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管理人hikaliの開発の日々の備忘録です。
本家はこちら。
http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/
[hikaliのゲーム論](2)ゲームとはなにか。それは「命令禁止」。
 [hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない


 こんばんわ。
 管理人のhikaliです。

 なんかよく分からないままに唐突に始まったストーリーゲーム論ですが(^_^; みなさまいかがお過ごしでしょうか。興味ないとかおっしゃる方、ちょっと待った! これは古典的な経済学に対する行動経済学だといえば興味ありませんか?

 本日のお話は、なんとなく法学っぽい話になって、それってゲームと関係があるの? という内容なのですが、これは基礎の基礎を話しているからなんです。
 本日から、3回ぐらいに渡っては物語解析という物語の分析方法で、わたしが以前連載していた分析手法の紹介がメイン。正確には物語の構造を作るために使う、静の物語解析の話。これを使うことによって、レゴブロックのように物語の構造を作ることができるようになります。
 そして結論として、それはやっていることがもろに「民法がどのように世界を見ているか」ですね・・・、となります。

 おそらくその次は、この静の物語解析を使って実際に物語構造を作る話になります。

 その次の回です。
 行動経済学に対応する動の物語解析、ようやっと、ではその物語構造を使って実際に、その物語構造をプレイしてみましょう。となります。
 そのときに出てくるのが、

 情報の開示順を操作することによって物語を統治していく

 というお話。これはTRPGが分かる人であれば、ああ、マスタリングの話ですね、と分かると思うのですが、ここまで来て、ようやっとゲームの話になります。この辺りでマスター権限とプレイヤー権限の話になり、FRBが金利の上げ下げをするのはFRBの権限、FRBはアメリカ国民に奉仕しているに過ぎない、という話が出てきます。

 ここまで来ると、一通り材料を見たことになり、また逆に戻って、では、動の物語解析を駆使することを想定して、物語構造を作ってみましょうと、またもとに戻っていきます。

 そしてたぶん話は、デッドロック解消ゲームと、いわゆるミステリーは動の物語解析視点で見ると、実は双子の兄弟みたいなもの(というかミステリーはデッドロック解消ゲームの一部)、という話になっていくと思うのです。

 さてというわけで、本日は静の物語解析の話。
 連載していた物語解析の中で、要素による解析と呼ばれているやつです。
 ちゃっちゃと説明を始めてしまいましょう。

 ■気が短い方はこちらをどうぞ。
 物語解析LOG
 http://story-fact.com/mk_log.php?shu=kmk&num=20



 ■前回のおさらい。
  逆に考えるんだ、支配するんじゃない、統治するんだ!


 さて前回は、ゲームはプレイヤーが主人公であり、そのプレイヤーが判断を楽しむためにあるのだから、物語がゲームとして成立するためには、そのストーリーに主人公の判断が反映されないことはありえない。
 つまりプレイがされるまでは、ストーリーは存在していないことになる。
 という話をしました。

 具体的にはこの部分です。

 物語をゲームにした時点で、理論的にはストーリーをコントロールできなくなるのです。
 逆に言えば、ストーリーを選ぶ権利をプレイヤーに委ねている以上、ストーリーを定める権利は作り手側にはないのです。
 ストーリーの押し付けは、プレイヤーの判断を楽しむ権利を奪うことになり、それはゲームではなくなってしまう。それは例えていえば、将棋の棋士に対して、次は7四歩でなければならないと言う事です。
 ゲームが崩壊します。
 一本道のストーリーを押し付ければ、たちまちストーリーゲームは崩壊するのです。

 つまり、ゲームブックを、プレイヤーに判断の楽しみを与える優れたゲームである、ゲームブックを作ろうと思えば、自然にストーリーを捨てなければならないのです。ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならないのです。


 この崩壊のデメリットは、物語を支配してしまう独裁者に成り下がり、

 この支配と統治の差は、
 支配的であればあるほど最大公約数に近づき、統治的であれば最小公倍数に近づく。
 とわたしは思っています。

 ここに集約します。
 たとえばプレイヤーが6、8、12だった場合、
 最大公約数=2、最小公倍数=24となります。
 ずいぶん違います。いかに支配することが良くない事だということがわかるでしょうか。

 もう少し具体的にいえば、事前のストーリーがあることは、ストーリー通りに物語が進まなければならないことを意味し、プレイヤーの発想や判断は意味がないということに等しい、でしょうか。


 ■物語のキャパシティーの理解がけっこう大事。
  登場人物1500人とか、読めますかw


 さて、物語をゲームにするためにはストーリーを捨てなければいけないことが分かりました。
 おっと、いきなり疑問が生まれましたか。
 物語=ストーリーなのではないか、ということですよね?
 なるほど、その疑問はもっともです。

 ですが、wikipediaのレベルでも、その違いが指摘されています。

 物語世界の中で起きている出来事が起った時間に沿って並べられたものがストーリーであるが、小説などの創作物の作者は、それら出来事の順序を入れ替えるなどして再構成する。


 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

 わたしが便宜上、物語と呼んでいるものは、物語世界のことだと、たぶんそう理解すると一番分かりやすいかも知れません。
 物語の支配と統治の話を思い出してみてください。
 わたしは支配系統をストーリー、統治系統を物語と呼んでいます。
 また、物語が戦略であり、ストーリーは戦術であると書くと、その違いが分かる方もいるかもしれません。物語は物語世界の全体像であり、ストーリーはそれを使って作られたお話の流れです。
 もう少し砕けていえば、ストーリーはプレゼンであり、物語はそのプレゼンしなければならない物事(たとえば売り込みたいサービス)です。
 さらにいえば、物語は起こったことのすべて、ストーリーはそれをどの順番でなにを話すか、です。
 これで、だいぶ分かりやすくなったでしょうか。
 ゲームブックは物語だけれども、ストーリーではない。
 なぜなら、ストーリーはプレイヤーの判断と選択によって変わるからです。

 これは野球の実況に置き換えてみると分かりやすいでしょう。
 野球の実際のゲームは物語です。そして、実況がストーリーです。これはイコールでしょうか? イコールではありません。主従関係はどうなっているでしょうか? 物語が主であって、実況は従です。これがもし、ストーリーの都合上、物語であるゲームを捻じ曲げる必要があったとしたら?
 たとえば、天才的な実況者がいたとして、その人が、この7回裏の松井の打席は、ダルビッシュのストレートの三振で、しかも反則的なほど曲がるカーブが決まったときに恐ろしく盛り上がる、と判断し、松井が三振して、ダルビッシュが反則的なカーブを投げなければならないケースです。
 こんな野球は物理的には絶対にありえないのですが、こんな野球は見ないですよね。
 野球は当事者のゲームに委ねられています。
 そして野球は筋書きのないドラマです。
 筋書きがないほうが面白いとされているのです。

 また、事実は小説よりも奇なり、という言葉がありますが、小説が事実より奇であることなど100%ありえない、と思います。
 小説はたかだかひとりの貧弱な想像力が作った、貧弱な創作物です。すくなくともわたしが書く小説においては、わたしの中で納得のいくもの、の範囲を出ることはありません。予定調和の要素も含んでいるだろうと、想像します。これは考えてみると、恐ろしく当たり前なのですが、どうもこれとは逆の通説がまかり通っている。
 翻って、サッカーと分かりやすいので例に出すのですが、このゲームは、22人のフィールドプレイヤーの発想のほか、監督の発想もフィールド上には現れています。24人の発想対1人の発想ですから、当然に24人の発想がぶつかり合うゲームのほうが豊穣になるのは、当たり前というか、面白くないほうがおかしいのです。
 これが150人までなら、全員の顔と考えてることの把握が可能で、効率的な組織になるという研究成果がどこかにあったのですが、これが大企業の30万人、日本の人口の1億2千万人、全世界70億人となると、理解できず理不尽な、理由の分からないゲームになってしまい、面白くもなんともなくなるのです。
 なので、このキャパシティーを理解しつつ、物語を分解していくことになるのですが、かなり話が長引いてきたので、いったんここで切ることにしましょう。


 ■ゲームとはなにか。
  それは「命令禁止」。


 さて、このようにゲームというものを物語と絡めて突き詰めてきましたが、結局のところ、「プレイヤーが判断を楽しむためにあるもの」なのだから「判断をする自由を奪うな」から始まって、「ストーリーの押し付けは判断を奪う」で、これは「こうしないさいと命令するのに等しい」となり、「これは最小公倍数から、最大公約数への転落」であり、「独裁の中の、さらに支配的な独裁であり」、これは最低最悪の行為である、になるのですね・・・。
 それよりもプレイヤーの豊かな判断を物語に取り入れろ。
 この取り入れる方法が、静と動の物語解析なのです。

 で、このゲーム論は突き詰めていくと、あらゆる既成の組織を全否定してしまうのですね・・・。なんたって、命令禁止、なわけですから・・・。
 ついでに言うと、攻略法が生み出された瞬間に判断がなくなってしまいますので、マニュアルも禁止され、学校というか学問全般も基本的には禁止になるという、もう少し突っ込んでいえば特許法ライクな学問以外は学問ではなく価値はない、になっていくのですね・・・。
 これはすべては市場に任せろという市場主義にかなり近い。
 で、完全な自由主義の中で、どう物語をコントロールしていくかが、情報を出す順番になるわけです。これはいわばFRBがどういうメッセージを市場に出すかで市場が動いていくのとほぼ同じです。
 そのメッセージの出し方、つまり金融政策に近似したものが、動の物語解析になるのです。

 なんだか濃い話な上に具体的な話が出てきてませんが、話す内容は物語解析で、もうすでに書いていることなので、気短な方はこちらをご参照に。

 ■気が短い方はこちらをどうぞ。
 物語解析LOG
 http://story-fact.com/mk_log.php?shu=kmk&num=20


 以上、ながながとお疲れ様でした!
 次回から、たぶん二回になると思いますが、静の物語解析を、最新のトピックを交えながら、書いていこうと思います。

 [hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない
| hikaliのゲーム論 | 22:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
[hikaliのゲーム論](1)ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならない
 こんばんわ。
 管理人のhikaliです。
 これから長々と主にストーリーゲーム論を書いていきたいと思うのです。
 おそらく恐ろしく長くなると思うのですが、おそらくこれまで一度も読んだことがないものになると思います。
 デッドロック解消ゲームってご存知ですか?
 初めての方は知らないと思います。なんたってこの言葉を生み出したのはわたしですから。検索しても、わたしが書いたエントリーしか出てこないはず。

 ■手っ取り早く知りたい方はこちら。
 膠着状態(デッドロック)解消型ゲーム
 http://blog.story-fact.com/?eid=1177859


 はじめてこのサイトにいらっしゃった方のために、自己紹介を。
 本サイトは、主にゲームブックの研究をすることによって、ゲームブックを作ってしまおうとしているサイトです。ゲームブックはFLASHゲームブックとしてサイトにアップされており、どなたでも遊んでみることができます。
 また、管理人は小説を書いていたりもします。

 ■FLASHゲームブックの置いてあるサイト
 http://story-fact.com/


 ■管理人が書いた小説
 http://p.booklog.jp/users/hikali



 ■ゲームブックを研究している理由は、
  ゲームの定義を最も分かりやすい形で実装しているから


 さて、本サイトはおそらくゲームブック研究では世界で一番詳しいサイトです。
 200冊を超えるゲームブックのパラグラフ構造を解析し、どのようにゲームブックを実装しているかを、おそろしく詳しく分析しています。解析のためのツールを開発し、それにより微に細を穿った徹底分析を行っています。

 ■分析した200冊。
 http://blog.story-fact.com/?cid=34952


 ■徹底解析をしている例
 http://blog.story-fact.com/?cid=51930


 なぜこれほどまでに熱心に分析をしているのかの理由はいくつかあります。

 1.ストーリーゲームでありながら、本になっている。
   簡単に言えば、入手さえしてしまえばあとは分析が容易だからです。

 2.過去の名作が大量にあり、すくなくとも今のゲームを分析するより高度。
   スティーブ・ジャクソン、樋口明雄、鈴木直人、林友彦といった優れた作家を輩出した分野です。分析した結果、ほんとうにその卓越した技術力に圧倒されました。

 3.ゲームブックであれば、デッドロック解消ゲームが構築可能。
   ゲームブックは実装がシンプルなだけあって、実はあんまり制約がないのです。やろうと思えば何十万パラグラフぐらいになりそうですが、戦国時代とかを実装できてしまったりします。

 4.技術的に容易にWEB上で実装できる。
   ほとんどハイパーテキストと同じ原理ですので、簡単に実装できます。

 5.ゲームの定義を最も分かりやすい形で実装している。

 さて、これですね。
 ゲームの定義というとみなさんはどんな言葉を思い浮かべるでしょうか。
 おっと、忘れないでくださいね。このサイトはゲームブックのサイトですよ。デジタル+遊びとかいわないでくださいね(^_^; また付け加えれば、ゲームブックの中ではけっこうメジャーなシリーズになっているルパン三世シリーズには伝統的にHPがありません。ではゲームとはなんでしょう? 
 一人で遊ぶものだから競技性もなく、一番初めに目的がない作品があったりします。
(たとえば、いきなり秘密組織に襲われて、なんだ? と思っているうちになにが起こっているのかがわかって来て、その大いなる悪事が分かってきたりする作品があったりします)

 ゲームとはなんでしょうか。
 わたしはこれを、

 判断を楽しむために作られたもの

 と定義しています。
 ゲームブックはパラグラフの最後に、「これを読んで君はどうするか?」という選択肢が示されてその中のどれかを選びます。判断していますよね。そして、判断を求める形式として最もシンプル。
 ゲームブックというのは実のところ最もシンプルな原理で実装されたゲームなのです。
 それでいて、ストーリーゲームとして最も洗練された作家群を生み出した、豊穣なストーリーゲームの世界なのです。


 ■ストーリーゲームとはなにか。
  ゲームブックから読み解く、ストーリーゲーム。


 ゲームブックの中でも高度なものは、非常に複雑なパラグラフ構成をしています。
 たぶん、詳細ゲームブック解析でやっている分析を見ていただけれると、その複雑さがわかると思うのですが、優れた作品は、クリアするためのルートがいくつもあり、絶対唯一の正解ルートを探し出すような構造はしていません。

 ■詳細ゲームブック解析
 http://blog.story-fact.com/?cid=37300


 ストーリーは無数に分かれ、プレイヤーの判断でそのパラグラフの中を冒険する構造をしています。宮廷でのいろいろな人々の言葉をヒントに誰がなにを考えていて、どうすれば生き残れるかを考えるゲーム(ミノス王の宮廷)もありますし、いろいろな投資先を考えながら大金持ちになることを目指すゲーム(マネーゲーム きみも億万長者になれる)もあります。
 ストーリーを選ぶのはプレイヤーであり、さまざまな選択肢とパラグラフを持った構造全体としての物語であるという構成をとっています。

 さて、ここで問題が出てきます。
 主役であるプレイヤーの判断を取り込んだとき、つまり先ほどの定義である物語にゲーム性を持ち込んだとき、ストーリーは存在できるのだろうか?

 ストーリーはお話の流れです。
 たとえば旅型の最高峰はニフルハイムのユリですが、このゲームブックは自由に世界のあちこちを移動することができます。事件も順番には起こりません。
 プレイヤーにストーリーを選ぶ自由が与えられている限り、ストーリーを作り手はコントロールできないのです。

 しかし、全体としての物語は、複雑なグラフ構造という形で、たしかに存在している。
 頭が痛くなってきたでしょうか(^_^;

 物語をゲームにした時点で、理論的にはストーリーをコントロールできなくなるのです。
 逆に言えば、ストーリーを選ぶ権利をプレイヤーに委ねている以上、ストーリーを定める権利は作り手側にはないのです。
 ストーリーの押し付けは、プレイヤーの判断を楽しむ権利を奪うことになり、それはゲームではなくなってしまう。それは例えていえば、将棋の棋士に対して、次は7四歩でなければならないと言う事です。
 ゲームが崩壊します。
 一本道のストーリーを押し付ければ、たちまちストーリーゲームは崩壊するのです。

 つまり、ゲームブックを、プレイヤーに判断の楽しみを与える優れたゲームである、ゲームブックを作ろうと思えば、自然にストーリーを捨てなければならないのです。ストーリーを捨てなければ、物語はゲームにならないのです。

 このあたりの話は、わたしは「物語における支配と統治」と呼んでいて、詳しく書いたエントリもあるのですが、簡単に要諦だけを書いてしまいます。

 ■物語における支配と統治
 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200611060000/


 支配は簡単にいえばストーリーの押し付けです。おまえはこれをするしかないと押し付けることです。相手から判断を奪うこと。これが支配。
 統治はストーリーを選ぶ権利をプレイヤーに与え、その要求にしたがって展開を考えるアプローチ。ゲームブックは微妙に統治までは至ってないのですが(選択肢が作り手が与えたものだから)TRPGやPBMではこれは実現できます。

 この支配と統治の差は、

 支配的であればあるほど最大公約数に近づき、統治的であれば最小公倍数に近づく。

 とわたしは思っています。
 つまり豊穣なゲームの世界を目指すなら、ストーリーは捨てろ。
 プレイヤーから判断する楽しさを奪うな。豊穣な判断を取り込め、なのです。

 なんか、Web2.0とかの話に発展しそうですよね。
 まずは本日はこの辺まで。

 次は、ストーリーを捨てた上で、物語をゲームとして実装する方法、です。
 お楽しみに。


JUGEMテーマ:ゲーム


| hikaliのゲーム論 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
 IN THE PLEX グーグル ネット覇者の真実を読んだ。(上)

 まるで大河ドラマ並みの規模の、秀逸なドキュメンタリーを呼んでいる気分。
 グーグル史とまでいうと大げさに聞こえてしまうかも知れないが、綿密で詳細な密着取材を2年にわたって行い続けた、超一流ジャーナリストによるノンフィクション。
 あまりにも綿密にグーグル社内が描かれていて、心配になる。
 ――これを、グーグルの優秀な社員を引き抜き続けているFacebookの人事担当が読んだら、おおなるほど、この人を引き抜けばいいんじゃん! と一撃で分かってしまうのでは?
 それぐらい克明にグーグル社内を描いた本である。
 まあ、グーグルの幹部クラスの社員がすでに何人も引き抜かれているので、その人に、誰を引き抜けばいい? というか引き抜いてきてくれない? といえば、よっぽどそっちのほうが強烈なので、そんな心配はいらないのだけれど。

 さて、本書のタイトルは、日本では、「グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ」である。
 こうつけたくなる気分は痛いほど分かるのだが、やはり原題のほうがいいような気がする。
 IN THE PLEX - How Google thinks, Works, and Shapes Our Lives
 たしかに日本では、検索といえばヤフーなので(中身はグーグルだけれども、それは詳しい人じゃないと知らないであろう)グーグルと言ってもピンとこない。ネット覇者とぐらい持ち上げておかないと、興味を持ってくれる人が少なくなるかもしれない。
 よく分かる。
 その通りです。正しいです。
 日本でザ・トヨタウェイはあっても、ザ・フォルクスワーゲンウェイはない。
 フォルクスワーゲン車をあまりみないから、日本では。
 ヨーロッパ車覇者の真実のほうがいいに決まっている。

 それにグーグルと言っても、その独特な考え方はあまり知られていないから、グーグルがどう考えているのか、などに興味を持つよりも、その覇者が追われる立場から追う立場になった、という方がニュース性があって興味を持つ人も多いだろう。
 そうです。
 きわめて冷静で、正しい判断だと思います。
 優秀な邦題です。
 でも、この「追われる立場から追う立場へ」は実は本書のエピローグにつけられているタイトルなんです。
 582ページに渡って綿密に追ってきたグーグルの冒険の最後についている、たった36ページの話題なのです。
 その前に膨大なグーグル史があって、最近変わってきたよね? という話題。
 食後のコーヒーなんです。
 メインディッシュは絶対にそこではない。

 というわけで、これから長々と書くのですが、このエントリーでは原題であるIN THE PLEX=グーグル社内、という書名で呼んでいきます。
 これがたしかにIN THE PLEX=グーグル社内を描いた名著であることが分かるはずです。


 ■2005年に書かれた名著「ザ・サーチ」

 さて、グーグルを描いた本としては、IN THE PLEXと双璧をなす名著として「ザ・サーチ」があります。本書を書いたスティーブン・レヴィと同じ、ワイヤード誌(テクノロジーマニア向けの定評ある雑誌)在籍(当時)のジョン・バッテルの書いた、これまたグーグルへの取材を元に描いた「ザ・サーチ」です。
 当時、テクノロジーマニアの間では話題沸騰となり、わたしも何本かこれを元にエントリーを書きました。

 ■グーグルの組織はどうなっているのかを暴いてみた。(上)
 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200607050000/


 ■グーグルの組織はどうなっているのかを暴いてみた。(中?)
 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200607060000/


 ■グーグルの組織はどうなっているのかを暴いてみた。(中・・・)
 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200607100000/


 このエントリーは実は途中で力尽きているのですが、その中でこう書いています。

 えーと、まずはじめに謝らないといけません。
 というのは、前回のエントリーで書いた、
「グーグルを三語で表すと?」
 という問いの答えに、今回のエントリーでは到達できないことが分かったのだ。
 わたしの答えは、
「ペイジとブリン」
 である。
 バッテルの文中では、創業者二人とか、ラリーとサーゲイとか、いかにもセットのように語られているので、非常に誤解を招くのだが、わたしが話をしたいのは、この二人による相反する主義の違いによる暴風が、グーグルのエネルギーなのだという、結論に至る課程である。


 その後、長々と引用と考察が続き、こう結論付けています。

 グーグルはここから立て直す。嵐のような大混乱に陥りながらも、グーグルはこれを乗り越える。
 なぜ、そんなことが可能だったか。
 これは、嵐が起きている理由の本質が、他社とは全く違うのだ。
 嵐を起こしている本人たちが、その嵐を統治するに足るエネルギーを持っている。
 わたしが惨禍を味わった会社は、この統治する王を欠いたのだ。
 グーグルには王がいた。しかも、二人も。
 あ、いや、三人か。

 統治機構がないのに統治しているんだからすごいでしょ(^_^;
 まさに、嵐の王です。



 この当時はここまでしか到達できなかったのですが、今回、IN THE PLEXを読み、わたしの分析していた以上に、まさにこうだったことを確認しました。
 つまりIN THE PLEXは、名著「ザ・サーチ」よりもはるかに深いところまでいける本。
 極端にフラット化した組織が崩壊せず、ふたりの王とひとりの後見人によって統治されている姿がまざまざと見えてくる本。
 だれです?
 グーグルのまねが出来るとか思っている方?
 あなたは嵐を巻き起こし、その嵐を統治するに足るエネルギーを持っているのですか?
 その台風のようなグーグルの姿を紹介してみたいと思います。

 何回かに分けるとは思いますが、まずはそこまで。
 長いなあ、困ったw
JUGEMテーマ:コンピュータ


| 雑記 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『死神の帰還』リリース!

 こんばんわ。管理人のhikaliです。
 えっと、某所でほそぼそと更新していたのですが、小説『死神の帰還』が完成しましたのでお知らせします!

 管理人自体がかなりふらふらなので、詳細は別に書いたあとがきを引用する形で割愛しますが、これまでゲームブックシリーズで書いてきた世界観の、本編とでも言うべき作品群の第一弾! ボルニア戦役の指揮官となる死神リニーの物語です。
 原稿用紙300枚近く、管理人初の完成させることが出来た長編、になります。

 興味がありましたら、ぜひご覧くださいませ。

 ■死神の帰還 - hikali | ブクログのパブー
 http://p.booklog.jp/book/20474


 あとがき

 最強にして、最大級の蛮族に、最強の文明国は勝てるのか。
 モンゴル帝国に滅ぼされた金にルネサンスが起こっていたら?
 オスマン・トルコにより陥落したコンスタンチノープルに蒸気機関が普及していたら?
 そんな途方もない疑問が浮かんだのが10数年前。あまりにも面白そうでわくわくしてしまい、こつこつと設定を積み上げて、ようやく書き始めたのが1年前。自分で書いていても、気の遠くなるような旅路を経て、ラストシーンにたどり着きました。
 野バラの諸侯シリーズ、第1話。諸侯たちの中核人物のひとりであるリニーの、シドへの帰還を描いた死神の帰還、完成をお知らせできます。
 楽しめていただけたのであれば、幸いです。

 本シリーズは、いろいろ迷ったあげく、野バラの諸侯シリーズと名付けています。
 この架空歴史小説に相応しいのは、主人公の活躍ではなく、そこに生き歴史を動かした群像の姿であるべきと思ったからです。
 スティーブ・ジョブス物語ではなく、シリコンバレー物語であって欲しい。
 ビル・ゲイツも書きたいし、サーゲイとラリーも書きたいし、ルイス・ガースナーも書きたいし、リーナス・トーバルズも書きたい。
 そんなよくばりを満たすには、各話ごとに主人公が変わる形式がふさわしい。
 これまでに類例がまったくないと思われる形式ですが、そんな形式で書いていきたいと思います。
 誰が主役というわけではなく、誰もが主役の歴史群像劇。
 ようやっと始まったばかりです。
 その第一弾は、野バラの諸侯随一の切れ者、死神リニー。
 リニーは、あらっぽい操縦で繰り広げられる空中戦を駆け抜ける最新鋭のジェット戦闘機のような趣ですが、大丈夫だったでしょうか(^_^; わたしは電子書籍端末のソニーReaderで校正をしているのですが、一気に読んだときには、あまりの暴れ馬ぶりにめまいがしそうになりましたw
 さすがにリニー以上の暴れ馬は予定していないのですが、いきなり戦闘力最強のリニーだったんだけれども、ついてこれたんだろうか・・・、と心配になります。もしかして、読んでくださる方をイキナリF35の助手席に座らせたのではないか、本人がめまいを起こしているぐらいなので、怖くなります。
 次作はたぶん、ボルニア王になる予定の次王と、それによるエスト陥落を描いた『鉄鎖の次王の恋』(タイトルは仮)になる予定なのですが、こちらはそんなにさすがに跳ね馬運転ではないと思います。その次がようやっと、本編の主役格である、銃と火薬の天才の少年の物語になり、安定運転にはなるかと思うのですが、だいぶ先の話になりそうです(^_^;

 さて、このシリーズには実はたくさんのサブストーリーがあります。
 といいますのも、わたしが設定を詰めるときに、サブストーリーを書くことによって設定を詰めていくというスタイルをとっているからでして、これまでに結構な数を書いています。
 それらは、小説ではなく、ゲームブックという形になって公開されているのですが、もしご興味がありましたら、こちらもご覧いただければと思います。

 野バラの諸侯の中でもリニーと双璧となるウォークが主人公のゲームブック、『辺境の祭り』『幽霊船(未完)』。
 キュディスと並び北方二強と称されるトランの浮遊船乗りたちを描いた『ジャングルの要塞』『ミリーの天気予報』。

 これらはこちらのサイトにアップされていますの、ぜひぜひご覧くださいませ。
 http://story-fact.com/

 実のところ、このリニーのキュディスでの冒険譚もゲームブックとして書き上げようとして失敗し、おお、じゃあこの物語をベースにして小説を書いてみようと思ったのが、この死神の帰還だったりするのです。思わぬ形で、野バラの諸侯シリーズの第一作となりました。

 以上。長くなりましたが、感想など頂けましたら、喜びで打ち震えますので、頂けましたら嬉しいです。原稿用紙300枚近い長編にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
 書き上げるのに、一年もかかってしまった(^_^;

| 文章力修行中 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『マネーボール』を観た。


 マネーボールをみた。
 結論から言えば、面白かった。
 ただ、多くの人がおそらくそうであるように、たぶんこの映画は語りたくなる映画だと思う。なにかもやもやとしたものが残り、この映画はなんだったのだろう? なぜ面白いと思うのだろうと、それを話すことで、なにかをつかみたくなる、そんな映画。

 わたしはなぜ面白いと思っているのだろうと首をかしげ、電車に乗り、そばを食べ、いったい何なのだろうと考えるうちに、じわじわと染み込んできたものの正体がわかってきて、ボールペンが欲しくなる。もしくは話し相手が欲しくなる。
 2000万円のフェラーリよりも、100円のボールペン。
 わたしが電車の中で新聞から目を上げてみた車内の乗客を見たとたん揚ってきた、得もいえない楽しさは、マネーボールが描いていた世界と、わたしが100円のボールペンが欲しいと思った気持ちをつなぐ答えのように思えた。
 そんな映画。
 たぶんこの映画を観た人は、この一見ふしぎな文章に、ぽんと膝を打ち、それだ! と嬉しくなるはずだ。そして焼き鳥屋にでも仲間と飲みに行き、今シーズンのライオンズ、ジャイアンツ、タイガース、それぞれのひいきのチームの話をしたくなるに違いない。
 共通するのは「ボール」だけなのだけれども。

 マネーボールは、極貧球団アスレチックスを常勝軍団にしようと格闘するGM、ビリー・ビーンを描いた映画。
 サイバーメトリクスという、統計学を応用した新しい野球理論を駆使し、年俸総額で3倍を誇るヤンキースなどの金持ち球団に勝とうとする物語であると書くと、野球好きならばなんとなくどこかで聞いたことがあると思うのではないだろうか。
 統計なんていうと、どこかドライで冷たく感じるかもしれないが、この映画は真逆である。
 むしろ、落ちこぼれの中から実は誰も気づいていなかった長所を探り当て、その他の欠点に目をつぶることに統計を使う。誰も見向きもしなかったが、君はすごい選手なんだ、と書けばだいぶ人間的であることがわかるのではないか。
 それを実に人間くさく、主演のブラッド・ピットが演じきった。

 マネーボールの原作は同名のドキュメンタリで、敏腕金融ジャーナリストであるマイケル・ルイスにより書かれた。
 なぜアスレチックスはあれほどアンフェアな戦いに勝てるのだろうと疑問を抱いたルイスがアスレチックスに居座るような形で徹底的な取材をし、その全貌を明らかにしたものだ。
 ルイスの興味は、年俸差3倍で勝てるのにはなにか秘密があるに違いないと、ある種、投資に興味がある人間が常に抱くものだったかもしれないが、そこは今もブルームバーグでコラムニストとして活躍する超がつく一流ジャーナリストである、金融の世界からみれば動物園のようにさえ見えるベースボールの世界を鮮明に切り取っているし、そのアスレチックスが取っていた戦略が野球の世界に衝撃を与え、それだけで話題になった。
 しかし、原作のマネーボールは、事実を鮮明に切り取っただけ。
 ルイス本人は気づいていなかった「野球バカ」の世界までは入り込んでいない。
 この映画『マネーボール』はそのルイスに欠けていた部分を補う映画といってもいいだろうし、それがこの映画の魅力のすべてといってもいいかもしれない。
 野球バカであるビリー・ビーンに引き込まれていくのである。

 この映画のラストは、書いてしまっていいと思うのだけれども、レッドソックスの破格のオファー(5年契約。1250万ドル)を蹴ったビリー・ビーン(つまりブラッド・ピッド)が、娘から送られた来たCDを聞いてどうしようもないと、そのどうしようもなさに悩むシーン。
 その歌が、バカ、バカ、でも野球を楽しんで、みたいな歌詞になっていて、それがぐっと来て、ああ、そうかこの映画はそういう映画だったのかと、ぐさりと胸に刺さるのだけれども、そのシーンにたどり着くと、いっせいにビリー・ビーンのどうしようもない野球バカさがいっせいに奔流として流れ込んでくる。
 この人は野球を愛しているなんていうレベルではなく、もはや病人に近い野球バカなんだって、いろいろなシーンが浮き上がってきて、そこに愛すべき野球バカであるビリー・ビーンの姿が鮮明に見えてくる。そして、セイバーマトリックスだって、そのバカであったから試してみたくなったのだと思えてくる。
 ジャイアントキリングが野球の魅力だと全編を通じて描かれるのだけれども、ビリー・ビーンは大金で勝利を買うヤンキースに文句を言いたくなったのだと。それが胸に迫ってくる。金の問題なのか、野球の問題なのか。ビリー・ビーンは野球だと言いたかったのだと。
 途中に、我々は大球団に内臓を差し出している、肝臓をヤンキースに、膵臓をメッツに、みたいな台詞があるのですが、これはいかにアンフェアな戦いであるかを訴える象徴的な台詞であり、ビリー・ビーンは野球がしたかったんだろうと、ラストシーンに来ると思えてくる。そのための武器がセイバーマトリクスだったと。

 この映画でのブラッド・ピットは、恐ろしいぐらいに冴え渡っている。
 ブラッド・ピッド最高傑作と謳い文句がこの映画の周囲ではときどき流れるけれども、それはまったくフロックではなく、本当にブラピは最高のはまり役を手に入れて、それを完璧以上に演じたと思う。
 それぐらい、ビリー・ビーンの破天荒の性格はブラピの危険な香りを感じさせるが、精神的に若く、情熱的で、丁々発止の交渉に映え、辛抱強くも、瞬発的な怒りに身を任せて、いすを投げ飛ばしたり、選手をクビにしたり、それでありながら理性的でもあり、要するにビリー・ビーンという動物園の猛獣の王を演じきっている。
 この映画はなにかといえば、まずベースボールであり、次にビリー・ビーンである、と書いてたぶん文句はまったくでないと思うのだが、肝心なのは、セイバーマトリクスではないのだ。それはビリー・ビーンが握っている単なるピストルなのだ。
 ブラッド・ピッドの演じる、愛するべき野球バカのビリー・ビーンが恐ろしく魅力的なのだ。

 また、でこぼこだらけの選手を集めて勝とうとする、つまり落ちこぼれだけで勝とうとする姿にもはっとする。
 その落ちこぼれたちは愛すべき落ちこぼれなのだけれども、ビリー・ビーンはそれをチームに仕上げていく。
 ラストシーンに近いところで、このセイバーマトリクスをアスレチックスに持ち込んだピーターが選手をビーンに興奮してそのビデオを見せるシーンがあって、これはぐっと来るのだけれども、ああ、ピーターも統計学的に正しい選手を発見することを是としているのではなくて、評価は低いが実はできるやつを見つけるのが楽しくて仕方ないのだなと、すっと胸に落ちる。
 そういう珍獣ぞろいのチームが常勝軍団になっていく。
 その過程を、マイケル・ルイスの綿密な取材もあって、切り取れた実話の映画化。

 金の問題なのか、野球の問題なのか。
 そのとき金の問題だから諦めようと思わなかった人たちの話。
 これは野球の問題なんだ。
 そういうだけの野球バカだった人たちの物語。

 ぜひ。

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