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バーベキュウ


 最近始めた趣味はなんですか、と聞かれれば、たぶん散歩と答える。
 もともとあちこちふらふらと歩きまわるのが好きだったから、昔とあんまり変わらないのだけど、以前は、新潟だったり、宇都宮だったり、高崎だったり、千葉だったり、葉山だったり、三崎だったり、東京湾フェリーだったり、関西周遊だったりしていたのが、最近はそれが家の周辺になった。
 年寄ではないので、用事ついでにあちこちの道を自転車で通って眺めてみる。
 花で飾った庭があったり、電飾が好きな家があったり、本物そっくりの犬の置物がある玄関があったり、路地を覗くと芝生の広場と一体化した住宅街があったり、高台の何台もの高級車が止まっている邸宅があったり、お米を売っている倉庫があったり、広々と農機がガレージに並んでいる旧家があったり、それが一瞬で過ぎ去っていく。
 この株の花なんだっけ、昔よく見たよな、たしか種が黒くて、ああ、オシロイバナだ。
 わたしは凝り性だから、いつも同じ道を通るとすぐに飽きてしまう。
 なので、もしかしたらこっちの方が近道なのかもと、適当な言い訳をつけて、道を変えて走っていく。そうやって頭の中の地図を更新しながら、わたしの家の周りがどうなっているのかを理解し始める。

 日曜日はいつもレンタルビデオ屋に行く日で、日が暮れ始めたころから夕食の前までに戻ってこれるように、自転車を出す。
 なんでネットで映像コンテンツなんて配信しているのに、わざわざレンタル屋まで自転車を走らせるのかと聞かれれば、わたしは、うーん、わかるのかなあと警戒しつつ、
「レンタル屋はおまけなんだよ。外に出る口実が欲しいだけ」
 と答える。
 それでそのお店に向かうのだが、困ったことにそれはバス通りの方の駅前にあって、たどり着くには、おそろしく長い坂を登らなければならない、自転車で。それで裏道の緩い坂をとなるのだが、その裏道が川沿いを通る。
 一級河川では決してない、その支流の支流である。
 渡る橋が30メートルぐらいだろうか。
 わたしは高尾に住んでいたことがあるので例に出すのだが、浅川みたいなもんかな? なんて思ってみたりする。いや、浅川ほど立派じゃないか。川幅がたぶん10メートルもない。
 それでも、まあいちおうわたしの住んでいるところは、バブル期の新興住宅街なので、なぜか計画だけはご立派で、歩いて3分の公園は30年近く経って、埼玉るるぶに載るような桜の名所になった。
 い、いやぁ・・・。
 まあ、すぐ近くにスーパーあるから便利だし、もちろんわたしは、近隣で迷惑だなんて話は聞いたことはないのでいいのだけど、これのなにがいいのだろうと思ってしまう。そしてわたしの日課、あ、いや、週課は近隣でレジャーする人たちが何をしているのかを観察することになる。
 ようするに楽しそうだなあとみているのである。
 そうすると、目に入ってくるのは川沿いの道から見える、河岸でバーベキュウをする人たち。河岸といっても砂利石に雑草ではなく、コンクリートで護岸されていて、川面に降りるぐらいのことはできるような設計になっていて賑わっている。たぶん一番大きいのは、自動車がそこに降りられるように整備されていて、それで数えたのだが自動車が10台ほど。おそらく十家族が集まって、そこでバーベキュウをしている。
 わたしが住んでいる住宅街は、最近若い家族が入ってきてはいるけれどもたいていは、バブル世代からの、娘が結婚してなんて話がよく聞かれる住宅街である。だからこんなにも子供がはしゃぎまわっている光景はめったに見ないし、それに対して迷惑だという人もいない。たぶん汚さない人たちなのだろう。
 ただそれをサドルの上から通り過ぎてみて、この子たちは、このわたしには何でもない河原を一生の思い出として何度も何度も思い出すのだろうな、と思うとふしぎな感覚がする。

 わたしにとってのバーベキュウの思い出と言えば、よく小学生時代に連れていかれた、秋川渓谷やら、奥多摩方面の河原でのキャンプだ。それがどういう集まりだったのかは知らないのだが、たぶん学童保育の周辺での集まりだったのではないかと思う。
 わたしは喘息持ちだったから、そもそも煙を吸うことを警戒していたのだが、結局覚えている記憶は夜にテントで枕に頭を押し付けて、喘息の発作に耐えていた記憶しかない。喘息の発作が起こると酸欠になるので、激しい頭痛が起こる。それがどういう理屈なのかはわからないのだが、枕に頭を押し付けると、少しだけ痛みが遠のくのだ。
 それともう一つは大人たちが、眠ったことになっている後に酒宴を始めたこと。
 当時は当然にそれが何なのかはわからなかったけれども、今になって思うと、缶ビールを酌み交わしての親交会だったのではと思う。
 まあそれだけが覚えているほとんどで、今それを小説で書いてよと言われても、え? と思ってしまう。わたしの同僚の先輩には子供時代からの記憶を全部覚えている方がいて、それはつらいのではと思ってしまうのだけど、わたしはとにかく忘れてしまうし、どうだったのかなあと想像している方が、わたしには楽しい。

 今年の関東の夏は、猛暑になるとの話だったのだが、梅雨が長引いて、涼しい7月最終週が続いている。なにか涼しいとバーベキュウも盛り上がらないようで、おそらくお目当ては、水遊びもあるのだろうけど、大人たちの飲むビールなのだ。だから、照り付ける太陽の下でキンキンに冷えたビールを飲みたい。そんな集まりなんだろうなと想像しながら、わたしは通り過ぎていく。
 あるとき、4時ごろに夕立が降って、警報出てるよ? と家族に言われる。
 あ、うん。やんでから出るから。
 そう言いながら、わたしはあのバーベキュウをしている人たちはどうしているのだろうと、大変じゃないだろうかと心配してしまう。まあ、あとからよく考えてみれば車で来ているのだから、車に退避すれば問題ないはずなんだが、それでもなぜか、まさか心配なんてしている赤の他人がいるとは思っていないだろう人たちのことを思ってしまう。
 たぶんその人たちは昼ぐらいにやってきて、夕方まで遊んで、それで帰っていく。
 あるとき6時ぐらいに帰り道で通った時には、もう撤収していて、やっぱり夕飯時には帰るんだなあなどと思った。その夕立の日は若干遅刻気味で、5時15分ぐらいだったのだが、一家族が水遊びをしているだけだった。
 そんな泳ぐような川じゃないと思うんだけどなとか、釣りするような川でもない気がするんだが、などと思いつつも夕方になると釣れるのか、数えただけで5人ぐらいが釣り糸を垂らしていた。
 わたしの父親は狩野川の流域、はっきりというと修善寺の出身なので、わたしはあの鮎釣りのメッカである伊豆の河をよく見ている。それに比べると地元の一級河川はやっぱりため息が出るような河で、こんなところで釣れるのか? とコンプレックスがたぶんあるんだと思う。
 ああ、複雑ですね。
 でも、散歩しているのは好きです。

 それでも、最近は自転車で巡るたびにあちこちの景色が懐かしく思えてくる気がして、たぶん、何年住んでるんだろ、20年近くは住んでいるのか、むかし母親が書いた、この子たちの故郷はどこになるんだろうという、けっこう真剣に考えていた文章を思い出して(そして、なんのはずみだったのかたまたま読んでしまった)、ああ、ここになってきたのだなと、最近、と思った。
 わたしは中学生の時に引っ越しをしている。
 それも真新しい新興住宅街にである。模造品ともいえるし、むかしひどいことを言われたこともある。それがわたしが別のところに住んでいた時を無視して20数年経って、新品の住宅街ではなく、そうでないものになっている。

 まちにまった今日はたぶん晴れだ。
 天気予報もそういってるし、これを外したらもう次はないかもしれない。
 昼食を食べるために階下に降りると、どうも曇り。
 え? 原稿的に困るんですけど!
 わたしは真冬生まれだから、とにかく暑いのは苦手。だけれど、夏に浮かれている人を見ているのは好きで、それが見たくて仕方ない。


 いちおう埼玉県は全面的に晴れることになっている。




 さいたま市をわざと貼っているのだけど、今日は33度ではきかなかった気が。




 早めに5時ごろに出る。
 わたしの心配をよそに照り付けるように晴れて、バーベキュウ日和がやってきて、わたしさえもわくわくしてしまう。
 河原はフェスかお祭りかというほどテントがあちこちに立っていて、帰りに再確認して気付いたのだが和太鼓がお囃子できるほど並んでいて、たぶん保存会かなんかの集まりだったのだなあと後になって気付いた。
 テントというのはキャンプで使う宿泊用の三角テントではなく、運動会などで運営本部なんかで使われる日よけの屋根だけのテント。コンクリートにどうやって建てているんだとか、あとになって考えるのだが、だいたい運動会のテントが5ぐらい建っていると思えばだいたいあってる。
 そのテントをよけて、炎天下にバーベキュウ台が立っている。
 ほとんど、酒の肴用だと思うのだけど、白いのがまんべんなく広がっているのをみて焼きそばかなとか思う。いや、でも焼きそば網焼きしないだろ。これは数秒で通り抜けているので、いろいろよく見ていないのだけれど、みると防犯パトロールのチョッキを来たおじいさんたちがそれを見守って、談笑している。
 のちに、その方々がその河原に降りる道の交通誘導に来ているんだと理解して、どう回っているかがわかった。バブル期の計画すげえなw

 橋の下は特等席だ。
 なにせ、日差しも避けられるし、夕立も心配ない。テントを立てなくてもいい。
 向こう岸とこちら岸の2パーティーが占拠していて、よろしくビールのバーベキュウをしている。
 わたしはいつもの水を買うコンビニによって、なんでこのコンビニが、もう一つよる同じ系列のコンビニがあるのに、こっちを休息点にするのかと考えて、このコンビニは東向きに建っているのだと、気付く。なので西日には影になる。だからなんとなく居つく。

 夕暮れに帰ってくると、大学生と思われる面子が家族連れのスペースを埋め直してやってくる。男女ほぼ同じような感じだから、親善会なのだろう。わたしだったらどうやるかなあと考えると、クラフトビールから入って、缶詰かなと思うのだけれども、当事者の方々はどう思うだろう。
 でも、せっかくバーベキュウなんだから、焼きたいか。
 たぶん、ライスペーパーで包んだ春巻きを焼くか、炒めるかする料理が流行りますよ。
 どういう料理になるかは、まったく分かりません。

 今か、次かのバーベキュウの必殺技に。
 レシピ落ちw

| 雑記 | 01:17 | comments(4) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『STREETS OF FIRE』をみた。

 この作品はいちおう、これは見とけよリストに入っていた作品で、たまたまレンタル屋で見かけたので、あ、あった! という感じで借りてみたのであって、とくに基礎知識とかはまったくなかった。
 ストリート・オブ・ファイヤーって、何か某著名格闘ゲームであるストリート・ファイターと混同しそうであるが、これが実は少なからず関係があってびっくり! といったら少しは興味がわくだろうか。
 なにを隠そう、この映画の主人公の名前はトム・コーディー。
 たぶんその筋に詳しい人であれば、まじで?! とびっくりするはずなのだ。

 まずこの映画の概略であるが、簡単に言うと物騒な「ロック・オブ・エイジス」というのがわたしの感想で、たぶんその映画をほとんど人が知らないと思うので付け足すと、ロックを中心にしたミュージカルみたいな映画だ。
 ヒロインはロック歌手であり、80年代のエネルギッシュな歌い手だ(というか製作が80年代)。それが無法地帯となっているリッチモンドでさらわれてから物語が始まる。この無法地帯というのは西部劇をベースに考えられたようで、物語上はボンバーズという暴走族のようなやくざのような連中が街を恐怖で支配している、みたいな感じ。このボンバーズにヒロインのエレンがさらわれるのである。
 そこで2年間音信不通だったらしい、コーディーの元に連絡がいく。
(作中は、トムトムトムトムトムなのだが、このエントリー的にはコーディーが重要なので、コーディーで行かせてもらう)
 それでコーディーは物騒なショットガン(なぜか撃っただけで車が炎上する。グレネイド弾? そもそもショットガン(散弾銃)は狙い撃ちには向いてないんだが、という話は無視して進む)を持ってエレンの救出に向かうのだが、リッチモンドはボンバーズの支配下にある、さてどうなる、というお話なのである。

 この映画はどうやら興行的には失敗作だったようで、製作費よりも興行収入が少なかったようだ。それでも、あちこちに影響だけは与えたようで、わたしも見なければいけない映画に入っていたので見た。
 ただ見ればわかるが、冒頭から疾走感のあるロックから始まり、あっという間にエレンがさらわれていく。たぶんボンバーズがバイクなのは西部劇の馬に合わせているのだろう。ただ、BGMに使われる音楽が、ブルースとロックの境界があいまいだった時代の伝統的な音楽で共感が持てる。
 コーディーは雰囲気はブラッド・ピットに似ているだろうか。
 むしろこっちがオリジナルで、現代風にしたのがブラッド・ピットかもしれない。

 またこの映画は警察官とアウトローたちの話でもある。
 もともと西部劇がベースだといった通りで、保安官とさすらいのガンマンと無法者の話なのである。なので、だいたい西部劇だと思って見ると、だいたいあってる。ただ、だんだん仲間が集まっていく過程が秀逸で、ラストシーンでそれが一堂に会しているのを見ると結構感動する。
 なにも意味がないように見えたものも、どんどんと集っていき、決着していく。
 脚本の見事さというよりはコーディーの存在感、というのがふしぎな映画で、ここでコケてたらコケてる映画(いや実際にもコケてるんだが……)。
 そして、だいたい流れる音楽はとても伝統的で安心感を感じるクラシックなブラックミュージック(ジャズやブルースという意味)。
 無理やりに過激に見せようとしている部分はあるけれども、音はだいたいはジャズだったり、ブルースだったりする。ああ、ロックの街と伝統音楽の街という対比なのかなあ、と思うんだけど、そこは分からない。

 とにかくエレンを取り戻す一連のシーンは45分ぐらいまで続くんだけど、息をのんで時間を忘れてた。というかなんでショットガンで大爆発がw とツッコミながらも熱気むんむんの音楽がとにかくいい。
 ミュージカルというほど歌ってはいないのだけど、それでもやっぱりこの映画の主役はブラックミュージックだと思う(ただし歌い手はほとんど白人)。
 わたしがなんでブルースを好きになったのか、というのは蛇足になるが、それはつい最近それを説明してくれる文章に出合って、びっくりした。これは「音楽ライターが書けなかった話」という新書(?)の文章なのだが、エリック・クラプトンに関する言及である。

 つまり、一般の良識から判断したらかなりだめな人なのである。
 しかし、クラプトンは、そういうでたらめな自分をよしとしていたわけではない。むしろ常に悩んでいて、そこからくるあらゆる苦悩から救ってくれるのが、ブルースであるとイギリスでのインタビューで話している。そう考えると、彼が歌うブルースは様々な苦悩からの解放を求める切ない叫びにも聴こえる。

 正直、わたしがはまり始めたのは大学受験の頃で、そんなに悩むような大人でもなかったのでクラプトンの事例は当てはまらないのであるけど、結局その後突き進んだのは、たぶんこれなんだなと、思う。
 ブルースは敗者の音楽で、ロックは反逆者の音楽。
 まあ、ブルースなんて誰も分からないよね、というのは簡単だけど、なんで惹かれるんですかねえ・・・。日本で一番著名なブルースシンガーとしては山崎まさよしになるのでしょうが、海外だったら誰を押したいですかねえ。
 余計な話やめましょう。

 わたしが初めてこの作品の秘密に気づいたのはボンバーズの首領であるレイブンの服装で、あれ、これどっか見たな、から始まっているのです。
(それぐらいまったく基礎知識がなかった……)
 しかしこの時代のたばこは自由ですねえ・・・。高架鉄道内でも吸ってるし。
 この映画はいちおうリッチモンドが舞台ということになっているのですが撮影はシカゴでしたそうで、わたしも見た瞬間、あ、シカゴだ、と思ったほどです。
 そもそもわたしはリッチモンドがどこにあるのか知らないんですが。

 世紀末的な、80年代をベースにした嫌世的な退廃感も、80年代なんだろうかとわたしはもっと後の世代なので分からないのですが、とにかくその時代の音楽よかったことは分かります。
 R&Bの芽生えだったのか、素敵で幸せなシーンがたくさんある。
 それでもアクションは忘れていなくて、「ロック・オブ・エイジス」と違うのはこの部分。ほんとうにどうしようもない逃走劇なんだけれども、こんな短い話をよくこんなに深くできたなという感はする。逆に言うと「ロック・オブ・エイジス」はひよってるんだなあと、思ってしまったほど。

 さて真相に迫ろう。
 このストリート・オブ・ファイヤーは、カプコンのアーケードゲームであるファイナル・ファイトのモデルになった映画である。wikipediaでよんでほしい。ファイナル・ファイトはそもそもストリート・オブ・ファイヤーをゲーム化したものだ。
 分からない人に簡単に言うと、このカプコンのファイナル・ファイトは、のちの大傑作シリーズになるストリート・ファイター2のベースになる。ファイナル・ファイトの1対多の戦いを、1対1にしたのがストリート・ファイターである。
 コービィーがキャラクターとして登場する。
 わたしは高校時代がスト2世代なので、高校の親友とゲームセンターでずっと格闘ゲームばかりしていた。いまだに年末などは集まってにぎやかにゲーム大会をする。語り始めるときりがないので省略するけど、カプコン製のアーケードゲームにはいくら払ったか知れない。
 ラスト付近に出てくる、コービィーとレイブンの1対1の決戦はまさにストリート・ファイターで、これをゲームにしようと企画書が出てきたことは想像に難しくない。

 たぶん説明がほとんど分かっていないことだけは分かっている。
 で、まず、売れてないけどいい映画だとよといいたい。その理由のほとんどはロックがいいという、もちろんブルースもいいというそういう理由になる。その音を聞かせる余興として、まあ映画を作るのもよかったのではないか。

 ストリート・オブ・ファイア、お勧めです。

 
 


| 映画評 | 01:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
冷やしラーメン

 5月だったかの、たぶん月末の土曜日だったと思うのだが、昼食に迷ってこんなに暑いのだから冷やしラーメンにしようと思って帰り道のファミリーマートで冷やしラーメンを買おうと思った。
 しかしいくら探しても涼しい店内にはなくて、仕方なく蕎麦にした。
 たぶん5月だからさすがにまだ季節ではないのだろう、などと納得したのだが、7月に入ってもまだなかなか見ない。コンビニに入るたび、スーパーに入るたびに冷やしラーメンを探すのだが、とにかくその姿を見ることがない。
 その代りに冷やし担々麺ばかりあちこちで見つけるのだけど、どのコンビニへ行っても、スーパーに行ってもそこにあるのは、どこも決まって冷やし担々麺。
 たぶん、何を言っているかわからないかもしれない。

 わたしはそれからつい最近も、日曜日によく寄るコンビニで冷やしラーメンを探した。梅雨なのに暑い日で、汗だくにはなっていた。そもそも立ち寄った理由は、水を買うこと。何の考えもなく冷蔵ケースからペットボトルを取り、冷やしラーメンは探すのだが、そこを占拠しているのは冷やし中華の何種類あるかわからない、占拠された棚。そして、隅っこには冷やし担々麺。
 わたしはハンドタオルで汗を拭って、そのまま水を飲んだ。
 それぐらい茫然と考えていたのである。
 あっ、と気付いたのがとても不思議で、あわててレジに駆け寄って、
「す、すみません、飲んでしまいました」
 と言って会計をした。
 レジの店員はくすくすとわらっていたのだが、たぶんわたしが同じ曜日の同じ時間に来るいつもの客だったから問題にならなかったのだろうけど、危うくそのまま気付かずに店を出るところだった。

 あるとき、近所のディスカウント店に待望の冷やしラーメンを見つけた。
 それはコンビニでもスーパーでもなく、まあ言葉は悪いけれども場末のディスカウントストアだった。その冷やしラーメンは暑い日だけあって、とても旨かった。
 もはやコンビニやスーパーの最新トレンドで動いている世界からは淘汰されてしまった冷やしラーメンがディスカウントストアには生きていた。
 正直言うと、わたしが知っていた冷やしラーメンは普通のお店、例えば富士そばなどでもメニューとしてあったはずなんだけどなあと思ってしまう。それがたぶん数年もたっていないはずなのに、もう最新は冷やし担々麺になってしまい、最前線から消えてしまう。
 時代が流れるのって、ほんと速い。

 本日、フジテレビの夜のニュース番組の締めで、女の子が論説委員みたいな人に話していたのが印象に残った。
「岡本さんが、この夏食べたいものは何ですか?」
「ぼくは、冷やしラーメンかな?」
「ああ、冷やし中華ですね」
 わたしが、うわー!!!!!!!!!!! と思ったのはよく分かるだろう(笑)。
 こんなに簡単に世の中は流れていく。

| 雑記 | 02:25 | comments(4) | trackbacks(0) |
 『おもひでぽろぽろ』を観た。
 数多くの偶然が重なって、これまでジブリ主要作品の中で、唯一観ていなかった作品を観た。そして多分これがわたしには重要なのだが、これがマイベストジブリである気がする。
 物語の骨子はこうだ。
 都会の大手会社の職を持つヒロイン、タエ子は田舎にあこがれていて、10日間という長期休暇を取って、山形の山村で田舎に会いに行く。そのさなかに小学五年生当時だった幼い思い出がどうしても湧き上がってきてしまい、10才の自分と一緒に旅に出る。
 幻想的というよりは、リアリティーがありすぎて困ってしまったぐらいで、わたしもだいたいは何かをするときは、めんどくさいなあと思いながらも、幼い時の自分がいちいちうるさく口を出すのだ。

 この作品はだいたい40才近くなると、急激に心にしみるようになる作品のように感じる。なので、このヒロインのタエ子が27才だと知ったときは、いやー、27でここまでいけないでしょ・・・、と思ったのは確かだ。
 だけれどもそんな些細なことはおいておいて、特筆すべきなのは、これが初めて、そしてこれ以降もない、大人向けのジブリ作品、まあ風立ちぬはどうなのとかは話せそうだけど、それ以外は一切、大人も楽しめる子供向けの作品なのだ。
 そんな、大人に向き合った作品に目を向けてみよう。

 この『おもひでぽろぽろ』に向き合ったのは、ある作品の影響がある。
 それは小説で、いま2周目を読んでいる最中なので何とも言えないのであるが、たぶんその作品を説明するときにそれは『おもひでぽろぽろ』のようだといい、『おもひでぽろぽろ』を説明する時も、その作品のようだというと思う。
 自分は実は豊穣だったのだと、思い起こさせるというか、とても大切に過去を扱っている人々の物語なのだ。これは2周目が終わってから書く。
 『おもひでぽろぽろ』の稀有な部分を書こう。

 この映画は絶対にストーリーではない。
 些細とさえ思えてしまうような繊細さであって、小説で言うところのディテイルの描写だといえる。例えば序盤30分で繰り広げられる小学生時代のエピソードの数々、ただパイナップルを食べるというだけなのに、その空間に引き込まれてしまう。例えば、広田くんとのエピソード中で語られるクラス対抗試合の顛末、おもひで自体はかわいらしい話なのだが、気付くと広田くんが、なぜタエ子に惹かれてしまったのかが分かるような気がしてしまう。
 それほど目立つわけではなく、控えめで、自己主張も少ない。それでも家に帰ると、思いのほか自由で(つまり内弁慶なのだ)、ふわふわと穢れなく漂っている。そんな様子を今井美樹さんの弾むような静かな声で語られると、その人を構成している大切な過去なのだなと思えてくるのだ。
 この作品はそんな思い出と一緒に旅にでる27才の女性の物語だ。

 少し外れて、思い出話をさせてもらえれば、わたしは「田舎のある」の人間である。
 それはタエ子がこだわっていたことだし、とても重要な地点ではあるとは思う。
 わたしは、父方の故郷が伊豆の修善寺にあり、母方は三河地方にあったがその後群馬に移住した。わたしにとっての故郷は伊豆であり、狩野川流域がわたしの故郷だった。
 メダカも、フナも、当時の用水路にはいたし、子供のわたしが手網ですくって、水槽で飼うことは普通のことだった。父はたぶんそのフナをわたしとの思い出だと思っていたはずで、フナの寿命が来るまで、水槽を玄関に置き続けた。
 わたしはそのおじいちゃんの家に行く日がとても好きだった。
 東大和市という今ではだいぶ印象の違う北多摩の端っこに住んでいたのだが、拝島まで出れば国道16号という首都圏屈指の幹線道路が通っている。そこからひたすらに南下し、どういう経路なのかはわからないのだが、小田原厚木道路を通って、箱根まで行っていた。
 箱根まで出れば、伊豆までは箱根ターンパイクを超えればわずかなのだ。
 この厚木‐小田原間をどう移動したかが問題になる。

 どうでもいい話をすると、東大和市は埼玉県の所沢市と隣接する東京の端っこで、所沢は埼玉西武ライオンズの本拠地があるので、だいたいライオンズのお膝元である。西武の黄金時代が重なったこともあり、わたしは生粋の西武ファンだ。
 東大和市から西武ライオンズ球場までは、狭山丘陵という難所を超えなければならない。
 たぶん、猛者なら自転車で1時間もあれば通える距離なのだが、だいたいはその丘陵の登り口である八幡坂で挫折する。この名称は八幡神社のすぐそばを通るからと思われるのだが、幼いわたしには30度ぐらいの傾斜に見えた。
 現在では、スキーでだいたいの傾斜感覚は分かっているので、30度とかありえないだろうとは思うのだが、長く傾斜のきつい坂だったことは覚えている。
 だから、西武球場まで自転車で行くことはありえない。
 八幡坂の後も、狭山丘陵のアップダウンを超えなければならないからだ。
 幼いわたしは西武ライオンズ友の会に入っていたので、そこにたどり着けば無料で球場に入れた。郭、渡辺、工藤、清原、秋山、石毛、田辺、伊藤、もうどこまで名前を並べたらいいのかわからない黄金時代の西武である。わたしが生粋の西武ファンだということは分かると思うのだが、お膝元の東大和市から西武球場に通うのは大変だった。
 それは狭山丘陵を自転車で超えるのは困難だったからだ。
 ただ、両親に連れられて車で、年3、4回はあの沸き立つ西武球場に行った。
 ビールは苦くて飲めなかったが(そもそも違法だ)、ファンクラブの特典として配られるフルカラーの選手のインタビュー満載の会誌は、どんだけ読んだかわからない。今になってみれば、わたしはきっちりと西武ファンにされたのだなと思うのだが、10才程度の少年が球団キャップを無料でもらって、ありえないぐらい豪華に作られた球団誌を渡されたらどうなるかは、理解しやすいと思う。。
 そしてそれは黄金期だったのだ。

 なんか話が違う。
 『おもひでぽろぽろ』の話だった。

 正直なことを言うと、わたしはこの映画をDVDで初見して評を書こうと思ったのだが、たぶんこの原稿が投稿されるのは初見から2週間後ぐらいであると思う。
 1週間で見るはずだったレンタルビデオをもう一度借りることになった。
 というのは、この作品には良質な解説本が出ていて、『文春ジブリ文庫 ジブリの教科書6 おもいひでぽろぽろ』というのがそれで、これを確認するまでは安易に書けないなあと思っていたのだ。そしてそんなときに限って、本の到着が遅れる。水曜日に注文したはずが到着したのが月曜日。
 そしていま急いでそれを確認して、結局重要なのは高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサ、宮崎駿制作プロデューサの発言だけだと確認した。
 他が意味がないというわけではない。
 この『おもひでぽろぽろ』はそれぞれに独自の感慨を抱かせる類の、なんといえばいいのだろうか触媒に近い作品なので、どう化学反応したのかは本人が持っているものによって当然に違うので、他人の意見は相対的なものになる、というだけなのだ。
 もし感想が常に同じになる作品があったとしたらば、それはジャンクフードなのだ。
 出会う人で会う人がみんな違う感想を言う作品があれば、それは奥深い作品なんだと思う。まずそこがわたしが『おもひでぽろぽろ』をマイベストジブリと断言する一番の理由だ。

 この作品のわたしにとっての魅力は、主人公であるタエ子の幼いころは可愛いのだけれども、小学生のタエ子単独では存在し得ないところにある。わたしは抵抗するのだけれども、27才のタエ子とリンクしているところが、この物語の骨子だ。
 この27才が肌感覚的に理解できないのはおいておいて、わたしは40近い年齢の物語として観たし、やはり大人にお勧めしたい映画だ。
 というのは大人のタエ子が、達観しているからだ。
 さすがに40近くまで生きると、良心の呵責に耐えられなくなるようなこともいくつも経験する。大袈裟なことではなくて、大失敗もあるし、些細な点でうまくできなかったと思うこともある。それをいちいち思い起こしていたときにやってきた『おもひでぽろぽろ』は、清涼感のある、そんなに悪いことばかりじゃなかったでしょ? と言ってくれる映画だった。
(たぶん作った側はそう意図はしてない)

 山形に着いて、トシオさんが出てくると突然物語が変わる。
 小学生編は終わって、27才編が始まる。
 この人は声優が柳葉敏郎さんなので(気付きにくいけど)、非常に重要な人だと振り返るとわかる。
 しかし、このふたりの空気感は絶妙。
 百姓の音楽、好きなんです、おれ百姓だから。かっこいい。の下りとかすごい。
 この付近の光景とか、徐々に夜が明けていくのが分かってほんとにディテイルがすごい。
 いちいち脚本のすごさが光る。

 たぶん理解できないかもしれないけど、雨の音だったりする。
 雨の営みが、山形の農村を包み込むような、空気感が素晴らしいのである。これは音であって、経緯ではない。
 こんなことに気付けたのは、前述の小説を読んだおかげだ。
 雨の音がいい。
 わたしが音と錯覚しているのは、映像での雨の表現を音だと思っているのもあると思う。
 世界が生きていると感じるのは、実際の現実でもなかなか難しい。

 タエ子が分数の割り算で悩んだというくだりは、わたしはたぶん記憶にないので、タエ子の言う通りすんなり行っちゃった人なのだろう。本質を考えると確かに厄介なのだが、これは数式が分かっていないからで、2/3÷1/4は、(2÷3)÷(1÷4)で、0、66666…÷0.25になり、結局8/3になる。ここは熟考すればもう少しわかりやすい説明の仕方がある気がしないでもないのだが、面倒なので逆さにひっくり返せ、で終わるのでいろいろ問題になる。
 これは面倒だから説明していないところなのだ。
 こういう、ところは世の中にはたくさんある。
 それを知りたいと思うことは、世の中の秘密に対する好奇心みたいなもので、そういうどうなるのかを見てみたいと強く思う人は、たいてい面倒で厄介な人として周辺とぶつかることになる。
 わたしはそういう人なので、同じような人には同情的だ。
 だけれどもそうしてしまった自分の失敗を、やっぱり失敗だったと思うことが多い。
 失敗するチャンスを奪うなと言われたこともある。
 だけれども、それはつらいぞ、いいのか、とどうしても反論したくなる。

 しかし『おもひでぽろぽろ』ののどかな空気はそんなことも忘れさせてくれる。
 わたしは女性ではないので、そもそもトシオさんがありえないぐらいの理想形の婿だろうということはまったく分からない(ただし、前出の参考書では監督本人がそういうことを言っている)。
 あー、めんどくさいなあと思うのは、この原稿のメモに、

 「1:21:00がつながらない。ここ重要」

 と書いてあることだ。なんだ、覚えてないぞ。
 たぶんカラスのシーンなんだが(それぐらい繰り返し見ている)、なんだべなあと思う。
 いちおう見直してみたのだが、なんなのかが全く分からない。
 わたしの感覚が正しければ、ここはこの『おもひでぽろぽろ』の転なのだ。それがきわめて不自然な形で、強引にねじ込まれている。ここは脚本が厳しくて、甘くなりすぎたというのであれば理解できるのだが、ちょっとジブリ品質ではないだろと思える強引さではある。

 これ以外は、特に語るところは無くて、今井美樹と柳葉敏郎すごいよね、で終わる。
 さりげなく言っているセリフですごいのは、もう五年生のわたしなんて連れてこないから、という部分だったりする。
 たぶんこのセリフは拡大解釈する余地はある。
 だけれども、最大限の拡大解釈をしてラストシーンに向かおう。

 わたしのマイベストジブリです。

| 映画評 | 03:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
世代間の紛争

 今、たぶんわたしを悩ませていることがあればこれだ。
 わたしは基本的に、戦前の人間が嫌いだ。
 それは、その思想が、心意気が、魂が、日本を殺したのだろ、思えるからだ。
 ただ、これは酷である。

 なぜならば、一般的な人は社会を動かすだけの主導権を持てる機会さえなく、武力を背景とした経済に従うしかなかったから、なのだ。これを武力を政治力に書き換えて読み進んでみよう。
 いま起こっているのはだいたいこういうことで、この政治力と武力を等価として語られているのが今で、根本的に間違っているのは、政治力の因数分解と、武力の因数分解を理解していないことにある。

 武力にはほぼ因数分解はない。
 軍事力というのは昆虫のような命令系統で、日本にはそんな効率的な革命は起こっていないことは分かり切っているので言うのであるが、命令禁止の原則が守られていない。

 対して政治力には、反発することができるのが議会政治だ。
 原則的には、票を背景に議席を得た議員にすべて自由行動が許される。
 そこには様々な立場の人がいる。
 ここをシンプルにしたい。
 それぞれの人が自分の思うように、自分の意思を表明するのがいい。
 空気なんて読むな。

 わたしはだいたい団塊ジュニアの世代である。
 団塊世代はどんなに苦労したんだろうと思うのだけれども、反発というか憎しみをぶつけられることが多い。もっとも感じたのは今年の名人戦の羽生vs天彦戦で、わたしは羽生をよく知っているので応援していたのだが、荒い反応が多かった。たぶん特定できない範囲で書けば、羽生落ちろ、みたいな反応だ。
 名人戦なんだから、どっちが勝つかの勝負であって、負けろという反応はない。
 名人と挑戦者の勝負だから、それは、勝負を見届けようよという雰囲気ではなくて、羽生名人に殺意を抱いていた。これは単純に恐ろしかった。
 ある層を迫害してはならない。
 正常な公正な勝負の世界で決める世界だ。
 それがないのはこわい。
 わたしは就職氷河期時代のたぶん一番怖いと言われている世代なので、迫害されるのは分かるけど、復讐しか考えなくなるからね、としか言う以外ない。だいたい氷河期世代が怖がられているのは復讐を考えているからと思われているからだ。

 というわけで被害妄想は終わり。
 実のところ、新作小説の序文を出そうかなとか、そもそも、だいぶ書いてなかったので、思っていたのだけれども、個人的にはそれを書いていることで、とてもハッピーになってます。もちろん、読んでくださる方もハッピーになる文章を書いていると思いたいw
 いま192行書いてます。
(40字詰めです)

 まあ、なんかTwitterのつなぎ合わせのようになりましたが、ちょっと長く不存在だったので書きました。実際には書いているのですが、公表できるまでが長いので、ちょくちょく近況報告します。
 だいたい黙っているときは、夢中に書いているのです(^_^;
 あ、いいです。
 もともと分かっていたけれども、楽しいです。
 これが作家冥利です。

 執筆中で話せない時のやり方として定着するといいなあ、などと思いますw
 世代間の紛争どこにいったんだw








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