が違うのが新鮮だったぐらい。わたしの評価よりもネイティブの評価を聞いてほしいと逃げたいぐらい。
 映画は英語字幕だったのですが、わたしも後で気付いたというか、帰り際の声を聞いて知ったのですが、どうも在日の英語圏内の方々がいらっしゃっていたようなのです。たしかにロビーでみると、ああ、たしかに外国人多いなあと。そんな需要があるとはまったく考えてもいなかったというのは、市場が見えてない証拠ですねえ・・・。

 ただ、聞こえてくる日本語と字幕の英語の差は感じました。
 わたしでも分かるレベルの英語なのです。
 象徴的なのは、三葉が瀧になっている時に、瀧の同級生と屋上で話している時に(つまり三葉は瀧がいつもどう接しているかを知らないので)、自分の呼称について、

 「I(watashi)」「はい?」
 「I(watakushi)」「はい?」
 「I(boku)」「はい?」
 「I(ore)」「おう」


 うる覚えなのですが、とあるやり取りです。
 なぜか日本語はIを示す言葉の種類が多いということなのですが、これ以外には、「じぶんは」とか、これはイオで使った「あたしは」とか、時代劇で多そうな「我は」などが考えられます。
 わたしも、わたしを使っているのは、中性的でありたいなあと思っているだけで、とにかく中立であろうとすると、わたしになるのです。これは北村薫の影響ですね。実際の人生ではなんですかね。おれではないので、ぼくですかね。でも、かっこ悪いです。わたしのほうが格好いい。

 また、四葉(妹)が三葉を起こす時に、うる覚えなのですが、「はやく起きろ!」というのが「ハリーアップ!」なんですね。これは意味の話なるのですが、「急げ!」という意味が英語にはありますよね? 適切なんだけれども、不適切、その辺の問題がどうしても考えてしまいます。日本語の言葉としては「起きろ!」+「はやく」なんですね。

 たぶん英語版の字幕は、思春期向きの映画として中高生あたりをターゲットにして、簡単な言葉で簡潔に伝えているのではないかと思います。ただそれを読んでみると、ああ、日本語ってこんなに含みを持たせられるんだ、と感心しました。
 もし1000円上乗せの同梱版DVDが発売されるなら、1000円ぐらいなら払ってもいいかな、ちょっと勉強したいかなと思うぐらいには。


 ■終盤の構成の作り、なんで瀧は三葉を好きになったんですか?

 たぶんこれは触れている文章を読んだことがないのですが、瀧はいつから三葉を好きになったのだろうという疑問は結構ちらほら書かれていたのですが、それに明快に答えている文章を見たことはありませんでした。
 たとえば中盤あたりで、瀧のバイト先の先輩が、瀧くんはたぶんわたしのこと少しだけ好きだったのだけれども、今は別の子が好きみたい、というセリフがかなり綱渡りすぎて個人的には好きなんですけど(書き手として)、あの付近ではまだ確定してないだろ、と思うのです。
 ただ、瀧は自分の世界に侵食してくる三葉が最大の関心事になっていて、奥寺先輩それに対して部外者だという印象を持ったのだろうなあと思います。あのへんかなり綱渡りですよ(^_^; この奥寺先輩の反応からして、それほどに瀧の意識は三葉に向いていたのですね。それは、自分の生活をぶっ壊されるおそれがあるからです。
 作中で、入れ替わりが起こるのは宮水家の女系の人間に起こる現象だと、明言されています。つまり瀧くんは被害者で、完全に受動的な立場にいるのです。簡単に言えば巻き込まれちゃったけど、惚れちゃったから頑張るいい人。
 まあすべて説明してしまった気になるのですが、瀧くんにとって、自分の人生を触ってくる人なのです。それは定期的に入れ替わるからです。いろいろな物語上の仕掛けを考えて、これほどそれは関係が深くなるだろうと思う、設定はないのです。そこに気付いたかどうかはわからないのですが、そこを主軸においたのは、実際の所、前例は大量にあるのですが、それをアンダーグラウンドから、表舞台に出したのが、新海誠だった、と思うのです。
 つまり、新しい発明ではない。
 日本のアンダーグラウンドを、世界に紹介して成功したのが新海誠だと、わたしはそう思います。それがわかるのは、日本版ラディットである、はてなブックマークだと思うのですが、ちょろちょろと読んでいると、ああ、新海誠がなにをしているのかわかったと、書かれたコメントをしばしば読みます。
 どこにもアンダーグラウンドはあって、それはきまって豊穣なのです。


 ■携帯電話のキャリアを変えた話、短く。

 Y!mobileからFreetelにしました。
 理由は3点です。

 ・Y!mobileは明らかに、運営がおかしかった。
 たぶんシステムがおかしくなっていると思うのですが、デビットカード決済で料金が決済された数日後(感覚的には一週間後)に、決済価格が決まりましたというメールが来るんです。それで、あれ払ってなかったっけ? という気分になるというのが不快すぎて、こんなこともできないやつに金を払いたくはないと思いました。
 これがまず第一。
 あきらかに会計システムがおかしい。

 ・Y!mobileは、帯域を使い切ると、128kbとかそんな生易しいレベルではない制限がかかる。
 これは、ほとんど利用できないレベルに制限がかかると言われますが、簡単にいうと、お金を払って制限を解除するほとんど帯域がかからないはずの手続きのレベルでも10分ぐらい待たされるという狂気に等しい制限かかることです。ウィルコム時代はこんなことはなかった。

 ・たぶん、回線を借りる側のサービスは、政府の規制でこんなめちゃくちゃな規制ができなくなっているのだと思われる。なので、とにかくY!mobileとUQmobileをつかうなと。
 UQmobileがそこまで悪質かどうかはわからないのだけれども、Y!mobileは悪質です。

 結果的にSIMフリーな、Freetelにしました。ただ、このキャリアも問題がありまして、クレジットカード決済しか受け付けないのですね。ホームページを見て嫌な予感はしていたのですが、実際の店舗でそう言われて、(池袋だったので)パルコカード作ってきてくださいと言われて衝撃でした。
 わたしはその助言どうりにパルコカードを作ったのですが、たぶん楽天カードとかを作っておいて望むのがのぞましいです。
 Freetelはクレジットカードオンリーです。

 結局、2時に出て、クレジットカードを作って、「君の名は。」を見て、クレジットカードを回収して、携帯の受取は時間がかかりますと言われて、その後すごい笑顔を見せられて、カメラ店て紙袋を渡されたときは嬉しかった。
 たぶん言ってはいけないのだろうけれども、その方の笑顔がすごくて、中国系の人たちの外交的なオープンな、太陽的な輝きがすごくて、すごいとしか言えなかった。

 恨み言は一切ないんですが、言っていいのか迷うのですが、Freetelは直販のほうが安いです。つまり量販店で端末を買ってはいけない。さらに言うと、直販よりamazonの方が安い(なんでだ・・・)。
 Freetelが悪いのではなくて、販売チャネルにより、値段が違うのです。

 まだ一週間も経ってませんが、とりあえず今のところ問題らしい問題は発生していません。まあ、一回今月分が引き落とされてみないとなんとも言えないのですが、概ね不満はありません(ちなみに機種はReiです。だいたい2、3年前のハイエンド機相当らしいです)。

 たぶん、2月分の決済が済んだら、ロケットモバイルの神プランSIMを入れると思うのですが(この辺がSIMフリーのいいところですね)、ようやっとY!mobileの呪縛から開放されました。しかし京セラのごついのを使っていた身としては、こんな軽くて薄いの大丈夫なのか? という不安だけが唯一の不安です。

| 映画評 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
『心が叫びたがっているんだ。』を見た



(本エントリーは酷評と好評が7:3ぐらいの割合で入っていますので、それが嫌な方にはお読みにならないことをお勧めします)

 本作を見て、その後、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の劇場版を見た。
 レンタル屋で借りるとき、これ劇場版ですけど大丈夫ですか? と言われた。
 わたしはいちおうhuluでアニメ本放送版を見ていて、劇場版のこれって本放送版の冒頭と違うよなとわかるぐらいには、本放送版を見ている。
 もちろん本放送版のほうが評価が高いことは知っている。
 それでも劇場版を見て、恥ずかしいことにぼろぼろと泣いてしまった。

 本作を結論から言うと、起承転結の承のない物語だと思う。
 30分ほどの起があって、最後に30分ほどの転結がある。
 その間の一時間ほどは転結へ向けての土台作りであって、それは平板なアリバイ作りのように見え、退屈でなんども挫折しそうになって、最後に支えになっていたのは、これは準新作だから400円も払ったんだぞ、という気持ちだった。
 それでやってきたクライマックスは賛否両論ありそうな物語で、ほんとにこれで30分持たせる気なのだろうかとは思った。
 人のことは偉そうに言えないけれども、下手くそだった。
 対比用に「あの花」を見たのは、名誉を傷つけない形でどこがどう違うのかを説明したかったからであり、本放送版も劇場版も「あの花」は素晴らしかった。なので、「あの花」ファンの視点として読んでもらえたらと思う。

 「ここさけ」はある事件により失語症になってしまった少女の物語である。
 結論で言っているようにクライマックスであるお芝居のシーンに向けて、ひたすらに物語を積み上げていく構成になっている。そのお芝居が始まるのがラスト30分で、そこからラストへ向かうシークエンスは非常に精密に組み上げられていて、スピード感があって心地よささえ感じる。
 ただ、全編を通して感じるのは、やり方が慎重すぎる、ということだった。
 単純に「あの花」を見返して思ったのは、こんなに大胆なことをしていたのか、ということだったりする。
 端的にいうと、安城鳴子(あなる)って、こんなに騒がしいやつだったっけとか。
 久しぶりに見直してみて、喧嘩しあっている物語だなあと思ったのだ。
 そこから振り返ると、本作はだいぶ上品でおとなしい。
 それがいいか悪いかは、観る側も作る側も好みなので、一般化して言うことはできないと思う。ただ、違うものだ、ということは言える。
 シェイクスピアにも悲劇と喜劇がある。
 どっちが好きかは好みだし(わたしは喜劇好きだ)、強要するものではない。
 だからこれは上品路線なんだなといちおうは納得する。

 だいぶ好き勝手言っているのだが、美点を言っておかないと申し訳ない気がする。
 まずはヒロインである成瀬順の表情が豊かであること。
 小説を書いているとしばしばセリフで解決してしまうことがある。しかし、セリフを封印して描かれたアニメという媒体が、表情が豊かで楽しい。ネタバレしないように書くのだけれども、ラストで成瀬がドキッとする絵とか、ここで爆弾投げこんできましたかぁ、とニヤニヤしてしまう(笑)。
 また成瀬が勝手に王子様と決めている坂上くんが、何を考えているのかよくわからないところも良いかもしれない。例えて言うと「秒速5センチメートル」のコスモナウト(第二話)の遠野(主人公)。澄田さんに「優しくしないで!」と怒鳴られる姿に重なる。あのどっち付かずのもやもや感は、なかなかにもどかしい。
 こう書いてくると、薄味なんだなあ、などと思う。

 むかし、とあるラジオで秋元康が食事した料亭の話をしていた。
 その料亭はとにかく薄味で、出汁の味がはじめはわかりにくいらしい。
 それが徐々に出汁が濃くなっていく。食べている方は前菜からの薄味に慣れて舌の味覚を鋭敏にしているから、それが徐々に濃くなっていくのがわかる。それがメインディッシュのときに出汁の味を最大限にすると、恐ろしくうまく感じる。
 これにだいぶ近い気がするのだけれども、その階段(承)の作り方があんまり上手くなくて、1時間退屈だったかなと、これは自戒でもあります。

 というわけで。
 酷評はしない主義なのでフォローをしておくと、ハマっている人はとてもたくさんいるので、合う合わないは個人的な感想ですよ。起と転結は極上です。ただ承が下手だなあ、というだけの物語なのです。


| 映画評 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『かもめ食堂』を見た。

 『かもめ食堂』を見た。

 わたしが北村薫系、角田光代系だとしたら、外せない作品である。
 たぶんよしもとばなな系でも許容範囲で、江國香織系は厳しいかもしれない。
 ゆるいのである。
 そのゆるさがほっとする作品で、正直散々にゆるい。わたしがこれを見ようと思った理由が舞台がフィンランドで、最近わたしは北欧が知りたくて、それ以外に理由はないのです。ほんとうはスウェーデンだったら、どんなに良かったかと思うほどで、スウェーデンの戦史物とか来たら、どんだけ金をつぎ込むかしれない。

 話が大幅にずれました。
 かもめ食堂は、ひじょうに端正に空気を追っていく話しで、空席から満席を追っていく話なのですが、食い物系どんだけ好きなんだと言われそうです。シナモンロールとかどんだけ食いたいんだとか、鮭の塩焼きとかどんだけすきなんだとか。
 手が動く食い物シーンは大好物です。
 だいたい味が分かるんですね。
 そこは岩塩だろうとか、余計なこともいいたくなって、その味を想像すると、よだれしか出ない。

 ただ、わたしは埼玉県民なので、近いうちに飯能の宮沢湖近くにムーミンパークができるらしくて、そこに北欧店舗が集まると聞いて、興奮しています。IKEAでしか買えなかった、魚の酢漬けが日常的に買えるというのは、事件です。
 日常的に、サンドで食べたい。
 




| 映画評 | 06:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『聲の形』を観た!

 えーと、完全にキャパが足りなくなるぐらい沸騰している聲の形ですが、ようやっと観てまいりました。
 いちおうわたしは原作のファンでもあり、原作と映画は違う印象を受けるのですが、よく見てみると原作の細かいニュアンスを丹念に拾っていて、なんといいますか、この人はこう読んだんだなという印象を受ける映画でした。
 え、こんなこと言ってたっけ?
 などと思うシーンもあるんですが原作を見てみると確かに書いてある。
 たとえばこの映画の大きなひとことである、
「俺も同じこと考えてた。それでもやっぱり死に値するほどのことじゃないと思ったよ」
 というセリフ。
 こんなこと言ってたっけ?
 と思ったのですから、わたしが読めてなかったんですね。
 映画の中ではこれがすごく重要に描かれるものですから、冒頭で言った「この人はこう読んだんだな」という印象になるんです。

 えーと、ネタバレになるのですが、と言ってしまうのは、原作とは全く違う印象になるのでばらしても全然問題ないと思っているのですが、映画は文化祭のシーンで終わります。またこの映画では石田たちは映画を作りません(なので映画上映シーンもありません)。
 またラストは「これぞ文部科学省ご推薦映画」というような感動的な終わり方をします。
 多分見ると、ああここにあれのニュアンスを一斉投入してきたのか、しかしアニメーションってすごい、これが京アニマジックか……、という感想を抱くと思います。
 これ以上はネタバレになりますので控えますが、上手いとは思うと思います。

 さて全体的な印象はこんな感じだったのですが、なにかあちこちの批評でかなり見当違いな声が聞こえてきていたので、若干分かる範囲で書いてみたいと思います。一番のポイントになるのは植野さんです(石田をずっと看病していた子)。
 実は原作で、あ、植野さんって石田のこと好きだったんだ、とあからさまに分かるシーンがラスト近くに出てきます。つまり石田にちょっかいを出したり、西宮に食って掛かったりしていたのはこれが理由なんですね。まあ映画でも、気付く人は気付くだろうと思うのですが、原作はもっとあからさまに描いているので、まずこの点を指摘しておきます。
 また、原作では小学生時代に石田をいじめていたのは植野さんもその一人だったことが告白されます。つまり嫌いだからいじめていたわけじゃない、というところがまず一点なのです。
 そして映画を作った人たちがどう見ていたかがわかるのが、小学生時代の石田と西宮の取っ組み合いのシーンと、ラスト近くで植野さんが西宮に馬鹿じゃないのと手話で伝えたときに、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるシーン。おそらく西宮はこれまで一度も自分の人生に誰かが足を踏み入れてくれることがなかったんだと思います。
 見当違いな声では、「いじめたものといじめられたものが恋に落ちる最悪の物語」ということになるのですが、それはそれこそこの映画を作った人たちがまず訴えたかった、表層だけを見て分かったつもりになっている形なのではないでしょうか。それは駄目だと言っているのがこの映画だと思うのです。
 あとまあ、障害者を美少女にするとは何事か、などというとんちんかんなものもあるのですが、ヒロインを美少女にしないで漫画や映画が売れるか、映画に広瀬すず使うなと言ってるようなもんだ、それこそ外見しか見てないですよね……。
 もともとこの映画の原作は、第2巻が刊行されたぐらいのタイミングで(全7巻)、シノドスが取り上げて売れるようになった漫画だったと思います。ですのでその方面の方々には評判の高い原作だったのですね(そして映画は文部科学省ご推薦)。なのでアレルギー反応の数々を見ていると、はあ……、と暗い気持ちになるです。

 細かなシーンを言うと、石田と結弦が和解する雨のシーンと、植野さんと西宮が和解する雨のシーンが全く同じ傘のシーンになっているとか(ただし植野さんと西宮は実際には石田を取り合っているので石田と結弦のようにはならないのですが)、結局この映画は人の許し合い方を描く物語なのだな、と気付くのです。
 また、アニメーションですから、音が出ます。
 音というのは結構直接的で、場合によっては暴力的に感じる人もいるでしょう。
 たとえば植野さんは原作よりもはるかにめんどくさい人に感じます(笑)。
 実際読み直してみると、確かにかなりめんどくさい人なんですがw
 西宮が石田に必死に伝えたくて、耳が不自由な方特有のうまく発音できてない言葉でなんとか伝えようとします。手話じゃ嫌なんだ、どうしても声にしたかったんだと感じるあたりが、結構じんときます。
 また嬉しいことがあるとベッドにうつ伏せになったまま足をバタバタするシーンも、なんというか感情豊かでかわいらしい。漫画も十分に表情豊かなのですが、京アニだけに動くとさらにブーストを掛けて表情豊かにしてくる、この贅沢。
 映画館でご堪能ください。

 あとまあ、わたしは入院患者に異様に詳しくなってしまったので(散々に入院したので)、結構リアルだなあと思ったり(ただし夜中に患者が病院の外に出るのは不可能。原作通りだから仕方ないのだけど)、わたしは舞台となっている大垣市は、列車の乗り換えで1時間ぐらい時間を潰さなければならなかったときに駅ナカを歩いたぐらいなので、いつか行ってみたいなと思ったり、田舎道の道路に這いつくばってるのを見て危ないだろ、轢かれるぞと思ったりしました。
 わたしは中学高校大学とバドミントン部だったので、部活に行けば部活仲間がいるし、クラスの中ではバドミントン部という名刺を持っているような感覚だったので、そんなに人間関係に困らなかった(そんなことよりレギュラー争いのほうが重要だった)し、わたしもやらかすタイプの人間なので、いろいろと迷惑かけたのを思い出して、本当に暗い気持ちになる事はありますが、やっぱり石田の言葉の、
「それでもやっぱり死に値するほどのことじゃないと思ったよ」
 というセリフがずしりと響きます。

 いい映画です。
 公開館がかなり絞られていて、しかも具合の悪いことに「君の名は。」というメガヒット作が1番スクリーンを占拠している中、封切り作の次になる3番スクリーンというキャパの足りなさも手伝って、予約必須の映画となっています。
 わたしも30分前に行ったはずがすでに売り切れで、次の回を見る羽目になり、その回も終わって振り返ると空いてる席あるのか? という状況です。
 事前予約に勝るものはありません。
 ぜひぜひ完売だけには気をつけて、存分にお楽しみくださいませ。
 あとご覧になって「よい」と思ったらぜひぜひ原作も。
 あなたはどう読みますか?



| 映画評 | 02:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『お熱いのがお好き』を見た。
 えーと、ビリー・ワイルダーです。常々からビリー・ワイルダーの著名作品は出来うる限り見るようにしようと思っている、そして言っているのですのでが、戦前、そして戦後すぐぐらいの時期に代表作が集中しているため、たとえアカデミー賞受賞・ノミネート作であっても入手が困難な作品だらけです。
 一番の代表作は「アパートの鍵貸します」でわたしがビリー・ワイルダーを見ようと思い始めたのはそれを見てからです。なにが魅力かと言いますと、いたずらっ子を見ているような自由奔放なコメディーの楽しさというところでしょうか。

 この『お熱いのがお好き』はマリリン・モンローが色っぽい主演女優で出演しているので有名なのですが、まあそのおかげでこの作品は広く流通していてわたしも見ることができたし、たしかにそいう色っぽいシーンも結構濃厚ではあります。マリリン・モンローさまさまなのですが、wikipediaの解説によれば、ワイルダーがモンローに惚れこんだのはその色っぽさではなく、面白おかしいコメディーの主演女優としての才能、ということのようなのです。
 それはおいおい説明しますが、まずはあらすじから見てみることにしましょう。

 禁酒法時代のシカゴ。聖バレンタインデーの虐殺を目撃したため、マフィアに追われるサックス奏者のジョー(カーティス)とベース奏者のジェリー(レモン)は、シカゴから逃げ出すために仕事を探すが、団員を募集していたのはフロリダに向かう全員女性の楽団だけだった。
 女装してジョセフィン、ダフネとなって女性楽団にもぐりこんだ二人は、その楽団の女性歌手でウクレレ奏者のシュガー(モンロー)に恋をしてしまう。
 フロリダでジョーは再び変装し、シェル石油の御曹司「ジュニア」としてシュガーに求愛する。一方ダフネに変装中のジェリーは、本物の大富豪オズグッド3世(ジョー・E・ブラウン)から求婚される。
 シカゴからフロリダへ、マフィアの手からうまく逃れたかに見えた二人だが、彼らが滞在するホテルにマフィアの別名団体である「イタリアオペラ愛好会」が訪れる。


 これはwikipediaのあらすじをそのまま引用したものです。
 これだけだとイメージがわきにくいと思いますので補足しますと、ジョー(ジョセフィン)は色男の口のうまい浮気者、ジェリー(ダフネ)は騒がしくて危なっかしい道化役、シュガーはマリリン・モンロー(これで説明つくのがすごいw)。
 大枠の話は、フロリダで興行する女性だけのビッグバンド(だいたい20人編成ぐらいのジャズバンド)に女装した男2人が潜り込み、いつばれるかとハラハラしながらも、いわゆるハーレムもの(女性の園に男が少数)展開を満喫するという映画です。
 ただいちおう建前はギャング映画なので(?)、ギャングとの大捕り物もありますよ、といった感じ。
 うんなるほどw 狙いが分かりやすいw

 ただここまで読むと、いや、女性の中に男が混じってたらすぐばれるでしょ!? と思うと思うのです。それがこの映画の面白いところで、なんだかんだでドタバタしているうちに、ばれないことに違和感を感じなくなってくるんですねw
 これはちょっと書こうとしたマリリン・モンローの才能の話でもあるのですが、シュガーはヒロイン役ですから当然に主役の二人組と頻繁に接触をし、二人もシュガーにくらくらとしてしまいます。で、そのシュガーはどうかと言うと、無邪気に二人を信じ切っていて、夢見がちな甘ったるい幻想で二人を包み込んでしまうのです。
 わたしはマリリン・モンローファンではありませんので、他の作品がどうなっているはまったく分からないのですが、このモンローの夢見がち感がコメディーに使いやすかったのではないかと推察するのです。

 日本の女優で言えばぜんぜん色っぽさが売りではないですが、NHKドラマの水族館ガールでヒロイン役をした松岡茉優。なんといいますか天然系と言われる女優さんたちに近いのではと思うのです。ひとことで言うとほわっとした空気感を持っているんだけれども、そこにすべてを引きずり込めるだけの存在感があると言いますか・・・、男性俳優では大河ドラマ真田丸で準主役をやっているにーちゃん(これは真田家の長男役だから)こと大泉洋さんですかね。
 にーちゃんをどうコメディーに使っているのかと言われると難しいのですが(最近は難題ばかりなので)、少なくともちゃんとおかしみは出していたよ、とはいえるのではないでしょうか。
 えーと、真田丸の説明をすると長くなりそうなので、この辺でぶつっと切りましょう。

 ■役の使い方、いかに少人数で回すか。

 ここから本題なのですが、ワイルダーの面白さは、一つの役柄を一つに使わないところにあります。もちろん物語技巧的な面白い話はもっと話せるところではあるのですが、それは『物語解析』を読んでいない人にしてもちんぷんかんぷんです。
 なので端的に言って、女装して入った男が、その女であると信じ切っているモンローを駆使して、男にも嘘八百で身分偽装しながら恋の虜にさせるという脚本ってすごくない? という話なのです。
 ジョー(ジョセフィン)は男の立場と女性の立場(どっちも嘘八百w)を駆使して、シュガーに迫っていくのです。まあなにか詐欺師じゃないかと思うかもしれませんが、ふしぎなおおらかさとおかしみがあって、まあ実際詐欺師なんですけど、浮気者ではあるけれども悪意はなくてそこそこ義理堅いところもある、それをワイルダー一流のどたばた喜劇でひっかきまわす。
 よい脚本というかシェイクスピア劇は、展開が早くて目まぐるしく次々といろいろなことが起こって有機的につながっていく。これは脚本の力ですし、非常にコンパクトだからできる密な構成だったりはします。
 これは楽しみは奪ってはならないと思いますので具体的には言いませんが、くっくっくと笑ってしまう展開の妙があります。
 たぶんワイルダーがあんまり好きでない人は、引きずり回しすぎなぐらい、はらはらさせるところにあるし、実際にはこんなの普通ばれるだろと思うようなことも力技で納得させてしまうところだと思うのですが、まあもっと肩ひじ張らずに、稀代のいたずらっ子がどう楽しませてくれるかを堪能しましょうや、というのがわたしの言いたいところだったりします。
 モンローが色っぽさで延命させてくれた作品というのは、同じワイルダーの「麗しのサブリナ」をオードリー・ヘップバーンが延命させてくれたのと似ているのですが、こちらはまた別の楽しさがあります。
 わたしのなかではこの「お熱いのがお好き」は「麗しのサブリナ」よりも評価が高いのですが、その理由はモンローとヘップバーンの比較ではなく、脚本の質の高さなのです。もちろん最高峰は「アパートの鍵貸します」なのですが。

 「お熱いのがお好き」はたぶん、色っぽいイメージが付きまとわっていて(実際にかなり色っぽいですし、わたしも借りるのがかなり恥ずかしかったです)、その喜劇の作劇方法に目が行っていない作品な気がするんですが、これはすごかったというのがわたしの報告です。
 これにマイナス評価をするのはもったいない! 見てから言え!
 という作品なのを書いておきました。

 物語解析したいけど、ほとんど需要がないだろうなあ・・・。

| 映画評 | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『君の名は。』を見た!(ネタバレなし版)
 シルバ―ウィークに入ってようやっと見てまいりました、『君の名は。』
 たいへんな話題作ですが、あとで見直してみると重要なことは全部予告編で言ってるんです、この予告編よくできてるんです。

 ■「君の名は。」予告
 https://www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE


 この中で、動き出した奇跡の物語、とキャッチが出るんですが、ほんとにその通りの奇跡の物語で、何だここで言ってるじゃんと思ってしまったほどです。ただこの映画はその奇跡を起こすためにかなりアクロバティックな脚本になっていて、個人的に正直未だに上手く整理がついていないところだったりします。
 この予告編にある通り、東京の男子高校生の瀧(たき)くんと、飛騨の女子高生の三葉(みつは)が週に二三回不定期で入れ替わってしまうというお話です。ただそれだけの話かというとそうでもなくて、もう一つの大仕掛けが始まると突然に物語がサスペンスフルで切実なものになっていくのです。

 ■「君の名は。」予告2
 https://www.youtube.com/watch?v=3KR8_igDs1Y


 予告2の方が踏み込んだ内容になっているのですが、これお互いのスマートフォンを通して文通のようなことをするんです。でお互いに勝手に干渉されるから、互いにふざけるな、になるんですね(笑)。わたしが見た感じは三葉のほうが瀧くんをいじって遊んでいて、瀧くんはいじられているうちに気になる存在になってしまっていくように見えました。
 で、この二人は典型的な「喧嘩するほど仲がいい」なカップルでして、必死になって奇跡を起こしてやっと出会えてもすぐさま喧嘩が始まる(笑)。もう、楽しいんでしょうね、喧嘩してるのがw でも喧嘩できなくなると自分の半分を失ったかのような喪失感を感じる。
 スマートフォンを通じて文通してますから、スマートフォンに携帯番号とかを残せるわけです。で瀧くんが三葉に電話をかけようとして掛けるんだけども繋がらない、なんでだ? とその理由が分かり始めたところから、ものすごい勢いで物語が展開していきます。

 もちろん中盤の瀧くんと三葉のどたばたコメディも結構おなか痛いのですが(^_^; やはりクライマックスに向けての奇跡を起こしていくアクロバティックな展開は圧巻の一言。迫力がすごいというか、ほんとうにほんとうにほそいほそいきれてしまいそうな糸を必死に手繰って奇跡を起こす。
 物語を書く人だったらこの脚本に嫉妬しない人はいないとさえ思います。
 わたしも、ほんとにこれ整合性取れてるんだろうかと、もう一回見ないとよく分からないと言いますか、まあわたしは秒速5センチメートルもブルーレイで買って環境音楽代わりにエンドレスで流していたぐらいには新海誠ファンなので、「君の名は。」もDVD購入コースかなあ、などと思っていたりします。
 しかし、この映画107分しかないんですがものすごい情報量でひとつも無駄な情報がなく、5回ぐらい見ても全部把握できるかわからないという気さえしてしまいます。

 何はともあれ、(ネタバレあり版)を書くときにはもう一回見ないと無理ですね・・・。
 ただただ腰を抜かす映画であると同時に、どたばたコメディも切ない恋愛も堪能できますので、まだご覧になってない方はぜひぜひご覧くださいませ。


 ※なお、作中で瀧くんのことを三葉が瀧くん、三葉のことを瀧くんが三葉と呼称するので、その呼称に統一しています。
| 映画評 | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『STREETS OF FIRE』をみた。

 この作品はいちおう、これは見とけよリストに入っていた作品で、たまたまレンタル屋で見かけたので、あ、あった! という感じで借りてみたのであって、とくに基礎知識とかはまったくなかった。
 ストリート・オブ・ファイヤーって、何か某著名格闘ゲームであるストリート・ファイターと混同しそうであるが、これが実は少なからず関係があってびっくり! といったら少しは興味がわくだろうか。
 なにを隠そう、この映画の主人公の名前はトム・コーディー。
 たぶんその筋に詳しい人であれば、まじで?! とびっくりするはずなのだ。

 まずこの映画の概略であるが、簡単に言うと物騒な「ロック・オブ・エイジス」というのがわたしの感想で、たぶんその映画をほとんど人が知らないと思うので付け足すと、ロックを中心にしたミュージカルみたいな映画だ。
 ヒロインはロック歌手であり、80年代のエネルギッシュな歌い手だ(というか製作が80年代)。それが無法地帯となっているリッチモンドでさらわれてから物語が始まる。この無法地帯というのは西部劇をベースに考えられたようで、物語上はボンバーズという暴走族のようなやくざのような連中が街を恐怖で支配している、みたいな感じ。このボンバーズにヒロインのエレンがさらわれるのである。
 そこで2年間音信不通だったらしい、コーディーの元に連絡がいく。
(作中は、トムトムトムトムトムなのだが、このエントリー的にはコーディーが重要なので、コーディーで行かせてもらう)
 それでコーディーは物騒なショットガン(なぜか撃っただけで車が炎上する。グレネイド弾? そもそもショットガン(散弾銃)は狙い撃ちには向いてないんだが、という話は無視して進む)を持ってエレンの救出に向かうのだが、リッチモンドはボンバーズの支配下にある、さてどうなる、というお話なのである。

 この映画はどうやら興行的には失敗作だったようで、製作費よりも興行収入が少なかったようだ。それでも、あちこちに影響だけは与えたようで、わたしも見なければいけない映画に入っていたので見た。
 ただ見ればわかるが、冒頭から疾走感のあるロックから始まり、あっという間にエレンがさらわれていく。たぶんボンバーズがバイクなのは西部劇の馬に合わせているのだろう。ただ、BGMに使われる音楽が、ブルースとロックの境界があいまいだった時代の伝統的な音楽で共感が持てる。
 コーディーは雰囲気はブラッド・ピットに似ているだろうか。
 むしろこっちがオリジナルで、現代風にしたのがブラッド・ピットかもしれない。

 またこの映画は警察官とアウトローたちの話でもある。
 もともと西部劇がベースだといった通りで、保安官とさすらいのガンマンと無法者の話なのである。なので、だいたい西部劇だと思って見ると、だいたいあってる。ただ、だんだん仲間が集まっていく過程が秀逸で、ラストシーンでそれが一堂に会しているのを見ると結構感動する。
 なにも意味がないように見えたものも、どんどんと集っていき、決着していく。
 脚本の見事さというよりはコーディーの存在感、というのがふしぎな映画で、ここでコケてたらコケてる映画(いや実際にもコケてるんだが……)。
 そして、だいたい流れる音楽はとても伝統的で安心感を感じるクラシックなブラックミュージック(ジャズやブルースという意味)。
 無理やりに過激に見せようとしている部分はあるけれども、音はだいたいはジャズだったり、ブルースだったりする。ああ、ロックの街と伝統音楽の街という対比なのかなあ、と思うんだけど、そこは分からない。

 とにかくエレンを取り戻す一連のシーンは45分ぐらいまで続くんだけど、息をのんで時間を忘れてた。というかなんでショットガンで大爆発がw とツッコミながらも熱気むんむんの音楽がとにかくいい。
 ミュージカルというほど歌ってはいないのだけど、それでもやっぱりこの映画の主役はブラックミュージックだと思う(ただし歌い手はほとんど白人)。
 わたしがなんでブルースを好きになったのか、というのは蛇足になるが、それはつい最近それを説明してくれる文章に出合って、びっくりした。これは「音楽ライターが書けなかった話」という新書(?)の文章なのだが、エリック・クラプトンに関する言及である。

 つまり、一般の良識から判断したらかなりだめな人なのである。
 しかし、クラプトンは、そういうでたらめな自分をよしとしていたわけではない。むしろ常に悩んでいて、そこからくるあらゆる苦悩から救ってくれるのが、ブルースであるとイギリスでのインタビューで話している。そう考えると、彼が歌うブルースは様々な苦悩からの解放を求める切ない叫びにも聴こえる。

 正直、わたしがはまり始めたのは大学受験の頃で、そんなに悩むような大人でもなかったのでクラプトンの事例は当てはまらないのであるけど、結局その後突き進んだのは、たぶんこれなんだなと、思う。
 ブルースは敗者の音楽で、ロックは反逆者の音楽。
 まあ、ブルースなんて誰も分からないよね、というのは簡単だけど、なんで惹かれるんですかねえ・・・。日本で一番著名なブルースシンガーとしては山崎まさよしになるのでしょうが、海外だったら誰を押したいですかねえ。
 余計な話やめましょう。

 わたしが初めてこの作品の秘密に気づいたのはボンバーズの首領であるレイブンの服装で、あれ、これどっか見たな、から始まっているのです。
(それぐらいまったく基礎知識がなかった……)
 しかしこの時代のたばこは自由ですねえ・・・。高架鉄道内でも吸ってるし。
 この映画はいちおうリッチモンドが舞台ということになっているのですが撮影はシカゴでしたそうで、わたしも見た瞬間、あ、シカゴだ、と思ったほどです。
 そもそもわたしはリッチモンドがどこにあるのか知らないんですが。

 世紀末的な、80年代をベースにした嫌世的な退廃感も、80年代なんだろうかとわたしはもっと後の世代なので分からないのですが、とにかくその時代の音楽よかったことは分かります。
 R&Bの芽生えだったのか、素敵で幸せなシーンがたくさんある。
 それでもアクションは忘れていなくて、「ロック・オブ・エイジス」と違うのはこの部分。ほんとうにどうしようもない逃走劇なんだけれども、こんな短い話をよくこんなに深くできたなという感はする。逆に言うと「ロック・オブ・エイジス」はひよってるんだなあと、思ってしまったほど。

 さて真相に迫ろう。
 このストリート・オブ・ファイヤーは、カプコンのアーケードゲームであるファイナル・ファイトのモデルになった映画である。wikipediaでよんでほしい。ファイナル・ファイトはそもそもストリート・オブ・ファイヤーをゲーム化したものだ。
 分からない人に簡単に言うと、このカプコンのファイナル・ファイトは、のちの大傑作シリーズになるストリート・ファイター2のベースになる。ファイナル・ファイトの1対多の戦いを、1対1にしたのがストリート・ファイターである。
 コービィーがキャラクターとして登場する。
 わたしは高校時代がスト2世代なので、高校の親友とゲームセンターでずっと格闘ゲームばかりしていた。いまだに年末などは集まってにぎやかにゲーム大会をする。語り始めるときりがないので省略するけど、カプコン製のアーケードゲームにはいくら払ったか知れない。
 ラスト付近に出てくる、コービィーとレイブンの1対1の決戦はまさにストリート・ファイターで、これをゲームにしようと企画書が出てきたことは想像に難しくない。

 たぶん説明がほとんど分かっていないことだけは分かっている。
 で、まず、売れてないけどいい映画だとよといいたい。その理由のほとんどはロックがいいという、もちろんブルースもいいというそういう理由になる。その音を聞かせる余興として、まあ映画を作るのもよかったのではないか。

 ストリート・オブ・ファイア、お勧めです。

 
 


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