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クラシックが書きたい

 オリジナリティというのはふしぎなことばだと思う。
 独創性とよく訳されるけれども、わたしは自分がやっていることが独創的だと思ったことはあんまりない。
 たしかに発明を中心において歴史物語を書いてみようとするのは風変わりかもしれない。しかしそれはそういう方面の資料を集めることをわたしが好きだからそれを使いたいだけであって、別にそれをすることに何か特別な意味があるわけではない。
 先日、幼いころにわたしが夢中になって読んでいた父の本を再び読んでみて、それが超一級の資料だと気づいた。19世紀から20世紀の発明家の発明が、挿絵付きで羅列された図鑑のような本。随分小さな字で大量に書かれた説明の内容は難しかったので、幼いわたしが理解していたとは思えないのだけど、その奇想天外な図の数々には魅了された。
 気付くと、わたしは発明の周辺で生計を立てる仕事がしたくなるように仕向けられていた。
 幼い頃から家にはBASICでプログラミングができるPC(当時はパーソナルコンピュータではなくマイコンと言った。PC-6001である。あ、PCだ)があって、プログラム雑誌のゲームを写してゲームをしていたりした。
 中学に入ってポケットコンピュータを買うことが強要されて、それでBASICを打ったりもした。大学に入ってゲームサークルでゲームを作っていたときに、F1マシンなどのスペックデータからゲーム上のデータに変換するプログラムを書いて(エクセルマクロぐらいの簡単なものだ)、先輩から理系はいいなあなどと言われた。
 社会人になって職場に入ると、気付くとプログラムが書ける自分がいた。
 これはオリジナルなんだろうか。

 中学生だったか、高校生だったかのときに父親の仕事を聞かれ、弁理士と答えると、それになるのが僕の夢なんだとクラスメイトに言われた。今になってみると、いやあ、弁理士って法律屋さんだよ? 特許法29条の2を諳んじてみて(この条文は複雑なのである)というのが試験だよ? と思ってしまうのだが、夢を見る年頃というのは、そんなことを知らなくてもいい時間なのかもしれない。
 弁理士試験のゼミの親睦会で、特許事務所勤務の先輩から、君は純粋でいいね、そんな純粋な仕事がしたいよ、などと愚痴を言われた。
 世の中はいろいろな思いが交錯している。

 正直に言うと順調に進んでいるときが1番愚痴を言いたくなるときなのかもしれない。
 順調でありながらこれでほんとに大丈夫なのだろうかと思うときが、1番振り返りたくなるときなのかもしれない。
 きみはなにかすごい生命力があるのですか?
 数年に渡る心臓手術の過程で主治医に言われた言葉だ。
 わたしはその主治医に、こんなリスクが有ると脅され続け、これは死ぬかもしれないとびくびくしていた。それを乗り切ったのが主治医的には信じられないらしく、わたしはただ、あー、いや、わたしは病弱な方で生命力はありません、と答えた。
 わたしの観点からすると、その主治医のどんな難事であっても絶対に助けてみせるという執念に近い熱意の賜物で、わたしはのんきに、あー、この人なら大丈夫だー、と全部おまかせだったのが良かった気がするのだが、なかなかに伝わりにくい。
 その前にわたしは鎖骨の遠位端骨折で別の病院で手術を受けた。
 これは3回にわたり、1回めでプレートを入れて、2回めは細菌で再発し、3回めは細菌を押さえ込む手術だった。だいたい普通の人は2回めで、あー、この医者は信用出来ないと、別の病院に移るのだ。これが非常によろしくない行為で、ひじょうに長期化する悪い路線に流れていく。
 ただこの病院はリハビリの理学療養師の方が優秀で、まああとから聞くとその病院自体の評判は良くなかったらしいのだけれども、一度誰かを信用しないループに陥ったら、もう永久に誰も信用できなくなるよ、という理屈が勝った。
 いろいろうんざりしたけれども3度めの手術を受けて、鎖骨の遠位端骨折は快癒となった。このときの医者とどう付き合うかのリテラシーが、生存に繋がったのかなあと思わないでもない。

 3度の心臓手術というのは、3回の死ぬかもしれない機会といえると思えるのだけれども、死ぬかもしれないと恐怖に駆られたのは2回めの手術だけで、このときは有楽町の国際フォーラムのそばを歩きながら、もうここを歩くのは最後かも知れないなどと思った。もちろんわたしの身体を、胸骨を斬るために電動ノコゴリを回した人たちが僅かなミスさえしないと考えるのは酷だ。
 こんなにも奇跡が起こっている。
 もちろん、感謝しているし、信じられないレベルの医療に助けられたと思っている。
 わたしは心臓の問題で、その血栓が脳に飛んで、脳梗塞で救急車搬送されているので(信じられないことだけど障害がない。これは免許センターで確認した)、どこがだめになったんだろうとは思う。

 オリジナルティってなんだろ。
 傷の名前なんだろうか。

 簡単に言う方法がある。
 これは名前を覚えていない画家の言葉で、日経の「わたしの履歴書」の内容なので、とてつもなく高名な画家の言葉だと思う。その画家は子供を集めての絵画教室を頻繁にしていたらしい。そのとき、赤の絵の具を使うときに、こう考えたらしい。
 もし子供たちが赤と言われて絵の具の赤を使ったら誰もが同じ赤になる。
 それでこう言った。
「この赤に自分の好きな色をすこしだけ混ぜるように」
 これで生まれる色が個性だと。
 これはあまりにも衝撃的すぎて、どう考えていいかのかさえわからないほどだ。
 これには一滴も、自分の見解を書かないつもりなんだけど、宇宙しか感じなかった。
 名前を覚えていないのは申し訳ないのけど、日経のわたしの履歴書でだいたい数年分なので、多分たどり着くと思う。
(これはどうも、絹谷幸二氏であったようだ)
 わたしはだいたい文体もコピーしているし、取り上げるテーマも先人の現したものだし、オリジナルなものはだいたいない。でもそこにわたしが青色を混ぜているのであれば、それは自分の個性だと言われるのは、だいぶ助けだった。
 なんか、書きたくなってきた。
 ゲームブックシリーズで使ったパオペラの面々を使って、イコウたちが活躍する短編もいいなあと思い始めている。リオネが何を言うか楽しみだし、ロットが絡むと面白い。イコウは無茶苦茶だし、シャリーはかわいい。
 なんかいろいろ本筋からずれてきた。

 わたしの仕事は、「あらしにあこがれて」の完成を目指すことなのに、散々に難航しているのである。

 オリジナリティというものはだいたい自分が辿ってきた軌跡であって、そこでどんな色足してきたかでしかないと思う。自分の赤はどんな赤だろうと思うと、わたしはデザインをやってきたので、ピンクにだいぶ近い赤と、えんじにだいぶ近い赤のグラデーションを使うだろうと思う。えんじの深さ(明度のことを言っている)をどれぐらいにするかを考えるくらいで、ピンクを出すかえんじを出すかで迷う。これがわたしの赤。
 オリジナリティはだいたいこのあたりの、微妙な好みの間にある気がする。
 わたしの色調はたしかにあって、数日かけて補正したものが反故になってしまったことはあった。それは、今考えてみると、なんでわたしが色を決めたのだろうと、いけないことをしたという感情はあったし、先方にはなんの文句もない。自分の色が一番いいと思いこんでいたのだ。

 クラシックというのは古典という意味以上に、もっと豊穣なたとえば誰もの支えになる作品という意味があると、言葉は少なくてこれは千字ぐらい書けそうなのだけども知って、クラシックが書きたくなった。
 古典が書きたい。
 これは今日読んだ、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞スピーチには馬鹿にされるだろうと思うし、言っていることが意味不明なのだけどれも、クラシックが書きたい。数百年残るものが書きたい。そのためには力が足りなすぎる。
 この時代に生きているのだから、この時代を盗み尽くして、結晶化したい。
 それがわたしが見ているシェイクスピア。
 あいつには絶対に負けたくない。

 それぐらい思わないと生きている意味がないじゃない。
 あいつに勝ちたい。

| 雑感 | 02:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
 暖房の季節

 手袋ないと寒いかな。
 出る前にそう思って週課の散歩に出る。
 今年の季節は、夏から、毎週のように台風の上陸する季節があって、それから急に紅葉の季節になった気がする。
 いつも立ち寄るファミリーマートではいつもの癖で冷たい水の冷蔵庫へ歩いてしまい、熱々だったら嫌だなとと思いながら戻ったホットのコーナーで、ぬるいと思うほどのお茶を買って、レジで支払う。
 わたしは冬生まれなので寒いのは嫌いではなく、室温が20度を下回っても暖房を入れることがない。
 冷房のスイッチを入れる言い訳用に買った温度表示付きのデジタル目覚ましで、30度を上回ったら入れてもいいことにして、だいたい27度ぐらいで快適だと思うから、寒くないと駄目なわけではない。寒いのが苦手でないだけだ。

 今年は季節感のあるエントリーを書いてきたから、あのときはああ思っていたなあと覚えていて、振り返りながら同じ散歩道を自転車で走る。空の色が違っていたなあとか、雲はそんなに出てなかったなあとか、オシロイバナが咲いていたなあとか、変わった季節が重層的に畳み掛けてきて、その変わったところを気になってみてしまう。
 いつもの土手沿いを走ると、夏にバーベキュウをしていた河原に、キャンピングカーが止まっていて何かテーブルの上に料理を並べている。こんなに寒いのに。河原を2匹の犬を連れた男性が走っていて、わたしの自転車と並走していたから、だいたい20キロぐらいで走っていたはず。
 さっき買ったお茶がだいぶぬるいのと、だいぶ登ってきたのに身体が温まってこないのが気になる。もう晩秋なのだ。

 レンタルビデオ屋に辿りつき、観たかったDVDを借り、準新作ですがいいですかと言われて、はい、といい、それをカバンに入れて嬉しくもなくて、たぶん映画評を書くのだけれども、定評があることは誰もが分かっているので、この爆弾がどれだけすごいかを知りたい。
 「君の名は。」の作者の故郷である小海に行きたかったのだけど、どうも普通で行くと片道6時間かかるみたいで、新幹線を使うと6000円かかる。片道である。紅葉の小海がみたかったなと、思うのだけれども、ひたすらに遠い。駄目だったんだから、諦めるしかないんだけど、いつか行く。小海線。それも紅葉の季節に。

 寒いと温かいものが飲みたくなる。
 わたしは安いケトルを持っていて、いつでもお湯を沸騰させることができる。
 たぶん誰も気にしないのだけど、コンソメスープの素がだいたい400円以下で売っている。今見たら300gと書いてあった。わたしはマグカップに5gの匙でコンソメスープを作っているので、それが60杯は飲めることになる。
 それがなくなりかけていたので、業務用スーパーに出かけてそれを買う。
 そのお店は冷凍食品のケースがむき出しに並んでいるので、おそらくそれが理由で暖房を入れてない。レジの人がジャンパーを着ているのが印象的で、わたしも価格と品揃え以外は問題にしていないので、特に何か言うことはない。
 それからホワイトボードを書いに、100円均一店に向かう。
 こちらは大手チェーンなのでだいぶ暖房が効いていて、文具品コーナーを回って、仕方なくレジの人に聞く。
「ホワイトボードはどこにありますか?」
 あ、はいなどと慌てるのだが、たぶんあんまり店内のことを知ってない子らしく、もう一方のレジの人に聞いて、ご案内しますという。それでどちらがご案内担当なんだろうと迷うのだが、頼もしそうな方に決まっている。
「あ、はい、お願いします」
 それでもそのときの受け渡しがぎくしゃくしていて、多分一番先に声をかけたほうがご案内するという意味だととっているはずだと思われていた、と思われるのだが、わたしがあなたしか案内できないでしょ、という態度をとると、とても愛想よく案内してくれた。
 わたしがそのコーナーを見逃していたのは、百均のホワイトボードがどういうものかを理解してなかったかだらと思う。わたしは下敷きのようなホワイトボードは持っていたのだけど、もう少し本格的なものが欲しかった。
 結局吊り下げ式の100円ホワイトボードを買って、家路につく。

 あ、そうそう。
 その百均はセリアなのだけど、あまりにもこれみよがしにディスプレイしていたので、手袋は買いました。
 100円でした。


| 雑感 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『グ・ラ・メ! -総理の料理番-(最終回)』を見た。

 えっと、もうタイトルからしてわたしがいかにも好きそうだというスイートスポットなのですが(このスイートスポットという用語は、わたしが中高大とやってきたバドミントンのラケットの好返球ができる範囲の意味)、いや、かなり夢中になってみたドラマシリーズでした。
 たぶんご存知のない方はとてもたくさんいるとは思います。
 ただ、その原作者の方が、わたしが週刊漫画TIMESを毎週買うきっかけになった「信長のシェフ」の原作者であり、この方面で活躍すると無双の人なんだなあと、まあ一言で言えば完全にロックオンされていた作品ではあります。

 この作品は、総理官邸にグランメゾン(これがグラメである)というおもてなし用の調理部門が設けられたという想定で、そこで繰り広げられる食を通じたドラマを描いたものです。
 主人公は剛力さんが担当し、総理役は小日向さん、秘書役には滝藤さん。
 首相官邸をめぐる様々な政治状況を食を通じて解決していくというドラマなのだが、どうやって撮影できたのだろうと思うぐらい、首相官邸だよなここ、と思わせるリアリティーはあるのだ。

 最終的な結論から言えば、ライバルの調理人(調べるのめんどいので省略)の扱い方が下手すぎない? となるのだが、まあ料理もののドラマとしては堪能できた。

 ■なぜ料理モノが好きなのかから見る物語構成

 わたしが料理モノが好きなのは、わたしが料理ができるからである。
 できるといっても、小手先のものであって、本格的に学んだ人に達せるというレベルではないのはほとんどの人と同じだと思う。だから本格的なフランス料理は敵になるのだし、庶民的な段階で勝負になるというのは、このグ・ラ・メ!のポイントだと思う。
 そこにカタルシスがある。
 最終話は残念ながらそこに触れていないのだが、ネタバレになることを恐れず、ぼかして言うと、ラーメンの出汁がポイントになった回は、ラーメンかよと全力で笑ったwww
 食い物ネタというのは、衣食住の三大文化の筆頭にあるのではないかと思う。
 わたしは漫画原作で実写化されて成功する確率がおそろしく高いのは食い物ネタだと思っているのだが、孤独のグルメしかり、深夜食堂しかり、とにかくヒットすると予想してなかった地点でヒットしている事実は認識すべきである。
 たぶん次に来るのは食べ歩きネタ(孤独のグルメはそうだけど、もうちょっと広範囲にアジア全域に食べ歩くイメージ)だと思う。
 旅+食。
 これが無敵な気がする。
 わたしは正直、取材費出すんで、食べ歩きしてくださいと言われれば、一生食べ歩きしそうな人ではあるのですが、これ儲かりそうな気がするんだけど誰もやらんの? と思ってしまいます。

 というか食い物の話すぎて、物語構成の話してないw
 えーと、雑かなあ・・・。
(それで終わり?!)
 以上。

| 雑感 | 03:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 改正特許法

 わたしはいちおう知的財産権界の端くれなので、自分の思うところ語っておくべきだと思った。なので、多少専門的にはなるが、できるだけ分かりやすいように説明しようと思う。

 つい先日、特許法の一部改正される見込みになった。
 たぶんほとんどの人には分からないし、関係がない話なのだが特許法35条の職務発明の規定が変わることになりそうなのである。
 これを揶揄して、改悪特許法と口の悪い人は言う。
 自分の専門分野の話なので、わたしには安保法制なんかよりとても重要な内容なのだ。
 変わる内容は次のようなものだ。
 これまで発明は発明をした人のものであり、それを自分が所属する企業に譲り渡したときは、それなりの対価を得る権利があった。しかし、改正法が施行されるとそれはすべてそもそも企業のものだったことになり、どういう規定になるのかは読んでないのだが、現時点では経済産業省令でガイドラインを作るということになっている。
 たぶん変わったのは、発明の権利を発明者が持っているか、企業が持っているかの差だけだと思うのだが、一番大きいのは報酬額が合法であるかどうかの判断が、裁判所から行政機関である経済産業省に移ったことにある。
 つまりより企業寄りの機関に、判断をする権利が移った。

 ここに至るまではいろいろなことがあった。
 一番大きかったのは、青色ダイオード特許の対価請求訴訟で、まったく誰も想定していなかったのだが、200億円だか300億円だかの支払いを認める判決が出た。この裁判は結果的に6億円程度の支払いで収まるのだが、この被告となった日亜化学工業は中小企業に分類される企業である。これがいきなり300億円とか言われると、会社が存続できなくなる。
 これは司法の完全敗北なのだが、これが問題視された。
 それでなし崩し的に、発明者の権利は発明者を養っていた企業の権利になり、その権利が合法であるかどうかの判断は、司法から取り上げられて、中央省庁に移った。
 わたしはこれでも、日本特許法の正しさに、救われてきた人間だ。
 無法地帯に等しいWeb業界にいて、さんざんな目に遭った身としては、法律がちゃんと守られる世界というのは、警察署に常にいるような安心感を感じていたのだ。
 だけれども、それは変わってしまった。

 わたしが冗談半分で両親に言うことは、もし日本に油田があることが見つかって、それで、一切の年金問題とかが解消してしまえばどんなにいいだろう、ということだった。
 日本がエネルギー獲得コストとして払っている、資源代が一切消えれば、バラ色の日本になる。石油代が0円になれば、世代間の配分争いなどなくなる。たぶん多くの人は、この考えを妄想だと思うだろう。
 しかし、そうではないのが特許の世界だ。
 もしメタンハイドレードを、きわめて安価に採取する方法が開発されたら?
 これは技術的に今はできていないが、石油代替油分を生産する藻類を海水で大量生産する方法が実現したら?
 おそろしく効率の良い電池が発明されて、再生可能エネルギーを蓄積する安価な方法が開発されたら? 
 たぶんそれらの多くは夢物語だと言われると思う。
 たしかにわたしは夢物語の世界に生きている。
 でも、だれかがそれを実現したときに、どうするのだろうと思うのだ。
 石油代を0円にした人にどう報いればいいのだろう?
 そもそも青色ダイオードは夢物語だと思われていたのだ。

 わたしは入院生活が長かったので(心臓の問題で3回手術をした)、看護師さんとたくさんの話をした。絶対安静で、ベットに寝て上を向いてしか食事ができない状態で、看護師さんに口に料理を運んでもらった。
 それがあまりにも辛かったので、なんとかならないんですかねえ、と聞いた。
 もちろんわたしは看護師さんに改善を求めているわけではない。
 それが当たり前なのだ。
 これでは全世界的にほとんど患者が感じている不便であり、辛さであり、それは明らかに改善の余地があるものだった。
「もし、この辛さを改善できる器具を考えることができれば、大儲けできますよ」
 わたしが指摘したのは、そう言った医療器具はほとんど未開拓の広大な利益の源泉で、もし何か画期的な器具が生れれば、あっという間に世界中に広まりますよ、ということだった。
 とにかくつらいのだ。
 わたしは金もうけをしようと言っているのではない。
 この辛さを取り除けばその報酬はあなたに入りますと言っているだけなのだ。
 これが特許法だ。
 もしその利益が看護師さんではなく、大病院のものになってしまったら、どんだけ看護師さんはやる気をなくすだろう?
 患者は幸せになり、発明者は儲かる。
 何の問題があるんだろう?

 日本の特許法は東大の中山先生と言う思想的な中心の方がいて、その方が定年で退職されたとたんに崩れ始めた。
 後任の学者の書いた文章を日経新聞で読んだが、御用学者というものがここまで事実を捻じ曲げて書くものなのだと衝撃を受けた。おそらく中山先生も、長らく思想的な中心であることに問題を感じたのだろう。それは否定しない。しかし、それに続く流れが、あまりにもひどかった。東大閥でもっと優秀な人をわたしは大量に知っているんですけどもね。
 たぶんわかる人はわたしの念頭に浮かんでいる人が、辺境で研究に没頭している人だとは分かっていると思うんですけどね。

 これは具体的にたった一人しか指していない。

| 雑感 | 01:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
青いマイクロバス
 JRの最寄駅前の玉砂利の駐車場に、一台のマイクロバスがいつも止まっている。
 首都圏の駅と言えども小さな駅で、駅前にはコンビニ一軒もない。
 あるのは駐輪場と駐車場と自販機ぐらい。
 そこに青色の真新しいバスが止められているととても目を引く。
 車体にはサッカークラブ名が記載されていて、どこかのクラブの遠征用のバスだろうかといつも気になっていた。
 そのマイクロバスはおそらく800万円ぐらいはするし、維持費だってただではないだろう。そんなの維持できるのだろうかと思うし、おそらくタイミングの問題でいつもそこに止めてあって使っているようには見えなかった。

 普段はほとんど認識していなかったけれども、視界に入り始めると突然見えるようになるということがしばしばある。
 わたしの場合の分かりやすい例は自動車学校の教習車で、免許を取得しようと自動車学校に通ううちに、あ、こんなに教習車って公道を走ってるんだなあと、思うようになった。送り迎えをする送迎車も自分の自宅の近くを走っていて、なんでこんなに目立つのに気付かなかったのだろうと思ってしまった。
 わたしは30代になってから免許を取った遅れた人で、学校にいる人でわたしと同世代なのは外国出身の人ぐらいだろう。とくに言葉も分からないような人が日本語のペーパーテストに四苦八苦をしているのを見ると、交通ルールさえ分かってもらえればいいのだがら、これは何とかならないんだろうかと思ってしまっていた。
 それどころかテキストも日本語だし、講習ビデオも日本語だ。
 先生も外国人には気を使っていて、大丈夫? などと声を掛けていた。
 べつにわたしは特別な経験をしているわけではない。
 とても平凡な自動車学校での日常だ。
 わたしが教習車を見えていなかったように、よく見ようとしないと見えてこないものもある。

 昨今、近所の模型屋が2倍ぐらいの大きさに改築してリニューアルした。
 とても都合のよい話なのだが、一番近所と言ってもいい模型屋だったので、いちども入ったことも、なにかを買ったこともないくせに、なくなってほしくないな、と勝手に思っていたのだ。
 しかし、あるときふとしたきっかけで、そのお店がある特殊な界隈ではとても有名なお店だということを知った。
 サバイバルゲームの大会を主催する、有名なお店だったのである。
 このサバイバルゲームと言うのもは、エアガンで撃ちあう模擬戦のようなものだ。そのエアガンはけっこうな値段がするし(値段はピンキリ)、実際の銃器をモデルにしているので模型と言うか、モデルガンである。
 昨今では、FPSというゲームの分野が欧米を中心に流行っていて、最近ではFPS以外のヒット作を見つけるのが困難であるし、つい最近、任天堂までが「イカの水鉄砲」で有名なFPSスプラトゥーンを発売して、あちこちが沸き立っている。
 このFPSのリアル模擬戦バージョンが、サバイバルゲームなのだ。
 ひじょうに身体を酷使する訓練のようなハードさはあるし、想像に難くないと思うが、モデルガンは儲かる。
 そして大会を主催すれば、常連の上顧客がサバイバルゲームを趣味にしてくれる。
 わたしの知らないところで、世の中はうまく回っているのである。

 さて冒頭のマイクロバスのなぞも、やがて解けた。
 その青いマイクロバスは、その駅から数駅離れたところにあるフットサルコートの送迎用のマイクロバスだったのだ。
 フットサルコートってそんなに儲かるのか? と、ホームページを見ると、予約表は朝から晩まで毎日びっしりで、見るとフットサルチーム同士の大会も盛り上がっているように見えた。
 一方で趣味を楽しむ人たちがいて、その趣味の環境を提供して儲かっている人たちもいる。
 あんがい世の中って健全に回っているんだな、と思うと同時に、わたしは右足首がまったく動かない障害があるので(それに心臓の手術を3回もしているので)、どんなにやりたくてもフットサルをすることはできない。
 なので羨ましいと思うと同時に、その楽しんでいる人たちがずっと楽しめたらいいなと思う。わたしはサッカーを見るのは好きなので、気楽にサッカーをする環境がいつでも多くの人の手が届くところにあるのは、いいなと思うのだ。
 先日、その青のマイクロバスが街中を走っているのを見て、ああ、やっぱりあれは使っているんだなと思う。
 おそらく駅前から細い道を隔てたところにある駐車場は便利なのだ。
 そして安いのだろう。

 つい先週、その駐車場にもう一台のマイクロバスが止まっていた。
 白色の車体で、青のバスとは違うサッカークラブの名称が書かれている。
 これもフットサルコートかな、と思ったのだけど、調べてみると小学生のサッカー教室用のバスであるようで、ホームページには遠征用のマイクロバスもありますと書かれてあり、わたしが見たのと同じの黄色のバスが写っていた。
 ひょっとしたら、わたしはこれは資金的に大丈夫なのかと心配すべきかもしれない。
 しかし、わたしはどうも世の中はもう少しうまく回っていると信じる気になったようで、こんな推測を立ててみる。
 あのマイクロバスは、おそらくサッカー仲間に少しずつ借りたお金で購入されたものだ。
 利子は無利子で、必ず返却することだけが約束されている。
 遠征に使うと書いてあるので間違いなく遠征用で、そのためには燃料費もメンテ費もかかってくる。
 ここからが工夫だ。
 おそらくあのマイクロバスを購入した借金の返済は、遠征のつど支払われる遠征費から出されるものだと思われる。それを払うのは親御さんであり、それがそれなりの額になるのは想像に難くない(1人5千円とか)。
 これは高いと思うかもしれないが、親御さんもそのマイクロバスに乗って遠征地まで一緒に来てもらってもいい、となれば、格段に安くなる。
 一人が高速に乗って、ガソリン代を払って、運転までしてとなるとたいへんな労力だ。
 そこで親御さんは同伴可にした。
 これならひとり5千円でも高くはない。
 これに気付いたとき、わたしは、
(うーん、なるほどねえ、うまく回っているもんだねえ)
 と感心してしまったのである。

(だから何だという話はない(笑))
| 雑感 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
 主観的客観性、あるいはきわめて主観的なのに、客観的だと錯覚してしまう物事

 不親切な文章だなと思いつつ、入院中、そして退院して外来で通うようになって、思うようになって、主観と客観とその間にある錯覚について思ったことを。


 おおきな病院に長らく入院した。
 多くの人が関わり、重要な決定が次々と下される場に長い間にわたって身を置いた。
 そのシステム化された大きな組織のメカニズムを観察していて、その医療というものが、科学的で合理的なもので動いていくものであること理解した。

 その中で一番に面白い思ったのは、きわめて主観的な主張であるのに、そう主張する本人は客観的だと錯覚してしまうことが多々あるということだ。それが病院の合理性を照らして読み解いてみると、手に取るようにわかって、面白い。

 簡単に言うと、これはエアコン設定温度に関する、男性と女性の宗教論争のことだ。
 冷えやすい女性は寒いといい、脂肪の服を着ている男性は暑いという。
 とても乱暴に結論を言えば、寒い女性は服を着ればいいし、暑い男性は脂肪の服を脱げばいい。原因は、いまの設定温度が寒いか暑いかではなく、ありていに乱暴に言えば、暑いと感じる太めの男性は、暑いのは、エアコンのせいではなく、おまえが太りすぎなんだ、ということなのである。
 きわめて主観的で自分勝手であるのに、なぜか客観的な主張で正当で公正なことだと思い込んでしまう。

 いまは深いところに踏み込んでないので、単純化されたあまり問題のない範囲にある。
 ただ、これが世代間格差、収入の格差問題などに範囲を広げると、恐ろしく複雑な社会問題を取り扱う話題になる。
 もし特別に優遇を望み、エアコンの温度を下げ、太ってない人に我慢をしてもらいたいと思うのであれば、喫煙者がたばこ税を取られるように、肥満税を払うことで、その社会的コストを負担するべきである。冷え性の女性が買わなければならないカーディガン代は、やはり、エアコンの設定温度を下げよと言ったものが支払うべきである。
 きわめて合理的で、シンプルだ。
 しかし、問題はそんなに簡単には片付かない。

 実際の、病棟内の設定温度は、25度付近であったと思われる。
 わたしはそれを寒いと感じ、病衣は薄いものであり、その下は下着しか着ていないから、寒さを逃れるには、布団をかぶっているしかない。しかし、夜になって目が覚めてみると、病衣がぐっしょりと寝汗に濡れていることに気付く。
 実際のところは、暑すぎず、寒すぎない温度なのである。
 つまりその設定温度は、病室で横になっている患者を基準に設定されていたのである。
 しかし、看護士さんの話を聞くと、暑いという。
 わたしはそれを聞いて、患者は看護士さんと違って働いてないから、そんなに暑くない、などとお気楽に言ってしまっていたのだが、ああ、これで暑いのであれば看護士さんはたいへんだなあと、思ったのである。
 患者を考えれば下げるわけにはいかないのだろうが、病院というシステムを動かしているのは看護士さんなので、なんとかならないものかとも思ってしまうのである。

 こうやって、考えてきてみると、あんがい病院の温度設定はそれなりの根拠のある温度に設定されていることに気付く。
 しかし、ここに外部人間が入ってくると、とたんに複雑になっていく。
 大きな大学病院は入院患者や救急の患者ばかりを扱っているわけないので、外来で訪れる患者がいるし、しかも入院患者の親族が見舞いに来る。
 外来の患者は病棟までやっては来ないが、見舞客は団体旅行のツアー客のように遠足気分で、静かに療養している患者からしてみると、迷惑極まりない存在でしかない。これが主観的客観性を振りまいて、あれこれと騒々しくしていくのである。
 たとえば、見舞客が暑いと言っても、わたしなどはお前のことなんか知るか、と乱暴に思ってしまう。
 それよりも、病室で通話するな、ロビーで携帯をいじるなと、最低限のマナーを守れないことに愕然とする。重病患者がいる、心臓外科の病棟である。手術を終えたばかりの患者が点滴を打っているところである。そんなところで、まるでそこが自宅であるかのようにふるまうのである。

 いかに、主観によって客観が狂うか、というのがわかるのではないだろうか。
 わたしは、病院でのマナーを守れと言いたいのではない。
 これほどまでに主観によって客観が捻じ曲がることを指摘したいのである。
 それを病院側の常識に照らしてみると、愕然としてくるのである。

 ある猛暑の日、わたしは退院後の外来で数々の検査をし、広い廊下で待つ。
 わたしは心臓を切開したので、胸骨をおさえるバンドで胸を締め付けていて、しかもジャケットを羽織っていたりするので、一般の人よりは厚着をしている状態だった。
 そんな中で、ふたりのおばあさんが、病院の廊下が暑いと話していた。
 わたしは肌感覚的に、その室温が病室のそれと変わらず、これは病衣のままでは、とても寒いのだとわかっていた。
 それに、わたしは少しも暑いとは感じなかった。
 ふいにひとりがいう。
「きっと、熱中症にならない温度にしてあるんだよ」
 わたしは、ぎょっとしてそのおばあさんを振り返る。
 今いるところは大病院である。
 もし熱中症のおそれがあると心配するのであれば、血液検査をして、脱水症状に陥っていないかどうかを検査するはずなのである。そのための設備も人員もそろっているし、看護士さんは親切で優秀だし、医者がその程度のことも気付かないとは思えなかった。
 そもそも、その会話を聞いたのは中央採血室の真ん前で、熱中症が心配ならば、検査してもらえばいいだけなのである。

 わたしは、入院中に心臓への負担を避けるために、飲水量制限を受けており、それは何とか守ろうとしたのだが、血液検査の結果、若干脱水気味という判定が出て、生理食塩水の点滴中にも関わらず、飲水量制限を解除して、それよりも腎臓の負担を減らそうという措置を取られたりした(造影剤という検査用の薬剤が、腎臓に負担をかけていたそうなのである)。

 つまり、そういうことなのだ。
 病院は客観的に患者の状態を検査する方法をたくさん持っている。
 なので、何かのおそれがあれば、まず検査をするはずなのである。
 なぜなら、それが一番客観的なので。
 だから、わたしに対して飲水量制限を課すのは間違いだと判断したわけだし、そういう意味ではわたしはわたしを診たお医者さんを信頼している。
 
| 雑感 | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちょっと長すぎたので、続編は仕切りなおします
 えーと、切れたところは、まあ、ここから先に踏み込むのは、ちょっと早足すぎだろうと思えるところでしたので、仕切りなおします。  続いていたのは、こんな文章です。
「この国だ。こんなにヤワだとは思わなかった。今にもてんでばらばらになりそうじゃねえか。りおねお嬢様の細腕一本にかかるって言う情けなさだ。もうちっと頑丈だと思ってたさ。おれ一人ぐらい受け入れられるタフさがあると思ってた。昨冬のタフさはどこへ行った?」
  疑問を投げるが、みりーにはわからない事である。昨冬を支えていた大公はもう亡い。みりーはため息、
  「どこへ行っても、りおね、りおね、りおねだ。あの箱入りに全部賭けちまってる」 「箱入り……、ですか?」
  「箱入りだろ? 父親が死んだのをずるずる引きずっていやがる。極度のファザコンってとこか? 人間ってもんは、いつか死ぬって決まってんのによ」 「お嬢さま!」
  ろっとが険しい顔をして、諌めた。みりーは真剣なろっとの顔を見て、すこし申し訳なさそうに、 
 「悪かったよ……。ろっと、お前もたいへんだな、おれなんかに付き合ってさ。おれの事なんて忘れて、黒獅子だか、六大将軍なんかになっちまえばいいんだ。とんでもねえ貧乏籤だ」 「ば、馬鹿な事を言わないで下さい!」 
 真剣に怒鳴られ、みりーはチェッと、呆れたように、
  「しかもおれの周りには、将来の計算もできねえ、馬鹿どもしかいねえと来ている」 「馬鹿で……、馬鹿でいいんです、お嬢さま……」
 ようするに、王侯貴族にふさわしいヒロインなのですね。
  ただ、このみりーの魅力は伝わるでしょうか。わたしも、あれ、こんな文章書いてたっけ? と思うような内容なのですが、器の大きさはなんとなくつかめるかと思います(ちなみに、本作では亡命してきた傍流のお姫様だった)。

  広げてみると、とんでもないぐらい、豊かだったと気づいてびびるんですね。そうすると、説明しなければならないところが大量に出てくるけど、説明しません、という状況になるw 無解説? うん、それをしている暇はない、ごめん、になるんです。
  このシーンだけで、200枚かける自信がありますなあ・・・。
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| 雑感 | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
謝罪、ジュゲムのせいで切れました
 えーと、ジュゲムのせいで消えました。  http://twitpic.com/cgxvza  これは何文字以上なら消えるとアナウンスがあればさすがに注意したのですが、不意打ち的に消えました。  原稿は残っているのでリカバリーは可能なのですが、さすがにこれはないと思いましたので、こちらではフォローするつもりはなく、ジュゲムのひどいサービスのせいで被害を被ったと書いておきます。ちなみにわたしはロリポップで、ちゃんと金を払っており、御社の業績に貢献しているはずです。  何年間も問題がなかったはずなのに、最近の荒れ具合が、ちょっとどうなの? と思います。
JUGEMテーマ:ビジネス
| 雑感 | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
不調のときの対処法
 何をしてもうまくいかないような気になるときはある。
 波のようなもので、周期的にうまくいかなくなる。
 これは不調だ。
 そういう言葉があるって事は、それは誰にでもやってくるもので、やってきてしまったときは仕方ない。
 もし来てしまったときは、これまでやってきたようにやることも、あらがってもがいてみても、結局よくなりはしないので、諦めることが肝心。よくあるパターンはなにか目に見える成果がほしくて、思いつくままに無軌道にいろいろやってしまうこと。これは泥沼に落ちるだけなので、やめたほうがいい。
 それよりも、好調の時とは違う不調のときのやり方を考えたほうがいい。
 たとえば、好調時にはメモ書きひとつでがーっと小説がかけても、不調のときはそうは行かない。なんたって不調なのだ。不調のときは負荷を低くする方法を考える。小説だったら、メモ書きと本番の間に、プロットという工程を入れることにするとか。デザインだったら、レイアウトと色味で勝負に行っていたのを、レイアウトは安定した定番型を使って色味だけで勝負に行くとか。
 諦めが肝心で、不調時用のやり方に切り替える。
 そんなことよりも、不調であることにより生じる精神状態を利用して、その間にしか考えることが出来ないこと、やろうと思わないこと、をしようと考える。
 たとえば毎日掃除してみるとか、いろいろ振り返って不調の原因に対する考察をするとか、対処法を書くとか。
 そうやって、不調の有効活用をしているうちに、いつの間にか抜けてしまうものだから、そんなもんだと。
 不調は久々だ、ラッキーぐらいの気持ちでいると落ち着いてくる。
 いつもどおりのことのうち、より基礎的な部分を重視して、そこを丁寧にやっていく。淡々と。そうやって、うまくいかずに不調に終わることたちをみながら、ためいきをつき、不調だとつぶやき、そういうときにしか考えられないことを考えて、将来の肥やしにしようと思う。
 いつか抜けるよ。

 と、自分に言い聞かせるように対処法を書いていると、だいぶ、ま、しゃーないか、と思えてくるというライフハック。
| 雑感 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界が終わるかも知れないという騒ぎだったのに、日本は平和だ
 昨日の為替相場は凄まじかったようだ・・・。
 今日も、その余波でおそろしい相場になっている・・・。



 ポンドの15分足。4円≒上下3%の荒れ相場・・・。荒れすぎ・・・。




 ポンドの60分足。歴史的な大相場・・・。


 リーマンショックのパニック時と同じぐらい動いたのであるが・・・。



| 雑感 | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事