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「アリータ: バトル・エンジェル」を観た



 本作のヒロインを、アリータと呼ぶか、アリタと呼ぶか、ガリィと呼ぶかで、本作に対する態度を表していると思う。
 ガリィは本作の原作である銃夢のヒロインの名称で、あんまり詳しい説明はされていないのだが、おそらく英語の隠語にあたる言葉に発音が似てるからなのではと邪推できる理由で、この名称は使われなくなった。
 アリタは銃夢の中で一瞬だけガリィを呼ぶ名称として使われる(詳しくは銃夢のwikipediaを参照)名称で、おそらく製作総指揮をしているジェームズ・キャメロンが原作尊重の立場からこの名称を選んだ。
 アリータはそのアリタを英語に直したAlitaの読みがカタカナにするとアリータになるのだと思われる。
 わたしは英語に詳しくないし、この文章が英語圏の人に読まれるとは思えないので、本作のヒロインをガリィと呼ぶことにする。

 wikipediaによると本作は原作である銃夢の1〜4巻を中心に描かれるとされているが、実は5巻のザパン編に登場する賞金稼ぎたちも登場する。しかし、6巻の以降のTUNED編の登場人物は登場せず、だいたい1〜5巻の中からごちゃまぜに作ったと考えるととてもわかり易い。
 ただ、モーターボール編も描かれると言っても、帝王ジャシュガンがちらっと出る程度で、ジャシュガンの妹シュミラも登場しない。セカンドリーグへのセレクション(トライアウトのようなもの)が主に描かれる内容で、モーターボール編で出てくる数々のライバルたちも登場はしない。

 それでもと言うべきだろう。
 総製作費2億ドルを越え、1分1億円以上かかっていると言われるアクションの数々はまるで息をつかす暇もない。原作3巻でイドがモーターボールプレイヤーのVAモニターを見て、
 ――僕の目と耳はいきなり時速300kmのバトルに投げ込まれた!
 ――たしかにこいつは強烈な大人向けジェットコースターだ!!
 と言っている原作者木城ゆきとの意図をかなり忠実に描いていて、超高速空中格闘技戦がものすごい密度で展開される。
 また、ガリィが自分の心臓を取り出すシーンって原作ではジャシュガンとの賭けのシーンなんですね、これがまたうまく使われていたり、ユーゴ(映画版ではヒューゴになっている)の最期のシーンは原作通りなのですが、その前に伏線がはられていたり。
 また多分そうしないと売れないからでしょうが、映画版でイドとガリィの関係は親子関係を連想させる作りになっているのです。
 原作ではイドが脳死の発作持ちのジャシュガンのチームのドクターとして入り、シュミラがあたかもイドの恋人のように振る舞ってガリィを苛立たせるなんて話があったり、最後の戦いに挑むジャシュガンがシュミラに、お前はイドのお嫁さんになれ、と言い出したりと恋人関係を匂わせる作りになっているのから見ると、かなり大きな違いです。
(ちなみにどうでもいい話ですがこの付近でガリィが屋台でラーメンを啜ってるコマが入っていたりします。予告編でアリータ(ガリィ)がオレンジを齧るシーンが有って、原作に食事するシーンってあったっけ? と話題になっていたので)
 最後の方でアリータ(ガリィ)が、イドに向かってお父さんというシーンが結構ぐっと来て、多分言われないと気づかないのでネタバレにはならないのですが、この映画は親子物語として作られているのです。

 この映画の大きな特徴である大きな瞳については、初見で慣れたw というか違和感まったくなかったですw
 また原作から入った人からすると、ガリィの服装は黒のレザースーツなのですが、おそらくあんまりセクシャリティを主張するのが米国ではまずいのでしょうね、とてもファンシーな格好で、それが普通の子っぽくてとても可愛かった。
 あとユーゴ(ヒューゴ)って、2巻でいきなり出てきて3巻の冒頭で死ぬのでそんなに重要なキャラクターという印象はなかったのですが、ヒューゴ(ユーゴ)は最初っから出ずっぱりでまさのこの映画は、イドとガリィの親子物語とガリィとヒューゴ(ユーゴ)の恋愛物語を中心軸に描かれます。
 また、やけにザパンが執拗に出てきて、原作でもこんなに出てたっけ? と思ったのですが、原作見ても結構出てますねw 多分ザパン編の印象が強すぎてその前にザパンが出てたというのを忘れてしまうんでしょうね。ちなみに私はザパン編が一番好きです。

 というわけで、こんなマニアックな漫画をよくもハリウッド超大作にしちまったなw という大変な作品になりました。
 続編は多分ないでしょうが、どういう構成にするのかなと想像するのは楽しいですし、そういう妄想をするのはとても良いトレーニングになります。うーん、わたしだったら、TUNED編を本編にしつつ、ガリィのオペレーターであるルゥとの会話の中で回想として、モーターボール編とザパン編を語りますかねえ・・・。
 あー、でもコヨミちゃんがいないんだ・・・。
 原作だと、マカク(グリュシカ)に人質として赤ん坊だったコヨミちゃんが囚われるのですが、出てきませんでしたねえ・・・。
 コヨミちゃんがいないと、バージャックの乱は描けない。
 こんな重要なキャラクターだったんだ・・・、と唖然とするんですがw 電さまとケイオスは見たかった・・・。

 というか、まあ、銃夢オタクが語ってしまいましたw
 高校の頃にこんなのあるんだけどどう思うと同級生に読まされたのがきっかけでした。
 正直、どんだけ影響受けたのか、まったく把握しきれません(^_^;

| 映画評 | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
 『ガンダムNT(ナラティブ)』を観た


 上映週も第4週に入り、もう終日上映しているのはメイン館である新宿ピカデリーぐらい、と新宿3丁目まで出向いて観てきました、ガンダム・ナラティブ。
 本当に偶然なのですが、配給会社松竹の旗艦シネコンだけあって、ナラティブを未だに推す気まんまん、わたしがたまたま出くわした回が、爆音上映回だったらしく受付で障害者手帳を見せると、
「あー、席一つだけ空いてますが、爆音上映になりますので、どのようなお客様でも一律1800円となります。このつぎは、えーと、21時の回になりますね」
 ちなみに18時の回もあったはずなので、こちらは満席なのだろう。
 さすがに21時まで待てないので、爆音上映の席を取る。
 開場待ちの行列は、さすがに爆音上映にやってきただけあって、おそらく複数回観ているだろう猛者ども、チケットもぎりで特製カレンダー(B3版のポスターと思うとだいたい合ってる)を渡され、これどーします? こまりますよね、これ、などと話していたりする。わたしも別にポスターが欲しいわけではなかったので、途方に暮れたのだが、席まで来て隣の席の人が、四つ折りにしていたので、まあそれでいいかと、わたしも四つ折りにした。

 この映画自体は、良いところを話そうとするとすべてがネタバレになるという、すさまじい構造になっていて、公式のあらすじ見ても全然説明していないし、1分30秒のロングPVぐらいですかねえ、わりかし断片的に話しているのは。
 コロニー落としを予言した3人の奇跡のこども。
 この3人の運命を描いたのがこの物語です。
 ただまあ、悩ましいぐらいにフェイク(ミスリードを誘う要素)が散りばめられていて、最後まで実際にこの話がなんだったのかをつかめた人はあんまりいないのではないか、と思えてしまいます。
 とくに最後の方のミシェル・ルオ(ルオ商会の特別顧問。ルオ商会会長ウーミンの娘)の言葉とか、分かってないと理解できないのです。
 そういったことを踏まえていいますと、この映画はとても良くできています。
 まあひとえにミシェルが良いのですが、ミネバ・ザビにしろ、ミシェル・ルオにしろ、ほんとうに福井さんは女性ヒロインを生み出すのがすごくうまいと感じてしまいます。また敵役として異彩を放つゾルタンもキレッキレで、マジキチっぷりを存分に発揮して逆に気持ち良いほどです。
 お話としては、現在公式サイトのキャラクター紹介を見ているのですが、消息不明となったユニコーンガンダム3号機フェネクス(このパイロットが3人の奇跡のこどもの一人リタ)を地球連邦軍のヨナ(この人も奇跡のこどもの一人)とネオ・ジオンのゾルタンで奪い合うというお話です。
 新しいニュータイプ論に踏み込むところはちょっと一見さんお断り的な感もあるのですが、北米のニュータイプ研究所とか言われても、あ、オーガスタ研ですね、とサラッと出てくる人を商売の相手にするのはどうかと思うところはあります。
 ただエンドロールが流れたときに、3人の奇跡のこどもたちがどのような運命に翻弄され、必死に生きていたのかが思い起こされ、なんてこの世は罪深いものなのだろうと、悔しいけれど思ってしまうのです。
 ネタバレせずに語れるのはこの辺が限界です。

 さて図らずも、爆音上映となったのですが、人生初体験の感想を言えば、
 ――ガンダムは今後ぜんぶ爆音上映したほうが良くね?
 もうね、快感なんですよ、戦場音が。ビームライフルの音とか機械が破壊される音とか。オルフェンズとかたぶん爆音で観たらすっごい快感だと思う(まあ、オルフェンズは燃える戦闘シーンとかないけどね)。
 2回めの戦闘ぐらいの宇宙での戦いで、微妙に音楽が入ったりするのですが、いらないよ音楽なんて入れるな! この戦闘音だけ聞いていたいんだよ! と思ってしまうほど臨場感抜群で、後になってここで音楽挟んでおかないとクライマックスで音楽使えないからだったんだなあ、と分かるのですが、このときは本気で、いらんよそんな無粋な音楽、と思ってしまいました。
 本作は敵役のゾルタンがマジキチなために、恐ろしいほどの破壊が起こるのですが、それさえも快感に思えてしまうほどのゴージャス感。破壊というのは一種の快感なのだなと思わせてしまうほどの、破壊の連続。そして最後にやってくる謎の感動。
 エンドロールは誰ひとりとして立たず、それが終わった後に予告編が流れる。
 砂浜のリゾートの映像が2秒流れただけで、
「ハサウェイか・・・。」
 とつぶやいてしまったほど。それは2019年のつぎの冬公開予定の「閃光のハサウェイ」の予告ムービーで、同名の小説のキャラクターデザインをした美樹本デザインのハサウェイがビーチでなにか悩んでいる。となると本作のヒロインのギギ・アンダルシアも美樹本デザインということになる。

 新宿ピカデリー第6スクリーンから退出しながら、猛者ガンヲタたちの言葉を聞く。
「いやー、小説版のラストシーンを再現しようとしていたのですが(たぶんプラモでの意味)、いったいフェニキスがどうなっているのかがつかめなかったんですが、映像を見てようやっと分かりましたよ」
 小説版があるだなんてはじめて知った。
「前後編でネオ・ジオングがでてきた時点で、ぶちっと切れるのかなと思ったら最後までやったねえ」
「もともと原作小説一本分しかないんです。こんなもんです」
 まあガンダムオタクのコアコアの人が来てたと思われる回だけに、熱量はすごいのですが、ここからハサウェイを経てどこにつなげるのだろうというのは、だいぶ先の話になりそうです。

 もし、ナラティブの公式ポスターを見て、なんじゃこれネタバレすぎるだろ!
 と思えたのでしたら、あなたはこの映画を一応理解しています。
 もし、はい? 何言ってるの? と思うのでしたら、あなたはまったくこの映画を理解していません。

 あなたはどっちでしたか?




| 映画評 | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
伊賀上野で見たオレンジのアクアの話


 関西を旅行したときに、ふと伊賀上野城を訪れたことがある。
 青春18切符を使って、未知だった関西の鉄道を乗り潰そうとでかけた旅先。ふと、伊勢から奈良へ向かうたった4両の関西本線の車両の中吊りに、藤堂高虎の高石垣を天下の名城と謳う広告があったのだ。
 その旅は予定を定めない旅で、18切符が5枚刷りであるから最低5日間、結果的には7日間に渡る鉄道旅だった。そんなさなか、名古屋の宿泊所から、つぎの宿泊所を奈良に3泊と定めて旅立ち、伊勢神宮を参拝したのち、伊勢から亀山を抜けて加茂に向かう。
 この加茂駅がJR中央本線で言うところの高尾駅で、都市近郊路線という様相を呈し、奈良は八王子に該当するような地点にある。
 その亀山から加茂に抜ける最中に、伊賀上野があるのである。
 当然それは、奈良から伊勢方面に戻ることになる。
 また関西本線はJRなので、貴重な18切符を1日分つぎ込むことになる。
 あとになって考えてみると、たぶんこれがなかったら、比叡山延暦寺か、安土城に行けただろうなあなどと思うのだが、それこそ後知恵の最たるもので、当時はその見てしまった伊賀上野城の高石垣が心をつかんでまったく離さなかったのだ。
 これもあとになって気付くのだが、当時泊まった奈良の宿泊所は、奈良の猿沢池という有名な池の真ん前で、近鉄奈良駅から帰ってくる最中に、興福寺の境内を通って帰ってくるというめまいがするような高立地の宿舎に泊まっていたのだが、
「奈良は夜が早くて飯食うところがない・・・」
 などと見当違いの文句をぶつくさ言っていた。

 旅路を戻って伊賀上野駅にたどり着いたときに感じたのは、圧倒的など田舎にたどり着いてしまったということだった。たぶん多くの人がなんて馬鹿なことをと嘆くであろうことに、わたしは伊賀上野駅から、上野城を目指したのである。
 現地の地図を見れば明らかなのだが、上野城は伊賀上野駅からぐるりと伊賀線を回った上野駅が最寄り駅だ。わたしは数駅分を真夏の熱暑の中を歩いたのである。

 たぶん、衛星写真を見れば明らかなのだが、伊賀上野駅から上野駅まで徒歩で歩いたと思われる地域には、田んぼしかない。避暑地代わりにスーパーやら、コンビニやらを伝え歩いたが、駅から離れると(上野駅方面に向かったという意味なのだが)、もう店がなくなる。
 そんななか、唐突にオレンジのカラーの、トヨタ・アクアを展示する店に出会った。
 その都会的なカラーが鮮烈だったのだ。
 この田舎に、いきなり都会カラーがやってくる暴力。
 それで、その時のわたしの印象は吹っ飛んでしまった。
 忍者屋敷は楽しかったし、上野城の高石垣は本当に高かった。
 わたしは、伊賀上野は良いから散策しなよといいながらも、本当に楽しみたかったら、伊賀上野から歩くと楽しいよ、とたぶんいいたいだけ。

 

| 雑記 | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢いっぱいの料理の未来

 わたしの住んでいる家の近くには、大きな図書館がある。
 最寄りのコンビニよりも近く、徒歩で通える。
 近所にスーパーがやたらと多くて、コンビニが恐ろしく遠く、自転車圏にあるという事情もあるのだけど、近くにこんなにでかい図書館があることになんの価値も感じていなかったわたしが、今では恥ずかしい。

 わたしがその価値にふと気付いたのは、2010年からつけているノートを全部手打ちでデジタル化しようとしたとき。
 そのノートはいわゆるエジソンノートで、モレスキンノートに、びっちりと細かい文字で気付いたこと、思ったことを書き連ねたものだ。その中には、新聞やネットで拾った、読みたい本がピックアップされて、リスト化されていた。
 かなり乱暴に間引いた最新版リストで、110冊。
 これが猛烈に読みたいと思った本なのに、読んでない本なのである。
 しかし、この110冊の平均価格を3000円とすると(わたしが欲しい本はたいていハードカバーのバカ高い本なので)、33万円。この値段をはした金だぜ、ほらよ、と出せる人はたいてい、本なんて読む暇のないほど忙しい人だ。
 リストを眺めながら、天啓のように、ふと、ひらめいた。
 ――あれ? これって、図書館に買ってもらえばいいんじゃね?
 たいへん浅ましくあるけど、この考えは完全に間違えていて、それ以上に素晴らしい世界が広がっていたというのがこのエントリーの趣旨なので、まずきっかけはここまで。

 すぐにわたしは図書館のホームページの蔵書検索に、リスト化された書名を打つ。
 読みたい本と言っても、あまりにも専門的すぎて数万円ぐらいしそうな本もあるので(現代訳されていない古書とかもある。そうなると数千万円だ。例として等伯画説を挙げようとしたのだが、国会図書館に現代語訳されたものがあるっぽいねえ・・・。アマゾンでは流通してない)、一般受けしそうな数多く流通していそうなところを狙って調べていく。
 そうすると、びっくりすることに、図書館に蔵書があるのである。
 ただ、あまりにもマニアックなので他人が読んでおらず、現在貸出中という状況を突きつけられたことはなかった。それで宝の山に出会った気分で図書館に出かけて市民登録をし、そのお宝をごっそり借りて、読み漁る。本来の目的に戻って、図書館にない本を買ってくれとリクエストしてみる。そうすると返ってきた答えは、
 ――熊谷の図書館にありました! 取り寄せました! 借りに来て!
 ――たいへん苦労しましたが、新座の図書館で見つけました・・・。
 この意味がわかるだろうか。
 埼玉県700万人の需要を満たす県全土の図書館の、すべての書庫の書籍が利用可能なのである(たぶん県立図書館は例外)。ネットワークで埼玉の図書館はつながっていて、どこかから請求があれば、だいたい一週間以内にすべての本が手元に届く。
 わたしが、これはは無理だろと思う書籍はリクエストしていないせいか、手元に届かなった書籍はない。そして、まだ読みたい本が市の所蔵本の中には大量にある。知的な情報に触れたいと思う人に、これほどありがたすぎるサービスが構築されていたとは思わなかった。

                   ※

 さて、こんな生活をしながら自分の借りた本リストを眺めて気付いたのは、その多くは古いものの本ということだ。映画史の本、各分野史の本、非主流の歴史小説、これとは異質なのは話題の新書、などがある。
 その中で異常に多いのは食文化に関する本。
 枕に、紹介するのは、「ニッポン定番料理事始め」である。

 ■ニッポン定番メニュー事始め
 https://www.amazon.co.jp/dp/4779119340/

 (嫌いなので、アフィリエイトの一切ない純粋なアマゾンリンクです。以下同じ)

 この本は、まず古本が安かったので買うことは決めて借りて、予想以上の内容だったので予定通り古本で買って、今手元にある。
 一言でいうと素晴らしい。
 著者が決めた編集方針に従って、書籍資料だけに基づいて書いているとのことで、あらゆる根拠が既刊の書籍にあるという、こんなにガチガチに堅い、岩盤資料はたぶん滅多にない。
 この本でわかるのは、だいたい日本的だと言われるメニューのほとんどが江戸時代以降、洋食は明治維新以降の発祥だということなのである。少なくともこの本で紹介している26の日本の代表的な料理のうち、江戸時代以前からのメニューはひとつもない。
(そういう、調べやすいところを選んでいるのはあると思う)
 食べ物の歴史というは、あんがい短いのである。
 少なくとも平安時代から続く食文化というのは、ない。

 つづいて紹介するのは「ラーメンの語られざる歴史」で、先週末に図書館で継続的に借りようと図書館の職員に聞いたらだれも予約していなかったので(やはりマニアックな本なのだ)、今も手元にあって、完読した。

 ■ラーメンの語られざる歴史
 https://www.amazon.co.jp/dp/4336059403/

 この本が書いているのは、スラムの食事であったラーメンが(極一握りの繁盛店を除く)、高度経済成長期を経て、バブル期を経て、高級料理になっていった過程である。
 多分多くの人が気づかないと思うの書いておくと、この本の中で書かれているのは、日清のマーケティングが、インスタントラーメンの普及を目的に、結果としてラーメン業界のすべてを作っていったという部分である。
 日清の創業者である安藤百福は財界でも著名な起業家で、インスタントラーメンに至るまでにいくつもの発明をして莫大な富を築いた。しかし、頼まれると断れない性格のためか金融業の元締めになるが、貸し倒れが大量に発生して無一文になる。それでも米進駐軍や日本の官僚とのパイプは太く、アメリカからの食糧援助で大量にやってきた小麦粉の使いみちを相談され、それではインスタントラーメンを研究しましょう、となるのである。
 そしてチキンラーメンの開発に成功し、大ヒットを飛ばすが、粗悪な類似品が大量に発生してインスタントラーメン業界自体が潰れそうになる。百福は、競合各社をまとめて業界団体を作って製法特許をライセンスし、製造協同組合を結成して、品質の向上を目指す体制を確立した。
 この「ラーメンの語られざる歴史」でもそうだし、他のラーメン史本でもそうなのだが、歴史は勝者によって書かれる。つまりラーメン史を紐解こうとするとどうしても日清の社史に頼らざるを得ない部分があり、当たり前だがそこで描かれるラーメン史の主役は日清だ。
 実はこの状況は、冷凍食品の分野でフランスだとピカール、米国だとスワンソンで起こっているのではないかと思っているのであるが、まだそれを確認できる資料に出会ってはない。米国の方の資料にはめどが立って安かったので古本を発注したのだが(週末届くらしい)、フランスのピカールは仏語圏ということだけあってまともな邦訳資料がない。

                    ※

 こういう本たちを読んで、わたしは自分が書いているSFへの影響を考える。
 わたしは物語における食事シーンの有用性をこれまでも何度か述べていて、5感に訴えることができる稀有なシーンが食事シーンなのだ、と説明している。使って不快でないならば何度でも使いたいシーンが食事シーン、それぐらい便利なシーンなのだ。
(考えてみると最近はほんとにグルメ漫画は大量に出てくるようになった)
 しかし、わたしはSFを書いている。
 はたして未来においておいしい食事とはどんなものだろう。
 少なくとも、わたしが見てきたSF(アニメなども含む)の中で魅力的な食事が描かれるシーンは記憶にない。そもそも洋画で美味しい料理のシーンがでてくることがあまりない。日本で「孤独のグルメ」や「深夜食堂」が不動のドラマシリーズとなっているのに比すると、食べ物自体をメインに置いた洋画はあんまりない。
 わたしが見たのは、「マダム・マロリーと魔法のスパイス」(いちおうドリームワークス作品なのでスピルバーグが製作総指揮という宣伝文句は入っていた)と、「シェフ 三ツ星フードワゴン始めました」ぐらいである。
 しかしこれを除くと、インディーズではラーメン映画があったらしいことは知っているのだが、映画として食い物のシーンを執拗に挟み込んだのは、「アミスタッド」(これもスピルバーグ映画)ぐらいしかない。
 こんな食に対する意識のアメリカが中心地のSFの中で、食い物に対して深い考察をしている物などないのだ。
 はたして、未来の食文化はどうなっているのだろうか?

 わたしが未来予測をする上でよくするのは、同じぐらい過去の時代から現代はどう変わって、その延長線上に同じぐらいの未来があるとすると、どう変化しているのか、と考えるやり方である。
 たとえば400年前の食事というとだいたい戦国時代の食事ということになる。
 この時代を選んでいるのは、わたしが「信長のシェフ」という、現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして活躍するという漫画が大好きだからであって、この作品は歴史考証がすごいということで知られている。
 それを見ていると、だいたいは食文化というのは、他国文化との衝突によって変化していくと読むことができる。
 戦国時代は鎖国前なので、海外からの文化が流れ込んできている。
 ワインが生産地から数ヶ月はかかる船便で運ばれてきたなんて話はにわかには信じられないのだが、信長はどうも飲んでいる。それでは400年後の未来ではどんな料理が流行っているのだろう?
 日本人に限って言えば、まだ発掘されていない料理の大鉱脈は、トルコ料理である。
 世界の三大料理と喧伝されるわりには、世界的にこれが話題になっていることを観測していない。正直に言うとこれと同じぐらい穴場なのは、アルゼンチン料理なのだが、アルゼンチン牛の輸入規制が撤廃されないと、こればっかりはどうしようもない。
 もうひとつは、英国の伝統的家庭料理なのだが、たぶんこれが一番破壊力が強い。
 そして、だれも注目していないし、だれも何があるのかを知らない。
 日本の地方にも忘れられていた郷土料理は数多くあるが、たぶん、英国の田舎にも豊かな食文化が眠っている。こういうことを発掘するのは知的冒険のようで、とてもわくわくする。
 こういうのをリサーチするのはけっこう大変なのだけど、なぜそんな引っかかり方をしているのかを探っているうちにピーターラビットと湖水地方にたどり着き、実は湖水地方というのは小さな領域なので、困ったなあと思ってスコットランド料理なんだろうか、などと考えているうちに、すぐそばにアイルランド料理という領域を発見した。
 実はわたしは、「旅する真葛」という古美術商ミステリーの主役のカフェにアイリッシュカフェを登場させた。このカフェはシャムロックという名称なのだが、じつはこのカフェのモデルは存在していて、フォー・ハーツカフェという。
 どちらも四つ葉のクローバーの事を言っていて、四つ葉のクローバーはアイルランドのシンボルだ。アイリッシュコーヒーという特別なメニューが有るぐらいだから、なぜだかわからないけれども、イギリスにはない特殊性があるっぽい。
 まだここまでしかリサーチはできてないのだけど、アイルランドに絞ってリサーチすれば、探しやすいだろうか。

                   ※

 「ラーメンの語られざる歴史」の著者がくり返し言うのは、ラーメンへの信仰というのは偽りの過去への回帰であり、昔ながらのラーメンの「復古」であるという部分である。具体的にはそのような流れが現れ始めたのは2000年代初期で、好んで「支那そば」という名称を使いはじめた流れを指摘している。
 しかし、何度も書いてきたとおり、ラーメンというのはスラムの食事であり、来々軒のような極一握りの繁盛店を除けば、たいへん貧しいお客を相手にしていた商売なのである。それが高度経済成長期、バブル期を経て信仰をまとった料理となり、行き着く先にあったのは、ありもしない過去への回帰だったのだ。
 しかしその醸成された信仰は他国へと伝染し、とても軽い言葉を選んで言うと、熱狂的なラーメンフリークが次々と新しいラーメンを作り始めているのが現状なのである。

 さてこのような歴史を見た上で、いったいどのような食文化がたとえば400年後に形成されているのだろうか。
 まず考えられるのは、ジャンクフードが洗練されて国を代表する料理になっているケースである。「ニッポン定番メニュー事始め」によれば、江戸の4大料理は、鰻、鮨、蕎麦、天ぷらであるとのことなのだが、これらはどれも屋台で提供されたジャンクフードだ。これまで書いてきたラーメンもしかりであるので、やはりジャンクフードが高級化する路線は実現している可能性が高い。
 日本でまだメインストリームに乗っていないジャンクフードってなんだろう? と考えてみるのだが、パッとはすぐには浮かばない。それで何か資料はないか、と探したときに手元にあった。
 「バクチごはん」(漫画)である。
 この漫画は公営ギャンブル場で提供されるジャンクフード(これがバクチごはん)を、大食らいの女子高生アイドルが、あまりにもマニアックな組み合わせで食べるという漫画で、すっからかんに能天気でじわじわと癖になるアホっぽさがとても好きな漫画である。
 この資料によれば(資料って言うなw つい目的忘れて読み込んでしまうので危険なんですよね・・・)、目次だけ拾うと、「合いがけカレー」「焼きそばとコロッケ」「しらす丼」「みそモツラーメン」「ニラレバライス」「どてデラックス丼」「黒焼きそば」「特製カレーうどん」となります(これが1巻)。
 実際には、合いがけカレーと言いつつも、カレーに生卵とおでんのじゃがいもを乗せ、そこに牛モツ煮込みをかけたりと、この組み合わせの妙がこの漫画の楽しさなので、正確にどの料理ということはできないのですが、なんとなくこのジャンキーなバクチごはんの世界がめくるめくワンダーランドに思えてこないでしょうか。
 というわけでこれは取材に行ってくるのがとても適切であろう(単に聖地巡礼したいだけという話もあるが・・・)。ちょうど予定していた遠征の昼飯をどうしようかと思っていたさなかに、ものすごい近いところにバクチごはんの舞台があることに気付いたので、これに行くことにしよう。

 世の中には未知がある。
 だから本という扉を開くのが楽しいのであって、わたしはトルコ料理の世界も知りたいし、アルゼンチン料理にも熟知したいし、埋もれている英国の伝統的家庭料理も生き返らせたい。
 だから本をむさぼるように読んで、まるでトルコにも、アルゼンチンにも、英国の田舎にも(正確にはアイルランドだが)、そして400年後の未来にも行ったような顔をして、しれっと、こんな感じだったよ? と話し始めたい。
 小説は歌とは違って、瞬間的に場を満たせるものではない。しかしそこにもっともぽい長ったらしい旅路を再体験することによって、他人の人生を生きることができるのが小説だ(最近、藤原さくらという天才を聞くようになって、これは無理だとおもうようになった。わたしがシェリル・クロウのようなトラディショナルな歌い手が大好きだからそう思うのだと思うのだけど)。
 というか、わたし、これを書いていて、気付いた。
 なんで、わたし、小説を書かずにこんな文章書いているのだろう?
 登場人物たちに対する愛着もあるし、「鉄鎖の次王の恋」の書いていたときに、構想を実際に書くことに移さないのは、殺人だ。と言っていたときと同じぐらいには、一人ひとりに思い入れがある。
 なにかが起こるたびにみんなが何を言うのかが楽しみで、これはどうだと言いながら、凶悪な状況をぶつけたりする。それは事前に構築されていた物語の構造上当然にやってくるもので、気まぐれで登場させているわけではない。
 まあよい。わたしの中では登場人物は生きている。
 友達と食事に行くのはとても楽しいし、それがたとえマクドナルドであったとしても、楽しさを見つけるのは簡単だ。それが未知の沖縄料理だったらわくわくするし、アイルランド料理だったらなおよい。

 わかった。
 取材に行かねば。
 湘南バンクが待っている(そこかww)。

| 雑記 | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) | 昨年の記事
 『わたしを離さないで』を読んだ

 ずっと前からカズオ・イシグロはノーベル文学賞を取ると言われていて、わたしはハルキストを唾棄しているので、なんの予備知識もないままに読んだ。
 わたしがカズオ・イシグロを読もうと思ったのは、ワイヤードという今はない雑誌(電子媒体での活動に移行した)のインタビューを読んだからで、それは「ことばの未来」という、乱暴にいうとAIで小説は書けるかという話題を扱った特集で、この中の「埋められた感情」という短い文章の内容に衝撃を受けたからだ。
(ワイヤードはバックナンバーを販売しているので、興味がある方は読んでみると良い。品切れの場合はデジタル版が買えるとのこと)
 ■マガジン(雑誌)/MAGAZINE|WIRED.jp
 https://wired.jp/magazine/

 この号の発刊は2015年11月10日なので、ノーベル文学賞受賞よりも2年も先行していることになる。
 正直、一回目ではなにかぼんやりとしかつかめず、二回目では好きなシーンが挙げられるようになって、三回目でやっと作品と出会った。そんなことをしているうちにノーベル文学賞を取り、じゃあ、いったい何が『わたしを離さないで』なのかといわれるとたいへんに困るぐらいにしか、この作品のことを知らない。美麗字句で褒め称えることはできても、それはわたしの本心からの文章ではないし、わたしのことばなんてそもそも価値がない。
 それよりも、この小説はうつくしい。
 この小説は美しい記憶を読んでいくお話であって、事実を読む話ではない。
 こんなに幻滅する現実はもうまっぴらだ、そう言っている小説なのだ。
(端的すぎるネタバレなのだが・・・)

 『わたしを離さないで』は、作者がつけた目次の構成上、3部に分かれる。
 幼年学校を思わせるヘールシャームでの第1部、大学生生活を思わせるコテージでの第2部、そして、社会人になってからを思わせる介護人としての第3部。
 どれも印象的なエピソードに満ちていることは当然なのだが、それぞれにでくわす年齢が違うので、もしかすると読み手は、冒頭のキャシーと同程度の、介護人として経験を積んだ30代ぐらいの人生経験がなければ、細かな部分を読み取るのは難しいかもしれない。
 それは、その文章を書いているのは少女ではなく、充分すぎる重厚な人生を歩んだ作家というのもあって、少し年代が近い読者から見ると、ああこれは歳とらないとわからないなあと思うきめ細かさがあるのだ。
 それでも作品に何度でも恋をするのは自由であるし、初めて読んだときの気持ちから、自分の中の時代に合わせて読み方が変わっていくのを楽しむのは、素敵な読書。そんな幅広い読書を包み込むだけの豊かさを、この作家は持っているように思う。

 この文章をここまで読んで『わたしを離さないで』を読まない人は多分一生読まないので、この話題はこの辺にして、わたしがどう感じたかを書こう。

 まず、ものを作る人がすばらしい作品に出会ったときに、なにひとつとして嫉妬を感じなかったとしたら、そもそも創作をやめたほうがいい。創作というのは、未踏峰をどういうルートで登るかの独自性の世界で、そもそもルートが確立している観光コース然としたエベレストになんて価値はまったくない。
 そんなアタリマエのことを考えて、『わたしを離さないで』はどう思ったかといえば、これはわたしのセクションではない、わたしが入り込む余地のない偉大な先人の領域だということだった。正直、どうせ自分がなんか考えても、その前にこの人が実現してしまうんだろうなあという無力感はあるし、入院歴が長いわたしにもなんか付け足せそうなものもありそうな気がするんだが、それは単なる錯覚だという気もする。
 そもそもこの作品が書いているのは医療ではなくて、人間らしい人生とはどういうものかという一種の社会哲学的な領域を扱っているのだ。そしてわたしは十分恵まれた環境にいるので、そこに対してあまり興味がない。
 『わたしを離さないで』の世界観はディストピアで、正直うんざりするような現実しかない。だから絶望するのだが、これと同じような構成でもっと明るい作品に、スタジオジブリの『おもいひでぽろぽろ』がある。この作品を語り始めると長いので(単純計算で2倍になる)割愛するが、正直ジブリ作品で一番好きな作品はどれかと言われれは、わたしはこの作品を挙げる。
 やはり夜行列車のシーンがうつくしいし、子供時代の何でも無いエピソードが、こつりこつりと響いてくる。

 もちろん、『わたしを離さないで』は、これだけ読まれるのだから、絶望しかない世界感でも、きわめてうつくしい小説であることは保証します。
 ただ、それに気づけるようになるまでに、わたしは3回の通し読みが必要でした。
 ノーフォークの下りがこんなに素晴らしかったなんて、と3回めに愕然としながら読んだのがわたしです(ネタバレしないように、かなりぼかして書いている)。
 第3部はわずか2章ぐらい進んだ程度で、いきなりラスボスにたどり着いて、これあと4章あるけど持つのか? と思ったら一切の冗長な文章はなく、示唆に富みすぎた文章でクライマックスが描かれる。こんなクライマックス、想像していたけれど想像できなかったし、細かなところを拾うと、ほんとにぐざりとくる。学園長先生が、教え子の救済よりも、莫大な自分の借金のために売り払う家具を、業者が傷めないか心配で、教え子などと話す時間は、全く興味はないとか。
(たぶんこれは、感情的な無意味な反論が多そうなので、ちゃんと読んでね、としか)

 ただ、同じ書き手として不満があるとすれば、トミーはもっといきいきと書けなかったの? と思うところはあります。
 創造性がない人という役回りはわかるのですが、シェイクスピアのどの作品を読んでも、これほどまでに他人に対して従順な人を見たことはない。家畜なのか、とかくと、えっともしかして当たってるの? と怖くなるんですが、えっと・・・、当たっちゃってる? うわー、これ超ネタバレだわ・・・、と書けなくなるんですね(笑)。

 はい、誤魔化しましょうw
 というわけで、ほぼノーベル文学賞の理由となった『わたしを離さないで』は大変美しい小説です。わたしは美麗字句は嫌いなので、ほとんど褒めてませんが、検索してみると大量に褒め称えている評には出会えると思います。
 とにかくこの小説はうつくしい。
 なにもかもがうつくしいです。
 良い文章は読みましょう。



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