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伊賀上野で見たオレンジのアクアの話


 関西を旅行したときに、ふと伊賀上野城を訪れたことがある。
 青春18切符を使って、未知だった関西の鉄道を乗り潰そうとでかけた旅先。ふと、伊勢から奈良へ向かうたった4両の関西本線の車両の中吊りに、藤堂高虎の高石垣を天下の名城と謳う広告があったのだ。
 その旅は予定を定めない旅で、18切符が5枚刷りであるから最低5日間、結果的には7日間に渡る鉄道旅だった。そんなさなか、名古屋の宿泊所から、つぎの宿泊所を奈良に3泊と定めて旅立ち、伊勢神宮を参拝したのち、伊勢から亀山を抜けて加茂に向かう。
 この加茂駅がJR中央本線で言うところの高尾駅で、都市近郊路線という様相を呈し、奈良は八王子に該当するような地点にある。
 その亀山から加茂に抜ける最中に、伊賀上野があるのである。
 当然それは、奈良から伊勢方面に戻ることになる。
 また関西本線はJRなので、貴重な18切符を1日分つぎ込むことになる。
 あとになって考えてみると、たぶんこれがなかったら、比叡山延暦寺か、安土城に行けただろうなあなどと思うのだが、それこそ後知恵の最たるもので、当時はその見てしまった伊賀上野城の高石垣が心をつかんでまったく離さなかったのだ。
 これもあとになって気付くのだが、当時泊まった奈良の宿泊所は、奈良の猿沢池という有名な池の真ん前で、近鉄奈良駅から帰ってくる最中に、興福寺の境内を通って帰ってくるというめまいがするような高立地の宿舎に泊まっていたのだが、
「奈良は夜が早くて飯食うところがない・・・」
 などと見当違いの文句をぶつくさ言っていた。

 旅路を戻って伊賀上野駅にたどり着いたときに感じたのは、圧倒的など田舎にたどり着いてしまったということだった。たぶん多くの人がなんて馬鹿なことをと嘆くであろうことに、わたしは伊賀上野駅から、上野城を目指したのである。
 現地の地図を見れば明らかなのだが、上野城は伊賀上野駅からぐるりと伊賀線を回った上野駅が最寄り駅だ。わたしは数駅分を真夏の熱暑の中を歩いたのである。

 たぶん、衛星写真を見れば明らかなのだが、伊賀上野駅から上野駅まで徒歩で歩いたと思われる地域には、田んぼしかない。避暑地代わりにスーパーやら、コンビニやらを伝え歩いたが、駅から離れると(上野駅方面に向かったという意味なのだが)、もう店がなくなる。
 そんななか、唐突にオレンジのカラーの、トヨタ・アクアを展示する店に出会った。
 その都会的なカラーが鮮烈だったのだ。
 この田舎に、いきなり都会カラーがやってくる暴力。
 それで、その時のわたしの印象は吹っ飛んでしまった。
 忍者屋敷は楽しかったし、上野城の高石垣は本当に高かった。
 わたしは、伊賀上野は良いから散策しなよといいながらも、本当に楽しみたかったら、伊賀上野から歩くと楽しいよ、とたぶんいいたいだけ。

 

| 雑記 | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢いっぱいの料理の未来

 わたしの住んでいる家の近くには、大きな図書館がある。
 最寄りのコンビニよりも近く、徒歩で通える。
 近所にスーパーがやたらと多くて、コンビニが恐ろしく遠く、自転車圏にあるという事情もあるのだけど、近くにこんなにでかい図書館があることになんの価値も感じていなかったわたしが、今では恥ずかしい。

 わたしがその価値にふと気付いたのは、2010年からつけているノートを全部手打ちでデジタル化しようとしたとき。
 そのノートはいわゆるエジソンノートで、モレスキンノートに、びっちりと細かい文字で気付いたこと、思ったことを書き連ねたものだ。その中には、新聞やネットで拾った、読みたい本がピックアップされて、リスト化されていた。
 かなり乱暴に間引いた最新版リストで、110冊。
 これが猛烈に読みたいと思った本なのに、読んでない本なのである。
 しかし、この110冊の平均価格を3000円とすると(わたしが欲しい本はたいていハードカバーのバカ高い本なので)、33万円。この値段をはした金だぜ、ほらよ、と出せる人はたいてい、本なんて読む暇のないほど忙しい人だ。
 リストを眺めながら、天啓のように、ふと、ひらめいた。
 ――あれ? これって、図書館に買ってもらえばいいんじゃね?
 たいへん浅ましくあるけど、この考えは完全に間違えていて、それ以上に素晴らしい世界が広がっていたというのがこのエントリーの趣旨なので、まずきっかけはここまで。

 すぐにわたしは図書館のホームページの蔵書検索に、リスト化された書名を打つ。
 読みたい本と言っても、あまりにも専門的すぎて数万円ぐらいしそうな本もあるので(現代訳されていない古書とかもある。そうなると数千万円だ。例として等伯画説を挙げようとしたのだが、国会図書館に現代語訳されたものがあるっぽいねえ・・・。アマゾンでは流通してない)、一般受けしそうな数多く流通していそうなところを狙って調べていく。
 そうすると、びっくりすることに、図書館に蔵書があるのである。
 ただ、あまりにもマニアックなので他人が読んでおらず、現在貸出中という状況を突きつけられたことはなかった。それで宝の山に出会った気分で図書館に出かけて市民登録をし、そのお宝をごっそり借りて、読み漁る。本来の目的に戻って、図書館にない本を買ってくれとリクエストしてみる。そうすると返ってきた答えは、
 ――熊谷の図書館にありました! 取り寄せました! 借りに来て!
 ――たいへん苦労しましたが、新座の図書館で見つけました・・・。
 この意味がわかるだろうか。
 埼玉県700万人の需要を満たす県全土の図書館の、すべての書庫の書籍が利用可能なのである(たぶん県立図書館は例外)。ネットワークで埼玉の図書館はつながっていて、どこかから請求があれば、だいたい一週間以内にすべての本が手元に届く。
 わたしが、これはは無理だろと思う書籍はリクエストしていないせいか、手元に届かなった書籍はない。そして、まだ読みたい本が市の所蔵本の中には大量にある。知的な情報に触れたいと思う人に、これほどありがたすぎるサービスが構築されていたとは思わなかった。

                   ※

 さて、こんな生活をしながら自分の借りた本リストを眺めて気付いたのは、その多くは古いものの本ということだ。映画史の本、各分野史の本、非主流の歴史小説、これとは異質なのは話題の新書、などがある。
 その中で異常に多いのは食文化に関する本。
 枕に、紹介するのは、「ニッポン定番料理事始め」である。

 ■ニッポン定番メニュー事始め
 https://www.amazon.co.jp/dp/4779119340/

 (嫌いなので、アフィリエイトの一切ない純粋なアマゾンリンクです。以下同じ)

 この本は、まず古本が安かったので買うことは決めて借りて、予想以上の内容だったので予定通り古本で買って、今手元にある。
 一言でいうと素晴らしい。
 著者が決めた編集方針に従って、書籍資料だけに基づいて書いているとのことで、あらゆる根拠が既刊の書籍にあるという、こんなにガチガチに堅い、岩盤資料はたぶん滅多にない。
 この本でわかるのは、だいたい日本的だと言われるメニューのほとんどが江戸時代以降、洋食は明治維新以降の発祥だということなのである。少なくともこの本で紹介している26の日本の代表的な料理のうち、江戸時代以前からのメニューはひとつもない。
(そういう、調べやすいところを選んでいるのはあると思う)
 食べ物の歴史というは、あんがい短いのである。
 少なくとも平安時代から続く食文化というのは、ない。

 つづいて紹介するのは「ラーメンの語られざる歴史」で、先週末に図書館で継続的に借りようと図書館の職員に聞いたらだれも予約していなかったので(やはりマニアックな本なのだ)、今も手元にあって、完読した。

 ■ラーメンの語られざる歴史
 https://www.amazon.co.jp/dp/4336059403/

 この本が書いているのは、スラムの食事であったラーメンが(極一握りの繁盛店を除く)、高度経済成長期を経て、バブル期を経て、高級料理になっていった過程である。
 多分多くの人が気づかないと思うの書いておくと、この本の中で書かれているのは、日清のマーケティングが、インスタントラーメンの普及を目的に、結果としてラーメン業界のすべてを作っていったという部分である。
 日清の創業者である安藤百福は財界でも著名な起業家で、インスタントラーメンに至るまでにいくつもの発明をして莫大な富を築いた。しかし、頼まれると断れない性格のためか金融業の元締めになるが、貸し倒れが大量に発生して無一文になる。それでも米進駐軍や日本の官僚とのパイプは太く、アメリカからの食糧援助で大量にやってきた小麦粉の使いみちを相談され、それではインスタントラーメンを研究しましょう、となるのである。
 そしてチキンラーメンの開発に成功し、大ヒットを飛ばすが、粗悪な類似品が大量に発生してインスタントラーメン業界自体が潰れそうになる。百福は、競合各社をまとめて業界団体を作って製法特許をライセンスし、製造協同組合を結成して、品質の向上を目指す体制を確立した。
 この「ラーメンの語られざる歴史」でもそうだし、他のラーメン史本でもそうなのだが、歴史は勝者によって書かれる。つまりラーメン史を紐解こうとするとどうしても日清の社史に頼らざるを得ない部分があり、当たり前だがそこで描かれるラーメン史の主役は日清だ。
 実はこの状況は、冷凍食品の分野でフランスだとピカール、米国だとスワンソンで起こっているのではないかと思っているのであるが、まだそれを確認できる資料に出会ってはない。米国の方の資料にはめどが立って安かったので古本を発注したのだが(週末届くらしい)、フランスのピカールは仏語圏ということだけあってまともな邦訳資料がない。

                    ※

 こういう本たちを読んで、わたしは自分が書いているSFへの影響を考える。
 わたしは物語における食事シーンの有用性をこれまでも何度か述べていて、5感に訴えることができる稀有なシーンが食事シーンなのだ、と説明している。使って不快でないならば何度でも使いたいシーンが食事シーン、それぐらい便利なシーンなのだ。
(考えてみると最近はほんとにグルメ漫画は大量に出てくるようになった)
 しかし、わたしはSFを書いている。
 はたして未来においておいしい食事とはどんなものだろう。
 少なくとも、わたしが見てきたSF(アニメなども含む)の中で魅力的な食事が描かれるシーンは記憶にない。そもそも洋画で美味しい料理のシーンがでてくることがあまりない。日本で「孤独のグルメ」や「深夜食堂」が不動のドラマシリーズとなっているのに比すると、食べ物自体をメインに置いた洋画はあんまりない。
 わたしが見たのは、「マダム・マロリーと魔法のスパイス」(いちおうドリームワークス作品なのでスピルバーグが製作総指揮という宣伝文句は入っていた)と、「シェフ 三ツ星フードワゴン始めました」ぐらいである。
 しかしこれを除くと、インディーズではラーメン映画があったらしいことは知っているのだが、映画として食い物のシーンを執拗に挟み込んだのは、「アミスタッド」(これもスピルバーグ映画)ぐらいしかない。
 こんな食に対する意識のアメリカが中心地のSFの中で、食い物に対して深い考察をしている物などないのだ。
 はたして、未来の食文化はどうなっているのだろうか?

 わたしが未来予測をする上でよくするのは、同じぐらい過去の時代から現代はどう変わって、その延長線上に同じぐらいの未来があるとすると、どう変化しているのか、と考えるやり方である。
 たとえば400年前の食事というとだいたい戦国時代の食事ということになる。
 この時代を選んでいるのは、わたしが「信長のシェフ」という、現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして活躍するという漫画が大好きだからであって、この作品は歴史考証がすごいということで知られている。
 それを見ていると、だいたいは食文化というのは、他国文化との衝突によって変化していくと読むことができる。
 戦国時代は鎖国前なので、海外からの文化が流れ込んできている。
 ワインが生産地から数ヶ月はかかる船便で運ばれてきたなんて話はにわかには信じられないのだが、信長はどうも飲んでいる。それでは400年後の未来ではどんな料理が流行っているのだろう?
 日本人に限って言えば、まだ発掘されていない料理の大鉱脈は、トルコ料理である。
 世界の三大料理と喧伝されるわりには、世界的にこれが話題になっていることを観測していない。正直に言うとこれと同じぐらい穴場なのは、アルゼンチン料理なのだが、アルゼンチン牛の輸入規制が撤廃されないと、こればっかりはどうしようもない。
 もうひとつは、英国の伝統的家庭料理なのだが、たぶんこれが一番破壊力が強い。
 そして、だれも注目していないし、だれも何があるのかを知らない。
 日本の地方にも忘れられていた郷土料理は数多くあるが、たぶん、英国の田舎にも豊かな食文化が眠っている。こういうことを発掘するのは知的冒険のようで、とてもわくわくする。
 こういうのをリサーチするのはけっこう大変なのだけど、なぜそんな引っかかり方をしているのかを探っているうちにピーターラビットと湖水地方にたどり着き、実は湖水地方というのは小さな領域なので、困ったなあと思ってスコットランド料理なんだろうか、などと考えているうちに、すぐそばにアイルランド料理という領域を発見した。
 実はわたしは、「旅する真葛」という古美術商ミステリーの主役のカフェにアイリッシュカフェを登場させた。このカフェはシャムロックという名称なのだが、じつはこのカフェのモデルは存在していて、フォー・ハーツカフェという。
 どちらも四つ葉のクローバーの事を言っていて、四つ葉のクローバーはアイルランドのシンボルだ。アイリッシュコーヒーという特別なメニューが有るぐらいだから、なぜだかわからないけれども、イギリスにはない特殊性があるっぽい。
 まだここまでしかリサーチはできてないのだけど、アイルランドに絞ってリサーチすれば、探しやすいだろうか。

                   ※

 「ラーメンの語られざる歴史」の著者がくり返し言うのは、ラーメンへの信仰というのは偽りの過去への回帰であり、昔ながらのラーメンの「復古」であるという部分である。具体的にはそのような流れが現れ始めたのは2000年代初期で、好んで「支那そば」という名称を使いはじめた流れを指摘している。
 しかし、何度も書いてきたとおり、ラーメンというのはスラムの食事であり、来々軒のような極一握りの繁盛店を除けば、たいへん貧しいお客を相手にしていた商売なのである。それが高度経済成長期、バブル期を経て信仰をまとった料理となり、行き着く先にあったのは、ありもしない過去への回帰だったのだ。
 しかしその醸成された信仰は他国へと伝染し、とても軽い言葉を選んで言うと、熱狂的なラーメンフリークが次々と新しいラーメンを作り始めているのが現状なのである。

 さてこのような歴史を見た上で、いったいどのような食文化がたとえば400年後に形成されているのだろうか。
 まず考えられるのは、ジャンクフードが洗練されて国を代表する料理になっているケースである。「ニッポン定番メニュー事始め」によれば、江戸の4大料理は、鰻、鮨、蕎麦、天ぷらであるとのことなのだが、これらはどれも屋台で提供されたジャンクフードだ。これまで書いてきたラーメンもしかりであるので、やはりジャンクフードが高級化する路線は実現している可能性が高い。
 日本でまだメインストリームに乗っていないジャンクフードってなんだろう? と考えてみるのだが、パッとはすぐには浮かばない。それで何か資料はないか、と探したときに手元にあった。
 「バクチごはん」(漫画)である。
 この漫画は公営ギャンブル場で提供されるジャンクフード(これがバクチごはん)を、大食らいの女子高生アイドルが、あまりにもマニアックな組み合わせで食べるという漫画で、すっからかんに能天気でじわじわと癖になるアホっぽさがとても好きな漫画である。
 この資料によれば(資料って言うなw つい目的忘れて読み込んでしまうので危険なんですよね・・・)、目次だけ拾うと、「合いがけカレー」「焼きそばとコロッケ」「しらす丼」「みそモツラーメン」「ニラレバライス」「どてデラックス丼」「黒焼きそば」「特製カレーうどん」となります(これが1巻)。
 実際には、合いがけカレーと言いつつも、カレーに生卵とおでんのじゃがいもを乗せ、そこに牛モツ煮込みをかけたりと、この組み合わせの妙がこの漫画の楽しさなので、正確にどの料理ということはできないのですが、なんとなくこのジャンキーなバクチごはんの世界がめくるめくワンダーランドに思えてこないでしょうか。
 というわけでこれは取材に行ってくるのがとても適切であろう(単に聖地巡礼したいだけという話もあるが・・・)。ちょうど予定していた遠征の昼飯をどうしようかと思っていたさなかに、ものすごい近いところにバクチごはんの舞台があることに気付いたので、これに行くことにしよう。

 世の中には未知がある。
 だから本という扉を開くのが楽しいのであって、わたしはトルコ料理の世界も知りたいし、アルゼンチン料理にも熟知したいし、埋もれている英国の伝統的家庭料理も生き返らせたい。
 だから本をむさぼるように読んで、まるでトルコにも、アルゼンチンにも、英国の田舎にも(正確にはアイルランドだが)、そして400年後の未来にも行ったような顔をして、しれっと、こんな感じだったよ? と話し始めたい。
 小説は歌とは違って、瞬間的に場を満たせるものではない。しかしそこにもっともぽい長ったらしい旅路を再体験することによって、他人の人生を生きることができるのが小説だ(最近、藤原さくらという天才を聞くようになって、これは無理だとおもうようになった。わたしがシェリル・クロウのようなトラディショナルな歌い手が大好きだからそう思うのだと思うのだけど)。
 というか、わたし、これを書いていて、気付いた。
 なんで、わたし、小説を書かずにこんな文章書いているのだろう?
 登場人物たちに対する愛着もあるし、「鉄鎖の次王の恋」の書いていたときに、構想を実際に書くことに移さないのは、殺人だ。と言っていたときと同じぐらいには、一人ひとりに思い入れがある。
 なにかが起こるたびにみんなが何を言うのかが楽しみで、これはどうだと言いながら、凶悪な状況をぶつけたりする。それは事前に構築されていた物語の構造上当然にやってくるもので、気まぐれで登場させているわけではない。
 まあよい。わたしの中では登場人物は生きている。
 友達と食事に行くのはとても楽しいし、それがたとえマクドナルドであったとしても、楽しさを見つけるのは簡単だ。それが未知の沖縄料理だったらわくわくするし、アイルランド料理だったらなおよい。

 わかった。
 取材に行かねば。
 湘南バンクが待っている(そこかww)。

| 雑記 | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『わたしを離さないで』を読んだ

 ずっと前からカズオ・イシグロはノーベル文学賞を取ると言われていて、わたしはハルキストを唾棄しているので、なんの予備知識もないままに読んだ。
 わたしがカズオ・イシグロを読もうと思ったのは、ワイヤードという今はない雑誌(電子媒体での活動に移行した)のインタビューを読んだからで、それは「ことばの未来」という、乱暴にいうとAIで小説は書けるかという話題を扱った特集で、この中の「埋められた感情」という短い文章の内容に衝撃を受けたからだ。
(ワイヤードはバックナンバーを販売しているので、興味がある方は読んでみると良い。品切れの場合はデジタル版が買えるとのこと)
 ■マガジン(雑誌)/MAGAZINE|WIRED.jp
 https://wired.jp/magazine/

 この号の発刊は2015年11月10日なので、ノーベル文学賞受賞よりも2年も先行していることになる。
 正直、一回目ではなにかぼんやりとしかつかめず、二回目では好きなシーンが挙げられるようになって、三回目でやっと作品と出会った。そんなことをしているうちにノーベル文学賞を取り、じゃあ、いったい何が『わたしを離さないで』なのかといわれるとたいへんに困るぐらいにしか、この作品のことを知らない。美麗字句で褒め称えることはできても、それはわたしの本心からの文章ではないし、わたしのことばなんてそもそも価値がない。
 それよりも、この小説はうつくしい。
 この小説は美しい記憶を読んでいくお話であって、事実を読む話ではない。
 こんなに幻滅する現実はもうまっぴらだ、そう言っている小説なのだ。
(端的すぎるネタバレなのだが・・・)

 『わたしを離さないで』は、作者がつけた目次の構成上、3部に分かれる。
 幼年学校を思わせるヘールシャームでの第1部、大学生生活を思わせるコテージでの第2部、そして、社会人になってからを思わせる介護人としての第3部。
 どれも印象的なエピソードに満ちていることは当然なのだが、それぞれにでくわす年齢が違うので、もしかすると読み手は、冒頭のキャシーと同程度の、介護人として経験を積んだ30代ぐらいの人生経験がなければ、細かな部分を読み取るのは難しいかもしれない。
 それは、その文章を書いているのは少女ではなく、充分すぎる重厚な人生を歩んだ作家というのもあって、少し年代が近い読者から見ると、ああこれは歳とらないとわからないなあと思うきめ細かさがあるのだ。
 それでも作品に何度でも恋をするのは自由であるし、初めて読んだときの気持ちから、自分の中の時代に合わせて読み方が変わっていくのを楽しむのは、素敵な読書。そんな幅広い読書を包み込むだけの豊かさを、この作家は持っているように思う。

 この文章をここまで読んで『わたしを離さないで』を読まない人は多分一生読まないので、この話題はこの辺にして、わたしがどう感じたかを書こう。

 まず、ものを作る人がすばらしい作品に出会ったときに、なにひとつとして嫉妬を感じなかったとしたら、そもそも創作をやめたほうがいい。創作というのは、未踏峰をどういうルートで登るかの独自性の世界で、そもそもルートが確立している観光コース然としたエベレストになんて価値はまったくない。
 そんなアタリマエのことを考えて、『わたしを離さないで』はどう思ったかといえば、これはわたしのセクションではない、わたしが入り込む余地のない偉大な先人の領域だということだった。正直、どうせ自分がなんか考えても、その前にこの人が実現してしまうんだろうなあという無力感はあるし、入院歴が長いわたしにもなんか付け足せそうなものもありそうな気がするんだが、それは単なる錯覚だという気もする。
 そもそもこの作品が書いているのは医療ではなくて、人間らしい人生とはどういうものかという一種の社会哲学的な領域を扱っているのだ。そしてわたしは十分恵まれた環境にいるので、そこに対してあまり興味がない。
 『わたしを離さないで』の世界観はディストピアで、正直うんざりするような現実しかない。だから絶望するのだが、これと同じような構成でもっと明るい作品に、スタジオジブリの『おもいひでぽろぽろ』がある。この作品を語り始めると長いので(単純計算で2倍になる)割愛するが、正直ジブリ作品で一番好きな作品はどれかと言われれは、わたしはこの作品を挙げる。
 やはり夜行列車のシーンがうつくしいし、子供時代の何でも無いエピソードが、こつりこつりと響いてくる。

 もちろん、『わたしを離さないで』は、これだけ読まれるのだから、絶望しかない世界感でも、きわめてうつくしい小説であることは保証します。
 ただ、それに気づけるようになるまでに、わたしは3回の通し読みが必要でした。
 ノーフォークの下りがこんなに素晴らしかったなんて、と3回めに愕然としながら読んだのがわたしです(ネタバレしないように、かなりぼかして書いている)。
 第3部はわずか2章ぐらい進んだ程度で、いきなりラスボスにたどり着いて、これあと4章あるけど持つのか? と思ったら一切の冗長な文章はなく、示唆に富みすぎた文章でクライマックスが描かれる。こんなクライマックス、想像していたけれど想像できなかったし、細かなところを拾うと、ほんとにぐざりとくる。学園長先生が、教え子の救済よりも、莫大な自分の借金のために売り払う家具を、業者が傷めないか心配で、教え子などと話す時間は、全く興味はないとか。
(たぶんこれは、感情的な無意味な反論が多そうなので、ちゃんと読んでね、としか)

 ただ、同じ書き手として不満があるとすれば、トミーはもっといきいきと書けなかったの? と思うところはあります。
 創造性がない人という役回りはわかるのですが、シェイクスピアのどの作品を読んでも、これほどまでに他人に対して従順な人を見たことはない。家畜なのか、とかくと、えっともしかして当たってるの? と怖くなるんですが、えっと・・・、当たっちゃってる? うわー、これ超ネタバレだわ・・・、と書けなくなるんですね(笑)。

 はい、誤魔化しましょうw
 というわけで、ほぼノーベル文学賞の理由となった『わたしを離さないで』は大変美しい小説です。わたしは美麗字句は嫌いなので、ほとんど褒めてませんが、検索してみると大量に褒め称えている評には出会えると思います。
 とにかくこの小説はうつくしい。
 なにもかもがうつくしいです。
 良い文章は読みましょう。



| 書評 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
『要素による解析基礎 「決まり事(世界観)」上』
 えーと、全角40行フォーマットがこの連載のデフォルトだったので、本家サイトには近日中に載せますので、読みにくいのはご勘弁ください・・・。


 ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■
                          第十七号   2018/03/07
   「 物 語 解 析 」
    〜 要素による解析基礎 「決まり事(世界観)」上〜

 「今号を要約!」 

  - - - -< 今号の中身をピックアップ! > - - - - - - - - - - - - - - - - -
 《 本文 》                          《ページ&
                                 落書き欄》
                                 (^_^;

   01:はじめに                       :[ 01 ]
     ──キーワードは、彼らにとっての一般常識(一般常識世界)は
       どこにあるのか

   02:要素による解析ってなに???             :[ 02 ]
     ――簡単ではありますが、説明しています。

   03:解析術講座 「要素による解析「決まり事(世界観)」上 :[ 03 ]
    03-01:「彼らにとっての現在は、いつなのか」       :[ 03-01 ]
        ――時制を意識すると、世界が説明しやすくなる。
    03-02:「これってドラえもんに当てはめると?」      :[ 03-02 ]
        ――マーケティングの話になります。

   04:解析術講座 「実際の、最近の現実作品に当てはめてみる」:[ 04 ]
    04-01:「では実際に現状の物語はどうなんだろう」     :[ 04-01 ]
        ――たぶんこのパートが今回のクライマックスです。
    04-02:「君の名は。の世界観」              :[ 04-02 ]
        ――隔離が本質。
    04-03:「宇宙より遠い場所の世界観」           :[ 04-03 ]
        ――ほんとうにパラレルワールド? な、リアリティ。
    04-04:「ユーリ!!! on ICEの世界観」           :[ 04-04 ]
        ――現実に影響を与えていすぎて、すごいw
    04-05:「ガールズ&パンツゥアーの世界観」        :[ 04-05 ]
        ――ミリオタ受けするディテールと、
          ふわりとしたファンタジー。
    04-06:「天空のエスカフローネの世界観」         :[ 04-06 ]
        ――異世界移転ものの傑作で、恐ろしく濃い。
    04-07:「初代ガンダムの世界観」            :[ 04-07 ]
        ――放映当時言われていた未来予測を絵にしただけ。
    04-08:「逆襲のシャアの世界観」             :[ 04-08 ]
        ――結局誰も、これが最終決着だとは思っていない、最終盤。

   05:おわりに                       :[ 05 ]
     ――ざっと洗ったぐらいでは語れるはずがない。

 ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■ ―― ■   http://story-fact.com/mk_log.php ■


 ● 01 ● はじめに                      :[ 01 ]
  ̄ ̄ ̄ ̄
  こんばんわ! hikaliです。
  えーと、ずいぶん間が空きました。
  前回が2006年ですか。12年の間に6回の入院をして、同じ回
 数手術をして、3回が鎖骨の遠位端骨折で、3回が心臓手術なの
 ですが、1回死を覚悟しました。
  あれ、ちがう。
  7回の入院だ。
  最後の入院は手術がなかったので、なんかカウントするのを忘
 れたというおかしな状況になっています(^_^;

  前回の書き方を確認しますと、あー、まー、よく分かってない
 状況で書いたっぽいけど、そこそこきれいなガイダンスになって
 いて、これはイキだなと思いました。
  12年前ですぜ。
  わたしは酔って書いた自分の文章に、経験則的に絶大な信頼を
 おいています。この時の状況がどうだったかは流石に覚えていな
 いのですが、思いがけずちゃんと書いていて衝撃を受けた、とい
 うのが正直な感想です。なので、12年も前の文章ですが、これ
 を正典と認めて、そこから続く議論をしてみたいのです。

  具体例として大長編ドラえもん(この物語解析ではこれでもか
 というぐらい登場するのですが……)を実験台にして、その大ま
 かな全体の把握の仕方で、いったいどれだけいろいろなことがわ
 かるようになるのか、を検証してみたいと思います。
  キーワードになるのは、
 「彼らにとっての一般常識(一般常識世界)はどこにあるのか」
  です。
  まずは、その話からしてみましょう。


 ● 02 ● 要素による解析ってなに???            :[ 02 ]
  ̄ ̄ ̄ ̄
  これまでの物語解析では、物語は「人物」「舞台」「道具」
 「決まり事(世界観)」の四つに分かれ、その四つの働きを調べる
 ことにより、物語をかなり正確に把握できるというお話をしてき
 ました。
  「人物」に関しては、第六号、第七号を通して、「舞台」に関
 しては第八号〜第十一号まで、「道具」に関しては第十二号〜
 第十五号まででお話したと思います。

  前回から、「決まり事(世界観)」のお話をしています。
  ちょっとディープな世界観のお話を楽しんで頂ければ、
 嬉しいです。

  もし、前々回以前の内容がお読みになりたいという方がいらっ
 しゃいましたら、物語解析ホームページにバックナンバーがあり
 ます。もしご興味がございましたら、ご覧いただければ幸いです。


 ● 03 ● 解析術講座  「要素による解析
  ̄ ̄ ̄ ̄        「決まり事(世界観)」上」      :[ 03 ]

  さて、ぽーんと無造作に投げ込んであるのですが、

 「彼らにとっての一般常識(一般常識世界)」

  とは何のことでしょう?
  「一般常識」と「一般常識世界」がわざわざ分けられているの
 で、当然にコレは別のものとして考えているのですが、具体例な
 しに考え始めてしまうと迷宮に迷い込みそうです。
  さらにこの概念は単独で存在しているのではなく、

 「彼らにとっての一般常識(一般常識世界)はどこにあるのか」

  と

 「彼らにとっての一般常識(一般常識世界)」は「どこにあるの
 か」とたいへんやっかいそうなふたつの疑問の交わる地点を考え
 ているのがこの命題なのです。そして、わたしはこれが「世界観
 (決まり事)」の定義の中心部分にある、と言い始めていたりす
 るのです。

  さて、「彼らにとって」の「彼ら」とは一体誰のことでしょう
 か?
  主人公のことでしょうか(当然に、主人公って誰だ? という
 話になるのですが)?
  それとも周囲を含むこととして、どの範囲まで含むのが一般的
 なのでしょうか?
  あなたが大好きなマンガ、映画、ゲーム、演劇、ドラマ、小説、
 アニメ、オペラ、歌舞伎、落語、能と思い浮かぶ物語を片っ端か
 ら考えてみて、自分でじっくりと考えて見るのも、とても楽しい
 ことです(ちなみに古典物語をわざわざ挙げているのは、研究が
 進んでいて、ある程度定形に近い標準的な型が出来上がっている
 からです)。

  わたしが無粋にもその楽しい時間をぶった切ってしまうのは忍
 びないので遠慮するのですが、冒頭でも述べているとおり、本稿
 では物語の標準テキストとして、大長編ドラえもんを使用するこ
 とを述べています。具体的には、

 「のび太と恐竜」「のび太の宇宙開拓史」「のび太の大魔境」
 「のび太の海底鬼岩城」「のび太の魔界大冒険」
 「のび太の宇宙小戦争」「のび太と鉄人兵団」「のび太と竜の騎士」
 「のび太の日本誕生」

  を標準とすることを予定しています。
  ですので、これを当たってみるのがもっとも手っ取り早いので
 すが、まあ無粋といえば無粋です。
  ただまあ、どこへいっても電子版はありますし、中古本は送料
 以外かからない値段になっているのが普通というほど潤沢に流通
 しているシリーズです。この機会に聖典として揃えてみるのもぜ
 ひぜひにとおすすめしてみたくなってしまうシリーズであります。

  まあ、お手にとってみて、どんな物語なのかを考え始めると、
 あれ、これ一筋縄ではいかなくないか? と思えてくるのです。
 まあ、その話はのちほどにしましょう。


 ○ 03 ○ 「彼らにとっての現在は、いつなのか」 ○ 01 ○    :[ 03-01 ]

  世界観の範囲を把握するのに我々がいる「現在」から比して、
 どのような時間にあるのかを真っ先に取り上げるのは、それがわ
 かりやすくて誤解する要素がほとんどないからです。

 「この物語はいつの話でしょうか?」
 「戦国時代です。戦国大名の家臣のお話です」
 「歴史物ですね?」
 「はい、現代人が戦国時代にタイムスリップする話です」

 さてこの場合の、「彼らにとっての現在」はいつなのでしょうか。

 「この物語はとても巨大なロボットが登場しますが、未来の話なの
 でしょうか?」
 「だいたい2015年ぐらいの話でしょうか(あれ、未来じゃない
 ぞwww )」

  お分かりかと思いますが、これはエヴァンゲリオンを現在からみ
 ると変になるという話です。

 「プレスリリースを読むと、使徒だの、ロンギヌスの槍だの、ずい
 ぶん創世記や聖書に出てくるキーワードがちりばめられていますが」
 「そうですね、簡単に言うと作り損ねた人類をもう一回作り直そう
 という物語ですから、そうなるのかもしれません」
 「S、F、ですよね・・・?」
 「いえ、神話です」

  エヴァの方はだいぶ混乱していますが、2015年という時代設
 定があるだけで、シンジくんが箱根の第三東京市にモノレールで
 やってきて、ヱビスビールを飲む上司とペンギンに拉致られて、ミ
 サトの宿舎でアスカになじられてMDウォークマンを聞きながらい
 じけるシーンまで浮かんでくるから不思議です。
  これは非常にシンプルに、「2015年のお話です!」と言われ
 たから、です。

  これ以外の情報は一切入っていません。セカンドインパクトの話
 も、第三東京市がなんなのかも、シンジの母が何を研究していたの
 かも、エヴァがなんなのかも分からないのです。
  なんとなく時代設定をすることの利点が見えたでしょうか(^_^;

  というわけで少し強引ですが、まず第一のまとめをしてしまいましょう。

 「世界観を説明するとき、その世界が現在より時代的にどれだけ
 離れているかを示すと、その世界が理解されやすくなる」

 「過去の時代の話なのか、現在の話なのか、未来の時代の話なのか」

  うん、強引だw 


 ○ 03 ○ 「これってドラえもんに当てはめると?」 ○ 02 ○   :[ 03-02 ]

  さてドラえもんも聖典ではなく通常の漫画である以上、このよ
 うなことをどこかでしているはずです。
  どこでしているのでしょうか。
  コミックスを注意深く読んでいると分かるのですが、ドラえも
 んというマンガは、ガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)
 や、スターウォーズ(まんまリ第6大長編リトルスターウォーズ
 なのですがw)が作中に登場します。つまりドラえもんというの
 は読者の(より的確に言えばコロコロコミック読者の)周囲では
 やっている遊びやおもちゃを次々と投入しているのです。
  創刊時のコロコロコミック(雑誌)にはまったく疎いので詳し
 い方にお任せするのですが、この雑誌というのは小学生の「今、
 はやっている旬のもの」のアンテナ雑誌のようなものを目指して
 創刊したのではないかと、のちのコロコロvsボンボン戦争にみら
 れるこの世代の覇権をめぐる戦いなどをみても、思ってしまうの
 です。

  そして、その創刊を担ったのが、ドラえもんでした。
  おそらく事実を告げられてもにわかには信じがたいと思うので
 すが、コロコロコミック創刊号のうち200ページはドラえもん
 の連載です。それが全体の3分の1なのか、2分の1なのかは
 はっきりとはしませんが、尋常ではないドラえもん依存の雑誌が、
 「小学生のいまのはやり」を追った雑誌だったとすれば、とうぜ
 んにドラえもんは、本編はなくても、カット提供などは頻繁にさ
 れていたはずです。これは週刊ジャンプの黄金期辺りから現在ま
 での編集をみてるいれば分かります。
  これをやっていないはずがない、と。
 (これは週刊ジャンプのコロコロ対抗雑誌、「最強ジャンプ」の
 作家先生の発言で確認されました。小学生の間で何が流行ってい
 るかを確認するには、コロコロを読むのが早い、という発言です)

  そうなると、
 
 「彼らにとっての一般常識(一般常識世界)はどこにあるのか」

  が、途端にわくわくと胸の疼くものになります。
  これは純然たるマーケティングなのです。
  当然に「お客様であるコロコロコミック読者の現在」=「彼らに
 とっての一般常識」となるのです。
  となると、物語上の時制は「今、この瞬間、沸騰している小学生
 の常識の間」となるのです。なんとなく『電脳コイル』(アニメ)
 を想起してしまったのは行き過ぎでしょうか。そんなおとぎ話チッ
 クな話にわたしには思えてきます。
  一応ドラえもんは、22世紀から現在の世界に介入が入った、未
 来からの干渉を特徴とする物語であるのに、実際の物語では22世
 紀側の都合というものがいっさい語られていません。本来であれば
 未来側に切実な理由があって、過去改変(これは大抵犯罪行為にな
 ります)をしようとするのが一般的だと思うのです、それがいっさ
 い語られていないので、22世紀が完全に「空気」になってしまっ
 ているのです。

  つまり「彼らにとっての<一般常識世界>」はけっして22世紀
 ではなく、「今雑誌を読んでいる読者の、この瞬間」となっている
 のです。
  極めて不思議なマンガです。
  なのでガンダム(ガンガルという名称)も出てきますし、スター
 ウォーズなんて映画(のび太の宇宙小戦争)にしてしまいました。
 このあたりは徹底しています。

  さて、ここでは意図的に<一般常識世界>と、なんの用語説明も
 せずに使いました。
  実はドラえもんにはもうひとつ特殊な状況が存在しておりまして、
 それを説明するとあら不思議、もう一方の<一般常識>との区別が
 何の説明もなしについてしまうのです(つまりサボりたいだけ、と
 も言うw)。

  わたしたちは(主にTRPGなどをやるひとたちは)、その滞在する
 星系の技術水準が、遅れているのか進んでいるのかを説明する時に、
 TECレベル(技術レベル)を目安にすることがあります。翻ってドラ
 えもんをみると、22世紀の最新機器が溢れまくっているわけでしてw
 タケコプターは使うわ、どこでもドアを使うわ、タイムマシーンも乗
 り回すし、もうなんど地球文明を滅ぼしかけたかわからないほどで(汗)、
 まるで殺虫剤を使う勢いで水爆とか取り出していたりするわけです
 (ドラえもんがネズミを怖がって何度かやっている)。

  のび太、ジャイアン、スネ夫、静香ちゃん、出来杉くんあたりにも、
 この22世紀の技術レベルというのは「一般常識」になっていて、ま
 るで電動アシスト自転車を使うように22世紀の技術を使い、それが
 空気になっているのです。

  このドラえもんというマンガは、
  1.読者とのコミュニケーションの手段としての世界観 → 現在
  2.物語の中で起こっている現実としての世界観    → 22世紀の日用品
  という、2本建ての世界観構造になっているのです。

  これが「基本ルールセットのドラえもん」ということができます。
 (この言い回しは、ガイダンスで物語の世界観をTRPGの世界観でとら
 えようとしたのに準じている)
  そして、「拡張ルール編」となる大長編ドラえもんとなると、さら
 にお話しが込み入ってくるのです(^_^;

  そこへ、なんの下準備もなしに突入すると、あまりも複雑で高度過
 ぎて(藤子F不二雄先生が)わたし以外はみな血塗れ死なんてことにさ
 えなりそうなので、ここは少しクールダウンしてもいい地点のはずで
 す。
  もう少し周辺の土台を固めて、細かくて気づかないけど重要な話*
 をぼちぼち拾いながら、大長編ドラえもん銀河というか宇宙並の深さ
 だなぁというところの入り口まで、なんとか匍匐前進していきましょ
 う。
  とんでもない作品が日本には、子供のおもちゃのように転がってい
 るものですねえ(^_^;
  たぶんスタート地点に立ったときに、ああ、ここって血塗れの戦場
 だったんだ、これって最新型の激戦地帯だったんだと、気づくはずで
 す。

  *一般人と専門家では、美術館での密室美術品強盗事件が起こった
 際に、みている世界がまったく違う、という話とか。


 ○ 04 ○ 「では実際に現状の物語はどうなんだろう」 ○ 01 ○   :[ 04-01]

  さて、ここまではドラえもん大長編を書いたのですが、これは80年
 代、90年代の話なるでしょうか。
  現在は2018年。
  この時間軸を自由にしてみて、過去、現在、未来を見てみることに
 しましょう。実のところ、この世界観の話はすればするほど細かい隘
 路が大量にあるのですが、これをぜんぶ網羅するとまったくキリがな
 いので、この物語解析の導入部分としては、「時制」だけに焦点を当
 てて、その性質を見ていくことにしましょう。
  これは単純に、細かいところをやり始めるとキリがないからです。

 ○ 04 ○ 「君の名は。の世界観」          ○ 02 ○   :[ 04-02]

  新海誠監督の「君の名は。」は大ヒットを飛ばした上に新たな時間
 軸を日本映画史に刻んでいます。といいますのは、この映画があらゆ
 る情報を総合すると、3.11の東日本大震災を前提とした映画であるか
 らなのです。
  ニュースZEROだったかの報道を信じれば、新海監督は震災後に被害
 を受けた名取市を訪れ、その光景を見て、もし自分がここにいたらど
 うなっていたのだろうと想像を巡らせて、入れ替わりのストーリーを
 思いついたと言います。
  その証拠として、君の名は。の登場人物には、被災地の地名が採ら
 れていたりします。当然に「名取さん」は物語上のヒロイン三葉の
 親友の女の子の名字になっています。これは、「君の名は。」が震災
 映画であるシグニチャーです。

  これは世界観なんでしょうか?
  じつのところ、ネーミングに関しては、それは世界観を構成しうる
 という発言を聞いたことがあります。これもわたしが好きな映画なの
 ですが「花とアリス殺人事件」の岩井監督が、このシリーズで、なに
 か神奈川の地名って漫画家っぽい地名が多いよね、という言葉遊びか
 らこれを始めて、気付いてみたら独特の世界観を生むことになってい
 た、という発言からもなんとなく伺えます。
  もちろんこれは単なる地名なので、おそらく映画を見た人はそれが
 名取市から採った名だとは、誰も知らないでしょうし、わたしもまっ
 たく知らないままその名前の音をなんの感情もなく受け取りました。
 受け取ったのは現地の人だけです。

  これははっきりというと、なんの意味もないんです。
  意味がない。
  これはとても重要です。
  意味が無いんです。
  これは、世界に発信するメッセージとしてナンセンスです。
  ただ、被災地がメッセージを受け取った可能性がある。
  そんな可能性まで、考慮しなければならないというのは、自己満足で
 す。たぶん新海監督は、それは自分のやり過ぎだと思うでしょう。こん
 なことは書きたくないですが、たぶん新海監督はこんな大袈裟な事態に
 なってしまったことに、こまっているはずです。

  話が無秩序に暴走するのでここでやめます。


 ○ 04 ○ 「宇宙より遠い場所の世界観」       ○ 02 ○   :[ 04-02]

  これ、誰書いたのと、五時間ぐらい問い詰めたいんですが(笑)、わ
 たしは全体の構成を考える企画部門と、実際の文章に落とす実務部隊を
 分けて作業をするので、こんな発言になっているのですが(^_^; この
 企画を考えた人は鬼畜ですね(笑)。ただ、この企画者の考えはわかり
 ます(まあ自分ですから・・・。そして走っているときの自分の発想に
 は全幅の信頼を置いています)。これは一番現実に近いところから話を
 はじめたかったんですね。

  「宇宙より遠い場所」は現実世界の女子高生たちが南極を目指す青春
 ドラマです。大変人気があり、2018年のアニメの中では(まだ2月です
 が)最高の作品になるのでは(覇権アニメと称呼されます)と目されて
 いる作品です。鬼畜だといっているのは、この作品が当然なんですが、
 まだ2月なので、終わってないんですね。つまりどういう結末になるか
 わからないのに取り上げるって何よ! というわけなのです(笑)。
  ただこの作品は、微妙にパラレルワールドなのです。
  たぶん、ファンのほとんどが気付いてもいないのではと思うぐらいに
 微差なんですが、南極観測隊が民間に払い下げられてる世界観なのです
(そして南極観測隊は、新基地を築いていてそっちに移転している)。
  作中では昭和基地と南極観測船しらせが民間に払い下げられていると
 いう表現しかされていません。なので、現在からしてみるとこれはもし
 かすると、数年後の世界なのかもしれないと、かなり苦しいですがいう
 ことも何とかできます(おそらく制作陣はそんなことも考えてないで
 しょうが)。それ以外の部分は地元(館林)民になんだこの再現度は!
 と驚かれるほど完全に館林です。わたしも現地民の撮影したモデルを見
 て、頭がくらくらしました。何十回も見直した光景が、現実の館林に存
 在している写真を見るだけで、くらくらします。現実と虚構の境がわか
 らなくなるのです。あの子達は(4人)実際に存在するんではないかと
 さえ思えてくるのは病気です。
  ちなみにシンガポールが扱われた回で、シンガポールの地元民に、な
 んだあのリアリティーは! とビビられていたことも、合わせてご報告
 しますw
  
  ただ、あれはパラレルワールドなんだよな。
  これはふしぎな感覚です。

  それはシナリオのよさも影響しています。わたしなどは最新話(これ
 を書いているときは6話。たぶんリリースするときは8話ぐらいまで進
 んでいそう)を見ながら、ちょっとこのパターンに頼りすぎだなぁ、な
 どと思ったりしましたが、それがわかるのはわたしが書く人だからです
 ね。同じことを書きながら思うのです。このパターンしかないのはわか
 るけど、これに頼りすぎだぞ、と。
  全13話なのは確定しているので、もう折り返し地点なのですが、い
 やー、これ期待にこたえるのきついぞ、とわたしまで胃が痛くなってし
 まいます(^_^;

  この辺にしましょう。


 ○ 04 ○ 「ユーリ!!! on ICEの世界観」       ○ 03 ○   :[ 04-03]

  まず当たり前なのですが、この作品に対しては絶賛しかありません。
  現在、ピョンチャンオリンピック中なので、フィギュアスケートの話
 題には事欠かないのですが、男子はともかく女子は、ロシア勢の圧勝が
 ほぼ予定されています。その中で、ロシアの女王(18歳だったか?)
 が親日的なパフォーマンスをしていて、当初はこれはいったい何なのだ
 ろうと思っていた(もっとひどいことを言うと、腐女子的に引っかかる
 ところがあったのかとか思ったり)のですが、「ユーリ!!! on ICE」を
 見た瞬間に全部が吹っ飛びました。
  「ユーリ!!! on ICE」は羽生結弦がロシアのプルシェンコに憧れを抱
 いていたのをそのプルシェンコが羽生を直接指導していたら、という妄
 想を基に書かれただいぶ腐女子受けをするように書かれたアニメです。
  2016年の覇権アニメとされています。

  このアニメで特徴的なのは、わたしがロシアの女王であるメドベージェフ
 さんが親日的な態度をとっても、何の違和感も感じなくなったことでしょ
 うか。だって、ビクトルは選手生命をなげうって(ネタばれに気をつけ
 ると、ラストは感動的です)ユーリのコーチとして時間を浪費するので
 す。プルシェンコは怪我で選手生命を絶たれているのですが、ビクトル
 は違う。ここがよく書けている部分です。
  羽生は全世界的なプリンセスですが、ユーリはぎりぎりでグランプリ
 ファイナルに残れれる、瑣末な選手です。プルシェンコが羽生を溺愛し
 たのとはまったく状況が違います。
  ちなみに、このアニメで創作された主人公ユーリのフリー曲の「ユーリ
 ・オン・アイス」が実際のグランプリ・ファイナルだったかで、実際に
 使われて話題になりました。ちなみに五輪では同じロシア出身のザキトワ
 選手に金は取られてしまった、女王メドベージェフ選手はツイッターで、
 「ユーリ!!! on ICE」の原作者のサインを貰って大はしゃぎしていたり
 しました(^_^; どんなアニメだよw

  話しすぎるとネタばれになるので、この辺にしましょう。
  ただ、羽生さんがいるおかげで、ぎりぎりリアリティーを保てている
 作品ではあります。

 ○ 04 ○ 「ガールズ&パンツゥアーの世界観」    ○ 04 ○   :[ 04-04]

  ここで、ガルパンかよ、なのですが(笑)、ガルパンは大洗女子学園の
 戦車道をたしなむ女子たちによる青春物語です。戦車による模擬戦が一種
 の武道になっている世界といえばいいでしょうか。大洗町では毎年のよう
 に関連行事が行われ、ファンが集まるイベントと化しています。アンコウ
 のつるし切りぐらいしか名物がないんですが、このアンコウに目をつけた
 人は切れ者ですね。

  この作品のすごいのは、艦コレという類似するコンセプトのゲームの大
 ヒット以前なんですね。
  これがヒットするとなぜわかったのか。
  ミリタリーと美少女を組み合わせる前例は、それなりにあるのですが、
 80年代とか、90年代とかの、しかもヒットしなかった企画だぞ、と
 思ってしまうのです。
  戦車道という、よくわからない部活にしてしまったのが素晴らしいとい
 うか、意味不明なのですが、たぶん熱狂的なファンでさえも、これのどこ
 がいいのかわからないのです。
  ガルパンの熱狂的なファンは「ガルパンおじさん」と呼ばれるのですが、
 彼らの布教活動は、なにか事があるごとに、「ガルパンはいいぞ」とつぶ
 やくことなのです。彼らはなぜいいのかを説明できないのです。

  わたしはいちおうガルパンは履修しましたので、ガルパンの何がいいの
 かは説明できます。
  それは端的に言って、戦車マニアを納得させるだけのディテールを、部
 活少女モノという、なんともライトな枠内で描いたことですね。
  また指折り数えるほどに個性的なキャラクターに満ち溢れていて、対戦
 相手となる各女子校が、イギリス、アメリカ、イタリア、ロシア、ドイツ
 と各国の戦車とお国柄を反映しているところも面白いところです。そうな
 るとロシアのコスプレイヤーが、ロシアをモデルとした学校のキャラクター
 である、カチューシャという、チビなんだけどひたすらに気だけは強い
 キャラのコスプレをしてファンを騒がせたりと、そういうことが起こりま
 す。
  ドイツがモデルとなっている決勝戦の相手である黒森峰が、実はこの学
 校は主人公の出身校で、最大のライバルとして主人公の姉が立ちはだかる
 という設定のため、ドイツ色があんまりないのが、ちょっと弱いところと
 言いたくなるぐらい。あとは極彩色というか、よくぞこんなに絵の具ぶち
 まけたなと言いたくなるような、色彩の豊かさがあるんですね。

 これ以上話すと、「ガルパンおじさん」になってしまうので、この辺で。


 ○ 04 ○ 「天空のエスカフローネの世界観」    ○ 05 ○     :[ 04-05]

  くそ、死ねw
  これ考えたの誰だw (わたしですw)

  天空のエスカフローネは、瞳という陸上部の女子高生が異世界に転移し
 てしまう物語です。瞳が憧れていた天野先輩に似ている(容姿だけなんだ
 が)アレンに、主人公であるバーンを放置して惚れてしまうという、なん
 だこの三角関係は、という物語構成なのですが、このお話は精査していな
 いんですね。
  たぶん、異世界移転ものとして、取り上げているのだと思われます。
 (無責任)

  全部見てないんだから、これで書けとか無理言うなよ。
  あー、うーん、もしこのエントリーが異様に遅れたら、たぶんそれは
 エスカフローネを観直しているせいです。2クールあるんだぞ、おまえ
 殺すぞ(企画担当の自分に言ってますw)、と殺意を覚えますw

  この作品の世界観はほぼガイアと呼ばれる異世界が舞台なのですが、
 幻の月と地球は呼ばれ、地球とガイアは瞳がしたように神隠しのような
 形で行き来があります。いちおう設定的には滅亡に瀕したアトランティス人
 が住み着いたのがガイアとされています。また、主人公が占いが得意な
 霊感のある少女に設定されているため、作中では超自然学的な方法で占
 いが絶大な力を持ちます。なんというか、瞳がレーダー役をするのです
 ね。
  また、これが面白いところなんですが、幻の月から干渉があるのです。
  たとえば序盤のシーンで、瞳のポケベルに幻の月(地球)から天野先
 輩からの通信が入るのです。地球から月への通信が、携帯の基地局レベ
 ルで届くはずがないのですが、まあなんというか少女マンガ的に届いて
 しまいます。
  ちなみにこの作品が描かれた1996年はポケベルの最盛期だとかのこと
 で、わたしは大学生でしたが、パソコン通信で小説フォーラムにはまって
 富士通謹製のOASYS POCKET3(ハンドヘルド・キーボード付き・PDAの
 走り)で、がんがん文章書いていましたね(^_^; 始めて導入した無線
 通信機器がピーイン・コンパクトというPHSのデータ通信用の端末でした。
  なので、明らかにポケベル文化圏の枠外にいたのですねw
  ぜんぶインターネット経由だったのです。
 (これは主な連絡手段がメールだったという意味です)

  ほかにも面白いのは、ガイアでは過酷な現実が見えてしまうために、
 致命的な状況で頼られるのが、嫌になるところなのです。
  また、アトランティスの設定が強力すぎて、これはほんとに2クール
 の作品かと驚くほど、密度が濃すぎて、エヴァンゲリオンが2クール
 だったというのも驚きなんですが、匹敵するぐらいには濃い。
  なんでこんなに濃くできるんだろう。

  また、非常に強力な設定として、運命改変装置、というギミックがあ
 ります。これは敵国であるザイバッハがアトランティスの技術を実現し
 たものとして登場するのですが、主人公&ヒロインである、バーンと瞳
 の仲を裂くために使われるのです。
  個別具体的にいえば、瞳が容姿だけで似ているとしているアレンと、
 結びつけることで運命を改変しようとするのです。アレンは紳士的で、
 非の打ち所はないんですが、瞳にたいして、それは違うだろ!!! と
 思わせる手腕はさすがです。
  しかし、これまで、色恋沙汰に装置的に干渉することで、物語を変え
 ようとした例があったでしょうか。これが衝撃でした。

  なんだか、何の話をしているのかわからなくなってきましたw
  実際には、これよりも進んだんですが、書いていてこれは終わらない
 なと思いましたので、ここで切ります。500行というと、だいたい原
 稿用紙50枚なんですが、100枚ぐらいは書けるなとかそういうレベ
 ルで、それは迷惑だろうという印象なんです。
  これは絶対ダメなので、やめます。

 ○ 04 ○ 「初代ガンダムの世界観」        ○ 06 ○     :[ 04-06]

  いきなりすごいところにきたなという、印象なんですが、たぶん多くの
 人が誤解していることは、初代ガンダムの世界観は、放映当時言われてい
 た未来予測を絵にしただけなんです。スペースコロニーもオリジナルでは
 ないし、小惑星帯から資源衛星を運んでくることもオリジナルではない。
  1970年代というのはそういう時代だったんです。
  ガンダム世界と言うのは、予定されていた、未来を描いた、近未来架空
 戦記なのです。
  そんな情熱を描いちゃった人って、かっこよくないですか?

  ガンダムはSFなのかといわれると、まあ、ハードSFですねと書く人は
 大体格好いいです。この人たちはたぶん、ガンダム・センチュリー派と呼
 ばれます。これは、ガンダム・センチュリーと呼ばれる、伝説的なムック
 で、ガンダムのハードSF考証した冊子が発行されて、プレミアがつきす
 ぎて再刊されたからです。
  これが基本的に、ガンダム世界観の基準点になっています。

  宇宙世紀は、あり得べき未来だった。
  それがわからないと、ガンダムはわからない。
  未来だと思っていた人はだれもない。
  それは来ると思っていた。

  ガンダムというか、ガンダム・センチュリーはそういう世界観だった。

 ○ 04 ○ 「逆襲のシャアの世界観」        ○ 07 ○     :[ 04-07]

  これまた、死ねと言っている。
  宇宙世紀のガンダム世界は恐ろしく話が複雑です。アムロがなんでシャア
 というか、 クワトロ・バジーナとの関係を何故か整理つけているのかとか。
 それは一切書いてない。
  Zガンダムにおいて、アムロとシャアは同僚なんです。
  でも、その間に何があったかは、一切の示唆がない。
  その両雄が、戦うにあたって、一切の情報がない。
  たぶん、続編に当たる、ZZに冨野がかかわっていないのが問題なんで
 すが、アムロもシャアもいなかった。そこから、アムロとシャアの最終決
 戦というのは結構無理がある。それでも、最高傑作とされます。それは、
 この最終決戦を見たい人が多かったからです。これを最終決着と思う人は
 一人もいません。

  これが面白いところです。
  誰も満足していないのです。
  それで、ガンダム世界は際限なく広がり続けている。
  これは面白い現象です。


 ● 05 ● おわりに                      :[ 05 ]
  ̄ ̄ ̄ ̄

  えーと、強引にエンディングですが、たぶんここまでちゃんと読んです
 べてを理解すべく挙げられた作品を見ている人はいないと思うのです。な
 ので、もしここまでとどいた人がいれば、おめでとうと祝福を送ります。
 そんなことは意味のないことですし、これを書いたのはそういう目的でも
 ありません。
  ただ単に、自分の中にあるものを限界まで絞り出そうとすると、こう
 なったと言うだけで、これに達していない人を軽蔑するとか意味は、一切
 ありません。でもさ、「電脳コイル」はどうなのとか、「SHIROBAKO」は
 どう思っているの? とか、「メイド・イン・アビス」に触れてなくて失
 望したわ、と言われる方がワクワクします。
 (当たり前ですが、見ている前提です)
  世界観の話題は深すぎて、こんなざっと洗ったぐらいでは語れるはずが
 ないのです。
  わたし個人が5時間は話せるとかそういうレベルではなく、月一で集
 まって合宿して、数千年語り合っても、常に新しい世界が生まれてくる世
 界です。これは恐ろしく楽しい話題なのだとわたしは思っていますし、だ
 れが決定版を出せるものでもないのです。

  いやあ、世界観楽しいわ。

  あ、次回以降はというか、次回は「のび太の魔界大冒険」の物語解析な
 ので、この圧倒的な名著がどう世界観を操作しているのかを、勉強しま
 しょう。テキストの用意はいいですか? 中古で買うと安いです。あらす
 じは一応書きますが、個人的な見解を押し付けるのは苦痛ですし、よんで
 るよね? という楽観的な観測のもとで書きますので、ご理解ください。


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 吉本隆明『物語の現象論』を読んで

 こんばんわ、hikaliです。
 前回まで長々と続けてきた、吉本隆明『物語の現象論』の解読ですが、今回はその感想回となります。
 と、言っても何か確固とした予定があったわけではなく、いま真っ黒のテキストエディターを眺めながら、どうすんべ、と考えている最中だったります。
(わたしは、MS-DOS時代の慣れから、黒いバックに白い文字という環境で書いていたりします。やってみるとわかると思いますが、文字が暗闇に鮮明に浮かび上がり、文字だけに集中できるのです。これが白いバックだとどうしても周囲にカラフルな色彩を塗りたくなってしまう(笑))
 それでぼんやりと考えたのは、わたしの意訳を読み返しながら、そのときに何を考えていたかを思い出しながらサマリーを作っていく、というのはどうだろう、ということでした。

 ■わたしの4回の連載はこちら


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 1/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196006


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 2/?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196007


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 3/4?
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196008


 ■吉本隆明著 「物語の現象論」 抄訳 4/4
 http://blog.story-fact.com/?eid=1196009


 ■原文はこちら ■吉本隆明の183講演 - 物語の現象論
 http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a063.html




 わたしは正直、自分がどう考えていたかなんかはまったく興味が無いのですが、たぶんお読みいただいた方とわたしの間の考え方の差異が、吉本隆明の原文が持っている豊かさを際立たせると思うのです。
 わたしの意訳は、どうしてもわたしはこう読んだ、という独善的な見解になりがちです。そこには対話がないので、取り付く島がまったくなく、一方的にどうしてもなります。まあ何か御託を並べても説得力がないので、やってみましょう。
 どうなるんだろ(笑)。


 1.「語り手」はどこに位置しているのか

 この辺は、混沌とした文章に、うわーと頭をかきむしりながらざくざくザクザクと文章を削りまくっていた印象しかありません(^_^;
 ただ、削りきった文章を、最後まで読んだ知識で読み直してみると、出だしとして言わなければいけないことは全部書かれていて、あれ? 吉本隆明ってすごいな、と思う論旨の一貫性があります。
 繰り返しになりますが、これをわたしが削りまくって書いていたときは全体像なんてまったく見えていなかったのです。なので吉本隆明の原文にそれが内包されていて無駄なく書かれていたことになります。
(それを的確に要約する能力はどうもわたしにはあったようだ、ということにはなりますが)

 ここで語られる「語り手」でわたしが想起していたのは「イーリアス」でした。
 わたしは一度、「イーリアス」というのは、ご先祖様が戦ったトロイア戦争を逐一書き記したもので、それを聞いていた聴衆は、あ、自分のご先祖様が活躍してる、と心ときめかせるものだったはずだ、書いています。なので、最古の傑作叙事詩の聖書のように扱われると、
「あー、いや、そこにきみのご先祖様出てないでしょ!」
 と、なんか変だな、そういう書物じゃないんだが、という気にはなるのです。
 これと対比できるのは、小泉八雲の「耳なし芳一」です。
 この怪談は盲目の琵琶法師である芳一が歌っていた相手は、壇ノ浦で死んだ平家の怨霊だった、という話になるのですが、芳一は琵琶法師ですから、歌っていたのは、平家物語になるのです。
 つまり、ホメロスがギリシャ人たちに「イーリアス」を歌っていたのとまったく同じ構図。芳一は、自分にひどいことをすることになる、平家の怨霊たちに、その末路語っていたのです。芳一がひどい目にあったには、そのひどい物語を語ったからではなく、寺の住職に言われて、弾き語りをしに行くのをやめたからです。
 平家の怨霊たちは、どんなに残酷な結果になる物語であっても、それを聞きたかったのです。
 なんかこういう話をしだすとキリがないですね(笑)。


 2. 『源氏物語』における「語り手」

 このパートは書くことがないかなあ・・・。
 現在の散文の技法は、シーンを切るときにいちいちその理由を言わないんですよね・・・。吉本隆明も後半の方で言ってますが、スイッチを切るようにブチブチと切ってしまうんですよね。これは映画の影響だと思われます。
 実際の映画はもっととんでもないことなっていて、大ヒットした「君の名は。」などは、制作資料を読んでいると、映画に0.01秒単位の絵コンテを描いていて(たぶん言っている意味が不明だと思いますが)、楽曲提供者に0.01秒単位で曲を作ってくれと言っているという意味不明の世界になります。
 これはマッドビデオという世界の手法で、多分一番著名なのは、エヴァンゲリオンというアニメの、オープニング主題歌アニメが、だいたいあれがマッドビデオ、というと分かる人にはわかります。
 もっと知りたいというのであれば、参考資料を示しますので気軽に言ってください。たぶん見ないとわからないです。
 閑話休題。
 さっさと次に行きましょう。


 3. 『源氏物語』が提起したこと−「語り手」・作者・登場人物の分離

 ああ、ここで、作者がどういう意図で書いたか、と読者がどう読んだかの隔絶が生まれる話が出てくるのですね。
 吉本隆明はその隔絶が大きければ大きいほど豊かな物語だ、とたぶん言っています。
 こういうところは素直に尊敬します。
 とても人間が大きい。
 どうしても書いた側は、こういうつもりだったと言いたくなるんです。
 これはあまり良いことではありません。
(よくないなあ・・・、と反省中・・・)

 過去に読者としての発言で、わたしにひどい発言がありました。
 ある作品を読んで(ゲームだったのですが)、これは本物の○○ではない、と当時のサークル仲間(ゲーム研究会でした)に言ったことがあったのです。こんなものは納得出来ないと。
 吉本隆明の時代にはなかったことで、たかだか40年ぐらい経った現在の日本は、創作者大国になった感があります。19世紀のパリも同じような状況だったのではと思うのですが、当時日曜画家として専業ではない画家が後に大変評価されたりしていました(たとえばルソー)。
 現在の日本は百種類近い漫画雑誌(週刊・月刊)が存在し、一誌ごとに十人以上の専業漫画家を抱えています。これに関係するアシスタントなどの漫画家の卵まで考えるとこの数倍になります。
 ここまでが準プロまでのレベル。
 しかし、日本のほとんどの創作者は同人レベルで、2016年のコミケットマートの参加サークル数で約3万5千。これにさらに落選組を数えると、5万サークルはおそらく下らないはずで、サークルはひとりでやっているわけではないので、さらに数倍から数十倍。とても荒いフェルミ推定ですが、日本にはおおよそ数十万人規模の同人創作者がいるという計算になります。
 この人達が作品を見るとどうなるか。
 少し線が荒れるだけで作画崩壊だ、と騒ぎ出し、原作のある映画を見るたびに、「こんなのは○○じゃない!」と怒り出すのです。これは一言で言うと、
「おまえ失格だ、こんなもんでいいと思ってるのか、おれに替われ!」
 と言い出している光景に他なりません。
 これが現在の日本。
 つまり恐ろしく創作者の裾野が広くて、どの段階もレベルが高いのです。
 こんなことを言うのは変なのですが、わたしが19世紀のパリに生きてみたかったと思うのと同じように、もしかしたら20世紀末から21世紀初頭の日本に生まれたかった、という人が、200年後ぐらいには生まれるかもしれません。
 源氏の時代と違うのは、貴族のような特権階級でなくても、100円のノートに漫画は描けるし、テキストエディターがあれば、いや携帯電話でも、物語なんていくらでも書けるのです。
 そのときにわたしが言ったのは、「こんなのは本物の○○じゃない!」ということでした。製作者の分解能は、さすがに万能ではないので、かならずムラがあります。吉本隆明が想定していなかったのは、書き手より読み手のほうが、物語上の登場人物を遥かによく理解しているということです。それはちゃんと書かれていますが、それが読み手と書き手が逆転する状況まで想定していなかった。
 つまり、読み手のほうが書き手より精度が一時的に高くなって、これは間違っているという読み手のほうが正しい状況は、ありえなかった、という意味です。


 4. 文学の本質から見た私小説−島村利正『佃島薄暮』

 えっと、これでもざくざく削っているつもりなんですが、恐ろしい文章量になりつつありますね・・・(^_^; たぶん、吉本隆明の講演自体がわたしにとってジャストフィットの話題だったためと思われますが、こういう刺激的な内容を探してみたいですし、書いてみたいとも思います。
 ここから講演は、現代の小説を例に挙げての内容になっていきます。
 まず私小説から入って、私小説の頂点にある構造、そして底辺と頂点の中間にある構造という話になります。

 どこで差し込もうかと思っていたのですが、たぶんここしかないだろうなあと思いながら差し込みますと、今日(2018年正月)NHKの番組で「絵葉書にない尾瀬」というドキュメンタリを見ました。ひとことでいうとナショナル・ジオグラフィックが得意としている写真家に密着した映像番組で、3年に渡って密着取材したドキュメンタリでした。
 3年を30分で放映するということに無理があります。
 また、この映像にはナレーションが入ります。
「あ、ツキノワグマだぁ」
 当たり前なのですが、そのナレーションの方はそこにいて驚いているのではなくて、映像を見て驚いているんです。その映像を撮っているのは精鋭取材班で、まずうら若い女性アナウンサーとは別のベクトルのプロフェッショナル。
 吉本隆明は私小説の定義の一例として、「作者」と「語り手」と「登場人物」がイコールであると、虚構としてそう見せようとしているのが私小説の特徴、と言っています。先程の番組の例で言えば、「作者」が「取材班」、「語り手」が「ナレーター」、「登場人物」が「取材先の写真家」となるのでしょうか。
 このドキュメンタリの例で面白いのは、製作者の主観は誰なのかが存在していない点にあります。「取材班」はカメラを回しているだけ、「ナレーター」はおそらく尾瀬にも行ったことがない、そして1番主観に近いのは「取材先の写真家」になるのですが、彼は番組の全体像に影響を与えようがない。
 「ディレクター」の主観になるの? と言われると、そこまで権限ないだろ、と感じます。いったい、そのドキュメンタリを主体的に作っているのは誰なのか。いや、主観はないよね、という結論になるのが面白いところです。
 このように分けてみると分かりやすいのですが、小説における「作者」と「語り手」と「登場人物」はけっこう明白に分かれます。この辺はこの講演でも吉本隆明が言うように、小説を書く人たちが他の領域の創作物の影響を受けているからかもしれません。例えば映画だったり、例えばドキュメンタリだったり。そうすると作り方が根本的に変わります。
 たとえばわたしにとって、リアリティーのある人物描写というのは、質量感を感じられる人を書けたかになります。わたしがよく自分で書いた文章を読んで、ああ、これは書けているから、いろいろ問題はあるけどもいいや、と言っていたりするのの正体はこれです。セレンやルナがここにいるからいいや。彼女たちは切実な今を生きてるじゃないかと。
 この話をすると長いので、リクエストされない限りしないですが、「作者」の立場としては、「登場人物」が勝手に動くのを見ているのは、至福です。

 えーと、なんか、吉本隆明を無視していて心苦しいのですが(^_^; 40年時代が過ぎ去ったときに、そもそもその論評が成立しない時代になってしまったと言うのはあります。
 吉本隆明は、登場人物たちが勝手に動くとは言いません。
 これは端的に、書いたことがないからです。
 しかし、書く人の醍醐味はこれであって、わたしなどは、物語に詰まったときに、その登場人物たちが何を言うかに耳を澄ますということが頻繁にあります。ディスカウントストアへ歩く道すがら、突然にリニーの声が聞こえたときがありました。最大の影響を与えたのは、たぶんウタリでしょう。単なる翼竜少年と思っていたのですが、その彼が言った言葉で、セントラル大開拓時代が始まるとか、ありえないでしょう。
 やつは言ったんです。
「つくりたい」
 と。
 そんなことを言われたら、無視できますか。

 ここで切ります。


 5. 民話と私小説の違い

 えーと、続きで書くと、このセクションはナンセンスだよね、となるんですが(^_^; 別に意図していたわけではなく、続いて書いてみたら、意味なくね? となった次第です。たかだか40年違うだけで大幅に違うのに、1500年。そこに違いがないというのは、何らかの補強がなければ無理があります。
 最大限、吉本隆明をえこひいきをすれば、彼が予見していた通りに彼の次の世代で大断絶が起こる環境が整ったのです。それはなにかといえば、映像という主観が絡む要素がない物語の描き方が、この世の中の中心になったことです。
 ぜんぶ客観が当たり前、の世界になったのがたぶん映像の世紀です。
 この観点から、吉本隆明の視点に立って考えを巡らせるのは、たぶんとてつもなく有益なことですし、映像作家は恐ろしいほどの示唆を得られるでしょう。わたしは映像作家ではないので、素人がうるさいよと言われてしまいそうなのですが(笑)、こんなことをねちゃねちゃと考えていたのは、わたしごときがいうのはおこがましいのですが、文章書きだけなんです。
 吉本隆明によれば、なんか1500年のノウハウがあるみたいですし、わたしはつまらない人ですが、彼に付き合ってくださいませ。


 6. 東峰夫『天の大学』の高度な物語構造

 7. 山川健一『さよならの挨拶を』における陰影

 ここはパスします。
 感想はあるんですが、一般の人が読んでも意味がない文体論争になるからです。
 わたしの文体がどういう系統にあるとか知りたいですか?
 わたしは、わたしの文章には興味がありません。
 それはなんの意識もしないでも、書けるからです。
 そう、そう思います。


 8.イメージの価値の深化と表現形式の変化

 はい、やっと話せるセクションがやってきました。
 ここの文章は、ほんとに意味不明に回りくどいですね。まあ、わたしが一切ショートカットせずに意訳したからというのもあるのですが、商品の価値とかさ、実際の物質がどうこうとかじゃなくて、マーケティングで決まってねえ? これが直球ストレートの意訳です。
 このときでてくるのは、わたしは死ぬほど大嫌いなのですが、村上春樹です。
 文章はだいたいうまいのですが、書いている内容に死臭しか感じない。
 これは完全に好みですが、生命力がない。
 わたしが尊敬する名だたる、絶望的ホラー作家には命の輝きがあったぞ。
 高橋克彦、小松左京、ラブクラフト、大原まり子、ここに夢野久作を並べようとして迷ったけど、たぶん同類だよな。
 死体が書いてる文章はわかる。


 9. 田中康夫『なんとなく、クリスタル』−イメージだけの生活概念

 えーと、いちおうわたしはデザイナーとして、何年だろう? あ、別に今からでも復帰できるので、年数には意味は無いんですが、6年? 兼任が多かったので、専業は4年というのがいいのだろうか、それぐらいデザインをやってました。
 その観点で考えると、デザインはイメージの世界ではありません。
 デザインで仕事をもらえるかどうかは、クライアントのFIXを取れるかどうかです。
 クライアントと交渉して、仮原稿送ったぜ、あ、まずかったか、指摘点は全部直したけどそれださくね? 原稿送る、あ、怒った、この色だめ? この前そんなこと言ってなかったじゃん、めんどいからちょっといじって送ろう、あ、通った・・・。
 だいたいこういうことだできるかどうか。
 見ているところとかは、デザインが標準レベルよりも高いかどうかだけなので、そこをパスをしているのに、ねちねち言われるのは、交渉の過程で相手をカチンとさせてしまったからです。まあわたしは、相手を怒らせるのの名人芸でもあるのか、たいてい勝負すると怒られます。
 攻めすぎ? と言うよりは、こっちのほうがよくね? と言い過ぎるんです。
 思い出すと背筋が冷えるのですが、3日かかって色調補正した原画のデジタル化を蹴られたこともありましたし(これは、色がわたしの色になりすぎていて、拒絶反応されたというわけですが)、原画のトリミング(PhotoShopで言うところの切り抜き)をするな、トリミングをすると最後の1ピクセルは絶対に濁る、と言われたこともあります。その当時は売上を上げることにしか興味がなくて、当時の自分のデザインを見ると精度が高すぎて、キチガイのようmなドンピシャの色味に、ノイローゼで鬱病だった当時に戻るようで怖いです。
 イメージの世界のクリエイターにも当たり前ですが、人生があるのです。
 その観点から見ると、下手くそだな、と思う文学世界もあります。
 だから、ここで乖離したなと。
 あんまり言いませんが、世代が分離した地点はここだなあと。


 10 イメージの世界を枠組みにするエンターテイメント作品

 もちろん吉本隆明もそれはとても賢明に理解しています。
 ここで、古典からの流れを理解しつつ、それはどういうものなのかを説明しようとしています。
 たぶん、と、自分のことを言うのは嫌なのですが、わたしが介入して、これってこう思うと言うことで、だいぶ吉本隆明の言ったことの意味が正確に理解できるようになっているのでは、と思うのです。吉本隆明を毀損するつもりは一切ないですし、わたしはいちいちツッコミがうるさい学生です。
 わたしはいちいち自分の理解のために意訳をした人ですし、まず理解したいと手間を掛けた人です。
 その観点から言うと、わたしは資生堂とかカネボウがどう考えているかなんて考えたことはありません。デザインとしてやってきた、それはたとえば花王のあるブランドのマーケティングというよりは販促サイトで(これは本当に末端の仕事が流れてきただけです)、その色調の研究とかはしました。それはこの些末なページであっても、クライアントのブランドイメージを壊してはいけないからです。新しいページを作っているので、デッドコピーというのはありえないんですが、そのトップデザイナーがデザインしたらどういうページを作るだろうかというのを、再現するのです。
 アンドロイドのようだ、と侮蔑の言葉を投げられたこともあります。
 そんなものを自分の文章に活かしたことがありますか? と言われれば、それは侮辱です。わたしは誰かの文体を2、3時間写経すれば、それを再現できる変態的な能力を持っていますが、それは大道芸人です。もちろん、それを侮蔑するわけではありませんが、そんなことをやりたいわけではない。
 なんだかわからないけれど、あなたの文章はすてきだね。
 うまく説明できないけど、すてきだ。
 絵であればいくらでもあるんです。
 たとえば今日(1月8日、これ書いている本日は1月9日ですが)見てきた、カミーユ・マルタンの画集の表紙とか。ひょうたんの蔦と印刷機の絵なのですが、色がポップで、わたしが大好きなアールヌーボで、レイアウトが絶妙すぎて、静かな秋の音がする。それでいて印刷機の金属音がする。激混みの美術館で、たぶん誰も見てなかったんですが、まあ、これだけのために図録買うから、さすがに行くかと思うまで見てました。たぶん職業としてデザインやっていた人は、なんだこれは、すごすぎだろと思う絵なのです。
 そういう文章を書きたい。
 それが別に葛飾北斎の猿真似でもいいじゃないですか。
 正直に言うと、吉田博や、川瀬巴水の新浮世絵を見ると、吹っ飛んでしまうような翻訳です。逆に考えるとわたしが書いているのは、稚拙なんだろうなと、あたりまえですが思います。
 誰が尊敬する先人と同等以上のものが書けると思っているんでしょうか。

 このセクションで吉本隆明が言っているのは、わたしがとてもたくさん考えてきた、パターンとか構造を、この新しい世代の人達は生み出し続けていて、それに純文学の世界は勝てないだろうと言うことです。
 これは端的に19世紀のパリで起こった一つの大きな転換です。
 パリのアートは、わたしが見た展覧会の言葉を使えば、「エリートから大衆へ」そのクライアントを変えたのです。まあ、川瀬巴水や吉田博と比べてしまうと、Jリーガーと小学生を比べているような罪悪感を感じてしまうのですが。


 11.文学の本質的な衝動

 ここから先は、わたしの感想は不要でしょう。
 なぜかといえば、この先で賛同するところがないからです。
 もちろんこれはどう思うの? と聞かれるのは歓迎ですが、ちょっと自分とは全く違う基盤を守るために書かれている感じがするので、あー、それ無関係みたいです、となってしまうのです。
 まあ、吉本隆明がいう文学に興味が無いんですね。
 わたしはハヤカワの翻訳文学に染まっている人なので、シェイクスピア・ギリシャ・ローマ史・聖書以外意味なくね? と思ってしまう素地の人なのです。


 12.経済学的な方法から得られる世界像

 わたしは経済学は理解していますが、そこにはたぶん生活世界はありません。
 マーケットリサーチ・マーケティングの観点から考えると(わたしは、そのそこそこ著名な企業に在籍したことがあり、かなり根っこからその会社の思想に染まったのですが)、マーケティングデータには、定性データと定量データがあり、前者は情景を浮かび上がらせる情景の文章で、後者アンケート結果です。
 この定性データというのがとにかく難しい。
 わたしはその会社の創業者が書いた定性データの教えを読みましたが、ひたすら禅問答を読んでいるようで難しい。蛇の気持ちをわかるためには、蛇と同じように、寝袋で真冬の公園に寝転がってみないとわからないとか、言っていることは分かるのですが、行動と言葉が常軌を逸している(そして実際にしてたらしい)。
 対比として自分の知っていることを書いているのですが、その変態社長と、吉本隆明のどちらを信じますか?
 なので、ここで切ります。


 13.拡大する管理装置をどう考えるか

 ここはまとめなので省略。


 以上


 一応まとめをしようとして、これを書いているのですが、うん、そっけない(笑)。
 わたしが書くのを避けた所は、書こうとすると300行(原稿用紙30枚ぐらい)は書けそうなところです。現在すでに350行ぐらい書いていますし、たぶん5箇所ぐらいありましたから、合計で190枚ぐらい行くとかありえないだろという判斷で、ばっさりと省略しています。
 べつに話したくないわけではないので、吉本隆明の講演ぐらいの長さ(2時間ぐらい)が我慢できるのであれば話すので、あー、わたしは酔うと(飲み会のときの長時間会話のデータしかないのです・・・)、おそろしく話が横道にそれて話が長くなるらしいので(酔っている最中なので伝聞情報です)、これ意味ねえなと言う話に耐性がないと厳しそうですが、まあそんな奇特な耐性がありましたら、いつでも聞いてください(おそろしく敷居が高いwww)。

 さて、次は物語解析「世界観」の続きですか! <こうやって書くしかないように追い込むw 構想と原稿の第一回分はできてるんだよねえ・・・。
 「のび太の魔界大冒険」が主役です。もし読んだことがなければ読みましょう。ドラえもん大長編、初期8作は必読作品です。シェイクスピアより重要と思うほどです。ベニスを知らない罪よりも、「のび太の魔界大冒険」を知らない罪のほうが果てしなく重い。
 なんかすごい変な導入ですが、お楽しみにいただけたら幸いですw

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