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「アリータ: バトル・エンジェル」を観た



 本作のヒロインを、アリータと呼ぶか、アリタと呼ぶか、ガリィと呼ぶかで、本作に対する態度を表していると思う。
 ガリィは本作の原作である銃夢のヒロインの名称で、あんまり詳しい説明はされていないのだが、おそらく英語の隠語にあたる言葉に発音が似てるからなのではと邪推できる理由で、この名称は使われなくなった。
 アリタは銃夢の中で一瞬だけガリィを呼ぶ名称として使われる(詳しくは銃夢のwikipediaを参照)名称で、おそらく製作総指揮をしているジェームズ・キャメロンが原作尊重の立場からこの名称を選んだ。
 アリータはそのアリタを英語に直したAlitaの読みがカタカナにするとアリータになるのだと思われる。
 わたしは英語に詳しくないし、この文章が英語圏の人に読まれるとは思えないので、本作のヒロインをガリィと呼ぶことにする。

 wikipediaによると本作は原作である銃夢の1〜4巻を中心に描かれるとされているが、実は5巻のザパン編に登場する賞金稼ぎたちも登場する。しかし、6巻の以降のTUNED編の登場人物は登場せず、だいたい1〜5巻の中からごちゃまぜに作ったと考えるととてもわかり易い。
 ただ、モーターボール編も描かれると言っても、帝王ジャシュガンがちらっと出る程度で、ジャシュガンの妹シュミラも登場しない。セカンドリーグへのセレクション(トライアウトのようなもの)が主に描かれる内容で、モーターボール編で出てくる数々のライバルたちも登場はしない。

 それでもと言うべきだろう。
 総製作費2億ドルを越え、1分1億円以上かかっていると言われるアクションの数々はまるで息をつかす暇もない。原作3巻でイドがモーターボールプレイヤーのVAモニターを見て、
 ――僕の目と耳はいきなり時速300kmのバトルに投げ込まれた!
 ――たしかにこいつは強烈な大人向けジェットコースターだ!!
 と言っている原作者木城ゆきとの意図をかなり忠実に描いていて、超高速空中格闘技戦がものすごい密度で展開される。
 また、ガリィが自分の心臓を取り出すシーンって原作ではジャシュガンとの賭けのシーンなんですね、これがまたうまく使われていたり、ユーゴ(映画版ではヒューゴになっている)の最期のシーンは原作通りなのですが、その前に伏線がはられていたり。
 また多分そうしないと売れないからでしょうが、映画版でイドとガリィの関係は親子関係を連想させる作りになっているのです。
 原作ではイドが脳死の発作持ちのジャシュガンのチームのドクターとして入り、シュミラがあたかもイドの恋人のように振る舞ってガリィを苛立たせるなんて話があったり、最後の戦いに挑むジャシュガンがシュミラに、お前はイドのお嫁さんになれ、と言い出したりと恋人関係を匂わせる作りになっているのから見ると、かなり大きな違いです。
(ちなみにどうでもいい話ですがこの付近でガリィが屋台でラーメンを啜ってるコマが入っていたりします。予告編でアリータ(ガリィ)がオレンジを齧るシーンが有って、原作に食事するシーンってあったっけ? と話題になっていたので)
 最後の方でアリータ(ガリィ)が、イドに向かってお父さんというシーンが結構ぐっと来て、多分言われないと気づかないのでネタバレにはならないのですが、この映画は親子物語として作られているのです。

 この映画の大きな特徴である大きな瞳については、初見で慣れたw というか違和感まったくなかったですw
 また原作から入った人からすると、ガリィの服装は黒のレザースーツなのですが、おそらくあんまりセクシャリティを主張するのが米国ではまずいのでしょうね、とてもファンシーな格好で、それが普通の子っぽくてとても可愛かった。
 あとユーゴ(ヒューゴ)って、2巻でいきなり出てきて3巻の冒頭で死ぬのでそんなに重要なキャラクターという印象はなかったのですが、ヒューゴ(ユーゴ)は最初っから出ずっぱりでまさのこの映画は、イドとガリィの親子物語とガリィとヒューゴ(ユーゴ)の恋愛物語を中心軸に描かれます。
 また、やけにザパンが執拗に出てきて、原作でもこんなに出てたっけ? と思ったのですが、原作見ても結構出てますねw 多分ザパン編の印象が強すぎてその前にザパンが出てたというのを忘れてしまうんでしょうね。ちなみに私はザパン編が一番好きです。

 というわけで、こんなマニアックな漫画をよくもハリウッド超大作にしちまったなw という大変な作品になりました。
 続編は多分ないでしょうが、どういう構成にするのかなと想像するのは楽しいですし、そういう妄想をするのはとても良いトレーニングになります。うーん、わたしだったら、TUNED編を本編にしつつ、ガリィのオペレーターであるルゥとの会話の中で回想として、モーターボール編とザパン編を語りますかねえ・・・。
 あー、でもコヨミちゃんがいないんだ・・・。
 原作だと、マカク(グリュシカ)に人質として赤ん坊だったコヨミちゃんが囚われるのですが、出てきませんでしたねえ・・・。
 コヨミちゃんがいないと、バージャックの乱は描けない。
 こんな重要なキャラクターだったんだ・・・、と唖然とするんですがw 電さまとケイオスは見たかった・・・。

 というか、まあ、銃夢オタクが語ってしまいましたw
 高校の頃にこんなのあるんだけどどう思うと同級生に読まされたのがきっかけでした。
 正直、どんだけ影響受けたのか、まったく把握しきれません(^_^;

| 映画評 | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ガンダムNT(ナラティブ)』を観た


 上映週も第4週に入り、もう終日上映しているのはメイン館である新宿ピカデリーぐらい、と新宿3丁目まで出向いて観てきました、ガンダム・ナラティブ。
 本当に偶然なのですが、配給会社松竹の旗艦シネコンだけあって、ナラティブを未だに推す気まんまん、わたしがたまたま出くわした回が、爆音上映回だったらしく受付で障害者手帳を見せると、
「あー、席一つだけ空いてますが、爆音上映になりますので、どのようなお客様でも一律1800円となります。このつぎは、えーと、21時の回になりますね」
 ちなみに18時の回もあったはずなので、こちらは満席なのだろう。
 さすがに21時まで待てないので、爆音上映の席を取る。
 開場待ちの行列は、さすがに爆音上映にやってきただけあって、おそらく複数回観ているだろう猛者ども、チケットもぎりで特製カレンダー(B3版のポスターと思うとだいたい合ってる)を渡され、これどーします? こまりますよね、これ、などと話していたりする。わたしも別にポスターが欲しいわけではなかったので、途方に暮れたのだが、席まで来て隣の席の人が、四つ折りにしていたので、まあそれでいいかと、わたしも四つ折りにした。

 この映画自体は、良いところを話そうとするとすべてがネタバレになるという、すさまじい構造になっていて、公式のあらすじ見ても全然説明していないし、1分30秒のロングPVぐらいですかねえ、わりかし断片的に話しているのは。
 コロニー落としを予言した3人の奇跡のこども。
 この3人の運命を描いたのがこの物語です。
 ただまあ、悩ましいぐらいにフェイク(ミスリードを誘う要素)が散りばめられていて、最後まで実際にこの話がなんだったのかをつかめた人はあんまりいないのではないか、と思えてしまいます。
 とくに最後の方のミシェル・ルオ(ルオ商会の特別顧問。ルオ商会会長ウーミンの娘)の言葉とか、分かってないと理解できないのです。
 そういったことを踏まえていいますと、この映画はとても良くできています。
 まあひとえにミシェルが良いのですが、ミネバ・ザビにしろ、ミシェル・ルオにしろ、ほんとうに福井さんは女性ヒロインを生み出すのがすごくうまいと感じてしまいます。また敵役として異彩を放つゾルタンもキレッキレで、マジキチっぷりを存分に発揮して逆に気持ち良いほどです。
 お話としては、現在公式サイトのキャラクター紹介を見ているのですが、消息不明となったユニコーンガンダム3号機フェネクス(このパイロットが3人の奇跡のこどもの一人リタ)を地球連邦軍のヨナ(この人も奇跡のこどもの一人)とネオ・ジオンのゾルタンで奪い合うというお話です。
 新しいニュータイプ論に踏み込むところはちょっと一見さんお断り的な感もあるのですが、北米のニュータイプ研究所とか言われても、あ、オーガスタ研ですね、とサラッと出てくる人を商売の相手にするのはどうかと思うところはあります。
 ただエンドロールが流れたときに、3人の奇跡のこどもたちがどのような運命に翻弄され、必死に生きていたのかが思い起こされ、なんてこの世は罪深いものなのだろうと、悔しいけれど思ってしまうのです。
 ネタバレせずに語れるのはこの辺が限界です。

 さて図らずも、爆音上映となったのですが、人生初体験の感想を言えば、
 ――ガンダムは今後ぜんぶ爆音上映したほうが良くね?
 もうね、快感なんですよ、戦場音が。ビームライフルの音とか機械が破壊される音とか。オルフェンズとかたぶん爆音で観たらすっごい快感だと思う(まあ、オルフェンズは燃える戦闘シーンとかないけどね)。
 2回めの戦闘ぐらいの宇宙での戦いで、微妙に音楽が入ったりするのですが、いらないよ音楽なんて入れるな! この戦闘音だけ聞いていたいんだよ! と思ってしまうほど臨場感抜群で、後になってここで音楽挟んでおかないとクライマックスで音楽使えないからだったんだなあ、と分かるのですが、このときは本気で、いらんよそんな無粋な音楽、と思ってしまいました。
 本作は敵役のゾルタンがマジキチなために、恐ろしいほどの破壊が起こるのですが、それさえも快感に思えてしまうほどのゴージャス感。破壊というのは一種の快感なのだなと思わせてしまうほどの、破壊の連続。そして最後にやってくる謎の感動。
 エンドロールは誰ひとりとして立たず、それが終わった後に予告編が流れる。
 砂浜のリゾートの映像が2秒流れただけで、
「ハサウェイか・・・。」
 とつぶやいてしまったほど。それは2019年のつぎの冬公開予定の「閃光のハサウェイ」の予告ムービーで、同名の小説のキャラクターデザインをした美樹本デザインのハサウェイがビーチでなにか悩んでいる。となると本作のヒロインのギギ・アンダルシアも美樹本デザインということになる。

 新宿ピカデリー第6スクリーンから退出しながら、猛者ガンヲタたちの言葉を聞く。
「いやー、小説版のラストシーンを再現しようとしていたのですが(たぶんプラモでの意味)、いったいフェニキスがどうなっているのかがつかめなかったんですが、映像を見てようやっと分かりましたよ」
 小説版があるだなんてはじめて知った。
「前後編でネオ・ジオングがでてきた時点で、ぶちっと切れるのかなと思ったら最後までやったねえ」
「もともと原作小説一本分しかないんです。こんなもんです」
 まあガンダムオタクのコアコアの人が来てたと思われる回だけに、熱量はすごいのですが、ここからハサウェイを経てどこにつなげるのだろうというのは、だいぶ先の話になりそうです。

 もし、ナラティブの公式ポスターを見て、なんじゃこれネタバレすぎるだろ!
 と思えたのでしたら、あなたはこの映画を一応理解しています。
 もし、はい? 何言ってるの? と思うのでしたら、あなたはまったくこの映画を理解していません。

 あなたはどっちでしたか?




| 映画評 | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
『僕だけがいない街』を見た/読んだ(ネタバレなのは、アニメが原作の何巻までを描いているかだけ)

 正直、映画評カテゴリーに混ぜるのはどうかとは思った。
 これはアニメ版に対する評であって、ややこしいことにこの原作は映画化もされている。わたしはこの原作が2時間の映画に収まるとは到底思えないし、正直1クールで終わったアニメ版でさえ話数が足りていたとは、到底思えなかった。
 アニメ版では原作を省略しすぎていて、意味がわからなくなっている。
 その話をしようと思って、これを書いている。
 正直ミステリー物の作品ということで、wikipediaがネタバレの編集合戦になっていたりなど、非常に正確な(そしてまったくネタバレしてない)情報にたどり着くのは、この作品に限っては恐ろしいほどに困難だ。それでいて、ネタバレとはまったく関係のない部分にこの作品のキラ星の

ても不幸だ。
 そこで、たった一つだけネタバレをする、ということにして、書いてみたいと思うのだ。
 この『僕だけがいない街』は一体何なのか、ということを。

 冒頭から、アニメ版が原作の何巻までを描いているのかに触れるのは、これがとても重要だから、だったりする。
 わたしはアニメ版から入って、いろいろと腑に落ちなくて、原作を読んだ人だ。
 腑に落ちなかったのは、なぜこの犯人はこんなことをしたのだろう、ということだった。これは原作を読んで腑に落ちたし、アニメ版がそれをカットした理由も痛いほどわかった。
 アニメ版は原作の6巻か7巻の冒頭までしか描いていない。
 原作は全8巻なので、ほぼ丸々2巻が抜けていることになる。
 コミックスのアニメ化の場合、だいたい5巻から6巻で1クールとなる(経験則上)。
 8巻となると2クールに足りないし、おそらく2クールもやる資金がなかったのだろう。
 あとは原作を読んでくれというのが、製作委員会に入っている出版社的にも都合が良いだろうし、アニメ製作会社も余計なリスクを背負いたくない。ならば、微妙に中途半端だけれども、ここまでにしましょうというはとても分かる。
 だが、これで残念ながら抜け落ちてしまったのは、わたしが疑問に思った、なぜこの人はこんなことをしたのだろう、ということだった。

 この『僕だけがいない街』は、小学生の連続誘拐殺人事件が起こり、28才の悟(主人公)が過去の惨劇を防ぐために小学生としてリバイバル(この作品の専門用語、タイムスリップだと思うと分かりやすい)して、過去に起こってしまった惨劇を回避する物語だ。
 犯人として主人公と親しかったユウキさんが有罪になるのだが、当然に真犯人がいる。
 とてもスリリングな本格サスペンスなんだけれども、ただひとつ腑に落ちないのは、これまでも書いたとおり、動機は? というところだったりする(アニメ版の印象をベースに話している)。
 原作では執拗なほどにその動機を書き連ねており、原作をご存じの方には信じられないかもしれないが、アニメ版にはハムスターとカンダタのエピソードぐらいしか動機らしい動機が出てこない。犯人の家族関係も出てこないし、犯人が結局30人以上殺しているエピソードも出てこない。
 たぶんと予測で書くのであるが、これはここに踏み込むと、7巻・8巻の内容を描くしかなくなるからじゃないだろうか。
 そうなると2クールだ。
 無理だ。うん、それは痛いほど分かる。
(映画がどうしたかは知らない。まあ無理だろうなとしか)

 一方で、アニメ版はこの『僕だけがいない街』の光の部分に、たぶんにスポットライトを当てている。このアニメ版を企画した人は、原作のショッキングな事件の全容に心酔したのではなく、その過酷さの中に散りばめられる、宝石のような輝きたちを愛おしいと思ったのではないか、と思ってしまうほどだ。
 一番好きなのは、ケンヤ(主人公の盟友になる弁護士の息子)が、悟と雛月を守ろうということで協力し、ああ、決定的なセリフを言ってしまうとネタバレすぎて、いやそれダメだろになるんですが、結構友情が感動的で、虐待を受けてきた雛月(ヒロイン)が普通の女の子として家庭に迎え入れられて泣くシーンとか、これも象徴的なシーンがあって、それから、どんどんと仲間が集ってアジトで雛月を匿うシーンとか、妖怪めと悟に思われるお母さんの頼もしさだったり、「したっけ!」(なんだっけ、じゃあね、だったっけ?)という方言の暖かさだったり、ああ、書き忘れていたけど、この『僕だけがいない街』は現代編が千葉、過去編が北海道(わたしは旭川あたりだと思ったのだけど、いろいろ矛盾があるなあとか思っている最中)で、しかし2月の北海道で氷点下ではないとはどうかとか思ったり(これは重要なシーンではっきりと気温が示されるので、それに対する疑問)。
 まあ、言及しようと思えばどこまでも言及できる物語です。
 正直、原作を繰る手が止まりませんでした。
 犯人はこんなことを考えていたのかと、本当に理解できるのは7巻・8巻です。

 うん、まあ、入り口はどこからでも良いですので、ぜひぜひ騙されたと思って触れてみてください。おそらく、損した、という気にはならないですよ!

| 映画評 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『メアリと魔女の花』を見た


 アニメってここまで動かしていいものなのだな・・・、観終わって場内の様子は「腰が抜けた」といったようすで、細かく見れば粗はありそうだけど(粗がなくなってしまったら、そこがそのクリエイターの成長の限界)、ラピュタ+千と千尋と言った感じの冒険活劇(ラピュタ)であり成長物語(千と千尋)といった映画に見えた。

 圧巻は冒頭からいきなり始まるアクションシーンから(このシーンの意味は最後の方でわかる)、まるでレールのないジェットコースターのように荒くれ回る精緻に組まれたストーリーの出来だ。
 もちろんそこは原作モノなので原作者の力量なのだろうが、そこに洪水のように溢れんばかりの、ハレーションを起こしそうなほどの膨大なイメージが流れ込んでくる。
 そしてそれが動く、動く。
 成熟した宮駿には到達できなそうなほど暴力的な(内容が暴力的なのではない)イメージの洪水、荒々しくもあり、若々しくもあり、成熟していないからこそ出てくる勢いのようなもの、それがこの映画にはある。

 まずヒロインのメアリがいい。
 なにをやっても危なっかしく、なにもうまくできない序盤の様子はなんでここまで描くんだ? とは思ってしまうのだが、ストーリーが荒れ狂い始めると途端に、ああ、これぐらいの子じゃないとこの冒険活劇のヒロインは務まらないのだ、と分かってくる。
 観ていて危なっかしいのだが、それでも進むのを決してやめない。
 その無謀さと、深慮のなさがなければ、こんなストーリーになったりするはずがない。それでいてメアリには芯の通った義理堅さがある。ネタバレは良くないのでぼかして書くが、ある事件からメアリはピーター(パズーだと思うと良い)を巻き込んでしまったことを悔いて、そこからひたすらに義理堅くピーターを助けようとする。
 男の子と女の子というと愛だの恋だのと穿った見方をするのが大人であるが、第二次性徴を迎えるまでは男女差というのはあんまりないと考えるのが普通だと思う(メアリは小学生高学年ぐらいだと思う。とくにピーターが赤毛のメアリを「赤猿」とよんで囃すのはどう見ても小学生だ)。つまり思春期前なのだから、愛だの恋だのをお話の前提にするのはおかしい。なので個人的な恋愛感情ではなく、巻き込んでしまったことに対する申し訳ないという感情からメアリはピーターを助けようとする。
 また、メアリは自分に関わるものたちに童話チックな愛情を注ぐ。
 メアリを導くことになる黒猫(これも後に理由がわかる)、偶然見つけた魔女の箒、そしてネタバレスレスレになるので難しいがラスト付近にやってくる者達。
 とくに箒に対して「箒くん」と言い続けるのは、愛馬を気遣う騎手に似ている。
 メアリを中心として愛情で繋がった者たちが、一緒になってメアリとピーターを助けていく。それを見ていてふしぎと温かい気持ちになる、ふしぎな愛情に包まれた映画になっていると思う。
 義理堅さと愛情。
 この2つがこの映画の芯となって、メアリの中に貫かれている。
 なんて美しいストーリーなんだろう(原作者を褒めてる)。
 たぶんこの原作がこれまで映画化できなかったのは、荒れ狂うストーリーを膨大なイメージのあらしで御さなければならないことが明白だったからだと思う。
 そしてそれは若くなければできない。

 宮駿信者はこういう。
 それは宮駿から盗んできたものだ、と。
 わたしはこういう。
 宮駿が宮駿に学んでいたら多分こういうものを初期に作るだろうと。
 宮駿に学んできた世代が出てきたのだ。
 わたしは昔、なぜ日本にはスタジオジブリ並みの成功した創作スタジオが10もないんだろう、と思ったことがある。それは今になって分かる。偉大な師匠が、もう10年もしたら死ぬかもしれない年令になるまで、次世代というのは生まれてこないのだと。
 それは天才が君臨してしまう呪縛だ。
 天才たちがもう口出しできなくなる予定が立つまでは、天才の影響下にある状況は続くのだ。米林監督(あえてマロと言わない)が、動きまくる最強のアニメーターとして登場してきたのを、次世代の誕生を祝福したい。
 正直腰が抜けた。
 劇場で、セカイノオワリの歌が流れる中で、退出する通路へ動く人はいなかった。
 わたしはトイレの心配で(心臓手術を何度も受け、人工心臓弁が入っているせいで利尿剤を処方されているから)、とにかく退出が容易な席を取る、つまり出口近くに座る。
 一番先にわたしが席を立ったほどで、それで見回してみても、感想がない、唖然としている、だった。

 まずこの作品は、アニメーションによる暴力だ。
 それは、これを見ろと言う迫力しかなくて、たぶんとてもロックだ。
 ステージになってギターを掻き鳴らすロックスターがそこにいるようで、アニメーションはここまでやっていいのだ、という次の金字塔のように見えた。
 宮駿にはこれができない。
 ここまで勢いだけで演奏する年齢ではないからだ。
 もし、宮駿が若かりし頃に宮駿にいちから鍛えられていれば、これをやるだろう。
 その地位にいたのは、米林さんだった。

 宮駿の育てた世代が出て来んだよ!
 ウィスキーを飲んで、乾杯しよう!
 これは宮駿を毀損する話ではなく、次世代をちゃんと育てていたじゃないか! おまえはどんだけ素晴らしいんだ! という話なのだと思う。

 一体次はなにをやるのだろうと、1ファンとして楽しみに思ってしまう。
 まだ、この天才師匠の弟子のキャリアは始まったばかりなのだ、嬉しいことに。

| 映画評 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ラ・ラ・ランド』を観た!


 のっけからネタバレをしてしまうと、この映画にはストーリーがない。
 おそらく意図的にストーリーが廃されているのであって、すべてはこの映画のラスト10分のための布石なのだ。ロサンゼルスというかハリウッドの中で、売れない女優と売れないジャズピアニストが恋をして、ささいなことで衝突し、ささいなことで泣き、ささいなことで悩み、ささいなことで苦しむ、そんな映画。
 おそらく等身大の姿を描いた作品なのだが、残念なことにわたしは米国人ではない。
 作中にプリウスが出てくるので(ヒロインが乗っている)現代なのだが、たぶんロサンゼルスの古めかしい地区を舞台にしているのか、あれ? これって70年代ぐらいを再現した映画なの? と思ってしまうぐらい日本人にはピンとこないところもある。
 それでもラスト10分は、ああ、これがやりたかったんだね、と思うシーンがやってきて、さまざまな思いが去来する映画なのだけれども、わたしがどう思ったかはネタバレになるので、ぜひ映画館で体験してほしい。

 さて、おそらくこの映画を観た方は、わたしがミュージカル部分に触れていないことを疑問に思っているはずだ。
 実のところわたしはこの映画の前に公開された、ロック・オブ・エイジズ(2012)の大ファンでミュージカル映画はだいぶ慣れてしまっているのだ。こっちはぜんぜん売れてない(2012の興収で94位)からだれも知らないかもしれないけど、ここで一通りミュージカル映画の洗礼を受けてしまっているのだ。
 たとえば、冒頭の大渋滞のシーンとか、ああ、これってこうなるんだよなあ、などと思いながら観ているとその通りで、渋滞でやるなんて面白いなあとは思ったのだけど、ロック・オブ・エイジズでは田舎からやってきたヒロインが乗り合わせたグレイハウンドバス(長距離バス)の車内で同じことがやられる。
 なので、はいはい、これぞ、ザ・ミュージカル、とあそこで頭をぶん殴られなかったのだ。それ以外の部分も同様で、たぶん共通に参照にしている名作があって似るんだと思うのだが、ああ、やっぱりそう来たかと手の内が全部バレてしまっているのである。
 なので、わたしのように擦れた人間でなければ純粋に楽しめるはずである。
 わたしがいちばん好きだったのは、ジャズについて熱く語るジャズピアニスト(セブ)。熱いジャズ愛がすごくて、もう側で何十時間でもその語りを聞いていたい気分になりましたし(たぶんそういう意図がある)、セブの店に入り浸りになるんだろうなぁ、と思うぐらい素敵なジャズが聴けました。
 わたしはジャズは疎いのですが、カンザス・シティ(映画)を恵比寿のガーデンシネマまで観に行ったぐらいには好きです。

 アカデミー賞は残念な結果になってしまったけれど、おそらくあまりにも等身大にこだわるあまりに、ロサンゼルスローカルな映画と思われてしまったのではないか、と思います。そこがいいところなんだけどねえ(笑)。
 ラストシーンを思い浮かべると、わたしもそうだったなあと、深い感慨にひたれるはずだと太鼓判を押して、いい映画ですよ、なのでオススメです、で終わる。

 いやー、去年の日本の映画がすごすぎるんですね(^_^;
 宮駿も細田守もいなかったのに、衝撃的すぎて。
 ああ、聲の形もう一回観に行こうかな、なんて思ってしまいます(まだやってるみたい)。もうわたしは植野さんが好きすぎて。
 豊作年ってすごいですよね。


| 映画評 | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『君の名は。英語歌詞バージョン』を観た!(全開ネタバレあり)



 観てまいりました! 英語歌詞バージョン! 通常バージョンと合わせてこれで二回目ということになります。ですので、みなさん、すでに一回目は観ているものと思い、一回目のときは書けなかった、全力ネタバレバージョンの感想を行きたいと思います。
 えーと、わたしは携帯電話のキャリア替えのついでに行ったので、そちらもちょろっとは書くのですが(ちなみにY!mobile → Freetelです)、そちらは本題ではありませんので、ご了解ください。

 英語歌詞バージョンは期間限定、上映館も絞った形での上映になったのですが、首都圏ではもはや埼玉県の植民地と化した池袋シネマ・ロサでの鑑賞でした。
 観たかったのに見れなかった、という方でも、おそらくプレスにはあまりお金がかかりませんので、DVD二枚組になるか、1000円ぐらい上乗せの同梱バージョンが発売されることを期待して、お楽しみいただければ幸いです。


 ■1回目のときは全体像がよく見えていなかった

 なんで「君の名は。」はヒットしたのか。
 世間一般で様々な論考がされていますが、たぶんあんまり語られてはいない部分がわたしにはとても重要な要素だと思うのです。それは何かというと、

 変態的な編集能力

 です。実はこれには証言があります。
 その証言の元はNHKのSONGSという番組で、主題歌を歌うRADWIMPSの野田洋次郎さんの証言です。
 この番組は録画してあったので、さっきから字幕見ながら書いています。
 こんな証言をしているのです。

 何秒でカットアウトで、何秒で瀧(主人公)がしゃべるから、
 「その後、何十何秒でこうしてください」とかって、
 すごくプロダクトとして精密に作っていたので、
 それはそれで楽しかったんですけど、
 逆にみんなで、ただかき鳴らしたいとか、
 スタジオに入ってワーッてやりたいみたいな欲望が、結構、強まっていって、


 つまり曲に秒単位の要求を出しているのですよね(^_^;
 この変態性が分かるでしょうか。
 たぶんこの野田さんが言っているのは、物語の30分ぐらいのところで流れる「前前前世」のところのことを言っていると思うのですが、あそこに至る畳み掛けのすごさはおそらく計算づくで作られたものなのですよね(明らかにそう証言している)。
 たぶん、あそこに向けて前半部分の構成を作っている。
 あの映画的快感は、何度でも味わいたくなります。
 これってそういう方面が分かる人からすると、あー、こいつMADビデオの手法で一本映画作っちゃったんだ・・・、となるんですが、それがいかに変態的で、超絶技巧であるかというのは、なかなか説明が難しいです。
 と言うか主題歌が映画のど真ん中でしか流れないって、過去に例があった?
 となるのですが、
 もう少し分かりやすい言い方で説明すると、計算しつくされて作られる90秒程度の予告編の作り方で、前半30分ぐらいまで作ってしまっている、30分は1800秒ですから、それがいかに尋常ではない作り方なのか、ということになります。
 これは予告編を見てから、前半30分を見ると、如実にわかります。
 MADビデオの手法なのです(マッドムービーとも言う)。

 ■MADムービー - Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/MAD%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC

 MADムービー(マッドムービー)とは、既存の音声・ゲーム・画像・動画・アニメーションなどを個人が編集・合成し、再構成したもの。単に「MAD」と呼ばれることも多く、ネットコミュニティにおいてはもっぱらこの呼称が主流となっている。ただしパソコンやCGソフトが普及した21世紀初頭には「手書き(描き)MAD」(後述)という用語が出現するなど意味の拡散がみられる。主にファン活動の一環として行われる。「MAD」とは「狂っている、ばかげている」の意。


 わたしの言葉を信じてもらうならば、新海誠監督は日本のアンダーグラウンドで脈々と好事家たちだけに楽しまれてきたオタッキーなものを全開にして、オタク王に俺はなる! とやり切ったはずが、興収歴代2位になってしまいました、という顛末なのです。
 いやー、わからんもんですねえw
 まあ、ああいうのはゴロゴロあるんです・・・、アンダーグラウンドに。


 ■物語の主役はやはり彗星だ

 えーと、ネタバレ全開モードと警告はしていたのですが大丈夫でしょうか(^_^;
 これは一回目を観ている前提でないと言えないですよねぇ。
 この映画の主なアイデアを、シューメーカー・レヴィ彗星を見て思いついたのだとすればすごいとしか言えないのです。ただ、1200年前に糸守に落ちた彗星の破片が、また1200年後に同じ場所に落ちるか? とツッコミどころは満載なのですが、宮水神社の本尊があった場所も同じようにクレーターですから、あそこにも落ちたのですよね? まあ1200年前に2発落ちたと考えるのが妥当な気がしますが、まあとにかくこの話の重要な舞台は全部隕石が作っているのです。
 とにかく2回目は、はらはらしながら彗星に目が行きました。
 あれ? 1回目はこんなに彗星見てたっけ? と思えるほど。
 シューメーカー・レヴィ彗星映画だとはいいませんが、その災厄を逃れる物語なのだなあと書けば、この映画のゴジラが何なのかはわかると思います。また悲劇を回避できない世界線では、賑わっていた神社の屋台間近に、彗星が直撃するシーンがこんなに迫力があるとは忘れていました。
 蒸発するじゃんこれ! 即死とかいうレベルではなく、蒸発。
 あの恐ろしさはすさまじかった。
 しかし、それを無邪気に美しいと、瀧も三葉も言っているのが、恐ろしい。
「わたしあの時死んだんだ」
 という三葉の言葉も怖いし、お互いがどんどん忘れていくのも怖い。
 離れ離れになる怖さを書いていたから、たぶんヒットしたのだと思う。
 瀧の、
「おまえ、出会う前に会いに来てもわからないだろ!」
 という言葉がとても暖かくて、いちばん好きだったりします。


 ■英語歌詞バージョンどうだったの?

 さて、だいぶ長く書いているので、ちょっと気分を変えて、こっちも話さないとまずいかなと思っていたり(^_^;
 この英語歌詞バージョンは、歌詞は英語で、英語字幕が出ています。つまり、英語圏で流れるものをそのまま使っているのだと。
 まず、わたしは失礼ながらRADWINPSの曲の日本語をあまり聞いてなかったんだなと、まず思いました。
 なので、えっとー、何の違和感もないんですけど・・・、という状況でした・・・。
 大変失礼に当たるのは分かるんですが、洋楽としていいじゃんとしか思わなかった。聞いていてそんなにネイティブと遜色なかったし(わたしは英語全然だめだけど、英語圏の人が歌ってると言われたらたぶん信じる)、むしろ日本語版と発音が違うのが新鮮だったぐらい。わたしの評価よりもネイティブの評価を聞いてほしいと逃げたいぐらい。
 映画は英語字幕だったのですが、わたしも後で気付いたというか、帰り際の声を聞いて知ったのですが、どうも在日の英語圏内の方々がいらっしゃっていたようなのです。たしかにロビーでみると、ああ、たしかに外国人多いなあと。そんな需要があるとはまったく考えてもいなかったというのは、市場が見えてない証拠ですねえ・・・。

 ただ、聞こえてくる日本語と字幕の英語の差は感じました。
 わたしでも分かるレベルの英語なのです。
 象徴的なのは、三葉が瀧になっている時に、瀧の同級生と屋上で話している時に(つまり三葉は瀧がいつもどう接しているかを知らないので)、自分の呼称について、

 「I(watashi)」「はい?」
 「I(watakushi)」「はい?」
 「I(boku)」「はい?」
 「I(ore)」「おう」


 うる覚えなのですが、とあるやり取りです。
 なぜか日本語はIを示す言葉の種類が多いということなのですが、これ以外には、「じぶんは」とか、これはイオで使った「あたしは」とか、時代劇で多そうな「我は」などが考えられます。
 わたしも、わたしを使っているのは、中性的でありたいなあと思っているだけで、とにかく中立であろうとすると、わたしになるのです。これは北村薫の影響ですね。実際の人生ではなんですかね。おれではないので、ぼくですかね。でも、かっこ悪いです。わたしのほうが格好いい。

 また、四葉(妹)が三葉を起こす時に、うる覚えなのですが、「はやく起きろ!」というのが「ハリーアップ!」なんですね。これは意味の話なるのですが、「急げ!」という意味が英語にはありますよね? 適切なんだけれども、不適切、その辺の問題がどうしても考えてしまいます。日本語の言葉としては「起きろ!」+「はやく」なんですね。

 たぶん英語版の字幕は、思春期向きの映画として中高生あたりをターゲットにして、簡単な言葉で簡潔に伝えているのではないかと思います。ただそれを読んでみると、ああ、日本語ってこんなに含みを持たせられるんだ、と感心しました。
 もし1000円上乗せの同梱版DVDが発売されるなら、1000円ぐらいなら払ってもいいかな、ちょっと勉強したいかなと思うぐらいには。


 ■終盤の構成の作り、なんで瀧は三葉を好きになったんですか?

 たぶんこれは触れている文章を読んだことがないのですが、瀧はいつから三葉を好きになったのだろうという疑問は結構ちらほら書かれていたのですが、それに明快に答えている文章を見たことはありませんでした。
 たとえば中盤あたりで、瀧のバイト先の先輩が、瀧くんはたぶんわたしのこと少しだけ好きだったのだけれども、今は別の子が好きみたい、というセリフがかなり綱渡りすぎて個人的には好きなんですけど(書き手として)、あの付近ではまだ確定してないだろ、と思うのです。
 ただ、瀧は自分の世界に侵食してくる三葉が最大の関心事になっていて、奥寺先輩それに対して部外者だという印象を持ったのだろうなあと思います。あのへんかなり綱渡りですよ(^_^; この奥寺先輩の反応からして、それほどに瀧の意識は三葉に向いていたのですね。それは、自分の生活をぶっ壊されるおそれがあるからです。
 作中で、入れ替わりが起こるのは宮水家の女系の人間に起こる現象だと、明言されています。つまり瀧くんは被害者で、完全に受動的な立場にいるのです。簡単に言えば巻き込まれちゃったけど、惚れちゃったから頑張るいい人。
 まあすべて説明してしまった気になるのですが、瀧くんにとって、自分の人生を触ってくる人なのです。それは定期的に入れ替わるからです。いろいろな物語上の仕掛けを考えて、これほどそれは関係が深くなるだろうと思う、設定はないのです。そこに気付いたかどうかはわからないのですが、そこを主軸においたのは、実際の所、前例は大量にあるのですが、それをアンダーグラウンドから、表舞台に出したのが、新海誠だった、と思うのです。
 つまり、新しい発明ではない。
 日本のアンダーグラウンドを、世界に紹介して成功したのが新海誠だと、わたしはそう思います。それがわかるのは、日本版ラディットである、はてなブックマークだと思うのですが、ちょろちょろと読んでいると、ああ、新海誠がなにをしているのかわかったと、書かれたコメントをしばしば読みます。
 どこにもアンダーグラウンドはあって、それはきまって豊穣なのです。


 ■携帯電話のキャリアを変えた話、短く。

 Y!mobileからFreetelにしました。
 理由は3点です。

 ・Y!mobileは明らかに、運営がおかしかった。
 たぶんシステムがおかしくなっていると思うのですが、デビットカード決済で料金が決済された数日後(感覚的には一週間後)に、決済価格が決まりましたというメールが来るんです。それで、あれ払ってなかったっけ? という気分になるというのが不快すぎて、こんなこともできないやつに金を払いたくはないと思いました。
 これがまず第一。
 あきらかに会計システムがおかしい。

 ・Y!mobileは、帯域を使い切ると、128kbとかそんな生易しいレベルではない制限がかかる。
 これは、ほとんど利用できないレベルに制限がかかると言われますが、簡単にいうと、お金を払って制限を解除するほとんど帯域がかからないはずの手続きのレベルでも10分ぐらい待たされるという狂気に等しい制限かかることです。ウィルコム時代はこんなことはなかった。

 ・たぶん、回線を借りる側のサービスは、政府の規制でこんなめちゃくちゃな規制ができなくなっているのだと思われる。なので、とにかくY!mobileとUQmobileをつかうなと。
 UQmobileがそこまで悪質かどうかはわからないのだけれども、Y!mobileは悪質です。

 結果的にSIMフリーな、Freetelにしました。ただ、このキャリアも問題がありまして、クレジットカード決済しか受け付けないのですね。ホームページを見て嫌な予感はしていたのですが、実際の店舗でそう言われて、(池袋だったので)パルコカード作ってきてくださいと言われて衝撃でした。
 わたしはその助言どうりにパルコカードを作ったのですが、たぶん楽天カードとかを作っておいて望むのがのぞましいです。
 Freetelはクレジットカードオンリーです。

 結局、2時に出て、クレジットカードを作って、「君の名は。」を見て、クレジットカードを回収して、携帯の受取は時間がかかりますと言われて、その後すごい笑顔を見せられて、カメラ店て紙袋を渡されたときは嬉しかった。
 たぶん言ってはいけないのだろうけれども、その方の笑顔がすごくて、中国系の人たちの外交的なオープンな、太陽的な輝きがすごくて、すごいとしか言えなかった。

 恨み言は一切ないんですが、言っていいのか迷うのですが、Freetelは直販のほうが安いです。つまり量販店で端末を買ってはいけない。さらに言うと、直販よりamazonの方が安い(なんでだ・・・)。
 Freetelが悪いのではなくて、販売チャネルにより、値段が違うのです。

 まだ一週間も経ってませんが、とりあえず今のところ問題らしい問題は発生していません。まあ、一回今月分が引き落とされてみないとなんとも言えないのですが、概ね不満はありません(ちなみに機種はReiです。だいたい2、3年前のハイエンド機相当らしいです)。

 たぶん、2月分の決済が済んだら、ロケットモバイルの神プランSIMを入れると思うのですが(この辺がSIMフリーのいいところですね)、ようやっとY!mobileの呪縛から開放されました。しかし京セラのごついのを使っていた身としては、こんな軽くて薄いの大丈夫なのか? という不安だけが唯一の不安です。

| 映画評 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
『心が叫びたがっているんだ。』を見た



(本エントリーは酷評と好評が7:3ぐらいの割合で入っていますので、それが嫌な方にはお読みにならないことをお勧めします)

 本作を見て、その後、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の劇場版を見た。
 レンタル屋で借りるとき、これ劇場版ですけど大丈夫ですか? と言われた。
 わたしはいちおうhuluでアニメ本放送版を見ていて、劇場版のこれって本放送版の冒頭と違うよなとわかるぐらいには、本放送版を見ている。
 もちろん本放送版のほうが評価が高いことは知っている。
 それでも劇場版を見て、恥ずかしいことにぼろぼろと泣いてしまった。

 本作を結論から言うと、起承転結の承のない物語だと思う。
 30分ほどの起があって、最後に30分ほどの転結がある。
 その間の一時間ほどは転結へ向けての土台作りであって、それは平板なアリバイ作りのように見え、退屈でなんども挫折しそうになって、最後に支えになっていたのは、これは準新作だから400円も払ったんだぞ、という気持ちだった。
 それでやってきたクライマックスは賛否両論ありそうな物語で、ほんとにこれで30分持たせる気なのだろうかとは思った。
 人のことは偉そうに言えないけれども、下手くそだった。
 対比用に「あの花」を見たのは、名誉を傷つけない形でどこがどう違うのかを説明したかったからであり、本放送版も劇場版も「あの花」は素晴らしかった。なので、「あの花」ファンの視点として読んでもらえたらと思う。

 「ここさけ」はある事件により失語症になってしまった少女の物語である。
 結論で言っているようにクライマックスであるお芝居のシーンに向けて、ひたすらに物語を積み上げていく構成になっている。そのお芝居が始まるのがラスト30分で、そこからラストへ向かうシークエンスは非常に精密に組み上げられていて、スピード感があって心地よささえ感じる。
 ただ、全編を通して感じるのは、やり方が慎重すぎる、ということだった。
 単純に「あの花」を見返して思ったのは、こんなに大胆なことをしていたのか、ということだったりする。
 端的にいうと、安城鳴子(あなる)って、こんなに騒がしいやつだったっけとか。
 久しぶりに見直してみて、喧嘩しあっている物語だなあと思ったのだ。
 そこから振り返ると、本作はだいぶ上品でおとなしい。
 それがいいか悪いかは、観る側も作る側も好みなので、一般化して言うことはできないと思う。ただ、違うものだ、ということは言える。
 シェイクスピアにも悲劇と喜劇がある。
 どっちが好きかは好みだし(わたしは喜劇好きだ)、強要するものではない。
 だからこれは上品路線なんだなといちおうは納得する。

 だいぶ好き勝手言っているのだが、美点を言っておかないと申し訳ない気がする。
 まずはヒロインである成瀬順の表情が豊かであること。
 小説を書いているとしばしばセリフで解決してしまうことがある。しかし、セリフを封印して描かれたアニメという媒体が、表情が豊かで楽しい。ネタバレしないように書くのだけれども、ラストで成瀬がドキッとする絵とか、ここで爆弾投げこんできましたかぁ、とニヤニヤしてしまう(笑)。
 また成瀬が勝手に王子様と決めている坂上くんが、何を考えているのかよくわからないところも良いかもしれない。例えて言うと「秒速5センチメートル」のコスモナウト(第二話)の遠野(主人公)。澄田さんに「優しくしないで!」と怒鳴られる姿に重なる。あのどっち付かずのもやもや感は、なかなかにもどかしい。
 こう書いてくると、薄味なんだなあ、などと思う。

 むかし、とあるラジオで秋元康が食事した料亭の話をしていた。
 その料亭はとにかく薄味で、出汁の味がはじめはわかりにくいらしい。
 それが徐々に出汁が濃くなっていく。食べている方は前菜からの薄味に慣れて舌の味覚を鋭敏にしているから、それが徐々に濃くなっていくのがわかる。それがメインディッシュのときに出汁の味を最大限にすると、恐ろしくうまく感じる。
 これにだいぶ近い気がするのだけれども、その階段(承)の作り方があんまり上手くなくて、1時間退屈だったかなと、これは自戒でもあります。

 というわけで。
 酷評はしない主義なのでフォローをしておくと、ハマっている人はとてもたくさんいるので、合う合わないは個人的な感想ですよ。起と転結は極上です。ただ承が下手だなあ、というだけの物語なのです。


| 映画評 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『かもめ食堂』を見た。

 『かもめ食堂』を見た。

 わたしが北村薫系、角田光代系だとしたら、外せない作品である。
 たぶんよしもとばなな系でも許容範囲で、江國香織系は厳しいかもしれない。
 ゆるいのである。
 そのゆるさがほっとする作品で、正直散々にゆるい。わたしがこれを見ようと思った理由が舞台がフィンランドで、最近わたしは北欧が知りたくて、それ以外に理由はないのです。ほんとうはスウェーデンだったら、どんなに良かったかと思うほどで、スウェーデンの戦史物とか来たら、どんだけ金をつぎ込むかしれない。

 話が大幅にずれました。
 かもめ食堂は、ひじょうに端正に空気を追っていく話しで、空席から満席を追っていく話なのですが、食い物系どんだけ好きなんだと言われそうです。シナモンロールとかどんだけ食いたいんだとか、鮭の塩焼きとかどんだけすきなんだとか。
 手が動く食い物シーンは大好物です。
 だいたい味が分かるんですね。
 そこは岩塩だろうとか、余計なこともいいたくなって、その味を想像すると、よだれしか出ない。

 ただ、わたしは埼玉県民なので、近いうちに飯能の宮沢湖近くにムーミンパークができるらしくて、そこに北欧店舗が集まると聞いて、興奮しています。IKEAでしか買えなかった、魚の酢漬けが日常的に買えるというのは、事件です。
 日常的に、サンドで食べたい。
 




| 映画評 | 06:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『聲の形』を観た!

 えーと、完全にキャパが足りなくなるぐらい沸騰している聲の形ですが、ようやっと観てまいりました。
 いちおうわたしは原作のファンでもあり、原作と映画は違う印象を受けるのですが、よく見てみると原作の細かいニュアンスを丹念に拾っていて、なんといいますか、この人はこう読んだんだなという印象を受ける映画でした。
 え、こんなこと言ってたっけ?
 などと思うシーンもあるんですが原作を見てみると確かに書いてある。
 たとえばこの映画の大きなひとことである、
「俺も同じこと考えてた。それでもやっぱり死に値するほどのことじゃないと思ったよ」
 というセリフ。
 こんなこと言ってたっけ?
 と思ったのですから、わたしが読めてなかったんですね。
 映画の中ではこれがすごく重要に描かれるものですから、冒頭で言った「この人はこう読んだんだな」という印象になるんです。

 えーと、ネタバレになるのですが、と言ってしまうのは、原作とは全く違う印象になるのでばらしても全然問題ないと思っているのですが、映画は文化祭のシーンで終わります。またこの映画では石田たちは映画を作りません(なので映画上映シーンもありません)。
 またラストは「これぞ文部科学省ご推薦映画」というような感動的な終わり方をします。
 多分見ると、ああここにあれのニュアンスを一斉投入してきたのか、しかしアニメーションってすごい、これが京アニマジックか……、という感想を抱くと思います。
 これ以上はネタバレになりますので控えますが、上手いとは思うと思います。

 さて全体的な印象はこんな感じだったのですが、なにかあちこちの批評でかなり見当違いな声が聞こえてきていたので、若干分かる範囲で書いてみたいと思います。一番のポイントになるのは植野さんです(石田をずっと看病していた子)。
 実は原作で、あ、植野さんって石田のこと好きだったんだ、とあからさまに分かるシーンがラスト近くに出てきます。つまり石田にちょっかいを出したり、西宮に食って掛かったりしていたのはこれが理由なんですね。まあ映画でも、気付く人は気付くだろうと思うのですが、原作はもっとあからさまに描いているので、まずこの点を指摘しておきます。
 また、原作では小学生時代に石田をいじめていたのは植野さんもその一人だったことが告白されます。つまり嫌いだからいじめていたわけじゃない、というところがまず一点なのです。
 そして映画を作った人たちがどう見ていたかがわかるのが、小学生時代の石田と西宮の取っ組み合いのシーンと、ラスト近くで植野さんが西宮に馬鹿じゃないのと手話で伝えたときに、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるシーン。おそらく西宮はこれまで一度も自分の人生に誰かが足を踏み入れてくれることがなかったんだと思います。
 見当違いな声では、「いじめたものといじめられたものが恋に落ちる最悪の物語」ということになるのですが、それはそれこそこの映画を作った人たちがまず訴えたかった、表層だけを見て分かったつもりになっている形なのではないでしょうか。それは駄目だと言っているのがこの映画だと思うのです。
 あとまあ、障害者を美少女にするとは何事か、などというとんちんかんなものもあるのですが、ヒロインを美少女にしないで漫画や映画が売れるか、映画に広瀬すず使うなと言ってるようなもんだ、それこそ外見しか見てないですよね……。
 もともとこの映画の原作は、第2巻が刊行されたぐらいのタイミングで(全7巻)、シノドスが取り上げて売れるようになった漫画だったと思います。ですのでその方面の方々には評判の高い原作だったのですね(そして映画は文部科学省ご推薦)。なのでアレルギー反応の数々を見ていると、はあ……、と暗い気持ちになるです。

 細かなシーンを言うと、石田と結弦が和解する雨のシーンと、植野さんと西宮が和解する雨のシーンが全く同じ傘のシーンになっているとか(ただし植野さんと西宮は実際には石田を取り合っているので石田と結弦のようにはならないのですが)、結局この映画は人の許し合い方を描く物語なのだな、と気付くのです。
 また、アニメーションですから、音が出ます。
 音というのは結構直接的で、場合によっては暴力的に感じる人もいるでしょう。
 たとえば植野さんは原作よりもはるかにめんどくさい人に感じます(笑)。
 実際読み直してみると、確かにかなりめんどくさい人なんですがw
 西宮が石田に必死に伝えたくて、耳が不自由な方特有のうまく発音できてない言葉でなんとか伝えようとします。手話じゃ嫌なんだ、どうしても声にしたかったんだと感じるあたりが、結構じんときます。
 また嬉しいことがあるとベッドにうつ伏せになったまま足をバタバタするシーンも、なんというか感情豊かでかわいらしい。漫画も十分に表情豊かなのですが、京アニだけに動くとさらにブーストを掛けて表情豊かにしてくる、この贅沢。
 映画館でご堪能ください。

 あとまあ、わたしは入院患者に異様に詳しくなってしまったので(散々に入院したので)、結構リアルだなあと思ったり(ただし夜中に患者が病院の外に出るのは不可能。原作通りだから仕方ないのだけど)、わたしは舞台となっている大垣市は、列車の乗り換えで1時間ぐらい時間を潰さなければならなかったときに駅ナカを歩いたぐらいなので、いつか行ってみたいなと思ったり、田舎道の道路に這いつくばってるのを見て危ないだろ、轢かれるぞと思ったりしました。
 わたしは中学高校大学とバドミントン部だったので、部活に行けば部活仲間がいるし、クラスの中ではバドミントン部という名刺を持っているような感覚だったので、そんなに人間関係に困らなかった(そんなことよりレギュラー争いのほうが重要だった)し、わたしもやらかすタイプの人間なので、いろいろと迷惑かけたのを思い出して、本当に暗い気持ちになる事はありますが、やっぱり石田の言葉の、
「それでもやっぱり死に値するほどのことじゃないと思ったよ」
 というセリフがずしりと響きます。

 いい映画です。
 公開館がかなり絞られていて、しかも具合の悪いことに「君の名は。」というメガヒット作が1番スクリーンを占拠している中、封切り作の次になる3番スクリーンというキャパの足りなさも手伝って、予約必須の映画となっています。
 わたしも30分前に行ったはずがすでに売り切れで、次の回を見る羽目になり、その回も終わって振り返ると空いてる席あるのか? という状況です。
 事前予約に勝るものはありません。
 ぜひぜひ完売だけには気をつけて、存分にお楽しみくださいませ。
 あとご覧になって「よい」と思ったらぜひぜひ原作も。
 あなたはどう読みますか?



| 映画評 | 02:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『お熱いのがお好き』を見た。
 えーと、ビリー・ワイルダーです。常々からビリー・ワイルダーの著名作品は出来うる限り見るようにしようと思っている、そして言っているのですのでが、戦前、そして戦後すぐぐらいの時期に代表作が集中しているため、たとえアカデミー賞受賞・ノミネート作であっても入手が困難な作品だらけです。
 一番の代表作は「アパートの鍵貸します」でわたしがビリー・ワイルダーを見ようと思い始めたのはそれを見てからです。なにが魅力かと言いますと、いたずらっ子を見ているような自由奔放なコメディーの楽しさというところでしょうか。

 この『お熱いのがお好き』はマリリン・モンローが色っぽい主演女優で出演しているので有名なのですが、まあそのおかげでこの作品は広く流通していてわたしも見ることができたし、たしかにそいう色っぽいシーンも結構濃厚ではあります。マリリン・モンローさまさまなのですが、wikipediaの解説によれば、ワイルダーがモンローに惚れこんだのはその色っぽさではなく、面白おかしいコメディーの主演女優としての才能、ということのようなのです。
 それはおいおい説明しますが、まずはあらすじから見てみることにしましょう。

 禁酒法時代のシカゴ。聖バレンタインデーの虐殺を目撃したため、マフィアに追われるサックス奏者のジョー(カーティス)とベース奏者のジェリー(レモン)は、シカゴから逃げ出すために仕事を探すが、団員を募集していたのはフロリダに向かう全員女性の楽団だけだった。
 女装してジョセフィン、ダフネとなって女性楽団にもぐりこんだ二人は、その楽団の女性歌手でウクレレ奏者のシュガー(モンロー)に恋をしてしまう。
 フロリダでジョーは再び変装し、シェル石油の御曹司「ジュニア」としてシュガーに求愛する。一方ダフネに変装中のジェリーは、本物の大富豪オズグッド3世(ジョー・E・ブラウン)から求婚される。
 シカゴからフロリダへ、マフィアの手からうまく逃れたかに見えた二人だが、彼らが滞在するホテルにマフィアの別名団体である「イタリアオペラ愛好会」が訪れる。


 これはwikipediaのあらすじをそのまま引用したものです。
 これだけだとイメージがわきにくいと思いますので補足しますと、ジョー(ジョセフィン)は色男の口のうまい浮気者、ジェリー(ダフネ)は騒がしくて危なっかしい道化役、シュガーはマリリン・モンロー(これで説明つくのがすごいw)。
 大枠の話は、フロリダで興行する女性だけのビッグバンド(だいたい20人編成ぐらいのジャズバンド)に女装した男2人が潜り込み、いつばれるかとハラハラしながらも、いわゆるハーレムもの(女性の園に男が少数)展開を満喫するという映画です。
 ただいちおう建前はギャング映画なので(?)、ギャングとの大捕り物もありますよ、といった感じ。
 うんなるほどw 狙いが分かりやすいw

 ただここまで読むと、いや、女性の中に男が混じってたらすぐばれるでしょ!? と思うと思うのです。それがこの映画の面白いところで、なんだかんだでドタバタしているうちに、ばれないことに違和感を感じなくなってくるんですねw
 これはちょっと書こうとしたマリリン・モンローの才能の話でもあるのですが、シュガーはヒロイン役ですから当然に主役の二人組と頻繁に接触をし、二人もシュガーにくらくらとしてしまいます。で、そのシュガーはどうかと言うと、無邪気に二人を信じ切っていて、夢見がちな甘ったるい幻想で二人を包み込んでしまうのです。
 わたしはマリリン・モンローファンではありませんので、他の作品がどうなっているはまったく分からないのですが、このモンローの夢見がち感がコメディーに使いやすかったのではないかと推察するのです。

 日本の女優で言えばぜんぜん色っぽさが売りではないですが、NHKドラマの水族館ガールでヒロイン役をした松岡茉優。なんといいますか天然系と言われる女優さんたちに近いのではと思うのです。ひとことで言うとほわっとした空気感を持っているんだけれども、そこにすべてを引きずり込めるだけの存在感があると言いますか・・・、男性俳優では大河ドラマ真田丸で準主役をやっているにーちゃん(これは真田家の長男役だから)こと大泉洋さんですかね。
 にーちゃんをどうコメディーに使っているのかと言われると難しいのですが(最近は難題ばかりなので)、少なくともちゃんとおかしみは出していたよ、とはいえるのではないでしょうか。
 えーと、真田丸の説明をすると長くなりそうなので、この辺でぶつっと切りましょう。

 ■役の使い方、いかに少人数で回すか。

 ここから本題なのですが、ワイルダーの面白さは、一つの役柄を一つに使わないところにあります。もちろん物語技巧的な面白い話はもっと話せるところではあるのですが、それは『物語解析』を読んでいない人にしてもちんぷんかんぷんです。
 なので端的に言って、女装して入った男が、その女であると信じ切っているモンローを駆使して、男にも嘘八百で身分偽装しながら恋の虜にさせるという脚本ってすごくない? という話なのです。
 ジョー(ジョセフィン)は男の立場と女性の立場(どっちも嘘八百w)を駆使して、シュガーに迫っていくのです。まあなにか詐欺師じゃないかと思うかもしれませんが、ふしぎなおおらかさとおかしみがあって、まあ実際詐欺師なんですけど、浮気者ではあるけれども悪意はなくてそこそこ義理堅いところもある、それをワイルダー一流のどたばた喜劇でひっかきまわす。
 よい脚本というかシェイクスピア劇は、展開が早くて目まぐるしく次々といろいろなことが起こって有機的につながっていく。これは脚本の力ですし、非常にコンパクトだからできる密な構成だったりはします。
 これは楽しみは奪ってはならないと思いますので具体的には言いませんが、くっくっくと笑ってしまう展開の妙があります。
 たぶんワイルダーがあんまり好きでない人は、引きずり回しすぎなぐらい、はらはらさせるところにあるし、実際にはこんなの普通ばれるだろと思うようなことも力技で納得させてしまうところだと思うのですが、まあもっと肩ひじ張らずに、稀代のいたずらっ子がどう楽しませてくれるかを堪能しましょうや、というのがわたしの言いたいところだったりします。
 モンローが色っぽさで延命させてくれた作品というのは、同じワイルダーの「麗しのサブリナ」をオードリー・ヘップバーンが延命させてくれたのと似ているのですが、こちらはまた別の楽しさがあります。
 わたしのなかではこの「お熱いのがお好き」は「麗しのサブリナ」よりも評価が高いのですが、その理由はモンローとヘップバーンの比較ではなく、脚本の質の高さなのです。もちろん最高峰は「アパートの鍵貸します」なのですが。

 「お熱いのがお好き」はたぶん、色っぽいイメージが付きまとわっていて(実際にかなり色っぽいですし、わたしも借りるのがかなり恥ずかしかったです)、その喜劇の作劇方法に目が行っていない作品な気がするんですが、これはすごかったというのがわたしの報告です。
 これにマイナス評価をするのはもったいない! 見てから言え!
 という作品なのを書いておきました。

 物語解析したいけど、ほとんど需要がないだろうなあ・・・。

| 映画評 | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |