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 吉本隆明『物語の現象論』を読んで

 こんばんわ、hikaliです。
 前回まで長々と続けてきた、吉本隆明『物語の現象論』の解読ですが、今回はその感想回となります。
 と、言っても何か確固とした予定があったわけではなく、いま真っ黒のテキストエディターを眺めながら、どうすんべ、と考えている最中だったります。
(わたしは、MS-DOS時代の慣れから、黒いバックに白い文字という環境で書いていたりします。やってみるとわかると思いますが、文字が暗闇に鮮明に浮かび上がり、文字だけに集中できるのです。これが白いバックだとどうしても周囲にカラフルな色彩を塗りたくなってしまう(笑))
 それでぼんやりと考えたのは、わたしの意訳を読み返しながら、そのときに何を考えていたかを思い出しながらサマリーを作っていく、というのはどうだろう、ということでした。

 ■わたしの4回の連載はこちら


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 3/4?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196008


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 4/4
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196009


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html




 わたしは正直、自分がどう考えていたかなんかはまったく興味が無いのですが、たぶんお読みいただいた方とわたしの間の考え方の差異が、吉本隆明の原文が持っている豊かさを際立たせると思うのです。
 わたしの意訳は、どうしてもわたしはこう読んだ、という独善的な見解になりがちです。そこには対話がないので、取り付く島がまったくなく、一方的にどうしてもなります。まあ何か御託を並べても説得力がないので、やってみましょう。
 どうなるんだろ(笑)。


 1.「語り手」はどこに位置しているのか

 この辺は、混沌とした文章に、うわーと頭をかきむしりながらざくざくザクザクと文章を削りまくっていた印象しかありません(^_^;
 ただ、削りきった文章を、最後まで読んだ知識で読み直してみると、出だしとして言わなければいけないことは全部書かれていて、あれ? 吉本隆明ってすごいな、と思う論旨の一貫性があります。
 繰り返しになりますが、これをわたしが削りまくって書いていたときは全体像なんてまったく見えていなかったのです。なので吉本隆明の原文にそれが内包されていて無駄なく書かれていたことになります。
(それを的確に要約する能力はどうもわたしにはあったようだ、ということにはなりますが)

 ここで語られる「語り手」でわたしが想起していたのは「イーリアス」でした。
 わたしは一度、「イーリアス」というのは、ご先祖様が戦ったトロイア戦争を逐一書き記したもので、それを聞いていた聴衆は、あ、自分のご先祖様が活躍してる、と心ときめかせるものだったはずだ、書いています。なので、最古の傑作叙事詩の聖書のように扱われると、
「あー、いや、そこにきみのご先祖様出てないでしょ!」
 と、なんか変だな、そういう書物じゃないんだが、という気にはなるのです。
 これと対比できるのは、小泉八雲の「耳なし芳一」です。
 この怪談は盲目の琵琶法師である芳一が歌っていた相手は、壇ノ浦で死んだ平家の怨霊だった、という話になるのですが、芳一は琵琶法師ですから、歌っていたのは、平家物語になるのです。
 つまり、ホメロスがギリシャ人たちに「イーリアス」を歌っていたのとまったく同じ構図。芳一は、自分にひどいことをすることになる、平家の怨霊たちに、その末路語っていたのです。芳一がひどい目にあったには、そのひどい物語を語ったからではなく、寺の住職に言われて、弾き語りをしに行くのをやめたからです。
 平家の怨霊たちは、どんなに残酷な結果になる物語であっても、それを聞きたかったのです。
 なんかこういう話をしだすとキリがないですね(笑)。


 2. 『源氏物語』における「語り手」

 このパートは書くことがないかなあ・・・。
 現在の散文の技法は、シーンを切るときにいちいちその理由を言わないんですよね・・・。吉本隆明も後半の方で言ってますが、スイッチを切るようにブチブチと切ってしまうんですよね。これは映画の影響だと思われます。
 実際の映画はもっととんでもないことなっていて、大ヒットした「君の名は。」などは、制作資料を読んでいると、映画に0.01秒単位の絵コンテを描いていて(たぶん言っている意味が不明だと思いますが)、楽曲提供者に0.01秒単位で曲を作ってくれと言っているという意味不明の世界になります。
 これはマッドビデオという世界の手法で、多分一番著名なのは、エヴァンゲリオンというアニメの、オープニング主題歌アニメが、だいたいあれがマッドビデオ、というと分かる人にはわかります。
 もっと知りたいというのであれば、参考資料を示しますので気軽に言ってください。たぶん見ないとわからないです。
 閑話休題。
 さっさと次に行きましょう。


 3. 『源氏物語』が提起したこと−「語り手」・作者・登場人物の分離

 ああ、ここで、作者がどういう意図で書いたか、と読者がどう読んだかの隔絶が生まれる話が出てくるのですね。
 吉本隆明はその隔絶が大きければ大きいほど豊かな物語だ、とたぶん言っています。
 こういうところは素直に尊敬します。
 とても人間が大きい。
 どうしても書いた側は、こういうつもりだったと言いたくなるんです。
 これはあまり良いことではありません。
(よくないなあ・・・、と反省中・・・)

 過去に読者としての発言で、わたしにひどい発言がありました。
 ある作品を読んで(ゲームだったのですが)、これは本物の○○ではない、と当時のサークル仲間(ゲーム研究会でした)に言ったことがあったのです。こんなものは納得出来ないと。
 吉本隆明の時代にはなかったことで、たかだか40年ぐらい経った現在の日本は、創作者大国になった感があります。19世紀のパリも同じような状況だったのではと思うのですが、当時日曜画家として専業ではない画家が後に大変評価されたりしていました(たとえばルソー)。
 現在の日本は百種類近い漫画雑誌(週刊・月刊)が存在し、一誌ごとに十人以上の専業漫画家を抱えています。これに関係するアシスタントなどの漫画家の卵まで考えるとこの数倍になります。
 ここまでが準プロまでのレベル。
 しかし、日本のほとんどの創作者は同人レベルで、2016年のコミケットマートの参加サークル数で約3万5千。これにさらに落選組を数えると、5万サークルはおそらく下らないはずで、サークルはひとりでやっているわけではないので、さらに数倍から数十倍。とても荒いフェルミ推定ですが、日本にはおおよそ数十万人規模の同人創作者がいるという計算になります。
 この人達が作品を見るとどうなるか。
 少し線が荒れるだけで作画崩壊だ、と騒ぎ出し、原作のある映画を見るたびに、「こんなのは○○じゃない!」と怒り出すのです。これは一言で言うと、
「おまえ失格だ、こんなもんでいいと思ってるのか、おれに替われ!」
 と言い出している光景に他なりません。
 これが現在の日本。
 つまり恐ろしく創作者の裾野が広くて、どの段階もレベルが高いのです。
 こんなことを言うのは変なのですが、わたしが19世紀のパリに生きてみたかったと思うのと同じように、もしかしたら20世紀末から21世紀初頭の日本に生まれたかった、という人が、200年後ぐらいには生まれるかもしれません。
 源氏の時代と違うのは、貴族のような特権階級でなくても、100円のノートに漫画は描けるし、テキストエディターがあれば、いや携帯電話でも、物語なんていくらでも書けるのです。
 そのときにわたしが言ったのは、「こんなのは本物の○○じゃない!」ということでした。製作者の分解能は、さすがに万能ではないので、かならずムラがあります。吉本隆明が想定していなかったのは、書き手より読み手のほうが、物語上の登場人物を遥かによく理解しているということです。それはちゃんと書かれていますが、それが読み手と書き手が逆転する状況まで想定していなかった。
 つまり、読み手のほうが書き手より精度が一時的に高くなって、これは間違っているという読み手のほうが正しい状況は、ありえなかった、という意味です。


 4. 文学の本質から見た私小説−島村利正『佃島薄暮』

 えっと、これでもざくざく削っているつもりなんですが、恐ろしい文章量になりつつありますね・・・(^_^; たぶん、吉本隆明の講演自体がわたしにとってジャストフィットの話題だったためと思われますが、こういう刺激的な内容を探してみたいですし、書いてみたいとも思います。
 ここから講演は、現代の小説を例に挙げての内容になっていきます。
 まず私小説から入って、私小説の頂点にある構造、そして底辺と頂点の中間にある構造という話になります。

 どこで差し込もうかと思っていたのですが、たぶんここしかないだろうなあと思いながら差し込みますと、今日(2018年正月)NHKの番組で「絵葉書にない尾瀬」というドキュメンタリを見ました。ひとことでいうとナショナル・ジオグラフィックが得意としている写真家に密着した映像番組で、3年に渡って密着取材したドキュメンタリでした。
 3年を30分で放映するということに無理があります。
 また、この映像にはナレーションが入ります。
「あ、ツキノワグマだぁ」
 当たり前なのですが、そのナレーションの方はそこにいて驚いているのではなくて、映像を見て驚いているんです。その映像を撮っているのは精鋭取材班で、まずうら若い女性アナウンサーとは別のベクトルのプロフェッショナル。
 吉本隆明は私小説の定義の一例として、「作者」と「語り手」と「登場人物」がイコールであると、虚構としてそう見せようとしているのが私小説の特徴、と言っています。先程の番組の例で言えば、「作者」が「取材班」、「語り手」が「ナレーター」、「登場人物」が「取材先の写真家」となるのでしょうか。
 このドキュメンタリの例で面白いのは、製作者の主観は誰なのかが存在していない点にあります。「取材班」はカメラを回しているだけ、「ナレーター」はおそらく尾瀬にも行ったことがない、そして1番主観に近いのは「取材先の写真家」になるのですが、彼は番組の全体像に影響を与えようがない。
 「ディレクター」の主観になるの? と言われると、そこまで権限ないだろ、と感じます。いったい、そのドキュメンタリを主体的に作っているのは誰なのか。いや、主観はないよね、という結論になるのが面白いところです。
 このように分けてみると分かりやすいのですが、小説における「作者」と「語り手」と「登場人物」はけっこう明白に分かれます。この辺はこの講演でも吉本隆明が言うように、小説を書く人たちが他の領域の創作物の影響を受けているからかもしれません。例えば映画だったり、例えばドキュメンタリだったり。そうすると作り方が根本的に変わります。
 たとえばわたしにとって、リアリティーのある人物描写というのは、質量感を感じられる人を書けたかになります。わたしがよく自分で書いた文章を読んで、ああ、これは書けているから、いろいろ問題はあるけどもいいや、と言っていたりするのの正体はこれです。セレンやルナがここにいるからいいや。彼女たちは切実な今を生きてるじゃないかと。
 この話をすると長いので、リクエストされない限りしないですが、「作者」の立場としては、「登場人物」が勝手に動くのを見ているのは、至福です。

 えーと、なんか、吉本隆明を無視していて心苦しいのですが(^_^; 40年時代が過ぎ去ったときに、そもそもその論評が成立しない時代になってしまったと言うのはあります。
 吉本隆明は、登場人物たちが勝手に動くとは言いません。
 これは端的に、書いたことがないからです。
 しかし、書く人の醍醐味はこれであって、わたしなどは、物語に詰まったときに、その登場人物たちが何を言うかに耳を澄ますということが頻繁にあります。ディスカウントストアへ歩く道すがら、突然にリニーの声が聞こえたときがありました。最大の影響を与えたのは、たぶんウタリでしょう。単なる翼竜少年と思っていたのですが、その彼が言った言葉で、セントラル大開拓時代が始まるとか、ありえないでしょう。
 やつは言ったんです。
「つくりたい」
 と。
 そんなことを言われたら、無視できますか。

 ここで切ります。


 5. 民話と私小説の違い

 えーと、続きで書くと、このセクションはナンセンスだよね、となるんですが(^_^; 別に意図していたわけではなく、続いて書いてみたら、意味なくね? となった次第です。たかだか40年違うだけで大幅に違うのに、1500年。そこに違いがないというのは、何らかの補強がなければ無理があります。
 最大限、吉本隆明をえこひいきをすれば、彼が予見していた通りに彼の次の世代で大断絶が起こる環境が整ったのです。それはなにかといえば、映像という主観が絡む要素がない物語の描き方が、この世の中の中心になったことです。
 ぜんぶ客観が当たり前、の世界になったのがたぶん映像の世紀です。
 この観点から、吉本隆明の視点に立って考えを巡らせるのは、たぶんとてつもなく有益なことですし、映像作家は恐ろしいほどの示唆を得られるでしょう。わたしは映像作家ではないので、素人がうるさいよと言われてしまいそうなのですが(笑)、こんなことをねちゃねちゃと考えていたのは、わたしごときがいうのはおこがましいのですが、文章書きだけなんです。
 吉本隆明によれば、なんか1500年のノウハウがあるみたいですし、わたしはつまらない人ですが、彼に付き合ってくださいませ。


 6. 東峰夫『天の大学』の高度な物語構造

 7. 山川健一『さよならの挨拶を』における陰影

 ここはパスします。
 感想はあるんですが、一般の人が読んでも意味がない文体論争になるからです。
 わたしの文体がどういう系統にあるとか知りたいですか?
 わたしは、わたしの文章には興味がありません。
 それはなんの意識もしないでも、書けるからです。
 そう、そう思います。


 8.イメージの価値の深化と表現形式の変化

 はい、やっと話せるセクションがやってきました。
 ここの文章は、ほんとに意味不明に回りくどいですね。まあ、わたしが一切ショートカットせずに意訳したからというのもあるのですが、商品の価値とかさ、実際の物質がどうこうとかじゃなくて、マーケティングで決まってねえ? これが直球ストレートの意訳です。
 このときでてくるのは、わたしは死ぬほど大嫌いなのですが、村上春樹です。
 文章はだいたいうまいのですが、書いている内容に死臭しか感じない。
 これは完全に好みですが、生命力がない。
 わたしが尊敬する名だたる、絶望的ホラー作家には命の輝きがあったぞ。
 高橋克彦、小松左京、ラブクラフト、大原まり子、ここに夢野久作を並べようとして迷ったけど、たぶん同類だよな。
 死体が書いてる文章はわかる。


 9. 田中康夫『なんとなく、クリスタル』−イメージだけの生活概念

 えーと、いちおうわたしはデザイナーとして、何年だろう? あ、別に今からでも復帰できるので、年数には意味は無いんですが、6年? 兼任が多かったので、専業は4年というのがいいのだろうか、それぐらいデザインをやってました。
 その観点で考えると、デザインはイメージの世界ではありません。
 デザインで仕事をもらえるかどうかは、クライアントのFIXを取れるかどうかです。
 クライアントと交渉して、仮原稿送ったぜ、あ、まずかったか、指摘点は全部直したけどそれださくね? 原稿送る、あ、怒った、この色だめ? この前そんなこと言ってなかったじゃん、めんどいからちょっといじって送ろう、あ、通った・・・。
 だいたいこういうことだできるかどうか。
 見ているところとかは、デザインが標準レベルよりも高いかどうかだけなので、そこをパスをしているのに、ねちねち言われるのは、交渉の過程で相手をカチンとさせてしまったからです。まあわたしは、相手を怒らせるのの名人芸でもあるのか、たいてい勝負すると怒られます。
 攻めすぎ? と言うよりは、こっちのほうがよくね? と言い過ぎるんです。
 思い出すと背筋が冷えるのですが、3日かかって色調補正した原画のデジタル化を蹴られたこともありましたし(これは、色がわたしの色になりすぎていて、拒絶反応されたというわけですが)、原画のトリミング(PhotoShopで言うところの切り抜き)をするな、トリミングをすると最後の1ピクセルは絶対に濁る、と言われたこともあります。その当時は売上を上げることにしか興味がなくて、当時の自分のデザインを見ると精度が高すぎて、キチガイのようmなドンピシャの色味に、ノイローゼで鬱病だった当時に戻るようで怖いです。
 イメージの世界のクリエイターにも当たり前ですが、人生があるのです。
 その観点から見ると、下手くそだな、と思う文学世界もあります。
 だから、ここで乖離したなと。
 あんまり言いませんが、世代が分離した地点はここだなあと。


 10 イメージの世界を枠組みにするエンターテイメント作品

 もちろん吉本隆明もそれはとても賢明に理解しています。
 ここで、古典からの流れを理解しつつ、それはどういうものなのかを説明しようとしています。
 たぶん、と、自分のことを言うのは嫌なのですが、わたしが介入して、これってこう思うと言うことで、だいぶ吉本隆明の言ったことの意味が正確に理解できるようになっているのでは、と思うのです。吉本隆明を毀損するつもりは一切ないですし、わたしはいちいちツッコミがうるさい学生です。
 わたしはいちいち自分の理解のために意訳をした人ですし、まず理解したいと手間を掛けた人です。
 その観点から言うと、わたしは資生堂とかカネボウがどう考えているかなんて考えたことはありません。デザインとしてやってきた、それはたとえば花王のあるブランドのマーケティングというよりは販促サイトで(これは本当に末端の仕事が流れてきただけです)、その色調の研究とかはしました。それはこの些末なページであっても、クライアントのブランドイメージを壊してはいけないからです。新しいページを作っているので、デッドコピーというのはありえないんですが、そのトップデザイナーがデザインしたらどういうページを作るだろうかというのを、再現するのです。
 アンドロイドのようだ、と侮蔑の言葉を投げられたこともあります。
 そんなものを自分の文章に活かしたことがありますか? と言われれば、それは侮辱です。わたしは誰かの文体を2、3時間写経すれば、それを再現できる変態的な能力を持っていますが、それは大道芸人です。もちろん、それを侮蔑するわけではありませんが、そんなことをやりたいわけではない。
 なんだかわからないけれど、あなたの文章はすてきだね。
 うまく説明できないけど、すてきだ。
 絵であればいくらでもあるんです。
 たとえば今日(1月8日、これ書いている本日は1月9日ですが)見てきた、カミーユ・マルタンの画集の表紙とか。ひょうたんの蔦と印刷機の絵なのですが、色がポップで、わたしが大好きなアールヌーボで、レイアウトが絶妙すぎて、静かな秋の音がする。それでいて印刷機の金属音がする。激混みの美術館で、たぶん誰も見てなかったんですが、まあ、これだけのために図録買うから、さすがに行くかと思うまで見てました。たぶん職業としてデザインやっていた人は、なんだこれは、すごすぎだろと思う絵なのです。
 そういう文章を書きたい。
 それが別に葛飾北斎の猿真似でもいいじゃないですか。
 正直に言うと、吉田博や、川瀬巴水の新浮世絵を見ると、吹っ飛んでしまうような翻訳です。逆に考えるとわたしが書いているのは、稚拙なんだろうなと、あたりまえですが思います。
 誰が尊敬する先人と同等以上のものが書けると思っているんでしょうか。

 このセクションで吉本隆明が言っているのは、わたしがとてもたくさん考えてきた、パターンとか構造を、この新しい世代の人達は生み出し続けていて、それに純文学の世界は勝てないだろうと言うことです。
 これは端的に19世紀のパリで起こった一つの大きな転換です。
 パリのアートは、わたしが見た展覧会の言葉を使えば、「エリートから大衆へ」そのクライアントを変えたのです。まあ、川瀬巴水や吉田博と比べてしまうと、Jリーガーと小学生を比べているような罪悪感を感じてしまうのですが。


 11.文学の本質的な衝動

 ここから先は、わたしの感想は不要でしょう。
 なぜかといえば、この先で賛同するところがないからです。
 もちろんこれはどう思うの? と聞かれるのは歓迎ですが、ちょっと自分とは全く違う基盤を守るために書かれている感じがするので、あー、それ無関係みたいです、となってしまうのです。
 まあ、吉本隆明がいう文学に興味が無いんですね。
 わたしはハヤカワの翻訳文学に染まっている人なので、シェイクスピア・ギリシャ・ローマ史・聖書以外意味なくね? と思ってしまう素地の人なのです。


 12.経済学的な方法から得られる世界像

 わたしは経済学は理解していますが、そこにはたぶん生活世界はありません。
 マーケットリサーチ・マーケティングの観点から考えると(わたしは、そのそこそこ著名な企業に在籍したことがあり、かなり根っこからその会社の思想に染まったのですが)、マーケティングデータには、定性データと定量データがあり、前者は情景を浮かび上がらせる情景の文章で、後者アンケート結果です。
 この定性データというのがとにかく難しい。
 わたしはその会社の創業者が書いた定性データの教えを読みましたが、ひたすら禅問答を読んでいるようで難しい。蛇の気持ちをわかるためには、蛇と同じように、寝袋で真冬の公園に寝転がってみないとわからないとか、言っていることは分かるのですが、行動と言葉が常軌を逸している(そして実際にしてたらしい)。
 対比として自分の知っていることを書いているのですが、その変態社長と、吉本隆明のどちらを信じますか?
 なので、ここで切ります。


 13.拡大する管理装置をどう考えるか

 ここはまとめなので省略。


 以上


 一応まとめをしようとして、これを書いているのですが、うん、そっけない(笑)。
 わたしが書くのを避けた所は、書こうとすると300行(原稿用紙30枚ぐらい)は書けそうなところです。現在すでに350行ぐらい書いていますし、たぶん5箇所ぐらいありましたから、合計で190枚ぐらい行くとかありえないだろという判斷で、ばっさりと省略しています。
 べつに話したくないわけではないので、吉本隆明の講演ぐらいの長さ(2時間ぐらい)が我慢できるのであれば話すので、あー、わたしは酔うと(飲み会のときの長時間会話のデータしかないのです・・・)、おそろしく話が横道にそれて話が長くなるらしいので(酔っている最中なので伝聞情報です)、これ意味ねえなと言う話に耐性がないと厳しそうですが、まあそんな奇特な耐性がありましたら、いつでも聞いてください(おそろしく敷居が高いwww)。

 さて、次は物語解析「世界観」の続きですか! <こうやって書くしかないように追い込むw 構想と原稿の第一回分はできてるんだよねえ・・・。
 「のび太の魔界大冒険」が主役です。もし読んだことがなければ読みましょう。ドラえもん大長編、初期8作は必読作品です。シェイクスピアより重要と思うほどです。ベニスを知らない罪よりも、「のび太の魔界大冒険」を知らない罪のほうが果てしなく重い。
 なんかすごい変な導入ですが、お楽しみにいただけたら幸いですw

| 雑記 | 03:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 4/4

 えっと、続きです。

 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 3/4?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html





 えっと、今回で本連載は最終となりますが、いかがだったでしょうか。
 わたし個人の感想としては、入院中の暇つぶしの延長線上なのですが、掘ってみると案外面白かった、吉本隆明がだいたいどんな角度から攻めるのかがわかったから、良質の講演録音の目星の付け方がわかった、となるのですが、一番大きかったのは文系の人たちがどんな論理展開をするのかが分かったということでしょうか。
 理系の論理展開は、わたしを見ていればいいというか、まあわたしは法文の論理展開がかなりはいってるので、文系に片足突っ込んでるのですが、だいたい100%確実なこととして状況を語ります。
 ニュートン力学の世界では、世界はすべて計算され尽くしていて人間が運命に介入することはできない、という「ラプラスの悪魔」という迷信が流行ったのですが、その後、アインシュタインの相対性理論が登場してニュートン力学を否定して、すぐに量子力学が現れて、ニュートンとアインシュタインを葬り去る。
 その世界では、観測者が何を観測するかだよという話になるのですが、量子力学を加味すると、結局結論は観測を誰がするのかという、よくわからない結論になります。結論は出したくないので言いませんが、ああ、こういう見方もあったのか、というのが素直な感想です。前回、別建てで感想を書くと言っているので、それは年内に間に合うのかと思いつつ、まずは続きをお送りしましょう。


 10.イメージの世界を枠組みにするエンターテイメント作品

 この問題をいちばんよく体現しているのは、現在におけるエンターテイメントとその作者たちです。エンターテイメントの作者の、かなり質のいい部分をとってくれば、そのことがわかります。
 誰でもいいのですけど、さっきあげておられた筒井康隆でもいいのですけど、この人が野放図に娯楽作品を書いているときは、面白おかしいのですけど、純文学の作品みたいなのを書こうみたいにまじめになってくると、どうするかと考えればわかります。
 つまり、何もすることがないのです。
 2つしかないのです。

 ひとつは新しいパターンというものを考えることです。物語を構成としてでなくて、新しいパターンを考えるということです。この意味あいでは、たいへん労力と思考力を費やしていることがわかります。絶えず新しいパターンをつくろうとか、絶えず新しいパターンを中心に作品をつくっていこうというような、そういう努力はしのぎを削るくらいに、熾烈だっていうことがわかります。
 この熾烈さというのは純文学の作家にはないものです。
 純文学の作家というのは、そういう意味合いでいえば、たいへんのんきです。なので、エンターテイメントの作家の優秀な人のほうが絶えず新しいパターンをつくろうと絶えずよく勉強していますし、よく考えています。そういうことがわかります。
 しかし、エンターテイメントの作家たちのいる世界というのは、いま言いました、イメージ生活の世界というもののなかで、それがなされているということが、いちばん大きな問題を喚起するところなのです。
 だから、筒井さんでも、栗本さんでもいいのですけど、優秀なエンターテイメントの作家が絶えず考えている新しいパターン、それから、しのぎを削りあっている新しいパターンというものの努力というものは、幾分かですけど、資生堂とカネボウとはどういうふうに化粧品を売るかってことでしのぎを削っているでしょう、入れ物から、宣伝の場面から、しのぎを削っているでしょう、それと同じところがあります。宣伝のパターンの新しさでもって勝負をするといいましょうか、それと若干似ているところがあります。
 構造的には、同形なのです。同じなのです。
 つまり、そこが大きな問題なのです。つまり、それらの努力というものが、現在のエンターテイメントの作品を非常に質のいいものにしています。優れた作品にしています。
 しかし、それと同時に、エンターテイメントの作家たちが言葉を行使している世界というものは、いま言いましたイメージだけが存在する、あるいはイメージの生活世界というものに限定されると言っていいくらい限定されています。だから、そこが問題なのです。そこが問題であって、そこがまたエンターテイメントである所以なわけなのです。だから、この問題を本質的に考えられないかぎりはどうすることもできないです。

 筒井さんのもうひとつの努力は何かというと、言葉の努力です。あるいは、語り口の努力です。これが文学作品の努力になっています。これは筒井さんよりももう少し上等な、たとえば、田中小実昌なんて人をみればよくわかるのです。この人の努力も語り口の努力です。語り口を的確に端折ってといいましょうか、削り落として削り落として中身だけみたいな語り口、それで語り口の転換を見事にやれて、そこに文学作品としての努力を集中していることがわかります。

 どうしてそういうふうになるかといいますと、いま言いました、イメージ生活の世界というものを作品世界の全部というふうに、あるいは、物語の枠組みというふうに考えているから、そういうことになってくるわけです。また、そこ以外に努力のし場所がないわけです。


 11.文学の本質的な衝動

 ところが、もしも本質的な文学作品というものを考えようとするならば、もう少し違うことを考えなければならないということがわかります。すこし遠回りをしてその問題を説明します。お話してみたいと思うのですけど。
 つまり、どういうことかといいますと、
 この世界というものをつかまえるために、
(ぼくはかつて青年の時に、)
(いちばん有効なんだと、)
(このことを知らないために、)
(自分はたとえば戦争中ダメだったなっていうように、)
(つまり、ムードとか、情緒だけでいったからダメだったなって思って、)
 世界っていうものを把握するのに便利な方法として、経済学的な方法というのがあるのです。社会経済学的な方法というのがあるのです。
 この社会経済学的な方法というものは、これでもって世界が逆にわかっちゃうというふうに考えると、とんでもない簡略化みたいのが起こるわけですけど、逆に言いまして、そういう欠陥もあるがために、世界というのを把握するのに、それが一番把握しやすいって、いろんな質とか、差異というものを全部そぎ落としまして、非常に把握しやすいということがあるわけなんです。
(ここ、文章がわかりにくくつながってるので、うまく繋がっていないところを()で隔離しています。この辺はわたしが言っている、物語を要素に簡素化して、法学的に捉えるとすごくわかりやすくなると言っていたのと、近似したことを言っています)

 その概念を変えて言うと、なぜイメージの生活の世界というものが、大規模に大きな深さでもって存在するように現在なっているのかと考えますと、基本的な衝動はとても簡単なのです。
 たとえば、物体的な価値、あるいは物質的な価値というものは、先ほどの例でいいますと、どの化粧品会社の化粧品でもたいして変わりはないでしょう。しかし、これを売るとか、与えるとか、そういう場面になっていきますと、化粧品の中身でいくというよりも、中身以外にイメージの価値を付け加えまして、実質的な価値、プラス、イメージの価値でもって競争する以外にないわけです。その熾烈な競争のやりかたのなかで、イメージの生活世界というものが膨大になってきているということが言えるわけです。
 だからもし、みなさんの実質的な生活のなかで、実質的な生活と極めて飛び離れてしまったイメージの世界があったとしても、みなさんはそのイメージの世界に入ることができない。しかし、みなさんの実質的な生活の世界に対して、それよりも若干イメージが加わった世界というものを展開すると、みなさんはそのイメージの世界に入りたいと考え、入ろうとする。だから、絶えず、実質的な生活世界が要求する欲求、願望よりも、絶えず、若干だけ高い欲求、あるいは願望のところにイメージの世界を絶えず付け加えようという衝動というものは、生じてくるわけです。
 その問題は、膨大なイメージ生活の世界を現在大規模に展開させている大きな理由であって、私たちが24時間生活するならば絶えず、実質的な生活世界からそういうイメージの世界へいき、また、そこから降りてきて巡るということをやらなくちゃいけない。どうしても、そこを通過していかなくちゃいけない、必然の通路みたいなものとして、それは存在しています。
 その世界を通路として存在せしめている根本的な衝動は、いま言いましたように、物質的な価値とか、物体的な価値というものに対して、イメージの価値を付け加えたりというような、イメージの価値で競争したいという根本的な衝動というようなものが、そういう世界を膨らましているということは明瞭なわけです。

 もしも文学作品が、このイメージだけの世界というものも通過しながら、なおかつ、これでもって自己主張したいとか、個性をそこでつかまえたいとか、個性を表明したいとか、なお、ありあまる作品の価値をつくりあげたいというふうに考えるならば、文学というものの根本的な衝動というものが、いずれにしても、現在存在しているイメージの世界の厚さと規模というものを、いわば、くぐり抜けて、なおかつ個性的である、そういう世界というものは、なおかつ価値がある、そういう世界というものを実現したいというふうに考えるならば、その必須な条件というもののひとつに、いま言いましたイメージの世界というものを、とにかく、くぐり抜けて、その上に出るといいましょうか、その果てに出るといいましょうか、その端に出るといいましょうか、そういうことがどうしても必須の条件になるわけになります。
 つまり、文学作品にとって、文学作品をもし本質的に問おうとするならば、どうしても現在つくりだされているイメージの世界というものを、とにかく、くぐり抜けて、なおその果てに出るということが、どうしても必須の条件になります。

 もしもそうじゃなければ、そうじゃなくて、つくられている、できあがっているイメージの世界の中で操作するのが文学だというのならば、それは、現在のエンターテイメントの世界がかなりな程度良質な、つまり、優れた作品として、実現しているところがあります。
 だから、その世界でもっとそれを実現すればいいので、もしも、文学にとって本質的な衝動というものが、そうじゃないのであって、現に存在する膨大なイメージの世界、あるいは、イメージ生活の層といいますか、厚みといいますか、それをとにかく、くぐり抜けて、なおかつ、やっぱりひとつの個性ある作品としての自己主張をしたいということが、文学にとって本質的な問題だったとしたらば、どうしてもここをくぐり抜けて、なおかつ個性的でありうる、つまり、良識的に現実性をもちうるというような、そういう世界をどうしても実現する必要があると思われるのです。


 12.経済学的な方法から得られる世界像

 では、どうやってそれが実現可能なのだろうかっていうことが、最後に出てくる問題です。批評にとっても、想像にとっても、最後に出てくる問題のように思われるのです。これはもしここでどういう作品がそういう作品としての条件を備えているのかというようなことになっていくし、また、どういうふうにしてそれは可能なのかということが問題になってくると思うのです。
 つまり、どうしてそのような作品の実現が可能なのかということは、いわば問うこと自体が無意味なのであって、あるいは、可能にする人が可能にするだろうということにすぎないのかもしれないのです。ただ、それをまだ実現されていない作品とか、実現されていない物語とかいう意味で、その条件といいますか、いくつかの性格というものを言おうとすれば、何を考えればいいかということがあると思うのです。
 これは、経済学的な方法というものをもう1回、構造的に考えてみますと、現在、たとえば、実質的な、あるいは物質的な、生活世界にまつわる、つまり、生活世界のある部分を何時間か、8時間なら8時間のものを占めているものをつくっている世界とかは、いわば働きにいって、労働して、働いて、そして賃金を得て、帰ってきて生活してどうするというような、こういう片っぽじゃそういう世界の人であるし、片っぽじゃ賃労働からあり余ったものがあると、あり余ったものをどういうふうにこれを分けようかということを、現在でいえば、国家なら国家というものが単位をもってそれをやっている、そういう全体を持つ世界です。
 こういうふうに構造化しまいますと、こういう世界に対して、どういうふうに国家が、ある制御装置がどういうふうにそれをコントロールするかという形で平面化して考えて、図面化してしまいますと、そういう世界のひとつの姿が得られます。
 つまり、賃労働している人達の世界がある。そして、その賃労働から得られた余剰分というものをある装置が管理していて、その装置が管理した装置が、それを自分たちが適当に足りないところに補うとか、余ったところから取るとか、そういう形で管理している場合もあるし、また部分的にだけ管理している場合もありますけど、そういう管理している装置がある。

 そしてあとは賃労働しては一日を暮らしている人達の世界が増えているというような、グラフ化された世界像が得られるわけですけど、その世界像のなかで、たとえば、管理装置である国家が100%そういう賃労働者の世界を管理している、そういう世界から、またそうじゃなくて、日本のように十何パーセントだけ管理していると、そういう世界と、それから、ヨーロッパのように30%なら30%管理されている世界とか、それから100%管理されている世界とかというふうに、管理の度合いが違っていても、そういうふうに管理されている世界像の中に、賃金労働者みたいなものが、現在の非常に高度な資本主義国では、たとえば、90%ぐらいが賃労働者になっています。これはいまに100%みんな賃労働者になります。しかも、賃労働者になっておいて、賃労働者自体は自分を中産階級だと思っています。しかし、だいたい100%そういうふうになっていくと思います。
 つまり、もっとその度合いを、もっと極端に持っていきますと、100%が賃労働者であって、全部が自分たちは中産階級だっていうふうに思っていると、そういう世界に対して、たとえば、管理装置が30%の管理装置の、西欧のようにそういう世界もありますし、社会主義圏のように100%の管理世界であるところもあります。それでいまに西欧だったら30%がだんだん40%、50%というふうになっていくだろうというふうに思われます。
 いずれにせよ、そういうふうになっていって、管理世界では100%じゃちょっと無理なんじゃないかっていうので80%にしようじゃないかみたいな、ポーランドみたいな、そういうふうな世界に、多少修正が起こるみたいに、だいたいそういうイメージで図面化することができます。あとはぜんぶ賃労働者というふうにだんだんなっていくみたいな、そういう極端なイメージを浮かべますとだいたい世界像の平面図というものが得られるわけです。

(たぶん、ここ原文を読むとびっくりすると思うのですが、わたしが「図面化」とか「グラフ化」と意訳している部分は一様に「のしイカのようにのされる」と比喩されています。ここは生命であるイカが、スルメのようになって1枚2枚と物のように流通している、というようなニュアンスだと思うのですが、現代人にはかえって分かりにくいので、「グラフ化」「図面化」と意訳しています。わたしとしてもその言葉には「人を数字にしてしまって全体像が分かるとでも思っているんだろうか」というニュアンスを込めているところはありますので、わたしの中ではだいたい同じ用語なんですが、分かりにくいですかね・・・(^_^; )


 13.拡大する管理装置をどう考えるか

 ここでもって、たとえば、先ほどいま言いましたイメージの世界に文学作品、つまり、言語表現の手段というものをその世界に限定していく人達のそういう作品が一様にパターン化していく、あるいは、パターンの新しさを問題にする以外にないというふうになりつつあるし、純文学の作品というようなものは、そういう問題意識に耐えられないで、そこのイメージの世界を突き抜けていこうとするのだけど、突き抜ける力がなくて、失墜してしまうというものが、たぶん現在の純文学の作品の大部分だと思うのですけど、つまり、そこのところで、もし問題の意識を、そこのイメージの世界を突き抜けて、なおかつ存在しうる、存在感をもちうる作品というものが、文学にとって望ましいものであるとするならば、それはたぶん、ぼくの考えでは、いずれにせよ、管理装置というものをどういうふうに考えるかということが問題なような気がします。
 つまり、管理装置というものをどういうふうに考えるかという場合に、管理装置は少なくなり、そして、なくなってしまうということが、たぶん、イメージとして、範型としてといいましょうか、理想形として描きうる世界だっていうふうに考えられます。ぼくは考えます。
 しかし、現在のところではそうでないのであって、文学作品に基本的な無意識を規定している一種のシステムというものは、だんだん管理50%以上に近づこうとしているし、すでに100%だというところは、たぶん、管理80%以下60%にしようじゃないかというふうな、そういうふうなところの衝動に向かいつつあると思います。
 いずれにせよ、だいたい僕らの考えられるかぎりでの、現在の文学をたぶん無意識のうちで司っているシステムの世界というものは管理を拡大するというところにたぶん行きつつある、日本はもちろんそうですけど、つまり、管理を拡大するというところに行きつつあるように思われます。
 だけれども、ほんとうに描かれる範型というものは、世界イメージというものはそうじゃなくて、管理を減少させる方向というものが描かれる世界だというふうに考えます。つまり、この管理を減少させられるというような世界地図といいましょうか、世界地図というものを範型として描いたところで、いかにして作品が成り立つのかということが、たぶん、現在における文学の本質的な問題として残るんじゃないか、つまり、あるんじゃないかという気がします。
 しかし、現に行われつつある、移行しつつある場面はそうではありません。この場面は変わることはちょっと考えられないのですけど、ちょっと短い期間では考えられないのですけど、たぶん、そうじゃなくて、管理装置というものの拡大の方向に、とくに日本の文学というものを無意識のところで規定しているシステムというものは、たぶんそれを拡大する方向にいくだろうというふうに考えられます。だから、当分の間、管理イメージというのは拡大する方向に、そして、アトム化する方向に、そして、個性もパターンが問題なんだっていうような、そういう方向にたぶん当分の間は、文学というものは必然的にいってしまうんじゃないか、それに耐えようとする形の作品というものがどこまで耐えるかという場合に、その方向性といいましょうか、指向性といいましょうか、そういうことはたぶん、もう少し先のところに管理というものが減少されたときに何が起こるのかというような、そういう問題のところに、たぶん問題の本質的な部分があるんじゃないかというふうに考えられるということなのです。
 こんなことはいくら考えたってどうしようもないことで、具体的に作品をつくる人は具体的につくるのであり、また具体的に突破してしまう人は突破した優れた作品を書いてしまう人は書いてしまうのですけど、意識的であれ、無意識的であれ、書いてしまうのですけど、ただ、批評というものが、やはり批評固有の問題というものを抱えながら、しかしその固有の問題というものがどこを目指したらいいのか、あるいは、どこにひとつの究極的なといいましょうか、どこにイメージを、原型を描いたらいいのかということを考えた場合には、若干そういう点でいえるような、つまり、はっきりさせられるようなところがあるように思われるのです。
 つまり、そこの問題はたぶん現在における、どうやって物語がつくられるのか、あるいは、つくれないのか、どうしてそれが壊れてしまうのかというような、そういう問題にまつわる、非常に現在の根本的な問題のあり所だっていうふうに、ぼくには考えられます。いちおうこれで終わらせていただきます。(会場拍手)

(ここは一切手を入れていません。大変わかりやすい)


 14.司会

 たいへん長時間にわたりましてお話しいただいたのですが、質問を少し受けてくださるそうでございますから、一人か二人ございましたら出してください。


 15.質疑応答

(質問者)
〈音声聞き取れず〉

(吉本さん)

 以下原文は質疑応答ですが、質問が聞き取れてなかったり、途中で切れていたりするので、省略します。


 さいごに

 以上、吉本隆明の講演録音『物語の現象論』から、意訳気味にお送りしましたがいかがだったでしょうか。わたしとしては、入院中に漁っていたポッドキャストから、吉本隆明氏の講演録音集を発見し、その中から面白そうに思えた『物語の現象論』を聞いてみたら、あまりにも話しが奔放に飛びすぎていて意味の理解が追いつかない、から、これは意訳して書き出してみるか、というところから始まったのですが、以外なところに着地しました。
 わたしとしては語り手の話と、語り手を通した物語の構造の話で十分面白かったのですが、タイトルである『物語の現象論』の話が出てくると、それは現代的マーケティング手法の影響を受けたエンターティナーが小説を書き始めたとという話になり、その手法で古典的文学作品に比類するものは書けるとしたら、どういうものになるのだろう、と話が進んでけっこうスリリングです。
 わたしの観測範囲では、実はそれは吉本隆明の娘である、よしもとばななが達成してしまっていて(この辺ドラマチックですねw)、女性作家に多いのですが、江國香織、角田光代と言ったあたりがわたしの観測範囲内です。男性作家では村上龍がまず上がって、あとは何人かのSF作家(山本弘、小川一水、野尻抱介、大原まり子、あたりでしょうか)がなんとなく達してるかな、という気がします(北村薫も忘れてはいけませんね)。
 まあ、こう言った雑談は別建てでわたしの感想回を設けることにしますとして、来週あたりにお送りしたいと思いますが、とりあえずのところは、これで終了です。

 長々とお疲れ様でした。


| 雑記 | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 3/4?

 えっと、続きです。

 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html




 先週の進行が異様に速かったせいか、今週は土日だらだらと何もせず(あー、いや通院したり、部屋の整理で雑用したのですが)、平日に入って、あれ、なんにも進んでない、とぎくりとしたのですが、よく考えてみれば今日火曜日じゃね? 金曜日まで4日あるじゃんと、我に返ったりしてましたが(ちなみに金曜深夜にほぼほぼの完成稿がしあがっている)、いかがお過ごしでしょうか。
 この解読連載は、要はあり物の講演内容をわたしなりの理解でまとめ直すという、一種の学生のようなことをしているのですが、ほんとにこれでいいのだろうかとびくびくしつつも、こんなのをありがたがるのはわたし自身しかいないな、という自嘲に似た感慨を感じます。
 ただまあ、秘密の手帳はわたしだけが読めればそれでいいので、ほんとにこれはコクヨのノートだね、と思いながら書いています。そうでない人をほとんど考慮していないのは、ほんとすみません・・・。
 この講演自体に関するわたしの感想は、本編とは分離して、別立てでまとめたいと思います。


 7. 山川健一『さよならの挨拶を』における陰影

 主人公は僕というかたちで出てくるわけですけど、僕という主人公がトルエン中毒で、トルエンを吸って酩酊したときの状態の描写なのです。

 夏だというのに体は冷え切っていた、手のひらは凍えてしまいそうだ、何もかもがまだ始まったばかりだというのに凍えてしまう。ぼくの怒りや道を照らすカンテラの明りや、ささやかな希望が凍りつく肉体の中心に一点の、たとえば氷の破片のようなものがあるのだと思う。そいつが少しずつ大きくなる、少しずつ、しかし確実に肉体は熱を失っていく、すべてが凍えてしまわないうちに、もう一度やるのだ、たとえば、腐った林檎みたいな匂いのこもった家に火を放ったように、もう一度やるのだ。時間がない。時は信じられないほどの速さで過ぎていきつつある。一度立ち止まれば、もう二度と再び歩き始めることはできないだろう。やり直すことができないのだ。ぼくは台所へ立った。ヒロシの背中に、ヒロシっていうのは友達です、密かに呼びかける、ヒロシ、ぼくらは短い人生のほんの数秒しか訪れない輝かしいときを精一杯光り輝かすために毎日息を殺して生きているので、その瞬間がなければ、誰も長い砂漠を超えていくことはできないのだ。ミルクを飲む。ヒロシが用意してくれた熱いミルクを飲む、砂漠の中に火が見える、輝く太陽の下で炎が揺らめいていた。ぼくの家が、過去の時間がびっしりつまった家が燃えている。そして、炎のむこうにアラブの軍馬が見えた。その上に乗っている男が火を放った犯人だ。そう、この僕だ。最後まで始末することができずに手元に残ってしまったカード、ジョーカーだ。こうあります。
(これはどこまで正確に再現できているのかは不明です)

 ここでやはり、ぼくというかたちで作品を語っているように見える存在なんですけど、その語っているような存在と、それから作者と、登場人物としての僕と、それから、それを地の部分で語っている語り手と、その語り手がまったくそもそも分離していることがわかります。いつも別々なことを考え、別々なことを言っているという複雑なかたちというものが、いま読みました合計20行ぐらいだと思いますけど、20行ぐらいの中に、たいへんはっきりと、ある意味でたいへん見事に表現されています。
(おっと、朗読のようです)

 そうすると、ここでこの場合に何を読んだらいいのか、それはたとえばこうなんです。このなかに物語の筋の展開を読もうとしても、この20行で何も展開されていないと言っていいくらい展開がされていません。この割合はこの作品全体にいえるわけで、この作品全体で何百行か何千行あるか知りませんけど、何千行のなかで物語の展開として筋の展開として考えたらば、そんなにたくさんの展開はありません。だから、あきらかにこの作品は、筋の展開を面白おかしい物語が書かれているからそれを読んでくれと言っているのではないことがわかります。つまり、そういうものが作品のモチーフでないことがわかります。
(この辺の質が恐ろしく高いので、ママで続けます)

 何がモチーフなのだろうか、それはまず全体を読む以外にないのですけど、しかし、文芸批評的な根性から言わせてもらいますと、これは登場人物と語り手と、それから作者とのかかわり合いの陰影というものを読んでほしいのだっていうふうに思われます。
 モチーフというのもあるのです。倫理的なモチーフもあります。それはトルエン吸引者である、心弱くて、やさしくて、世間的に非難されているといいますか、そういうような、どうしようもないような、素面ではとてもこの社会に生きていけないようなふうになっている、そういう精神状態に存在する、ぼくというトルエン吸引者の一種のやさしい自己主張なんですけど、つまり、やさしくて弱々しい自己主張の倫理があるわけなのです。それは、それを知ってほしいというかたちでしか、それをわかってほしいんだと、しかし、誰もこれをわかってくれないならば、じぶんはそれをできるだけ説明しようじゃないかと、しかし、じぶんはそれを説明したとしても、トルエン吸引者の内面というものを誰も理解してくれないかもしれないし、それを評価もしてくれないかもしれない、しかし、もしこれをわからせることに意味があるとすれば、それはたとえばひとつの倫理でありうるというような、そういうふうに言ってしまうといけないのですけど、いってみれば、そういうモチーフというものは、微かに立ち上ってくるのですけど、本来的にいえば、ようするに、語り手というものと作者という者と、それから、登場人物という者とが、あるときに出会ってみたり、あるときに別れて、語り手が地の部分として説明しているかと思えば、ぼくはこれこれというふるまいをして、これこれのことを感じていると、作者のほうは、これこれという感じをしている僕というものを描きながら、こういう人物を描いているおれというのは、つまり、作者というのはいったい何なのだろうかっていうことを、自らじぶんで問いかけているというような、そういうある時には、そういうふうに作者も登場人物も語り手も全部分離してしまうと、それで、あるときには、ある場面ではそれら3つが一緒になってしまって、あることを消極的にですけど言おうとしていると、あるときにはまたそれが別れてきてしまう、そういう複雑な一種の起伏があるわけですけど、そのことをたぶん、この作者は、この作品で語りたいわけなのです。
 この作品は先ほど言いました、頂点と底辺といいましたけど、たぶん中間に挿入される作品というふうに言うことができると思います。ただ、作品としていえば、たぶん、この作品はいちばんいい作品だと思います。つまり、いちばんいい作品で、たぶん、昨年度に書かれた作品のなかで、いくつかのなかに入る優れた作品だと思いますけど、だけれども、いま言いました意味合いでいえば、つまり、物語というものの一種の構造みたいなものからいえば、その中間に属すると思います。中間に属するひとつの作品のあり方だっていうふうに思います。
(序文しか削ってないですが、理路整然として素晴らしい文章です)


 8.イメージの価値の深化と表現形式の変化

 さきほど頂点と底辺と言いましたけど、頂点と底辺の間にさまざまなバリュエーションで語り手と、それから登場人物と、そして作者との、さまざまなバリュエーションで、さまざまな形っていうものが、形態というものがとられるというのが、現在の文学作品を非常に本質的なところで捉えようとした場合に出てくる問題なわけです。
 これまでで、いちおう現在の物語のありうべき様々なかたちのある典型というものを抜き出せたことになるのですけど、たぶん、みなさんのほうでは若干、不満があるんじゃないかと思うんです。ぼくもちょっとこれだけだと不満があります。
 だから、もうひとつ問題を出していきたいわけですけど、それは言葉の表現の様式、様式の問題なのです。この様式の問題というものが無視することのできない現在の文学の大きな問題であるように思われるのです。
 先ほども触れましたけど、現在、テレビなんか見ますとよくわかるのですけど、実質的な、あるいは、物質的な、あるいは、物体的なといいますか、物体的な存在感というものに対して、イメージの存在感というものが大規模な意味あいをもってきているというのが、現在の文学の中で抜かしてはならない問題のように思われるのです。
 だから、非常に典型的にわかるのは、テレビの化粧品なら化粧品というもののCMをみればすぐにわかるのですけど、物質としての化粧品というのは、たぶん、それほど変わりがないように思うのです。つまり、どんなものをもってきてもたいして変わりはないと、あるいは、どこの社のどこの製品をもってきても、それほどの変わりはない。それに対して、イメージの価値といいますか、つまり、物体、物質性をもたない価値をこれに付け加えようということがあります。この付け加え方が容器の形になったり、容器の質になったり、あるいは、色彩になったり、あるいは、それを宣伝している女性の顔になったり、あるいは、人気度になったり、そういうふうなかたちで様々なイメージとしての価値が付加されるというようなことが、その規模が非常に大きく、かつ深い層をなして存在するようになっているということが非常に大きな問題、つまり、その問題が文学作品に対してどういう影響を与えるかってことが非常に大きな問題のように思われるのです。

 人々はそのように付加されるイメージというものを、イメージと同じように瞬間的に、たとえばスイッチをひねれば、瞬間的に感覚の中に、あるいは、視覚の中に入ってきて、瞬間的にわかっちゃう、次の瞬間にはもうそれは消えてしまう、そういうようなかたちで存在するイメージ、あるいは、映像のあり方に大規模に晒されていますから、文学作品といえども、やはりそのようなかたちでつくろうというモチーフというのが当然あらわれてきている。
 だから、その場合には言葉を映像と同じように使おうとするわけです。
 映像と同じように使おうという場合に、いちばん根本的なことは何かっていいますと、瞬間的にある中心に入っていって、そして、瞬間的に中心から出てきちゃうっていうような、そういう作品形成の仕方をやはり文学作品自体もやろうとするっていうことが、必然的に起こってくるだろう、あるいは、起こってきつつあるということです。これは、若い年代の作家のなかに非常に多くあらわれてきます。
 これは意識してそうされている場合もありますし、無意識のうちに、映像がいきなり中心にパッとあらわれ、そしてまた、パッと消えるっていうような、あるいは、次々移っていっちゃうっていうような、そういう映像のイメージに慣れているために、言葉もやはりそのように使いたい、あるいは、小説もそのように構成したいっていうような意識的な意図の場合と、それから無意識のうちにそうなってしまうという、両方の場合があり、それは若い年代の作家のなかに多くあらわれてきています。この問題は、ぼくは現在の文学作品を考える場合に無視することができない問題のように思われるわけです。
(語尾、重複表現を中心にスリム化している)


 9. 田中康夫『なんとなく、クリスタル』−イメージだけの生活概念

 たとえば、例をあげればいいでしょう。きっとみなさんが読んでおられる田中康夫って人の『なんとなくクリスタル』っていう作品があります。『なんとなくクリスタル』という作品は、いいと思う人もいるし、こんなものはダメだという人もいると思うのです。だけれども、そんなことは問題ではないのです。つまり、いいと思おうが、悪いと思おうが自由であるし、また、たいした問題じゃないのです。
 この作品の基本的な性格は何かっていいますと、これは意識して作者が書いているわけですけど、意識された一種の風俗的な道行小説です。この道行小説という概念は、やっぱり古典時代からある概念なのです。つまり、東海道五十三次をこういうふうに渡って、浜松では何があって、それと同じ意味合いで、現在存在する風俗を導くふうに、辿っていくということがこの作品を書く場合の作者の根本的なモチーフです。これはかなり意図的な、つまり、意識されたモチーフです。そういうものを描きたいわけです。
 これだけの作品かっていうと、そうじゃないのです。これは、みなさんがそのことは気がついておられると思うのですけど、この中にも微弱でありますけど、自己主張と自己限定があります。
 それは何かっていいますと、ひとつは先ほど言いました、実質的、あるいは物質的、あるいは物体的な価値概念、あるいは生活概念でもいいのですけど、そういう概念がまったく存在しない、つまり、イメージだけの生活概念というものに登場人物たちを限定しようとしているということです。
 つまり、登場人物たちは学生さんだったり、モデルをアルバイトにしている学生さんであったり、あるいはデザイナーであったりするわけですけど、それらはいずれの職種も実質的な、あるいは実体的な生活を営んでいるというよりも、ほぼイメージの生活を営んでいる、あるいは、イメージをつくりあげることを職業とする生活を営んでいるっていうようなところに登場人物たちを限定していることがわかります。つまり、この限定はなぜそうされるかというと、作者が登場人物たちをイメージの価値、つまり、イメージだけの価値のところで、登場人物たちを動かしたいということがこの作品の自己限定だと思います。
 これは作者が意識していたかどうか、半分ぐらいしか、たぶん意識していないと思うのです。半分は無意識のうちに、じぶんにとって最も描きやすい世界だったからそうしたということかもしれないのですけど、あきらかにそれは重要なことだと思います。
 つまり、実質的な生活とか、物体的な、あるいは物質的な生活を営んでいるというような次元で起こる様々な問題ではなくて、イメージの世界、あるいはイメージがつくられたイメージの中の世界で生活している、そういう人間が当面する様々な問題というようなところに、登場人物たちを限定しているということが、重要なことだと思います。この限定の仕方というものが非常に現代的なわけです。
 たとえば、みなさんがこの作品をある意味で非常に現代的だと思われるとおもうのです。その現代的だと思われることの理由は何かといいますと、現在の風俗が描かれているから現代的だとも言えるでしょうけど、それはたぶん、表面的なことにすぎない。
 この作品をほんとうに現代的だと思わせている根本的な理由のひとつは、登場人物たちをイメージの生活、あるいはイメージをつくることに加担するといいますか、つくることにたずさわっている、そういう職業の人物たちの当面する様々な問題というものを描いているというところを、そこが現代性を感じさせるところの大きな問題のように思えるのです。
 そのなかで、たとえば、作者のもうひとつ、その奥にひとつの自己主張があります。その自己主張は取りだしてしまえば身も蓋もないのですけど、自分たちはこうだと思います。自分たちというのは、作者の生の主張じゃなくて、登場人物に言わせる主張ですが、自分たちは拘束されて生きるのは嫌だと、だけれども、まったく自由に生きるっていうことも嫌なんだ、あるいは、できないんだと言ってもいい。
 つまり、自分たちは拘束されて、拘束されてという意味あいは様々ありますけど、ごく単純に親父さんからお前は誰それと見合いをして、結婚して、会社に就職してどうしろと、こういうふうに親から言われていると、それを嫌だと言えば、親との衝突が起こるという場合に、親のそういう意向を拘束と感ずるという、自分たちは拘束されないという次元で、自分たちは生きたいということ、生活していきたいということがあると、そうすると、今度は逆にまったく非拘束であったらば、自分たちは困るのだ。
 たとえば、主人公はバンドをつくっている男の子と同棲しているわけですけど、そうすると、まったく自由に男の子と同棲はしているけど、男の子は男の子で勝手自由に振るまえば、たちまちのうちに同棲生活というのは壊れてしまいます。主人公はあきらかにそういうふうに壊れてしまうのは嫌なのだと言わせています。そういうふうには壊れたくないのだと、しかし、さればといって、恋愛して同棲しているのだから、生活の隅から隅まで相手に拘束されるというのは、自分は嫌なのだと、そういう意味では、自分がほかの男の子と遊びにいって、また同棲している男の子のほうは、ほかの女の子と遊びに行ったりということはありうるのだと、それから、あるときにはお互いに背中合わせで別々のベッドで寝るということもありうるのだというふうに、そういう意味合いでは拘束されたくないのだと、恋愛し、結婚し、こうしたんだからというふうに、だから拘束されるとか、愛しているなら拘束するという意味あいで、きつく拘束されるのも嫌だと、だから、そういう意味では拘束されたくないのだけど、それじゃあ非拘束という原則にすれば、同棲なんてものは3日と続くわけはないので、これは普遍的な真理であって、時代にかかわりのないことなのです。つまり、そういうふうに振るまった場合には、かならず、それはすぐに壊れてしまう、主人公はやはり、そういうふうに壊れたくはないのだ。また、この生活は壊したくないのだっていうふうに、そういうふうに主人公に言わせています。
 その主人公に言わせていることのなかに、ある意味で作者の倫理的な主張というのは、あるいは、もしかすると世代的な主張なのですけど、そういうようなものは、そこに間接的ですけど、こめられていることがわかります。つまり、拘束と非拘束というものの間に自分たちが存在したいんだと、しかも、その間に存在したいということと、しかし、自分たちの生活はだいたいにおいて、イメージの中の生活といいましょうか、イメージ自体を生活と考える、あるいは、イメージ自体をひとつの価値と考える、そういうなかで自分たちは生活したいんだということが、この作品の、要約してしまいますと、大きな自己主張になるだろう、あるいはモチーフになるだろうというふうに思います。
 みなさんたちはこの作品を読んで反撥されようと、肯定されようと、それはたいしたことはないのですけど、しかし、いずれにせよ、反発されるところも、肯定されるところも、いま僕が申し上げました作者の自己主張、ないしはモチーフのところに、反撥ないしは肯定されるってことは、ぼくは相当はっきりしているんじゃないかっていうふうに、僕には思われます。
 だから、そういう意味あいでこの作品を読みますと、この作品がなぜ新しい意味合いをもつのかということと、なぜ新しい意味合いをもつにもかかわらず、ほんとはかなり特殊なものなんだっていうようなことの意味あいというものも、ある程度はっきりするんじゃないかっていうふうに思われます。
 しかし、この問題は無視することができないというふうに僕には思われます。つまり、様々な意味で、現在、文学というものは、このイメージ増出力といいましょうか、あるいは、イメージ価値といいましょうか、そういうものの規模の大きさというのが大規模になってしまった。また、だいたいすべての人が24時間を過ごせば、必ずその中の半分ぐらいはイメージの価値が猛烈に大規模に、それからある程度の深さをもって存在するそういう世界といいましょうか、地帯といいましょうか、そういう帯をくぐらなければ、やっぱり24時間のうち何時間かは、そこをくぐらなければ一日は終わらないというような、そういう場面にみなさんが当面しているとすれば、そのことは無視することはできないし、たとえば、現在の文学が、若い人ですけど、微弱な主張で、かつ風俗的な主張ですけれど、その問題を無意識のうちに、あるいは非常に受け身なかたちで、その問題を表現しつつあらわれてきているということの問題は、かなり大きな問題として考えなければいけないんじゃないかというふうに思われます。
 それは、たとえば、現在、言葉によって描かれる世界というもの、あるいは言葉によってつくられる物語、あるいは文学作品の世界を考える場合に、非常に大きな問題になるだろうというふうに思われます。
(えっと、がりがりスリム化したら、冗長さが消えましたねえ・・・)


 10.イメージの世界を枠組みにするエンターテイメント作品

 次回でおそらくラストです。



| 雑記 | 13:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?

 えっと、続きです。

 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html



 つい最近、調べ物をしていて大学の哲学科の生徒と思わしき人の、哲学書の詳細な解読エントリーを読んでしまい、あれ、これってやっていること、わたしとまったく同じじゃないか? などと思ってしまいました。
 わたしの方から見ると、
 「わたし → 吉村隆明」
 あれ、吉本隆明ってわたしと同じことやってないか? から、
 「吉本隆明 → ハイデガー(たまたまそのエントリーがハイデガーだった)」
 あれ、ハイデガーって吉本隆明と同じことやってないか? であり、
 わたしは吉本隆明の読み解きに、法律の条文解釈の手法を用いているのですが、そのやりかたと哲学科のゼミの様子なんだろうか? がそっくりという事にびっくりしていたりします。
 わたしが使っている法学の解釈手法(法律系資格の論文試験用の勉強方法)というのが、おそらく法学部の条文解釈をそのまま持ってきたものだと思うので、そこが似てしまっているんだろうなあとか思います。
(法学部の手法というのは「逐条解説」という分野を見れば一目瞭然だと思う)

 吉本隆明のどの文章がどこにかかっているのか分かりにくい文章に慣れてしまったわたしからすると、なんてハイデガーって論理的で読みやすいんだろうと、最高裁判決文の捻くれた論旨に比べて哲学書ってなんて整理されているんだろう(これは判決文が法律に沿って現実を無理やり解釈しているので、本人の土壌で自由に整理して論旨展開している哲学書とは、まったく条件がちがうので、当然といえば当然なんですが)などと思ってしまうのですが(^_^;
 ただ、とてもきれいな論旨展開の哲学科の様子を見ていたら、あー、わたしもこれぐらい整理して物事を理解しなければ、などと思いました・・・。
 というわけで、吉本隆明の「物語の現象論」の解読ですが、続けます。


 4. 文学の本質から見た私小説−島村利正『佃島薄暮』

 私小説というのはいろいろな定義があるわけですけど、私小説というのは「作者」と「語り手」と「登場人物」がイコールということです。もちろん言葉の表現ですからイコールということはありえないのですが、虚構としてそう見せようとしているのが私小説の特徴です。
 例に挙げるのは、島村利正の『佃島薄暮』です。
(原文のここまでの構成が自由すぎて、まったく整理されてない。30行(全角40字詰め)を整理したら、5行になったレベルです。詳細は原文をどうぞ)

 主人公がゴウゾウっていう老人なのですが、姪に病気の世話やなんかをしているうちに関係して2号さんみたいにして同棲しているんですけど、だんだん姪のほうが嫌になっちゃって、どこか出ていっちゃう。それで寂しくなって探し求めているんですけど、東京の茶屋で女中さんをしているとわかって、密かに子どもたちには内緒で出かけようってところでゴウゾウは早かった。翌日10時ごろ朝飯を済ますと、銚子の病院に行くと言って、背広に着替えて出かけた。ひとりで銚子の病院に行く例はいままでにもあって、子どもたちも特別のこととは思わなかった。ゴウゾウはその日ほんとうに病院へ行った。心電図もとったり、いつもより綿密に診てもらった。待ち時間を入れて2時間くらいかかった。特別の異常は認められなかった。病院を出てから銀行へ回り、預金から50万円を下ろし、軽い昼食をやって、次に理髪店に行く、とあります。

 初めのゴウゾウは早かった翌日10時頃といいます。
 これは「語り手」の語っている言葉になります。
(ここ、意味不明なのですが、「ゴウゾウは早かった、翌日10時ごろ朝飯を済ますと、銚子の病院に行くと言って、背広に着替えて出かけた」という文章があるんでしょう)

 しかし、途中でもはやそうではなくなります。すでに「作者」が半分ぐらいはゴウゾウっていう老人のなかに半分ぐらい入っています。言ってみますと、「語り手」のなかに半分ぐらい「作者」が入り込んでいます。乗り出しています。あるいは、全部といってもいいのです。つまり、全部がもう「作者」がゴウゾウになっちゃっている。だから、待ち時間を2時間くらいかかった、特別の異常は認められなかった。病院を出てから銀行へ回り、預金から50万円おろすっていう、こういう直接話法みたいになるわけです。ようするに、ゴウゾウっていう老人が下ろしてっていうふうに受け取れるわけです。つまり、「読者」は受け取れるわけです。
(ここは小説を書く身として、最大限原文を活かして解釈していますが、講演を書き下ろしている時点で限界がありますし、専業小説家でなければここをちゃんと例示するのは至難の業です。これに続く文章は、あーこれ意味ないなと思って略します)

 このことは私小説っていうものの非常に大きな性格なのです。つまり、「作者」=「語り手」=「登場人物」の虚構として見せようとしているのが私小説の特徴です。
(半分ぐらい削ったけど、言っている結論は同じです。詳しくは原文を当たってください)
 これは今年書かれた作品です。


 5. 民話と私小説の違い

 千五百年前の説話あるいは民話っていうものと何が違うのかと考えてみます。
 これは千五百年前の説話も、あるいは民話も、現在書かれている私小説も、まったく僕は同じだっていうふうに理解します。
 ただ、どこが違うかっていうと、時間の経緯っていうものだけが違う、つまり、時間的な落差といいましょうか、そういうものだけが違うっていうことだと思います。
 しかし、現在も、千五百年前も、二千年前も考えられる原型的な共同性みたいなものが現在もありうるのか。
 そして、もうひとつは、それが成り立っているという、虚構性っていいますか、加工性っていいますか、それだけはしようとしているモチーフと言うか、衝動と言うか、そういうものがあるということが私小説の基本的な性格だといえると思います。
(ここは恐ろしくカットしたので、原文を・・・)

 私小説というのはいい作品じゃないかどうかってことはまた別な問題です。別次元の問題です。
 しかしながら、現在もなお私小説のように、つまり、「登場人物」も「作者」も、それから「語り手」も全部いっしょくただっていう虚構がモチーフとして作品を成り立たせている。
 この成り立ち方はいってみれば『源氏物語』以前の問題です。『源氏物語』以前の問題として、現在も依然としてベースとしてある、言い換えればそれは文学の、物語の起源の問題ですから、起源の問題はいつまで経ったってつきまとっているという意味あいで、現在もまたつきまとっているのですけど、作品の構造とかそういうものからみれば、もちろん、『源氏物語』あるいはそれ以前の日記というものがあるわけですけど、『蜻蛉日記』とか、何々日記というのがありますけど、日記類が書かれたときに、すでに私小説以上の問題っていうものは提起されているわけで、だからはるかに千年ばかり、そういう意味でいいますと古いわけで、私小説っていうのは、一種の古い構造をもって現在も成り立っている小説であるわけです。
(ここは原文ママで残している)

 だから、日記文学の一種の集大成ともいえる『源氏物語』っていうものが書かれたときに、もはや「語り手」と「登場人物」と「作者」とは別々にふるまうことがありうるっていうような、そういう問題はすでに提起されてしまっているわけで、現在としても依然としてその問題は存在するというふうに考えますと、いちばんベースにおいてやはり高度なモチーフといいましょうか、あるいは、高度な作品の構造っていうもので、文学作品が現在存在しているのかって考えますと、非常に共感がしやすいわけです。現象論としては非常に共感がしやすいということがあります。
(うーん。一文字も削ってませんが、たぶんここが吉村隆明がいちばんいいたかった部分ですね・・・。そして漠然としている・・・)


 6. 東峰夫『天の大学』の高度な物語構造

 もちろん現在は私小説しか書かれていないわけではないので、そのような作品(これは何を言っているのか意味不明)の例を上げてみましょう。
 東峰夫の『天の大学』の一節です。
 これは「私」が主人公ですけど、私が性的に目覚めて、性欲に駆られて、母親と関係をしようというふうにいこうというところの描写なんです。
(おそらく、この小説では「主人公」=「作者」ではないので、私小説の定義から外れているけど、似たような現象が他の分野の小説にも見える、という意味でしょうか)

 居間では父と友人がお茶を飲みながら雑談をしているようだった。母は居間を通り抜けて寝室に入っていったので私も後を追った。父と友人が後ろ姿を見ているに違いなかったが平気だった。気づかれたらダメと母は言った。すぐに父の友人が寝室に飛び込んできた。それはいかんよ、それはない。でも、わかってほしいよ、おじさん、全身が震えて、声も泣き声になっていた。おじさんはわかってくれるはずだろう、何人も奥さんを取り替えたんだもの(会場笑)、おじさんはいいよ、得をしているよ、まあそのことは言わんでくれ、私は父の友人の腕に取りすがって、壁のところまで引っぱっていった。そこに座って、洗いざらい打ち明けたいと思ったが、しかし、何から話せばいいのかわからなかった。ずっと我慢していたんだ。だから、私は口ごもってしまった。そういっても、それはいいわけだ。それで見境もなくお母さんに欲を覚えたとは言わせんよ。私は呻き、もう何も言うことがなかった。
(完全に原文ママです)

 こういう一節があります。
 この作品は、自分が実際に母親をつかまえて、寝室へいこうとした。で、父親と友人が居間で話しているところを通り抜けようとして見つかっちゃったと読めますが、これはまったくのフィクション、まったくの虚構なんです。
 つまり、架空のことを書いているわけなんです。これは作品をぜんぶ読むと一目瞭然なんですけど、ここだけ読むとそういうふうに読めますけど、リアリティがあるのは何かっていいますと、ここで登場する私というものの欲望だけがこのなかでリアリティなのです。あるいは、この東さんという作者が言おうとしているリアリティはそれだけにあるわけなのです。
 枠組みを見てみますと、これは事実をそのまま、つまり、私という人物が母親をとらえて、父親と友人がいる居間のところを通って寝室のほうへいこうとした。そうしたら見つかっちゃって、父の友人が追っかけてきて、それはよせよせって、いくら欲望を覚えたって、母親にそんなことをしちゃおかしいじゃないかっていうのを、私っていうのは、それは勘弁してくれ、そうは言わんでくれって、こういうふうにとれるわけですけど、ほんとうにリアルなのは、私の欲望っていうことなのです。つまり、欲望が描くひとつの曲線っていうものを描きたいために、こういう場面をまったく架空に設定しているのです。つまり、これはシュールレアリスティックな場面なわけなのです。
 ここの場面はまったく私小説ではないのです。
 つまり、これは物語自体の枠組み、あるいは、少なくとも「主人公」と「登場人物」と「作者」とが、私小説的な関係にあるならば、当然、考えられるような場面というものを、もはやずっと遥かに超えたところに、作品のリアリティというものを求めているわけなのです。だから、「主人公」のエロス的な欲望というものが描く曲線だけがリアリティなのです。あるいは、作品のモチーフなんです。
 だから、「作者」が読んでもらいたいのは、ある人間の性に目覚めたころの、あるいは青春伝記になったあるひとつの私という男の子の抱くエロス的な欲望というものが描く曲線というもの、これは我々の潜在意識のなかに隠されていて、その年齢の私というものの欲望の描く曲線がどういう曲線の描き方をするかっていうこと、それを読んでもらいたいっていうのが、それを読むということがこの作品を読むということに該当するので、この作品の個々の場面というものは、もちろんリアリズムでもないしなんでもないのです。
 全部が一見リアルに存在するように描かれているのですけど、この『天の大学』という、「作者」の象徴によれば、これはようするに人間の抑圧されたといいますか、エロス的な欲望の描く曲線といいますか、その曲線のあり方というのを教える学校というのが『天の大学』という、「作者」はそういうふうに『天の大学』という題名を使っています。
(ちょっと長いので、結論部に入る前に、ひとやすみ)

 この作品は、そういう眼に見えない欲望を描く曲線をなんとかして言語化したいというところでこの作品が成り立っていることがわかります。
 ここでは、もはや「登場人物」と、「主人公」と、それから、「登場人物」と「私」がいさえすれば、また「作者」がいさえていれば、描かれるはずの物語の枠組みというものは、はるかに無視されていることがわかります。いい言葉を使えば、それを超えられていることがわかります。
 こういう作品というのは、いわば先ほどの私小説的な作品というものを底辺におくとすれば、この作品は頂点におかれるべき作品だというふうに考えます。またここで改めてお断りしなければなりませんけど、この頂点・底辺というのは、作品がいいか悪いかってことは別の問題なんだっていう、意味あいで受け取られないと、話が全然違ってきてしまいますから、そういう意味あいではありません。
 ただ、この作品は物語の構造っていうものから考えていきますと、最も高度なところに存在する作品だということが言うことができます。だから、こういう作品を頂点におきますと、その中間のところに様々なかたちの作品というものを想い描くことができるわけです。

 7. 山川健一『さよならの挨拶を』における陰影

 続きます。


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吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?


 こんばんわ。hikaliです。
 これからしばらくは、吉本隆明の講演の録音から、「物語の現象論」をお送りしたいと思います。これが出てきた理由は、わたしが入院中に暇なのでポッドキャストを大量にダウンロードしたことを原因にします。
(これがうっかり携帯回線で20GB程度ダウンロードしていたらしく、とんでもない通信費になっているんですが・・・)
 原文を聞く環境も整ってますし、書き下し文もありますので、わたしの紹介など気にせず原文を当たってほしいのですが、正直吉本隆明の語った内容はあちこちに飛びすぎて読みにくい。
 そこでわたしが、自分の理解のために、要約を書いたという内容になっています。
 あくまでわたしの解釈であり、この要約がきっかけになって原文をあたってくれれば、と言う内容です。

 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html

 単純にここは書き下し文が整備されているので、アクセスしやすい。

 ただ、語られている内容は衝撃です。
 わたしはミーハーな吉本隆明信者なのですが、薬袋を分解して(10袋ぐらいを裁縫キットのはさみで全部裏紙にした。病院内でほかに裏紙を手に入れる方法がなかった)その裏地にメモった要約をベースに書かれています。たぶん要約を読んで原文を読むと、これはカットしすぎだろうと思うところが多々あると思います。
 わたしはだいたい英国の冒険小説をベースにしていますので、いまさら1人称、3人称と悩むことはないですが(だいたい3人称の体裁をとった、擬似1人称をとっている)、考えてみるとだいぶ複雑だなあと思うところをついていると思います。
 まあ、わたしよりはるかに深いところを語っていると思いますので、しかし、要約しすぎなのではと思いつつ、これまで触れたことのなかった吉本隆明に触れていただければ幸いです。

 トロイア遺跡はここにあったんだ!
 
 


 1.「語り手」はどこに位置しているのか

 ある文学作品をどのように読むのか、読まれるのかは読む人のまったくの自由になる。ただ、読むという体験を文字という面倒な方法でするのか、なぜ文字なのかを考えるとひとつだけ共通なことがある気がする。
 それは読むという行為をなにか、一種の生活の場合で様々に当面する問題と同じような体験、それに類似した体験を読むという体験の中でしたいのだと、共通に考えるのではないか。
 問題が2つある。
 ひとつは生活の中での体験の落差、たとえば現実的なお粗末な生活のところから、ひじょうに高度なイメージの世界に連れていかれて、そしてまた夜になると飲み屋に帰ってきてラーメンを食うみたいな落差が、現在、読む人にとってひじょうに大きな問題なのではないかというかと。
 もうひとつは、そのイメージが様々な直接イメージ、つまり映像や絵画的な表現のような直接的にイメージを喚起できて、スイッチを入れるとすぐにそこから抜けられるような、イメージの世界が大規模になっていて、また、かつ、普遍的になっている。そうしたなか、わざわざ文字という一種の概念の中に入っていって、その世界とを行き来するという面倒なことをすることが億劫になってくる。これがもうひとつの共通する問題なのではないかと。
 そういった問題をふまえると、「読む」というところから入ってもよいのですが、文芸批評というか、批評の問題から作品に近づいていて行った場合、どういう問題が、いま問題になるのかというところから入ったほうがいいのではと考えます。これは僕自身が文芸批評をする中で、どのようなことが問題になっているのかから入ったほうがよい気がするのです。
 文芸批評の問題から入っていくと大きな問題になるのは「語り手」をどう待遇したらいいのか」という問題です。
 「語り手」というのはどういうことかといいますと、「語り手」の起源をいいますと、昔の説話とか、神話だとかでの「語り手」、もう少し時代が下がってくれば、『伊勢物語』なら「むかし男ありけり」っていう言葉から始まっていくとか、『今昔物語』なら、「いまはむかし〜がありき」とかっていうような形で物語が始まっていきます。その場合の、「むかし男ありけり」あるいは「いまはむかし」っていう言い方で言っている人が、「語り手」であるわけです。
 ところが、この「語り手」っていうのが、複雑なことになっていきます。
 起源のところでは、「語り手」とは何かってことが言いやすいわけで、それは、あるひとつの原型的な共同性があって、その共同性っていうものの内側にあるか、外側にあるかっていうことだけが、起源でいえば「語り手」の問題になります。
 内側にあれば、説話とか、民話とかっていうものになっていきます。
 つまり、ある原型的な共同体、あるいは共同性に対して、その内側にあって語っているか、外にあって語っているか、外にあるとすればどういう外にあって語っているかってことが、「語り手」っていうものの性格を決める、非常に大きな決め手になるわけです。
(外側の「語り手」の例示は語られていない)


 2. 『源氏物語』における「語り手」

 時代が下がるにつれて「語り手」の問題は複雑になります。
 一番その問題を提示しているのは源氏物語です。
 『源氏物語』の「語り手」がどう処遇されているのか。
 これは、専門家のほうでは、「草紙地」という言い方をしています。「草紙」っていうのは、お伽草紙とかの「草紙」で、「地」は地面の「地」ですけど、つまり、「語り手」の問題のことを「草紙地」っていうふうに専門家は言っています。
 ですが『源氏物語』の「語り手」の問題っていうのは、一応の意味では非常に簡単です。
 たとえば、ある祝宴の場面があると、祝宴の場面で登場してくる人物たちがお互いに歌を詠むと、これこれっていう歌が詠まれたんだけど、こういう祝宴の場面でつくられる歌っていうのは、いいものがないからそれは省くことにするっていうような文章が『源氏物語』のなかにでてくる。
 これを省くことにするって言っているのは、明らかに「語り手」。
 つまり、これは登場人物とも一応は関係なく、「語り手」がそう言っているわけです。
 また、いろんな限定の仕方をしています。『源氏物語』における「語り手」っていうのは、『源氏物語』の構造を説話のようにいちいち語っていったら、キリがない、つまり、いつまでも『源氏物語』を同じ密度で面々と語っていくのを省く。『源氏物語』の「語り手」はすぐに、登場人物の間にこういうことがあったんだけど、じぶんは女性であるので、そういうのは触れないみたいな、限定がやってきて、その問題はそこで切れるというふうに、いつでも自己限定として「語り手」っていうのがあらわれてきて省きます。
 この自己限定として「語り手」があらわれてくるっていうことは、非常に単純な理由によるので、つまり、作者が物語を面々と語るのが馬鹿らしくなったときに、「自己限定の語り手」が登場するわけです。


 3. 『源氏物語』が提起したこと−「語り手」・作者・登場人物の分離

 しかし、重要なのは『源氏物語』が自己限定の「語り手」を登場させたために、「語り手」と「作者」との分離っていうことが明確に起こるっていうことなんです。
 つまり、『源氏物語』において、たとえば日本の物語では初めて非常に明瞭な形で「語り手」の問題が登場し、そして、「語り手」の問題を自己限定として、あるいは、場面限定として登場させたために、作者と、それから作中に出てくる「語り手」とが、必ずしもイコールではないという問題を初めて物語の中で提起しています。この問題がいったん提起されますと、もっと違うことが起こります。
 今度は「登場人物」がひとりでに動き出すことが出てくるっていうことなんです。
 これは、「作者」が「登場人物」を描いているのだから、「作者」が描かなければ、そう描いたからそうなっているんだっていうふうになるんですけど、ほんとはそうじゃなくて、どう読むのは「読者」の自由ですから、「登場人物」はある場面に登場して、ある行いをし、ある事件を差し起こしますと、その人物が「登場人物」として独自に動き出します。あるいは、独自な内面の動き方をします。
 それは必ずしも、「作者」に意識されているとは限りません。つまり、あきらかに具体的にいえば、「作者」が筆を動かしているから確かに書かれているわけですけど、「作者」はその「登場人物」がどういうふうに振るまうかまでは表面的に描いたかもしれないけど、そういうふうに振るまったときに「作者」が、「登場人物」がどう感じたか、どう内面で感じたかまでは、必ずしも意識して描いているとは限らないわけです。
 そこで、いったん「語り手」が自己限定として、作品の中に、あるいは、物語の中に登場しますと、問題が起きていて、そこで「作者」と「語り手」とは、べつであるという問題が出る。そして、今度は「登場人物」と「作者」とはまた別であると、つまり、「作者」がそう描いたから「登場人物」はそう行動したといえる面と、そのときに「登場人物」がその場面で感じたことは、書かれていないんだけど、「読者」にとっては非常に明瞭に、このとき「登場人物」はこういうふうに感じたに違いないなってことは、「読者」には明瞭であるっていうことがありえます。
 そのときに「読者」は、いい作品の場合には、このことを「登場人物」はこういうふうに感じているに違いないことがわかっているのは俺だけじゃないか、つまり、じぶんだけにこれはわかるんじゃないかっていう感じを伴います。これはいい作品、優れた作品に非常に特徴的なことです。つまり、優れた作品にはいつでもそういうことはあり得るってことなんです。
 それは「作者」が意識して描いたからそういうふうに感じられた、あるいは、言葉にそう描かれたからそう感じたかっていうと、そうではないんです。「作者」が無意識のうちに描いたとしても、なおかつ、その場面で「登場人物」がこういうことを感じたなとか、こういうふうに感じたに違いないなっていうことを「読者」には感じさせるものがあります。つまり、そういう問題が提起されてくるはずなんです。
 その問題が「作者」と「語り手」と、つまり、作中の中で物語を語っている「語り手」と、それから、「登場人物」とは、全部違うんだっていうこと、つまり、全部違うんだっていう問題が、文学作品における本格的な問題であるわけです。つまり、本格的な問題っていうのは、少なくとも、そこのところで始まって、それで大体において、現在でも、だいたいその問題で尽きると言っていいと思います。
(ここは大幅にカットしているので、原文を当たってください)


 4. 文学の本質から見た私小説−島村利正『佃島薄暮』


 続きます。


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『三顧の礼』(4/4)


 つづきです。


■『三顧の礼』(1/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196002


■『三顧の礼』(2/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196003


■『三顧の礼』(3/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196004




 前回までで概略をさらいました。
 その中で分かってきたのは、吉川英治は三国志演義を基本としながらも(すくなくとも演義に反することは書いてない)、そこに補足のようにオリジナルの解釈を付け加えていくというスタイルを取っているということでした。
 今回はその中から、わたしが意図的に除外して紹介してこなかった部分を、まとめて紹介します。これまで紹介をしてこなかったのは、あまりにも三国志の内容から外れすぎている(一言で言うと現代的な人物像すぎる)ため、これは三国志ではなく吉川英治の独自の解釈なのではと思ってしまったからです。
 ただこれは、その分、これが吉川英治が書きたかった部分ではないかと言うこともできます。
 わたし、自身書き手として、自分の書きたいことが物語の中心になるというのは、正直避けたいところだったします。登場人物たちの観測者として、こう言いたいんだよねと解釈するときはありますが、自分の意図として登場人物の気持ちを捻じ曲げることはしません。
 例を挙げるときりがないんですが、書くのに詰まったときに、こいつは何を言うのかなと待っていることがしばしばあります。あるときリニーが何を考えているのかわからなくなったときに、悶々とつまらない日常を送りながら、ふとその凍えきったこころが見えたときがあるのです。
 そこにいたのか・・・、という発見は衝撃だったりします。
 もちろん、そういう書き方以外はうそだとは思いません。
 でも、それを拾ってあげないと、それ以外は殺人になる、と思いました。
 ウタリとの会話を書いていたときも、こいつ何を言うのかな? と思っていたら、突然に、
「造りたい」
 と、はにかんで言い出した。それは一種の幻聴で、状況的には一切の開発がストップしていたシドの首都ラスペの中枢セントラルのことで、わたし自身は愕然としました。
 ウタリが言っているのはセントラルの再開発で、状況的にはザブンテ人たちが、高い高い避難先を探していたので、物語的には無視できない。それでリニーと教授を動かして、セントラル開拓時代なるものをでっち上げなければならなくなった。
 これはさして重要だと思っていなかった、ウタリという子がそう言ったから、なんです。

 そのどの位置に吉川英二と諸葛孔明が位置していたのかはわかりません。
 わからないと言うのが誠実だと思いますし、つまらないことは言いたくないのです。
 それぐらい、吉川英二が書く孔明は魅力的ですし、これを壊したくない。
 わたしは孔明の声が聞きたいですし、もっと正確に言えば、襄陽の軍師たちの気持ちを捻じ曲げたくない。なんて若々しくて、みずみずしい青春なんだろうと書くとたぶん意外に思うと思うのですが、それを紹介していきましょう。

 まずは、孔明に出会った劉備玄徳から。


 ■孔明を説得する玄徳

 先の、立春大吉(三顧目)のラスト、「孔明先生、どうか胸を開いて、本心を語ってくれ!!!」
 ババーン(効果音)
 のシーンです。
 だいぶ前から全引用してみましょう(著作権が切れているので、アマゾンで全文引用できる)。

 玄徳はまず彼の語韻の清々しさに気づいた。低からず、高からず、強からず、弱からず、一語一語に、何か香気のあるような響きがある。余韻がある。
 すがたは、坐していても、身長ことにすぐれて見え、身には水色の鶴?を着、頭には綸巾をいただき、その面は玉瑛のようだった。
 たとえていえば眉に江山の秀をあつめ、胸に天地の機を蔵し、ものいえば、風ゆらぎ、袖を払えば、薫々、花のうごくか、嫋々竹そよぐか、と疑われるばかりだった。
「いやいや。あなたをよく知る司馬徽や徐庶のことばに、豈、過りがありましょうか。先生、愚夫玄徳のため、まげてお教えを示して下さい」
「司馬徽や徐庶は、世の高士ですが、自分はまったく、ありのままな、一農夫でしかありません。何で、天下の政事など、談じられましょう。──将軍はおそらく玉を捨てて石を採るようなお間違いをなされている」
「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に隠操をお求めになるなどとは──失礼ながら、忠孝の道に背きましょう。玄徳は惜しまずにいられません」
「それは、どういうわけですか」
「国みだれ、民安からぬ日は、孔子でさえも民衆の中に立ちまじり、諸国を教化して歩いたではありませんか。今日は、孔子の時代よりも、もっと痛切な国患の秋です。ひとり廬にこもって、一身の安きを計っていていいでしょうか。──なるほど、こんな時代に、世の中へ出てゆけば、たちまち、俗衆と同視せられ、毀誉褒貶の口の端にかかって、身も名も汚されることは知れきっていますが──それをしも、忍んでするのが、真に国事に尽すということではありませんか。忠義も孝道も、山林幽谷のものではありますまい。──先生、どうか胸をひらいて、ご本心を語ってください」
 再拝、慇懃、態度は礼をきわめているが、玄徳の眼には、相手へつめ寄るような情熱と、吐いて怯まない信念の語気とをもっていた。
「…………」
 孔明は、細くふさいでいた睫毛を、こころもち開いて、静かな眸で、その人の容子を、ながめていた。

 引用以上ですが、青空文庫でも読めますし、講談社文庫版もそんなに高くはありません。これ以上は、原文をあたってください。


 ■徐庶の孔明評

 これは、三顧の礼に入る前の徐庶のことばです。
 

「隆中に、賢人ありとは、かつてまだ聞いていなかった。それは真実のことか」と、念を押した。
 徐庶は答えて、
「その人は、極めて、名利に超越し、交わる人たちも、限られていますから、彼の賢を知るものは、ごく少数しかないわけです。──それに、君には、新野の地にもまだ日浅く、周囲には荊州の武弁、都県の俗吏しか近づいていませんから、ご存じないのは当然です」
「その人と、ご辺との縁故は」
「年来の道友です」
「経綸済世の才、ご辺みずから、その人と比しては?」
「拙者ごときの類ではありません。──それを今日の人物と比較することは困難で、古人に求めれば、周の太公望、漢の張子房などなら、彼と比肩できるかもしれませぬ」
「ご辺と友人のあいだならば、願うてもないこと、旅途を一日のばして、玄徳のために、その人を新野へ伴うてはくれまいか」
「いけません」
 にべもなく、徐庶は、顔を横に振った。
「どうして、彼が、拙者の迎えぐらいで出て参るものですか。──君ご自身、彼の柴門をたたいて、親しくお召し遊ばさねばだめでしょう」
 聞くとなお、玄徳は喜色をたたえて云った。
「ねがわくば、その人の名を聞こう。──徐庶、もっとつまびらかに語り給え」
「その人の生地は瑯?陽都(山東省・泰山南方)と聞き及んでおります。漢の司隷校尉、諸葛豊が後胤で、父を諸葛珪といい、泰山の郡丞を勤めていたそうですが、早世されたので、叔父の諸葛玄にしたがって、兄弟らみなこの地方に移住し、後、一弟と共に、隆中に草廬をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで梁父の詩をよく吟じます。家のあるところ、一つの岡をなしているので里人これを臥龍岡とよび、またその人をさして臥龍先生とも称しています。──すなわち、諸葛亮字は孔明。まず当代の大才といっては、拙者の知る限りにおいて、彼をおいては、ほかに人はありません」
「……ああ。いま思い出した」
 玄徳は肚の底から長息を吐いて、さらにこう訊ねた。
「それで思い当ることがある。いつか司馬徽の山荘に一夜を送った時、司馬徽のいうには、いま伏龍鳳雛、二人のうちその一人を得れば、天下を定めるに足らんと。──で、自分が幾度か、その名を訊ねてみたが、ただ好々とばかり答えられて、明かされなかった。──もしや、諸葛孔明とはその人ではあるまいか」
「そうです。伏龍、それがすなわち孔明のことです」

 これは恐ろしく文章がうまいんですが、わたしが文章重ねると、文章が穢れていきます。この問題が常に付きまとうので、補足が恐ろしくしにくい。
 なんて、美しい文章なんでしょうか。
 

 ■孔明の幼少時代

 もう補足なしを許してほしいのですが。

 まだ十三、四歳でしかない孔明の眼にも、このあわれな流離の群れ、飢民の群れの生活が、ふかく少年の清純なたましいに、
(──あわれな人々)として烙きついていたにちがいない。
(どうして、人間の群れは、こんなにみじめなのか。苦しむために生れたのか。……もっと、生を楽しめないのか)
 そんなことも考えたであろう。
 いや、もう十三、四歳といえば、史書、経書も読んでいたであろうから、
(こんなはずではない。この世の中のうえに、ひとりの偉人が出れば、この無数の民は、こんなおどおどした眼や、痩せこけた顔を持たないでもいいのだ。──天に日月があるように、人の中にも日月がなければならないのに、そういう大きな人があらわれないから、小人同士が、人間の悪い性質ばかり出しあって、世の中を混乱させているのだ。──かわいそうなのは、何も知らないで果てなく大陸をうろうろしている何億という百姓だ)
 と、いう程度の考えは、もう少年孔明の胸に、人知れず醗酵していたにちがいない。


 ■学僕になった孔明と、去った理由

 「学僕にして下さい」と、訪れたのは、彼が十七の頃だった。
 石韜は翌年、近国へ遊学にあるいた。その時、師に従って行った弟子のなかに、白面十八の孔明があり、一剣天下を治むの概をもつ徐庶があり、また温厚篤学な孟建がいた。
 だから孟建や徐庶は、孔明より年もずっと上だし、学問の上でも先輩であったが、ふたりとも決して、孔明をあなどらなかった。
「あれは将来、ひとかどになる秀才だ」
 と、早くも属目していたのである。ところがそれは二人の大きな認識不足だった。
 なぜならば、その後の孔明というものは、ひとかどどころではなかった。石韜をめぐる多くの学徒の中にあって、断然群を抜いていたし、その人物も、年とるほど、天質をあらわして、いわゆる世間なみの秀才などとは、まったく型がちがっていた。
 だが彼は、二十歳を出るか出ないうちに、もう学府を去っていた。学問のためにのみ学問する学徒の無能や、論議のために論議のみして日を暮している曲学阿世の仲間から逃げたのである。
 では、それからの彼は、どうしていたかというと、襄陽の西郊にかくれて、弟の均と共に、半農半学者的な生活に入ってしまったのだった。
 晴耕雨読──その文字どおりに。
「いやに、老成ぶったやつではないか」
「いまから隠棲生活を気どるなんて」
「彼は、形式主義者だ」


 ■孟建をさとす孔明

 隆中の彼の住居へ、或る日、友人の孟建が、ぶらりと訪ねてきて云った。
「近日、故郷へ帰ろうと思う。きょうはお別れにやって来た」
 孔明は、そういう先輩の面を、しばらく無言で見まもっていたが、
「なぜ帰るのです?」と、さも不審そうに訊いた。
「なぜということもないが、襄陽はあまりに平和すぎて、名門名族の士が、学問に遊んだり政治批評を楽しんで生活しておるにはいいかも知れんが、われわれ書生には適さない所だ。そのせいか、近頃しきりと故郷の汝南が恋しくなった。退屈病を癒しに帰ろうと思うのさ」
 聞くと、孔明は、静かに顔を横に振って、
「こんな短い人生を、まだ半途も歩まないうちに、君はもう退屈しているのか。襄陽は平和すぎるといわれるが、いったいこの無事が百年も続くと思っているのかしら? ──ことに、君の郷里たる中国(北支)こそ、旧来の門閥は多いし、官吏士大夫の候補者はうようよしているから、何の背景もない新人を容れる余地は少ない。むしろ南方の新天地に悠々時を待つべきではないかな」
 と、いって止めた。
 孟建は孔明よりも年上だし、学問の先輩でもあったが大いに啓蒙されて、
「いや、思い止まろう。なるほど君のいう通りだ。人間はすぐ眼前の状態だけにとらわれるからいかんな。──閑に居て動を観、無事に居て変に備えるのは難かしいね」と、述懐して帰った。
 孟建などが噂するせいか、襄陽の名士のあいだには、いつか、孔明の存在とその人物は、無言のうちに認められていた。


 ■孔明の野望

 彼をめぐる道友たちは、各、時局を談じ、将来の志を語りあっていた。
 孔明は、微笑しながら、黙々とそれを聞いていたが、
「そうだ、君がたが、こぞって官界へ出て行けば、きっと刺史(州の知事)か郡守(郡の長官、即ち太守)ぐらいには登れるだろう」と、いった。
 友の一名が、すぐ反問した。
「じゃあ、君は。──君はどんなところまでなれるつもりか」
「僕か」
 笑而不答──孔明はにやにやしていたきりであった。
 彼の志は、そんな所にあるのではなかった。官吏、学者、栄達の門、みな彼の志を入れるにはせまかった。
 春秋の宰相管仲、戦国の名将軍楽毅、こうふたりを心に併せ持って、ひそかに、
(わが文武の才幹は、まさにこの二人に比すべし)
 と、独り矜持を高くもっていたのである。
 楽毅は春秋戦国の世に、燕の昭王をたすけて、五国の兵馬を指揮し、斉の七十余城を陥したという武人。──また管仲は、斉の桓公を輔佐して、富国強兵政策をとり、春秋列国のなかに、ついに覇を称えしめて、その主君桓公から、一にも仲父(管仲の称)二にも仲父とたのまれたほどな大政治家である。
 いまは、時あたかも、春秋戦国の頃にも劣らぬ乱世ではないか。
 若い孔明は、そう観ている。
 管仲、楽毅、いま何処にありや! と。
 また彼は想う。
「自分をおいてはない。不敏といえども、それに比すものは自分以外の誰がいよう」
 不断の修養を怠らなかった。 世を愛するために、身を愛した。世を思うために、自分を励ました。
 口にこそ出さないが、膝を抱えて、黙然、うそぶいている若い孔明の眸にはそういう気概が、ひそんでいた。
 時にまた、彼は、家の裏の楽山へ登って行って、渺々際涯なき大陸を終日ながめていた。
 すでに、兄の瑾は呉に仕え、その呉主孫権の勢いは、南方に赫々たるものがある。
 北雲の天は、相かわらず晦い。袁紹は死し、曹操の威は震雷している。──が、果たして、旧土の亡民は、心からその威に服しているかどうか。
 益州──巴蜀の奥地は、なおまだ颱風の圏外にあるかのごとく、茫々の密雲にとざされているが、長江の水は、そこから流れてくるものである。
 水源、いつまで、無事でいよう。かならずや、群魚の銀鱗が、そこへさかのぼる日の近いことは、分りきっている。
「ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、蜀、魏の三つに分れた地線の交叉している真ん中にいる。荊州はまさに大陸の中央である……が、ここにいま誰が時代の中枢をつかんでいるか。劉表はすでに、次代の人物ではないし、学林官海、ともに大器と見ゆるひともない。……突としてここに宇宙からおり立つ神人はないか。忽として、地から湧いて立つ英傑はないか」
 やがて、日が暮れると、若い孔明は、梁父の歌を微吟しながら、わが家の灯を見ながら山をおりて行く──。
 歳月のながれは早い。いつか建安十二年、孔明は二十七歳となっていた。
 劉備玄徳が、徐庶から彼のうわさを聞いて、その草廬を訪う日を心がけていたのは、実に、この年の秋もはや暮れなんとしている頃であったのである。


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『三顧の礼』(3/4?)


 つづきです。


■『三顧の礼』(1/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196002


■『三顧の礼』(2/4?)
http://blog.story-fact.com/?eid=1196003




 ■3.孔明を訪う(一顧目)

 前節が悲惨な状況になっているのを尻目に、全開ぎみでくるのがこの「孔明を訪う(一顧目)」。
 ちょっと情報量が多すぎてパンクしているんじゃないか疑惑はあるのですが、交通整理が忙しすぎてギクシャクしている印象を受けます。
 まずこの節は司馬徽(水鏡先生)が新野を訪れて玄徳と話すのですが、ここがまず情報過多・・・。なので一切のニュアンスをバッサリ切って羅列しますが、たぶん原文を読むとこれしか要約しよう無いよね、と思うと思うのですが、読み直すとひどいでですね。
 ・徐庶の老母は死ぬ。
 ・紹介は孔明にとって迷惑。
 ・道友としても彼がサロンから抜けるのはさびしい。
 ▼玄徳の質問ターン
 ・なぜ襄陽のサロンは発展したのか? → 魏呉蜀の境界だから
 ・孔明の素質はどれぐらいか? → 太公望クラス
 このあたり、別文献を当たって調べてみると散々に複雑な情報が出てくるのですが(特に襄陽サロンの成立過程とかは、まあ分厚い学術論文集クラスの量はあるよね、と言うレベル)、それを書き始めるとまったく収拾がつかなくなるので、ざっくりと無視します(自分で調べてね)。

 玄徳は期待を抱いて孔明を尋ねようと出かける。
 孔明の住居として聞いていたのは、「襄陽の西へ20里、隆中という一村落」ということだけで、その村落へ歩いていくのですが、付近まで行くと百姓の男女が不思議な歌(どう評したらいいのだろうか、世の中を外から見ているような歌? ちくま文庫版の三国志演義に対訳付きで載っている)を謡っている。だれの謡かと聞くと孔明だという。
 玄徳は農夫に孔明の住む臥龍の岡の場所を聞き、そこへ向かうが、その臥龍の岡の周辺は農夫に至るまで変わっていると感じる。
 臥龍の岡の柴門までやってくるとひとりの童子と猿が遊んでいる(これは演義がそうなっている)。
 童子に聞くと、先生は今朝でかけた、どこに行ったかは知らない、帰りは三、五日、あるいは十数日後かもしれないと言われる。
 玄徳はせっかく孔明の住居までやってきて名残惜しくたたずんでいるが、その美しい周囲の風景にもうしろ髪を引かれながら、岡の道を降りていく。

 その帰り道、玄徳は一人の若者(孔明の遊び友達なので、同年代ぐらい? と推定している)に出会う。
 玄徳は孔明かと勘違いするが(以後、孔明の友人で名士ばかり出てくるので、何度も同じ間違いを繰り返す)、崔州平であって孔明の友人だと告げる(これは2/4で挙げた崔)。
 崔は目の前にいるのが玄徳だと知って驚き、どんな用があってきたのかと聞く。玄徳が、
「国を治め民を安んずる道を問わんがため」
 と答えると、崔は大いに笑って、
「あなたは治乱の道理を知らないとみえる」
 とよく読んでみると耳を疑うような失礼な受けごたえをする。崔は曰く、
「世界は流転している。人の一生からすれば20年の乱は長いが、悠久の歴史からみればほんの一瞬。些細なことでしかないのです」
 玄徳は反論するが、
「──万生万殺──一殺多生──いずれも天理の常であり、平凡事だ」
(ものすごくざっくりと解釈を書くと、宇宙が生まれてから数え切れないほどの生命が死んだけれど、それって当たり前でしょ? という感じだろうか)
 と答える。
 これがどれほど非常識な答えであることはわかると思う。完全に劉備と向かい合おうとしていない。

 玄徳はそれを始終つつしんで聞いていて、一応崔を新野の幕僚として誘う。崔は自分は山野の一儒生、世上に名利を求める気はない、と言って断る。
 崔がさると、関羽が玄徳に、何であんなやつの話を聞いた? と問うので、
「彼らの言うことは彼らの中の真理であって、万民俗衆の真理ではない。彼らのような隠士高士は一握りしかおらず、そこでしかつうじない少数の真理だ」
 玄徳は関羽に対し、
「孔明に自分が求めてやまないものは、世を救い万民の苦悩に通じることばだ、その声だ、その真理だ」
 そして、数日後に始まる二顧目に続くのですが、いやー、濃いwww ここに詰め込みすぎなんですよねえ(ため息)。
 まだまだあと2節続きます。

 ■雪千丈(二顧目)

 隆中にやってくると真っ白になっていた。途方もない寒さだが、やがて村内に入る。
 ここで歌が聞こえてくるのだが、演義ではどのような演出になっているのか確認しないと、説明し難いのだが、歌の内容として玄徳の姿を描いた歌になっている。
(ちなみに演義ではなんの演出もなくぶっきらぼうに抜き身の包丁をぼんぼんぼんと並べるような、無骨な内容になっている)
 その歌を、玄徳はどこから、だれが歌っているのかと気になる。
 吉川英治の演出に翻弄されるというか巧み過ぎて、演義ってほんとに二顧目で吹雪だったのかと、もうそこからかよというぐらい、原典読まないとどうしようもないですね・・・。
(原典も雪の場面です。ただ吉川英治のつなぎ方がめちゃくちゃ上手いんですね)
 えっと、簡単に言うと、
「玄徳の寒村の窮民を想う信念」 → 
「どこかから聞こえてくる、<それ>をうたう歌」 →
「どこから聞こえてくるのだろう、周囲は吹雪でみえない」 →
「吹雪の中に暖かな居酒屋を見つけた。そこで玄徳はぼうぜんと聴き続ける」
 と言う流れなのですが、居酒屋に入ると2人の酔っ払いが「玄徳を肴に」(玄徳からそう見える)囃し立てているようにみえる。
 この二人は襄陽サロンの名士、石広元と孟公威で、見た目は親子ほどの年齢差がある(なんでここで飲んでたのかは不明)。
 玄徳は司馬徽(水鏡先生)に名前は聞いているし友人だというので、一緒に孔明の住居を尋ねようじゃないですかと誘うが、玄徳が孔明を尋ねる理由として、「乱世の現状を治め、済民の道を問わんため」と言っているので、あわてて、
 いやいや、われらは山林に高臥し、懶惰に隠者だから、治国安民の経策などには関われないし、その資格もない、孔明にお尋ねするのがよいでしょうと辞退する。
 玄徳は、おそらく崔州平で慣れたので、あっさりとあきらめ、臥龍の岡へと向かう。

 孔明の家にたどり着くといつもの童子が、なんだか書堂にいるようだと告げる。
 書斎にゆくと炉に寄りかかっている若者がみえる。
 独り言のように詩吟していて、古典の詩歌のようで孔明を歌っているように聞こえる(あくまで(以下略))。玄徳はしばらくしずかにそれを聞いていたが、やがて聞こえなくなる。
 みると若者は、炉に寄りかかったまま膝を抱いて眠っていて、邪心のない赤子にみえた。
 玄徳が声をかけると、若者は目を覚まして、あわてて身をただし、
「将軍は劉皇叔(劉備の尊称)でしょう。きょうもまた、私の兄を訪ねて下すったのですか」
 ときく。劉備はまたも勘違いであわてるのだが、その若者が孔明の弟の諸葛均であることを知る。均はいつもいつもすいませんと謝るが、またどこへ行ったか、いつ帰るか分からないと告げられる。
 均は茶でもてなすが、玄徳は雑談にかこつけて、孔明は兵書を読んでいるかとか、兵馬の修練はしているかとか、門人はいるかなどと、よく考えてみるとかなり失礼な事を聞いている。均は、如才なくさらっとながすが、この辺は玄徳が焦れている様子を書いているのだと思う(かなりひどく、やり過ぎ感はあるけど)。
 玄徳は帰り際に均へ向かって、置き手紙をしたいから紙筆を貸してくれと言う。
 書いている内容は、自分の簡単な自己紹介と、現在の状況を嘆く訴え、(ここで玄徳はしばし考える)
 「私は心から国家を救い民衆を救済したいと願っておりますが、天下を治め整える方策が欠けております。先生には慈愛と忠義の心をもって、太公望のような大いなる才能を発揮し、張良のような大いなる戦略を展開されたなら、天下の幸いであり、国家の幸いであります」(ちくま文庫、井波律子氏の訳をそのまま引用したもの)
 手紙を均に托し、帰ろうとすると童子が、
「老先生! 老先生!」
 と騒ぐ。
 現れた老翁は、梁父の詩を吟じ(終始この調子です(^_^; 書き下した漢詩をベタ貼りされる気分が・・・)、玄徳はいくら何でも年齢的には無理だろと思いつつも、しれっと孔明かと聞く。この辺は孔明が、梁父の詩を好んで読むからで、劉備が知っていたかは知れないのだけど、梁父の詩を読めば、それは孔明というぐらいの、ちょっと演出過剰なドラマの作り方はあるかもしれないけど、一種のネタとして成立しているのは、なんでなんだろうか。
 その老先生は岳父(しゅうと)の黄承彦で、黄は孔明に会うのを諦めて、娘に会いにいく。
 玄徳たちも帰路につくと、行きに立ち寄った居酒屋にはさすがに石広元と孟公威はもうおらず、他の客たちが集まって、孔明が不美人を嫁にしたことを笑い囃し立てている。
 黄承彦(襄陽サロンの常連)をして、不美人ではあるが、才は君に配するに堪えたり、といって孔明の嫁にしたがったほどですから、まあ、相当な自慢の娘なのでしょうねえ。

 長い(笑)! もう抗議文でも送ってやりたいぐらい長いのですが(笑)、もうなんというか、うまいなあと思うところが多すぎて困ります。ただ、まあわたしがどこがよく思ったなんてことは大したことではないので、ざっくりと省略します。

 ■立春大吉(三顧目)

 三顧目はキンドルの位置NOのリストをみていると結構短くみえるのですが、これ罠ですから(笑)。この手法って昔からあったのだろうかと思いながら説明するのですが、実はこの節、
「孔明先生、どうか胸を開いて、本心を語ってくれ!!!」
 ババーン(効果音)

 次巻 赤壁の巻

 と、ここで展開的にぶっちぎってしまうんですね(^_^;
 赤壁の戦いは言うまでもなく三国志最大の一大決戦であり、諸葛孔明の天下三分の計をぶちかましてから始まりますので、次の巻の次の節である「出廬」の123も足して、この節は247としなければならず、あれ、気づかぬうちにこの節が一番長いことに・・・、となるのです。
 まあ冗談のような構成になっているのですが、この話はこの辺にしましょう。

 節の表題は立春とされているので中華圏の旧正月明けと考えるのがよいでしょうか。
 新暦と旧暦はしばしば問題になるのですが、本文中に、
「春は浅く、残んの雪に、まだ風は冷たかったが、清朗の空の下、道は快くはかどった」
 という記載があるので、これに当てはまるぐらいの季節だったとしてしまいましょう。

 玄徳と関羽と張飛は、玄徳が三顧目にいこう、と言い出すともめる。
 関羽などは「孔明はいたずらに虚名を売り、実は内容のない似非学徒に違いない」などといいはじめるが、玄徳は「春秋は読んでいるだろう? 斉の景公は、東郭の野人に会うため、5度も尋ねているではないか」と答える。
 このあたりでエスカレートする気配を感じ取った関羽は、「あなたの姿は、ちょうど太公望のところへ通った文王のようです」と呆れるが、張飛は口ははさんで、「たった一人の農夫に対して、三顧の礼を尽くすなど、愚の至り。孔明を連れてくるには麻縄が一本あれば足りる」
 玄徳は(おそらく司馬徽に孔明は太公望クラスだと言われたのを思い出して)かなり気持ちが大きくなって周の文王が太公望を尋ねたときの故事をとうとうと語る。この辺はかなり酔っている感はある。

 臥龍の岡について柴門より聞くと、奥から均が駆けてきて、門を開く。
(均は出生も死没も不詳なのですが、吉川英治三国志では少年(せいぜい中学生ぐらい)として書かれるんですよね。作中で思春期の孔明と戦火の中から脱出したとの記述があるので、せいぜいそのころ小学生とすると、この三顧の礼のとき孔明は27才なので、やっぱり大学生ぐらいじゃないと計算が合わないんだよなあ・・・、などと悶々と考えてしまいます)
 均によれば兄は在宅だという。
 柴門を入って、園を少しすすむと、また、かたわらに風雅な内門が見える。
 その内からいつもの童子が顔をだす。
 童子によると孔明は在宅で、草堂で昼寝をしているという。玄徳は呼びにいかずにそのままにしておいてくれといい、ひとりで静かに早春の光なごやかな草堂の周りへ入っていく。ふと堂上をみると几席(一畳ほど広さの低い椅子。画像検索してね。三国志演義は単に寝床になっている)のうえにのびのびと身体を横たえている一人がいる。
 玄徳はこの人こそ孔明であろうと、階下に立ち、孔明が目覚めるのを待っていた。
 それを覗いた張飛は激怒するが、関羽が必死に抑え込む。
 このあたりの孔明の描写はほんとうにうつくしい。昼のやわらかい光が見えるような、午後のゆるやかな時間が描かれる。せっかくなので、起きるシーンは省略するので、自分で読んでみてください。

 孔明はめざめて童子を呼び、だれかきたのかときくと、童子は劉皇叔がもう久しく待っていると告げる。
「なんで早く告げなかったか」
 孔明は後堂へ入って、さっと身を整え、挨拶をし終えたところに、童子が茶を持ってくる。
「旧冬、雪の日に、お遺しあったご書簡を見て、恐縮しました。──そして将軍が民を憂い国を思う情の切なるものは、充分に拝見できましたが、如何せん、私はまだ若年、しかも非才、ご期待にこたえる力がないことを、ただただ遺憾に思うばかりです」
 玄徳はその口ぶりの清々しさに気づいた。
「いやいや、司馬徽や徐庶のことばに誤りがありましょうか。先生、玄徳のためにお教えを示してくください」
「司馬徽や徐庶は世の高士ですが、自分はまったくありのままの、一農夫でありません。将軍は玉を捨てて石を採るようなお間違いをなされている」
「玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、若年におわしながら山林に隠操をお求めになるなどとは──失礼ながら、忠孝の道に背きましょう」
「それは、どういうわけですか」

 だいぶはしょっていますが、べた引用に近いのでこの辺で止めておきます。
 この後、玄徳の一大説得があり、
「孔明先生、どうか胸を開いて、本心を語ってくれ!!!」
 ババーン(効果音)
 となるのですが、とりあえず節ごとのざっとしたあらすじはこの辺でよいでしょうか。
 前に少し書いてますが、ここで貫かれる、孔明の思い・玄徳の思いの部分が便宜上、ざっくりと省略されており最後にとっておいてあるのです。
 ながかった・・・(笑)。
 次回、その話をしましょう。

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『三顧の礼』(2/4?)

 続きです。

 ■『三顧の礼』(1/4?)  http://blog.story-fact.com/?eid=1196002


 ■「三顧の礼」に至るまでの経緯

 これを書き始めようとするとキリがないのであるが、書かない訳にもいかないので最小限の「ひどすぎるだろ」と省略した内容ではしょって書く。

 ・襄陽の名士たちのネットワーク

 事は黄河域の中原の曹操から逃れて長江域の荊州の劉表を頼って劉備が逃れてきたことに始まる。劉表の領地は荊州8州と長江中流域の豊かな土地であり、その都である襄陽には上流から下流から有能な人物たちが集まってきていて一種のサロンを形成している。
 その名士の一人が水鏡先生(司馬徽)であり、孔明、そして後に出てくる徐庶はその弟子に当たる。劉表の客分となった劉備は厚遇を受けるが、あまりの厚遇ぶりに臣下たちから煙たがられる。というのは劉表は後継者を決めておらず、正妻の子である長男劉と、側室の子である次男劉のいずれとするか、臣下の間に争いがあった。
 悪いことに劉を産んだ蔡夫人の親族であり有力な家臣である蔡瑁は、劉備にこの後継者争いの邪魔をされるんじゃないかと気が気でなくなり、執拗に命を狙う策略を講じ始める。大規模になり荊州中の重要人物を巻き込んだ「襄陽の会」の策略に失敗したあたりから、襄陽の名士たちもきな臭さに気づきはじめ劉備に肩入れを始める。
(新野は当時の劉備の領地)
襄陽の位置
■地図は、無料での商用・非商用利用を認めて配布されている、「中国まるごと百科事典」さまより


 ・単福(徐庶)が劉備の麾下に 〜 曹操からの偽の手紙

 いったん劉表に仕えようとした徐庶(単福)は見る目のない劉表に愛想を尽かす。その後、偶然劉備と出会い、劉備が噂通りの仁君であるかを試し、互いに意気投合、劉備は水鏡先生に軍師が必要だと煽られていたので、あっさり単福を軍師に据えてしまう。
 徐庶(単福)は劉備の領地である新野に攻め込んできた曹操軍をあざやかな手並みで打ち破る。それを知った曹操は部下に単福の正体を聞くが、程┐それは徐庶だと告げ、曹操はその実力を知り欲しがる。程┐禄庶が劉備に仕えるようになったのは最近で、身寄りは老母しかないから、身内を引き入れればなびくと助言する。
 曹操は老母を呼ぶが、老母は劉備こそ真の英雄だ、曹操は天下の逆臣でとても仕えろなどと口が割けても言えない、とズタボロにけなす。
 曹操は程┐慮ズにより(ただし事後承諾)偽書により徐庶を呼び寄せることにし、徐庶はそれをまともに真に受けて、劉備に母を慰めたいから暇が欲しいと言い、名残惜しい劉備たちと宴を開きつづけるが、一度別れたのち突然に戻ってきて、孔明を紹介し、徐庶の置き土産だと告げて老母の元へ向かう。

 ■1.諸葛氏一家

 このセクションは、諸葛孔明の家柄、これまでの経歴を簡単に紹介し、わたしは読み落としていたのだが、かなりの名家であることを説明している。わたしは、この「三顧の礼」を終えたのちの記述(孔明を迎えてからの新野の劉備軍は、ほとんど孔明の大借金でまかなわれていたという下り)を読んでから気付く。
 その家族と主に諸葛瑾、諸葛孔明(吉川英治版では一貫して諸葛亮とは書かない)、諸葛均の三兄弟(長男:瑾 次男:孔明 三男:均)とともに、叔父(劉表のお友達らしい)の元に身を寄せる。この付近の吉川英治の筆は光彩豊かで楽しく、三国志が地誌書でないことぐらいは知っているのであるが、大陸中を流浪する人たちの流れや生業さえ目に浮かぶよう。
 その後、叔父は土民の反乱に破れ、焼き出された孔明は石韜という師に、徐庶、孟建に混じって師事するとあるのだが(この孔明、徐庶、孟建が仲良し3人)、この石韜が水鏡先生(司馬徽)の別名なのかは不明。17才で師事し、20才で学友の輪から離れて襄陽の西郊に隠棲してしまうので、情況証拠的には司馬徽なのだが、言明が全くない。
 わたしがこの辺りを読んでいて驚いたのは、三国志の名軍師たちの日常というか世に出る前の姿が描かれているところだ。孟建が孔明のもとを訪れ、故郷に帰ろうと思う、などと相談し、慌てた孔明が、君の故郷の北支(袁紹の勢力圏。先の図では冀州)は門閥がうようよしている社会だから新人が登用される余地なんてないぞ、むしろ南方は新天地でチャンスがある、などといって引き止めていたりする。まさにこれは、都会に出てきた若者の青春模様。
 そして、孔明の襄陽の名士たちの間に一目置かれていたのだが、ここで挙げられる襄陽の名士は崔州平、司馬徽、ほう(まだれ(广)に龍)徳公(孔明と甥のほう統を「臥龍」「鳳雛」と名付けた張本人)、そして黄承彦(孔明を気に入って娘を嫁がせる)で、黄の娘は教養は申し分ないが不美人だったようで、のちに揶揄されるのだが、おそらく孔明は女性を容姿で見ていないので、とても仲の良い夫婦になったとされる。
 だいたいにこのようにこの節は進むのであるが、じつは孔明と学友たちのやりとりや、孔明が隠棲した理由は省略している。これはまとめるうちに分離して別途取り扱ったほうがよいと思ったからで、別途1章を設けてそちらで取り上げる。

(いや、しかし、ここの登場人物数多すぎですね(^_^; 整理しててこんなの分かるのか? と不安に思ってしまいました・・・。いちおうまとめると、

 仲良し三人弟子:孔明、徐庶、孟建
 師匠:司馬徽
 遊び友達(1顧目にでてくる):崔州平
 ほう統の叔父:ほう徳公
 舅:黄承彦

 となる)


 ■2.臥龍の岡

 この節は孔明のもとを訪れる徐庶、そして偽書に欺かれて曹操のもとへ向かった徐庶の末路を描いている。とてもざっくりと言うと、劉備に孔明を紹介したものの孔明がへそ曲がりなので不安になって自分で孔明に劉備を紹介に行った徐庶、ということになる。
 あまり書くことがなくて困るとかくと素っ気ないが、この徐庶のおざなりな描かれ方は、少し可哀想である。中身を端的に書けば孔明に会って、
「徐兄。──ご辺はこの孔明を、祭の犠牲に供えようというおつもりか」
 と、かなり痛烈な調子で軽薄さをとがめられる。
(徐兄というのは兄弟子という意味で、祭の犠牲は『莊子』のエピソードとのこと)
 その後、曹操のもとへ(というか老母のもとへ)向かうが、対面して母に激怒され、玄徳がいかに理想的な主君であるかを説かれ、自害して死なれてしまう。

 おそらくこの節は吉川英治もどう書いていいか、困ったのではないだろうか。
 キンドルの独自仕様の位置NO(キンドルはフォントサイズなどによりページが可変するので、これがページ代わりになる。だいたいNO1分が30字ぐらい)を並べてみると、
 1.諸葛氏一家 21563 (227)
 2.臥龍の岡 21790 (115)
 3.孔明を訪う(一顧目) 21905 (197)
 4.雪千丈(二顧目) 22102 (209)
 5.立春大吉(三顧目) 22311 (124)
 次の巻 22435
 と、なにか見てはいけないものを見ている気になって大変に気まずい。
(ちなみに5.は三国志演義の構成の中途で、豪快にぶった切っているので、これは次の節と足し合わせて考慮するべき部分)
 なので、この中で見るべきところといわれると困ってしまうわけで、挙げるべきは孔明の住居である臥龍の岡の初出がここであることぐらいだろうか。
 ただ、その後の劉備の一行の訪問のシークエンスの初出でもあるので、訪問のたびにどう変わっていくのかを見るならばここからまず見ていくとよい。
(頭を抱えるぐらい薄い感想だ・・・)


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 『三顧の礼』(1/4?)

 最近入院をしていて、積読本の解消をしていた。
 無限の書庫であるキンドルに居座っていたのは吉川英治の『宮本武蔵』で、著作権の存続期間を経過した(吉川英治の死後50年)ので買った。読むと、あっという間に消化してしまう。
 それで吉川英治作『三国志』を買う。
 実は小説として三国志を通しで読むのは人生初めてで、おおまかな歴史の流れや、個別のエピソードの断片ぐらいは知ってるけど、三顧の礼のシーンを読んで感じ入ってしまったのだから、その程度にしか三国志を知らなかった。ゲームでしか向き合ったことがなかったのだ。
 ぶっちゃけて言うと、わたしは西洋史はともかく東洋史は入試試験で使うかどうかぐらいのレベルしか知らず、周瑜が死ぬシーンを読んで、あれ、ここで死ぬの? なんかの間違いじゃない? と、吉村英二の勘違いか、などと思ってしまったほどである(それぐらい、はい? と思ってしまうぐらい唐突すぎる死にかたをする)。

 その代わりに西洋史の読み込みは、人物伝を中心に偏りながら、多いと言えば多い。
 例えて言うならば、ローマの共和制から帝政への移り変わりの時代は、カエサルの物語として小説が書けるぐらいには理解していて、クラックスは入れてもいいけどどうでもよくて、ポンペイウスは見どころが多いので小説が書ける(略)、アントニスは(略)、アウグストゥスは(略)、クレオパトラは(略)という感じで全部ばらばらで細かいエピソードまで覚えているわけである(あと、まあスッラも入れたいなあとか)。
 簡単に言うと、ギリシャ・ローマの人物伝は全部使っていいから、三国志風にその時代の物語を書いてみて、と言われたら、
 あ、まあ、締切と報酬はどんな感じになりますか?
 と、あんまり無茶な依頼でなければ受けてしまいそうになる。

 西洋史で三国志のような形式を取っているのはイーリアスぐらいで、そもそも歴史物語といえるような著作がほとんどない。「歴史」というタイトルのヘロドトスの著作はどう見ても「地誌」だし、「戦史」というタイトルのトゥキディティスの著作は「戦史論」とでも名付けたい学術書だし、「ガリア戦記」というカエサルの著作は自身の率いる華々しいガリア方面軍の戦いの報告書だ。
 こう言った著作を除くと残っているのは(と言っても、こっちがメインだと思われているのだが)、その時代時代に生きた偉人の伝記になる。その中でももっとも著名で頂点にあるのが「ブルタコス英雄伝」で、それにおまけのようにスヴェトニウスの「皇帝伝」のような作品が出てくる。
 三国志がこれと異質なのは、それが群像劇のかたちをした一種の叙事詩として高度に完成しているところであり、日本の物語に例えなければならないのが変な話なのだが、平家物語や忠臣蔵と同じような形式であると言うことができる気がする。
 何かふしぎな書き方だなと思ったのが、三国志に触れた初っ端の感想で、おそらく西洋史ではイーリアスぐらいしかこの書き方はしてない気がするからだ。
 多くの方は、そうかな? と思う気がするのだけど、ああ、この書き方って面白い書き方なんだと思ってほしいなと思いながら、そのへんは放置する。

                   ※

 吉川英治版三国志の描き方はとても新鮮で、非常に楽しく心踊るものだった(まだ読了前なのだが)。地誌として読んでも、歴史として読んでも、とても表情豊かに描かれており、さっぱりとした人物の浅い書き方と対照的な印象だった。
(皮肉なことに、吉川英治は従軍記者として中国の地誌と歴史に触れ、その体験を存分に本作に反映している。広大な中国の豊かな歴史と文化を理解していたのが、侵略者であった日本人だったというのが皮肉なところで、その刻印は永久に消すことのできない(著作権フリーになったので、誰も管理できない)情報になったのは、暗黒の未来しかやって来なそうな現状の大陸には良いことなのかもしれない)

 また漢文の小説形式は読んだことはなくそれが標準の記載方法なのかは分からないのだが、物語るときに前例(詩など)を引用しながら話を進める。とくに当時の文官の大半は四書五経を諳んじているような知的エリートばかりなので(それしかいないとも言う)、古典や古い故事の引用がばんばん飛んでくる。これは文化圏の違いからくるカルチャーショックで、ああ、大変ものを読み出してしまったな、あちこちつつき始めようとするときりないぞ、などとヒヤヒヤしながら読んだ。
(要するにいくらでも語るべき部分を発見し得るのである・・・)

 しかし、これほど贅沢で恰好の中国古代史のショーケースである三国志演義が、世界的な知名度を持っているであろう事を考えると、その物語が世界各国でどのように翻訳され、どのような著者によりどのように解釈されているのかを考えること、天の川銀河のことを調査しようとするぐらいには広大な話題であるはずだ、と気付く。
 ことに「三顧の礼」は三国志演義の大きな転換点で、その内容はあまりにも有名だ。
 概要を書けば、ほんの数行に収まるようなエピソードを、果たして世界はどう書いているのか。
 何とも楽しげではないか。
 はたして、吉川英治はどのような「三顧の礼」を描いたのであろうか?
 まずは、そこから読み進めてみるのも悪いことではない。


 ■吉川英治版「三顧の礼」概略

 「三顧の礼」は言うまでもなく、三国志演義の主人公である劉備玄徳の宰相となる諸葛孔明が、劉備の配下になるいきさつを描いた名シーンである。
(というか物語的には共同創業者ちっくな話になっている。孔明は流浪してきた劉備に、魏、呉に並ぶ、蜀を建国する天下三分の計を献策するので、まあ創業って言うのは間違っていない)
 吉川英治版は諸葛氏の家柄、孔明のこれまでの生き様、学んできた師のことなどに触れて、孔明の人となりが描かれる。キンドルで読んでいるのでページ数は分からないのだが、計算してみたところ、5節構成(本作は20〜30枚毎に「節」とでも呼ぶべき単位で区切られている)の100〜150枚程度の長さになっている。
 節には表題がついていて、それは順に並べると、
 1.諸葛氏一家
 2.臥龍の岡
 3.孔明を訪う(一顧目)
 4.雪千丈(二顧目)
 5.立春大吉(三顧目)
 となる。
 細かな内容は後に譲るが、孔明を尋ねる(3.)まで60枚近く費やしていることになる。
 わたしのような門外漢は、
「え? 三顧の礼って三回お願いして三回目で配下にしたって話でしょ(わざとかなり乱暴に書いている)? なんで150枚も必要なの?」
 と考えがちなのだが、この吉川英治版は、ああ、このエピソード全部必要だわ、というか他の三国志は「三顧の礼」をどう書いてるんだ? と、うっかり国会図書館に5年ぐらい閉じこもって研究し始めそうになるから困る。

 ■「三顧の礼」に至るまでの経緯

 えーと、4分割ぐらいになる気がするので、この辺で出してしまう。
 早めに出してしまうのは、てめー、続きちゃんと書けよ、と脅しを掛けるためで(^_^; 後続が整うまで待たないのは、待つと数ヶ月とか平気で過ぎてしまうから、です。
 原稿は500行ぐらいはあります(このエントリーが100行ぐらい)。

 続きをお楽しみに!
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 『消える月』


 メモ魔だと言われるようになったのは心外で、最近つとめてそうなったつもりは、さらさらない。
 ただただ突如に発生した長期プロジェクトにあわてて、まっさらなプロジェクトノートを下ろしてを前の方からスケジュール、後ろの方からメモ書き、または走り書きをはじめると、びっしりと埋まった「メモ」に両親や、看護士さんから、
 メモ魔だ。
 といわれるようになった。
 新品の、ダイソーで買ってストックしていた100円のモレスキン・クローン(通称ダイスキン)ノートは、たしかに記録帳というよりは、単なるメモ帳だ。

 40.5度の高熱で自転車を運転中、意識を失って救急車搬送された。
 何らかの理由で血中に細菌が入り、手術で言うところの「感染」に近い症状になったことで、わたしは高熱を発した。原因は不明の高熱。以前同じような症状に経験豊かな開業医は為す術もなく、わたしは数日の高熱の後に大学病院に救急搬送された。搬送されたのは、高熱の末に細菌がわたしの心臓弁を食い破ったからで、その血栓が脳に飛び火して、誰にでも明らかに救急車送りと理解できる、脳梗塞で意識を失ったからだ。
 今回も症状はほぼ同じで、まだ発熱しただけで悪化はしてないので、手術の必要なしと判断できるまでは集中治療室預かり、その危険がないと判断されてからは病室で延々と抗生剤の点滴をうつだけという閑散とした日々が続く。
 その当時は入院中の自分には出きることなどない、選択肢はおそろしく少ないと思っていたのだが、振り返ってみると、あれができたじゃないかと気づくことが多すぎて、ぼうぜんとする。
 入院がお盆前で、退院が10月中旬であるから8週間は、わたしの40歳から消えた。
 9月という月はわたしの今年にはなかったのか?
 プロジェクトノートをひらくと、空白を必死に埋めようとする文字が、お前にこれをまとめられるのか? という顔をして何十ページにもわたって連なっている。
 きっと、それをあきらめたら、わたしの9月は消える。

 モレスキンノートというのは、為替にもよるのだが1800円ぐらいの変形A6サイズ(90×140ミリ)のノートで、とてもハンディーな黒皮(モレスキンはもぐらの皮膚の意味)の大容量(196ページ)であることで有名である(綴じ方が特殊とされる)。おおきく無地と罫線の2種があるが、わたしが使うのは罫入りの方。
 わたしは日々の大切な事柄は、母艦である本家モレスキンノートに書くのだが、今回のように突破的な事態では、半ば使い捨ての100円ノートを用意して、メモ書きとしてそのノートを利用する。
 おおよそ19世紀、20世紀の文化人たちが愛用していたとのふれこみなのだが、なるほど忙しくヨーロッパ中を駆け回りながらふと気づいたことを記すのに適したノートで、もちろん入院先でも思いのほか重宝するのだが、いかんせん片手サイズのノートなので記載がいちいち細かくなる。
 わたしは目の前で開いて書いているので、ちょうどいいサイズなのだが、脇から見ると、信じられないぐらい細かい文字でぎっしり書かれているようにみえるらしい。わたしとモレスキンの付き合いも長く、小さいスペースにびっしりと書くことに慣れてしまっている。
「○○(わたしの名前)って、こんなに細かい性格だったんだね?」
 いまさら言われて心外なのだが、デザインの仕事とか、プログラムの仕事とか、法律の仕事とか、細かいことができない人にはできないから、などといっても分かってくれそうにない。

 産業革命に起こった「だれもが旅しながら創造した時代」をモレスキンは象徴するのだろうけど、情報革命に起こった「だれもが日常的に創造し続ける時代」、つまりいま現在にも、似たような象徴がある。スマートフォンがそれで、モレスキンのキャッチコピーである、パスポートよりも失ってはならないもの、はまさにスマートフォンにもあてはまる。

 創造し続けるなどというと、何を大げさなと思うかも知れないが、著作権法上の視点からみると、現在ほどホイホイと著作権が発生している時代はない。「だれかがつぶやくたびに」、「写真をアップするたびに」、そこに新たな著作権が発生し、その扱いを不法にすると裁判沙汰になる恐れがある。
 現状をみてしまうと、その光景があまりにもカジュアルすぎてピンとこないのだけど、一昔前にはこれを実感できる環境が広がっていた。
 つまり発信することがカジュアルじゃなかった時代。
 そして、アンダーグラウンドぽい界隈に。

 ■モバイラーたちの時代

 iPhoneをみて、
「あれって、ソニークリエのパクリだよね?」(国内厨)
「パームの方が近くねえ?」(王道派)
「おれはハンドスプリング持ってたよ」(おしゃれ派)
 と言い出す、古のガジェットヲタたちが騒ぎ出す界隈がある。これはパームトップ(パームOSと呼ばれるOSを積んだスマホ(ただし電話機能はない))だけだが、これとは別にクラムシェル(ミニワープロ)という界隈があり、それらを総称してハンドヘルド、または単にガジェットと呼んでいた。
 これらのガジェットを使いこなす人たちはモバイラーと呼ばれ、NTTドコモのピーイン・コンパクトと言う商品名のPHS回線にどこからでもつなげる契約をして(当時64kbpsだったなあ・・・)、パソコン通信をしたり、メールを受けたりしていた。
 何を隠そう、わたしはかなり最古参に近いモバイラーで、現在でもこの文章はシャープのnetwalkerというガチガチのモバイラー仕様のクラムシェルで書かれている。
 netwalkerをみると分かるのだが、この機種は両手で持ち上げるように持って、右の親指がオプティカル・ポイントがマウスポインター、左の親指が右クリック・左クリックを押すようになっていて、立って操作することが前提になっている。満員電車の中というのはスマホがでるまでは非生産的なだけな空間でモバイラーがガジェットを持つ理由の真っ先が、この満員電車だった。
 わたし中古でnetwalkerを買ったのはこのサイズのハンドヘルドが必要だったからで、別に立って操作できないと困るなどと思ったことはないし、そもそもわたしはそんな設計がされていない歴代シグマリオンを満員電車で何の問題もなく使っていた。
 それでもおそらく当時の設計思想にやられてしまった人が設計したのだろう。
 当然のようにnetwalkerは、満員電車仕様になっている。
 それでそのモバイラーたちが何をやっていたのかというと、時代によって違うので一概にはいえないのだが、わたしが書いていたメールマガジン『物語解析』は2週間に1回ぐらいのペースで原稿用紙30枚分書いていたけれど、それはすべて行き帰りの通勤電車で書いていた。
 
 ■完成稿に至るまでに必要な工程

 『物語解析』を書いていたときは、平気で素のテキストを何の構成も考えずに、いきなり本番原稿を生で書いていたりしたのですが(いや・・・、若いって怖い・・・)、さすがに最近はメモをとってからまとめたりするようになってきた。
 ここのところ小説ぐらいしか長い文章を書いていないので、補助的に書いていたのはプロットぐらいしかなかったのですが、今回プロジェクトノートを書いてみて、ああ、こういうやりかたもけっこう面白いかも、と思ったりしました。ただまあ、複数人数で関わっていないと複雑なメモ書きをするメリットがないので、今回の入院はともかく、一人でコツコツ作っている以上は、あんまり必要ないかもしれないと思いはします。

 ハンドヘルド(HH)で作業ができないケースとしては、
 1.広い画面が必要
 2.複数アプリケーションを立ち上げる必要がある
 3.入力が主となるので、キーボードの選択ができないHHは向かない
 4.特殊な環境を導入できないとできない
 5.単数もしくは複数の書籍をみながらでないとできない
 といったものがある。
 これらの具体例を細かく説明すると蛇足になるので避けるのだが、わたしの皮膚感覚として自分が作業工程として作る流れのだいたい半分ぐらいは、これらに該当する。アバウトな感覚なのだがわたしにとってはこれらは「重い仕事」という分類になる。
(まあいまになって思えば、物語解析の一回分を書く創造的な作業が「軽い仕事」で、ゲームブック解析の機械的なゲームブックの項番入力作業が「重い仕事」なわけがないのだが)

 これは得てして、作業工程を重い塊のまま放置しているから、起こってしまうボトルネックで、作業を見直して軽い環境でもこの工程をこなせるように、この塊を小さく砕いていく努力をしてこなければならなかった。
 入院中にもできる、電車移動中にもできる、映画の上映を待っているほんの10分ぐらいの間でもできる。
 追求していくとキリはないし、わたしも人間なので疲れるのだが、どっさと積み残っている「やれていないこと」の山をみるたびに、作業工程をもっと軽くしないとなあ、などと思うのだ。ただこれらの作業を重くしているのの一番は気持ちの問題で、気づかないうちに避けて通っていたり、見て見ぬふりをしていることがしばしばある。
 実は今回、のちのちになって振り返った時に、とても重いはずだった重要な仕事を、
「すごい軽い環境で出きるようになるまで、細かく砕いていた」
 ことに気づいたのだ。
 あれ? これって、この手順踏めば問題なくできたんじゃね? 
 もうねw これは気持ちの問題ですw
 せっかく努力してたのにねえwww あー、そんなにやりたくなかったんだwww

 ■カレンダーの違い

 退院が近づいたころ、わたしはいつもつけているスケジュール帳、というか備忘録をぺらぺらとめくって愕然とした。
 正直、5月から8月のわたしは褒められたものではなく、本業方面は堅実にやっているが、とくにいそがしいわけでもないにそれ以外はまるでダメ、という状態だった。まあ、ちゃんとやっているからとは言い訳はつくのだけど、あまりにも何もしていなくて、じりじりとした焦りを感じてはいたのは事実。
 しかしぽつりぽつりとしか書いてないその「何もしていなかった月日」は、びっしりと書き込まれた入院中のプロジェクトノートのスケジュールより多くのことをしているのである。
 つまりわたしは入院中は、退院に向けて必要なことはしているが、そこから出るともう関係なくなることに一生懸命になっているのである。適切な例を挙げるのが難しいので、悩んだ末に、とても抽象化して一般化した例を挙げるのだが、
 ある組織の特殊な儀式を一つずつ丹念に行っているだけ
 なのである。
 わたしは技術職だったのでよくあったのだが、派遣で現場に放り込まれて、デスマーチぎみになって職場をとりあえず派遣期間終了まで生き残る、経験にだいぶ近い。死なない程度に頑張るのがとりあえずの任務で、実際にはそうではないのだけど、文章で見える範囲を汲んでいる限りは、派遣期間終了ですっぱり手を切るので、次の派遣先の業務と一切関わることはない。なので、お金だけもらってさようなら、なのだけど、こういう期間を実のあるものにするのは、けっこうたいへんだ。
 一方、自分の自由になる部分は、全部自分の次の日以降に向かって積み上げることができるので、やっていることの意味も明確だし、じゃっかんひどかった過去数ヶ月をうらめしく反省する。
 
 さてさて、積み上がっていることたちはリストアップしたので、作業を細かく砕く作業に勤しみましょうかねえ・・・、などと思う。
 いや、そのまえに「消えなかった月」にしなければ。




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