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 「十字軍物語」を読んだ

 塩野七生著、十字軍物語文庫版、全4巻を読んだ。
 わたしはどうしても十字軍そのものが好きではなく、避けてきた歴史だっただけに、何もかもが目新しく、ああそうか、暗黒の中世というのは、こうやって始まったのかという感想を抱いた。
 本作十字軍物語は、1077年の「カノッサの屈辱」に始まり、1306年の「アヴィニョン捕囚」に終わる。ちょうど教皇の権威が増し始めたのが「カノッサの屈辱」であり、教皇がフランス王の支配下に入ったのが「アヴィニョン捕囚」であるから、その間の教皇と王たちの主導権争いの歴史と言っても良いかもしれない。
 漫画ベルセルクの世界観が百年戦争の時代(1337年〜1453年)であるので、その前史というとわかりやすいかもしれない。イギリスとフランスがいがみ合うようになった火種が生まれたのもこの時代であるし、名高い神聖ローマ皇帝が登場し、聖堂騎士団、聖ヨハネ病院騎士団、チュートン騎士団の3大騎士団が聖地巡礼者の守護者として華咲き150年近い年月にキリスト教側、イスラム教側に幾多の傑人がひしめき合う。

 本書を読んでまずびっくりしたのは、塩野七生って、こんなに色彩豊かな書き方ができる人だったっけ? ということだったりする。
 わたしがこの世の日本語のわたしが知る書物の中で、もっとも美しい地誌に関する記述は、吉川英治三国志の襄陽の知識人サロンがなぜ生まれたのかの説明の記述で、これは諸葛孔明をはじめとする名軍師の集団の説明なので、三顧の礼の逸話の周辺で語られる。
 これは過去に文章にしたので、こちらを読んでほしい。
 ■『三顧の礼』(2/4?)
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196003


 この吉川英治の文章はこのレベルで書けているのは、司馬遼太郎の街道をゆくぐらいしかないのではと、わたしは読んでないので推測なのだが、なかなか出会うことができない。個人的な感想で西洋の著作家で最高峰の地誌を書いているのは、「歴史」といいつつも実質は地誌のヘロドトスで、次席に来るのはタキトゥスではなく、カエサルの「ガリア戦記」となる。
 ちょっと引用してみよう。

 −−−−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−−−−

 このような事情によって、十字軍の全歴史の後半の首都になっていたアッコンは、諸勢力が互いに方を接するように混在する形の首都になっていたのだ。だが、規制されることのない状態であったからこそ、繁栄を謳歌できたのかもしれなかった。

 街づくりは、陸側は二重の城壁で守られ、その内部の建物もほとんどは石造りという、ヨーロッパ式の都市になっていた。それでも、中近東は暑い。西洋式に建てた家でもアーチを多用したりして、開放的な造りの建物が多かった。
 その中でも見られたアラブ様式は、家々の屋根が、三角形ではなく平たい造りの屋上になっていたことだろう。雨も少なく雪にいたってはゼロの中近東では、屋根を三角形にする必要はなかったのだ。それと同じ理由で、町のあちこちにある常設の市場も、カーテンを張り渡した程度のものにしろ屋根でおおわれていた。こちらのほうも、雨を防ぐためではなく、強烈な陽光から商品と人を守るためであった。

 その中を、肌の色から衣服から種々様々な人々が行き交う。
 白地に赤い十字のマントをひるがえす聖堂騎士団の騎士と、白いターバンに色とりどりのズボン姿のアラブ人がすれちがう。
 胸に白い十字をつけた病院騎士団の騎士が、絨毯を売っているペルシアの商人と、何やらアラビア語で話している。
 白地に黒の十字のマント姿ならばチュートン騎士団の騎士だが、彼らは市場ではドイツなまりも丸出しのフランス語で、こちらも強いなまりで話すユダヤの商人との間で値の交渉をする必要があった。
 その背後を、十字軍国家の封建諸侯の奥方が、召使を連れて通り過ぎる。第一次十字軍以来この地に住みついて長い諸侯の多くは、オリエント人ではあってもキリスト教徒ではあるアルメニアの女を妻に迎える人が多くなっていたので、その召使にはイスラム教徒の女が少なくなかったのである。

 一方、イタリア人の居留区に一歩足を踏み込めば、そこで長衣にベレー式の帽子で一目でイタリアから来た商人と分かる男たちが、ターバンに長衣姿のイスラム教徒の商人たちと、何やら真剣な面持で話し合っている。イスラム領土である内陸に、商館という形の支店を開設する件でも話し合っているのか。
 その脇を、港に着いた船から上陸したばかりの巡礼たちの、いまだ聖都イェルサレムは見ていないのに早くも高揚した面持の列が通り過ぎる。またその脇を、陸揚げした荷を居留区内の倉庫に運ぶ、こちらは高揚感などには無縁なトルコ人の港湾人夫の列が通り過ぎていく。

 これが十三世紀も終わり近くになっていた時期の、アッコンの日常の風景であった。

 −−−−−−−−−−−引用以上−−−−−−−−−−−

 もちろん、わたしにこれを元にしてもっと響くように文章を整えよと言われれば、それぐらいはできるけれども、それはなにかこのふしぎなゆらぎのある文章を汚しそうで、それはできないと言うよりもしたくない。
 過去から塩野七生作品に触れてきた身としては、塩野七生の作品はもう少し硬質で、一つの史観によっているように見えた。だけれども本作では、著者本人がアラビア語の原資料に当たらざるを得なかったと言っているように、双方の言い分を理解して書いているので、これほどまでに色彩豊かなのだろうと、想像している。
 この引用はたかだか一都市の当時の状況を素描きしてみせたものに過ぎないけれども、これは本作全般に見られる態度で、これがだいたい1500ページに渡って続く(文庫版の場合)。
 しかし、キリスト教側は大家の書籍に触れているのに対し、イスラム教側は原典にあたっているのは、イスラム教側に頼りになる研究書がないからかもしれない。

 個人的に印象に残ったエピソードを挙げていくと、原稿用紙300枚ぐらいの、どー考えても枚数稼ぎになるので、一番象徴的だったエピソードに止めよう。
 ここで挙げるのは、第6次十字軍の神聖ローマ皇帝フリードリッヒ。
 この人を挙げるのは、この人が十字軍がいかに論理破綻していて、めちゃくちゃな蛮行で、そんなめちゃくちゃな状況下でもっともクレバーに活躍したのがこのフリードリッヒだから。
 たぶん読みにくい文章を書いているけれども、じっさいの本書を読むとこの文章と全く一致した印象を受けると思う。それぐらい捻じくれていて、めちゃくちゃなのだ。
 そんなおかしな状況の中で、たった一滴の血さえ流さず、イスラム教徒の間に平和の時間を作った、国際人。ドイツ人はこの人を誇りに思っていいはずなのだけれども、じっさいにドイツ国内の評価はどうなのだろう・・・。
 まあ、当たり前ですが、わたしは読まなくて済むような感想は書かないので、この十字軍の世界にどっぷり浸ってくださいませ。わたしは幸せでした。
 タンクレディ、癩王ボードウィン4世、サラディン、アル・カミール、聖職者には吐くつばしかないので言及しないのですが、塩野七生が大好きなイイ男がめじろうしで、欧州側からするとクライマックスである第一次十字軍はキラ星のようで美しいです。
 花の三次と言われる、リチャード獅子心王も見どころで、この頃からイギリスとフランスの確執が生まれます。

 これでだいぶ書いた気分なのですが、塩野七生本人が文中でも書いていて重要しているのは、第何次の十字軍がどうであったかではなく、その十字軍と十字軍の間を、パレスチナのキリスト教徒たちはどういう心持ちで過ごしたのだろう? だったりします。
 これがこの本作の視野を豊かにする原因で、イスラム側の原資料にあたっていたから出てきた豊かさなのだろうと推察します。

 わたしは無宗教で、たぶん塩野七生も無宗教なので、ライトな信仰を持っている人を想像できないのだけれども、現在でも聖堂騎士団のファンが多いとか言われると、いや聖堂騎士団の基礎理念はイスラム教徒の根絶だよ? わかってるの? と言いたくなってしまう。
 十字軍というのはどうしても宗教戦争なので、ヨーロッパ側の余力が膨らんでオリエントに襲いかかったという誤魔化しをしても、狂信者たちの狂気の沙汰であることは隠せないですよね。

 教皇は狂信の発信元として、数々の凶行をしますが、次第に力をつけたフランス王によって、アヴィニョン捕囚を喰らいます。ここから事実上、教皇は一切の権威をふるえなくなるのですが、まあ十字軍時代を読み進めると、ほんとに愚かだという感想しか抱かないので、一番良い結末を迎えた、と言えるのかもしれません。

 当たり前のことですが、愚かでない戦争は存在しません。
 わたしは無宗教ですので、誰を養護するわけでもありません。
 例えて言うなら、日本の豊臣秀吉の朝鮮出兵を、日本人のほとんどの人が老害中の老害として忌み嫌っている感覚に近いのかもしれません。それぐらい教皇の行いは、狂信的で愚かに見えました。著者はかっこいい男とイタリア商業都市にはどうしてもぐらついてしまう人ですが、宗教的な偏見はないと思います。
 その教皇の狂信性の証拠にキリスト教側は教皇が主役を張っているにもかかわらず、イスラム教側はその同じような地位にいるカリフが一切出てこないのです。
 宗教色の強いはずの歴史の話なのに、著者はまったく偏見に染まっていないどころか、偏見だらけのキリスト教側の歴史研究書に、いや、これだめだろ、とダメ出ししていたりします。

 本書は全4巻1500ページに渡る大著ですが、簡潔で無駄なく、著者のいい男センサーが存分に発揮されていて、なんだこのかっこいいやつら、と夢中になれるはずです。もちろん男性のみならず女性にも魅力的な人がいるのですが、それはネタバレになるので、ぜひ実際に読んで確認してみてください。
 

| 書評 | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
「アリータ: バトル・エンジェル」を観た



 本作のヒロインを、アリータと呼ぶか、アリタと呼ぶか、ガリィと呼ぶかで、本作に対する態度を表していると思う。
 ガリィは本作の原作である銃夢のヒロインの名称で、あんまり詳しい説明はされていないのだが、おそらく英語の隠語にあたる言葉に発音が似てるからなのではと邪推できる理由で、この名称は使われなくなった。
 アリタは銃夢の中で一瞬だけガリィを呼ぶ名称として使われる(詳しくは銃夢のwikipediaを参照)名称で、おそらく製作総指揮をしているジェームズ・キャメロンが原作尊重の立場からこの名称を選んだ。
 アリータはそのアリタを英語に直したAlitaの読みがカタカナにするとアリータになるのだと思われる。
 わたしは英語に詳しくないし、この文章が英語圏の人に読まれるとは思えないので、本作のヒロインをガリィと呼ぶことにする。

 wikipediaによると本作は原作である銃夢の1〜4巻を中心に描かれるとされているが、実は5巻のザパン編に登場する賞金稼ぎたちも登場する。しかし、6巻の以降のTUNED編の登場人物は登場せず、だいたい1〜5巻の中からごちゃまぜに作ったと考えるととてもわかり易い。
 ただ、モーターボール編も描かれると言っても、帝王ジャシュガンがちらっと出る程度で、ジャシュガンの妹シュミラも登場しない。セカンドリーグへのセレクション(トライアウトのようなもの)が主に描かれる内容で、モーターボール編で出てくる数々のライバルたちも登場はしない。

 それでもと言うべきだろう。
 総製作費2億ドルを越え、1分1億円以上かかっていると言われるアクションの数々はまるで息をつかす暇もない。原作3巻でイドがモーターボールプレイヤーのVAモニターを見て、
 ――僕の目と耳はいきなり時速300kmのバトルに投げ込まれた!
 ――たしかにこいつは強烈な大人向けジェットコースターだ!!
 と言っている原作者木城ゆきとの意図をかなり忠実に描いていて、超高速空中格闘技戦がものすごい密度で展開される。
 また、ガリィが自分の心臓を取り出すシーンって原作ではジャシュガンとの賭けのシーンなんですね、これがまたうまく使われていたり、ユーゴ(映画版ではヒューゴになっている)の最期のシーンは原作通りなのですが、その前に伏線がはられていたり。
 また多分そうしないと売れないからでしょうが、映画版でイドとガリィの関係は親子関係を連想させる作りになっているのです。
 原作ではイドが脳死の発作持ちのジャシュガンのチームのドクターとして入り、シュミラがあたかもイドの恋人のように振る舞ってガリィを苛立たせるなんて話があったり、最後の戦いに挑むジャシュガンがシュミラに、お前はイドのお嫁さんになれ、と言い出したりと恋人関係を匂わせる作りになっているのから見ると、かなり大きな違いです。
(ちなみにどうでもいい話ですがこの付近でガリィが屋台でラーメンを啜ってるコマが入っていたりします。予告編でアリータ(ガリィ)がオレンジを齧るシーンが有って、原作に食事するシーンってあったっけ? と話題になっていたので)
 最後の方でアリータ(ガリィ)が、イドに向かってお父さんというシーンが結構ぐっと来て、多分言われないと気づかないのでネタバレにはならないのですが、この映画は親子物語として作られているのです。

 この映画の大きな特徴である大きな瞳については、初見で慣れたw というか違和感まったくなかったですw
 また原作から入った人からすると、ガリィの服装は黒のレザースーツなのですが、おそらくあんまりセクシャリティを主張するのが米国ではまずいのでしょうね、とてもファンシーな格好で、それが普通の子っぽくてとても可愛かった。
 あとユーゴ(ヒューゴ)って、2巻でいきなり出てきて3巻の冒頭で死ぬのでそんなに重要なキャラクターという印象はなかったのですが、ヒューゴ(ユーゴ)は最初っから出ずっぱりでまさのこの映画は、イドとガリィの親子物語とガリィとヒューゴ(ユーゴ)の恋愛物語を中心軸に描かれます。
 また、やけにザパンが執拗に出てきて、原作でもこんなに出てたっけ? と思ったのですが、原作見ても結構出てますねw 多分ザパン編の印象が強すぎてその前にザパンが出てたというのを忘れてしまうんでしょうね。ちなみに私はザパン編が一番好きです。

 というわけで、こんなマニアックな漫画をよくもハリウッド超大作にしちまったなw という大変な作品になりました。
 続編は多分ないでしょうが、どういう構成にするのかなと想像するのは楽しいですし、そういう妄想をするのはとても良いトレーニングになります。うーん、わたしだったら、TUNED編を本編にしつつ、ガリィのオペレーターであるルゥとの会話の中で回想として、モーターボール編とザパン編を語りますかねえ・・・。
 あー、でもコヨミちゃんがいないんだ・・・。
 原作だと、マカク(グリュシカ)に人質として赤ん坊だったコヨミちゃんが囚われるのですが、出てきませんでしたねえ・・・。
 コヨミちゃんがいないと、バージャックの乱は描けない。
 こんな重要なキャラクターだったんだ・・・、と唖然とするんですがw 電さまとケイオスは見たかった・・・。

 というか、まあ、銃夢オタクが語ってしまいましたw
 高校の頃にこんなのあるんだけどどう思うと同級生に読まされたのがきっかけでした。
 正直、どんだけ影響受けたのか、まったく把握しきれません(^_^;

| 映画評 | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ガンダムNT(ナラティブ)』を観た


 上映週も第4週に入り、もう終日上映しているのはメイン館である新宿ピカデリーぐらい、と新宿3丁目まで出向いて観てきました、ガンダム・ナラティブ。
 本当に偶然なのですが、配給会社松竹の旗艦シネコンだけあって、ナラティブを未だに推す気まんまん、わたしがたまたま出くわした回が、爆音上映回だったらしく受付で障害者手帳を見せると、
「あー、席一つだけ空いてますが、爆音上映になりますので、どのようなお客様でも一律1800円となります。このつぎは、えーと、21時の回になりますね」
 ちなみに18時の回もあったはずなので、こちらは満席なのだろう。
 さすがに21時まで待てないので、爆音上映の席を取る。
 開場待ちの行列は、さすがに爆音上映にやってきただけあって、おそらく複数回観ているだろう猛者ども、チケットもぎりで特製カレンダー(B3版のポスターと思うとだいたい合ってる)を渡され、これどーします? こまりますよね、これ、などと話していたりする。わたしも別にポスターが欲しいわけではなかったので、途方に暮れたのだが、席まで来て隣の席の人が、四つ折りにしていたので、まあそれでいいかと、わたしも四つ折りにした。

 この映画自体は、良いところを話そうとするとすべてがネタバレになるという、すさまじい構造になっていて、公式のあらすじ見ても全然説明していないし、1分30秒のロングPVぐらいですかねえ、わりかし断片的に話しているのは。
 コロニー落としを予言した3人の奇跡のこども。
 この3人の運命を描いたのがこの物語です。
 ただまあ、悩ましいぐらいにフェイク(ミスリードを誘う要素)が散りばめられていて、最後まで実際にこの話がなんだったのかをつかめた人はあんまりいないのではないか、と思えてしまいます。
 とくに最後の方のミシェル・ルオ(ルオ商会の特別顧問。ルオ商会会長ウーミンの娘)の言葉とか、分かってないと理解できないのです。
 そういったことを踏まえていいますと、この映画はとても良くできています。
 まあひとえにミシェルが良いのですが、ミネバ・ザビにしろ、ミシェル・ルオにしろ、ほんとうに福井さんは女性ヒロインを生み出すのがすごくうまいと感じてしまいます。また敵役として異彩を放つゾルタンもキレッキレで、マジキチっぷりを存分に発揮して逆に気持ち良いほどです。
 お話としては、現在公式サイトのキャラクター紹介を見ているのですが、消息不明となったユニコーンガンダム3号機フェネクス(このパイロットが3人の奇跡のこどもの一人リタ)を地球連邦軍のヨナ(この人も奇跡のこどもの一人)とネオ・ジオンのゾルタンで奪い合うというお話です。
 新しいニュータイプ論に踏み込むところはちょっと一見さんお断り的な感もあるのですが、北米のニュータイプ研究所とか言われても、あ、オーガスタ研ですね、とサラッと出てくる人を商売の相手にするのはどうかと思うところはあります。
 ただエンドロールが流れたときに、3人の奇跡のこどもたちがどのような運命に翻弄され、必死に生きていたのかが思い起こされ、なんてこの世は罪深いものなのだろうと、悔しいけれど思ってしまうのです。
 ネタバレせずに語れるのはこの辺が限界です。

 さて図らずも、爆音上映となったのですが、人生初体験の感想を言えば、
 ――ガンダムは今後ぜんぶ爆音上映したほうが良くね?
 もうね、快感なんですよ、戦場音が。ビームライフルの音とか機械が破壊される音とか。オルフェンズとかたぶん爆音で観たらすっごい快感だと思う(まあ、オルフェンズは燃える戦闘シーンとかないけどね)。
 2回めの戦闘ぐらいの宇宙での戦いで、微妙に音楽が入ったりするのですが、いらないよ音楽なんて入れるな! この戦闘音だけ聞いていたいんだよ! と思ってしまうほど臨場感抜群で、後になってここで音楽挟んでおかないとクライマックスで音楽使えないからだったんだなあ、と分かるのですが、このときは本気で、いらんよそんな無粋な音楽、と思ってしまいました。
 本作は敵役のゾルタンがマジキチなために、恐ろしいほどの破壊が起こるのですが、それさえも快感に思えてしまうほどのゴージャス感。破壊というのは一種の快感なのだなと思わせてしまうほどの、破壊の連続。そして最後にやってくる謎の感動。
 エンドロールは誰ひとりとして立たず、それが終わった後に予告編が流れる。
 砂浜のリゾートの映像が2秒流れただけで、
「ハサウェイか・・・。」
 とつぶやいてしまったほど。それは2019年のつぎの冬公開予定の「閃光のハサウェイ」の予告ムービーで、同名の小説のキャラクターデザインをした美樹本デザインのハサウェイがビーチでなにか悩んでいる。となると本作のヒロインのギギ・アンダルシアも美樹本デザインということになる。

 新宿ピカデリー第6スクリーンから退出しながら、猛者ガンヲタたちの言葉を聞く。
「いやー、小説版のラストシーンを再現しようとしていたのですが(たぶんプラモでの意味)、いったいフェニキスがどうなっているのかがつかめなかったんですが、映像を見てようやっと分かりましたよ」
 小説版があるだなんてはじめて知った。
「前後編でネオ・ジオングがでてきた時点で、ぶちっと切れるのかなと思ったら最後までやったねえ」
「もともと原作小説一本分しかないんです。こんなもんです」
 まあガンダムオタクのコアコアの人が来てたと思われる回だけに、熱量はすごいのですが、ここからハサウェイを経てどこにつなげるのだろうというのは、だいぶ先の話になりそうです。

 もし、ナラティブの公式ポスターを見て、なんじゃこれネタバレすぎるだろ!
 と思えたのでしたら、あなたはこの映画を一応理解しています。
 もし、はい? 何言ってるの? と思うのでしたら、あなたはまったくこの映画を理解していません。

 あなたはどっちでしたか?




| 映画評 | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
伊賀上野で見たオレンジのアクアの話


 関西を旅行したときに、ふと伊賀上野城を訪れたことがある。
 青春18切符を使って、未知だった関西の鉄道を乗り潰そうとでかけた旅先。ふと、伊勢から奈良へ向かうたった4両の関西本線の車両の中吊りに、藤堂高虎の高石垣を天下の名城と謳う広告があったのだ。
 その旅は予定を定めない旅で、18切符が5枚刷りであるから最低5日間、結果的には7日間に渡る鉄道旅だった。そんなさなか、名古屋の宿泊所から、つぎの宿泊所を奈良に3泊と定めて旅立ち、伊勢神宮を参拝したのち、伊勢から亀山を抜けて加茂に向かう。
 この加茂駅がJR中央本線で言うところの高尾駅で、都市近郊路線という様相を呈し、奈良は八王子に該当するような地点にある。
 その亀山から加茂に抜ける最中に、伊賀上野があるのである。
 当然それは、奈良から伊勢方面に戻ることになる。
 また関西本線はJRなので、貴重な18切符を1日分つぎ込むことになる。
 あとになって考えてみると、たぶんこれがなかったら、比叡山延暦寺か、安土城に行けただろうなあなどと思うのだが、それこそ後知恵の最たるもので、当時はその見てしまった伊賀上野城の高石垣が心をつかんでまったく離さなかったのだ。
 これもあとになって気付くのだが、当時泊まった奈良の宿泊所は、奈良の猿沢池という有名な池の真ん前で、近鉄奈良駅から帰ってくる最中に、興福寺の境内を通って帰ってくるというめまいがするような高立地の宿舎に泊まっていたのだが、
「奈良は夜が早くて飯食うところがない・・・」
 などと見当違いの文句をぶつくさ言っていた。

 旅路を戻って伊賀上野駅にたどり着いたときに感じたのは、圧倒的など田舎にたどり着いてしまったということだった。たぶん多くの人がなんて馬鹿なことをと嘆くであろうことに、わたしは伊賀上野駅から、上野城を目指したのである。
 現地の地図を見れば明らかなのだが、上野城は伊賀上野駅からぐるりと伊賀線を回った上野駅が最寄り駅だ。わたしは数駅分を真夏の熱暑の中を歩いたのである。

 たぶん、衛星写真を見れば明らかなのだが、伊賀上野駅から上野駅まで徒歩で歩いたと思われる地域には、田んぼしかない。避暑地代わりにスーパーやら、コンビニやらを伝え歩いたが、駅から離れると(上野駅方面に向かったという意味なのだが)、もう店がなくなる。
 そんななか、唐突にオレンジのカラーの、トヨタ・アクアを展示する店に出会った。
 その都会的なカラーが鮮烈だったのだ。
 この田舎に、いきなり都会カラーがやってくる暴力。
 それで、その時のわたしの印象は吹っ飛んでしまった。
 忍者屋敷は楽しかったし、上野城の高石垣は本当に高かった。
 わたしは、伊賀上野は良いから散策しなよといいながらも、本当に楽しみたかったら、伊賀上野から歩くと楽しいよ、とたぶんいいたいだけ。

 

| 雑記 | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢いっぱいの料理の未来

 わたしの住んでいる家の近くには、大きな図書館がある。
 最寄りのコンビニよりも近く、徒歩で通える。
 近所にスーパーがやたらと多くて、コンビニが恐ろしく遠く、自転車圏にあるという事情もあるのだけど、近くにこんなにでかい図書館があることになんの価値も感じていなかったわたしが、今では恥ずかしい。

 わたしがその価値にふと気付いたのは、2010年からつけているノートを全部手打ちでデジタル化しようとしたとき。
 そのノートはいわゆるエジソンノートで、モレスキンノートに、びっちりと細かい文字で気付いたこと、思ったことを書き連ねたものだ。その中には、新聞やネットで拾った、読みたい本がピックアップされて、リスト化されていた。
 かなり乱暴に間引いた最新版リストで、110冊。
 これが猛烈に読みたいと思った本なのに、読んでない本なのである。
 しかし、この110冊の平均価格を3000円とすると(わたしが欲しい本はたいていハードカバーのバカ高い本なので)、33万円。この値段をはした金だぜ、ほらよ、と出せる人はたいてい、本なんて読む暇のないほど忙しい人だ。
 リストを眺めながら、天啓のように、ふと、ひらめいた。
 ――あれ? これって、図書館に買ってもらえばいいんじゃね?
 たいへん浅ましくあるけど、この考えは完全に間違えていて、それ以上に素晴らしい世界が広がっていたというのがこのエントリーの趣旨なので、まずきっかけはここまで。

 すぐにわたしは図書館のホームページの蔵書検索に、リスト化された書名を打つ。
 読みたい本と言っても、あまりにも専門的すぎて数万円ぐらいしそうな本もあるので(現代訳されていない古書とかもある。そうなると数千万円だ。例として等伯画説を挙げようとしたのだが、国会図書館に現代語訳されたものがあるっぽいねえ・・・。アマゾンでは流通してない)、一般受けしそうな数多く流通していそうなところを狙って調べていく。
 そうすると、びっくりすることに、図書館に蔵書があるのである。
 ただ、あまりにもマニアックなので他人が読んでおらず、現在貸出中という状況を突きつけられたことはなかった。それで宝の山に出会った気分で図書館に出かけて市民登録をし、そのお宝をごっそり借りて、読み漁る。本来の目的に戻って、図書館にない本を買ってくれとリクエストしてみる。そうすると返ってきた答えは、
 ――熊谷の図書館にありました! 取り寄せました! 借りに来て!
 ――たいへん苦労しましたが、新座の図書館で見つけました・・・。
 この意味がわかるだろうか。
 埼玉県700万人の需要を満たす県全土の図書館の、すべての書庫の書籍が利用可能なのである(たぶん県立図書館は例外)。ネットワークで埼玉の図書館はつながっていて、どこかから請求があれば、だいたい一週間以内にすべての本が手元に届く。
 わたしが、これはは無理だろと思う書籍はリクエストしていないせいか、手元に届かなった書籍はない。そして、まだ読みたい本が市の所蔵本の中には大量にある。知的な情報に触れたいと思う人に、これほどありがたすぎるサービスが構築されていたとは思わなかった。

                   ※

 さて、こんな生活をしながら自分の借りた本リストを眺めて気付いたのは、その多くは古いものの本ということだ。映画史の本、各分野史の本、非主流の歴史小説、これとは異質なのは話題の新書、などがある。
 その中で異常に多いのは食文化に関する本。
 枕に、紹介するのは、「ニッポン定番料理事始め」である。

 ■ニッポン定番メニュー事始め
 https://www.amazon.co.jp/dp/4779119340/

 (嫌いなので、アフィリエイトの一切ない純粋なアマゾンリンクです。以下同じ)

 この本は、まず古本が安かったので買うことは決めて借りて、予想以上の内容だったので予定通り古本で買って、今手元にある。
 一言でいうと素晴らしい。
 著者が決めた編集方針に従って、書籍資料だけに基づいて書いているとのことで、あらゆる根拠が既刊の書籍にあるという、こんなにガチガチに堅い、岩盤資料はたぶん滅多にない。
 この本でわかるのは、だいたい日本的だと言われるメニューのほとんどが江戸時代以降、洋食は明治維新以降の発祥だということなのである。少なくともこの本で紹介している26の日本の代表的な料理のうち、江戸時代以前からのメニューはひとつもない。
(そういう、調べやすいところを選んでいるのはあると思う)
 食べ物の歴史というは、あんがい短いのである。
 少なくとも平安時代から続く食文化というのは、ない。

 つづいて紹介するのは「ラーメンの語られざる歴史」で、先週末に図書館で継続的に借りようと図書館の職員に聞いたらだれも予約していなかったので(やはりマニアックな本なのだ)、今も手元にあって、完読した。

 ■ラーメンの語られざる歴史
 https://www.amazon.co.jp/dp/4336059403/

 この本が書いているのは、スラムの食事であったラーメンが(極一握りの繁盛店を除く)、高度経済成長期を経て、バブル期を経て、高級料理になっていった過程である。
 多分多くの人が気づかないと思うの書いておくと、この本の中で書かれているのは、日清のマーケティングが、インスタントラーメンの普及を目的に、結果としてラーメン業界のすべてを作っていったという部分である。
 日清の創業者である安藤百福は財界でも著名な起業家で、インスタントラーメンに至るまでにいくつもの発明をして莫大な富を築いた。しかし、頼まれると断れない性格のためか金融業の元締めになるが、貸し倒れが大量に発生して無一文になる。それでも米進駐軍や日本の官僚とのパイプは太く、アメリカからの食糧援助で大量にやってきた小麦粉の使いみちを相談され、それではインスタントラーメンを研究しましょう、となるのである。
 そしてチキンラーメンの開発に成功し、大ヒットを飛ばすが、粗悪な類似品が大量に発生してインスタントラーメン業界自体が潰れそうになる。百福は、競合各社をまとめて業界団体を作って製法特許をライセンスし、製造協同組合を結成して、品質の向上を目指す体制を確立した。
 この「ラーメンの語られざる歴史」でもそうだし、他のラーメン史本でもそうなのだが、歴史は勝者によって書かれる。つまりラーメン史を紐解こうとするとどうしても日清の社史に頼らざるを得ない部分があり、当たり前だがそこで描かれるラーメン史の主役は日清だ。
 実はこの状況は、冷凍食品の分野でフランスだとピカール、米国だとスワンソンで起こっているのではないかと思っているのであるが、まだそれを確認できる資料に出会ってはない。米国の方の資料にはめどが立って安かったので古本を発注したのだが(週末届くらしい)、フランスのピカールは仏語圏ということだけあってまともな邦訳資料がない。

                    ※

 こういう本たちを読んで、わたしは自分が書いているSFへの影響を考える。
 わたしは物語における食事シーンの有用性をこれまでも何度か述べていて、5感に訴えることができる稀有なシーンが食事シーンなのだ、と説明している。使って不快でないならば何度でも使いたいシーンが食事シーン、それぐらい便利なシーンなのだ。
(考えてみると最近はほんとにグルメ漫画は大量に出てくるようになった)
 しかし、わたしはSFを書いている。
 はたして未来においておいしい食事とはどんなものだろう。
 少なくとも、わたしが見てきたSF(アニメなども含む)の中で魅力的な食事が描かれるシーンは記憶にない。そもそも洋画で美味しい料理のシーンがでてくることがあまりない。日本で「孤独のグルメ」や「深夜食堂」が不動のドラマシリーズとなっているのに比すると、食べ物自体をメインに置いた洋画はあんまりない。
 わたしが見たのは、「マダム・マロリーと魔法のスパイス」(いちおうドリームワークス作品なのでスピルバーグが製作総指揮という宣伝文句は入っていた)と、「シェフ 三ツ星フードワゴン始めました」ぐらいである。
 しかしこれを除くと、インディーズではラーメン映画があったらしいことは知っているのだが、映画として食い物のシーンを執拗に挟み込んだのは、「アミスタッド」(これもスピルバーグ映画)ぐらいしかない。
 こんな食に対する意識のアメリカが中心地のSFの中で、食い物に対して深い考察をしている物などないのだ。
 はたして、未来の食文化はどうなっているのだろうか?

 わたしが未来予測をする上でよくするのは、同じぐらい過去の時代から現代はどう変わって、その延長線上に同じぐらいの未来があるとすると、どう変化しているのか、と考えるやり方である。
 たとえば400年前の食事というとだいたい戦国時代の食事ということになる。
 この時代を選んでいるのは、わたしが「信長のシェフ」という、現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして活躍するという漫画が大好きだからであって、この作品は歴史考証がすごいということで知られている。
 それを見ていると、だいたいは食文化というのは、他国文化との衝突によって変化していくと読むことができる。
 戦国時代は鎖国前なので、海外からの文化が流れ込んできている。
 ワインが生産地から数ヶ月はかかる船便で運ばれてきたなんて話はにわかには信じられないのだが、信長はどうも飲んでいる。それでは400年後の未来ではどんな料理が流行っているのだろう?
 日本人に限って言えば、まだ発掘されていない料理の大鉱脈は、トルコ料理である。
 世界の三大料理と喧伝されるわりには、世界的にこれが話題になっていることを観測していない。正直に言うとこれと同じぐらい穴場なのは、アルゼンチン料理なのだが、アルゼンチン牛の輸入規制が撤廃されないと、こればっかりはどうしようもない。
 もうひとつは、英国の伝統的家庭料理なのだが、たぶんこれが一番破壊力が強い。
 そして、だれも注目していないし、だれも何があるのかを知らない。
 日本の地方にも忘れられていた郷土料理は数多くあるが、たぶん、英国の田舎にも豊かな食文化が眠っている。こういうことを発掘するのは知的冒険のようで、とてもわくわくする。
 こういうのをリサーチするのはけっこう大変なのだけど、なぜそんな引っかかり方をしているのかを探っているうちにピーターラビットと湖水地方にたどり着き、実は湖水地方というのは小さな領域なので、困ったなあと思ってスコットランド料理なんだろうか、などと考えているうちに、すぐそばにアイルランド料理という領域を発見した。
 実はわたしは、「旅する真葛」という古美術商ミステリーの主役のカフェにアイリッシュカフェを登場させた。このカフェはシャムロックという名称なのだが、じつはこのカフェのモデルは存在していて、フォー・ハーツカフェという。
 どちらも四つ葉のクローバーの事を言っていて、四つ葉のクローバーはアイルランドのシンボルだ。アイリッシュコーヒーという特別なメニューが有るぐらいだから、なぜだかわからないけれども、イギリスにはない特殊性があるっぽい。
 まだここまでしかリサーチはできてないのだけど、アイルランドに絞ってリサーチすれば、探しやすいだろうか。

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 「ラーメンの語られざる歴史」の著者がくり返し言うのは、ラーメンへの信仰というのは偽りの過去への回帰であり、昔ながらのラーメンの「復古」であるという部分である。具体的にはそのような流れが現れ始めたのは2000年代初期で、好んで「支那そば」という名称を使いはじめた流れを指摘している。
 しかし、何度も書いてきたとおり、ラーメンというのはスラムの食事であり、来々軒のような極一握りの繁盛店を除けば、たいへん貧しいお客を相手にしていた商売なのである。それが高度経済成長期、バブル期を経て信仰をまとった料理となり、行き着く先にあったのは、ありもしない過去への回帰だったのだ。
 しかしその醸成された信仰は他国へと伝染し、とても軽い言葉を選んで言うと、熱狂的なラーメンフリークが次々と新しいラーメンを作り始めているのが現状なのである。

 さてこのような歴史を見た上で、いったいどのような食文化がたとえば400年後に形成されているのだろうか。
 まず考えられるのは、ジャンクフードが洗練されて国を代表する料理になっているケースである。「ニッポン定番メニュー事始め」によれば、江戸の4大料理は、鰻、鮨、蕎麦、天ぷらであるとのことなのだが、これらはどれも屋台で提供されたジャンクフードだ。これまで書いてきたラーメンもしかりであるので、やはりジャンクフードが高級化する路線は実現している可能性が高い。
 日本でまだメインストリームに乗っていないジャンクフードってなんだろう? と考えてみるのだが、パッとはすぐには浮かばない。それで何か資料はないか、と探したときに手元にあった。
 「バクチごはん」(漫画)である。
 この漫画は公営ギャンブル場で提供されるジャンクフード(これがバクチごはん)を、大食らいの女子高生アイドルが、あまりにもマニアックな組み合わせで食べるという漫画で、すっからかんに能天気でじわじわと癖になるアホっぽさがとても好きな漫画である。
 この資料によれば(資料って言うなw つい目的忘れて読み込んでしまうので危険なんですよね・・・)、目次だけ拾うと、「合いがけカレー」「焼きそばとコロッケ」「しらす丼」「みそモツラーメン」「ニラレバライス」「どてデラックス丼」「黒焼きそば」「特製カレーうどん」となります(これが1巻)。
 実際には、合いがけカレーと言いつつも、カレーに生卵とおでんのじゃがいもを乗せ、そこに牛モツ煮込みをかけたりと、この組み合わせの妙がこの漫画の楽しさなので、正確にどの料理ということはできないのですが、なんとなくこのジャンキーなバクチごはんの世界がめくるめくワンダーランドに思えてこないでしょうか。
 というわけでこれは取材に行ってくるのがとても適切であろう(単に聖地巡礼したいだけという話もあるが・・・)。ちょうど予定していた遠征の昼飯をどうしようかと思っていたさなかに、ものすごい近いところにバクチごはんの舞台があることに気付いたので、これに行くことにしよう。

 世の中には未知がある。
 だから本という扉を開くのが楽しいのであって、わたしはトルコ料理の世界も知りたいし、アルゼンチン料理にも熟知したいし、埋もれている英国の伝統的家庭料理も生き返らせたい。
 だから本をむさぼるように読んで、まるでトルコにも、アルゼンチンにも、英国の田舎にも(正確にはアイルランドだが)、そして400年後の未来にも行ったような顔をして、しれっと、こんな感じだったよ? と話し始めたい。
 小説は歌とは違って、瞬間的に場を満たせるものではない。しかしそこにもっともぽい長ったらしい旅路を再体験することによって、他人の人生を生きることができるのが小説だ(最近、藤原さくらという天才を聞くようになって、これは無理だとおもうようになった。わたしがシェリル・クロウのようなトラディショナルな歌い手が大好きだからそう思うのだと思うのだけど)。
 というか、わたし、これを書いていて、気付いた。
 なんで、わたし、小説を書かずにこんな文章書いているのだろう?
 登場人物たちに対する愛着もあるし、「鉄鎖の次王の恋」の書いていたときに、構想を実際に書くことに移さないのは、殺人だ。と言っていたときと同じぐらいには、一人ひとりに思い入れがある。
 なにかが起こるたびにみんなが何を言うのかが楽しみで、これはどうだと言いながら、凶悪な状況をぶつけたりする。それは事前に構築されていた物語の構造上当然にやってくるもので、気まぐれで登場させているわけではない。
 まあよい。わたしの中では登場人物は生きている。
 友達と食事に行くのはとても楽しいし、それがたとえマクドナルドであったとしても、楽しさを見つけるのは簡単だ。それが未知の沖縄料理だったらわくわくするし、アイルランド料理だったらなおよい。

 わかった。
 取材に行かねば。
 湘南バンクが待っている(そこかww)。

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